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ジンクス本編外

ふう、と息をついて伸びを一つ。
時計を見ると終業時刻をわずかに過ぎていた。
窓の外はオレンジ色に包まれていて、この間までこの時刻はまだ明るかったはず、とうだるような暑い夏が過ぎたのだと実感する。
街行く人たちの服装も、華やかな色からどこか落ち着いた色合いに変わってきている。
出がけに慌てて羽織った薄手のパーカーだけではもう物足りなくなってくるのだろう。
そろそろ衣替えもしなければと思いながら職員専用通用口を歩いていく。
ジムチャレンジが終わり、ようやく街には静寂が訪れた。
けれどもジムリーダーを始めリーグ委員会もまだまだ慌ただしい。
これから冬にかけてのイベント企画も進めなければならない。
ユウリはそこまで忙しいという実感はなかったが、今週はずっとデスクワークだった。
キバナも先週は仕事を持ち帰り、横でうたた寝をしてしまった自分につられてソファーで居眠りをしていたくらいだ。
すれ違う職員にあいさつをしながらエレベーターに乗り込んで退社しようとした矢先、ロビーの一角で何やらはしゃいでいる女性二人の声が耳に入った。
「キバナ様の誕生日、明日だよね」
「何かプレゼント贈りたいけど…受け取ってくれるのは手紙だけなんだよね…」
肩からバッグの取っ手が滑り落ちる。
すっかり頭から抜け落ちていた事実を突きつけられて歩みが止まった。

ーキバナさんの誕生日、明日だった…!

どうしよう、と頭の中でぐるぐると考える。
今から何が用意できるだろうか。そもそも何を贈ったら喜んでくれるのだろうか。
立ちすくんでいた足を動かしてバトルタワーから出ると冷たい風が吹きつけた。

◇◇◇
何を贈るか決まらないまま、とりあえずブティックに入る。
メンズコーナーをぐるりと一周するが、特にこれといった物は見つからない。
寒がりな彼を思い出して、これから訪れる冬のためにセーター、帽子、マフラーと色々見ていくが、なんだかピンとこないのだ。
ぎっしりと詰まった彼のクローゼットを思い出す。どれも手触りよく、お洒落なものばかりだ。
彼に服を選んでもらっているうちは、衣類を自分が選ぶべきではないだろうと伸ばした手を隣の手袋へ移す。
柔らかい上質な革で作られた薄手の手袋。裏地はベロア素材になっていて、この時期は手荒れが酷いと言っていたから少しは乾燥せずにすむだろうか。
手袋ならいくらあっても困らないはず。
他にもいろいろと見に行きたいが、シュートシティにあるブティックでメンズを扱っているのはここだけだ。
今からナックルシティやほかの街まで行くには時間が遅すぎた。
店内を何度も往復して、散々迷った末に手袋をレジまで持っていく。
ギフト用にと伝えて梱包してもらう間、ぼんやりと外を眺めていると雑貨屋が目に入った。
丁寧に梱包された手袋を受け取って、今度はそちらの店に向かう。
所せましと並べられた商品を一つずつ見ていって、売れ筋と謳うハンドクリームを手に取る。
そろそろ自宅にもハンドクリームを常備しておいた方がいいかもしれない。
ハンドクリームだけでも何種類もある中、売れ筋のNo1とNo2の箱を手にレジへ向かう矢先、大量に積まれたワゴンの中に数々のポケモンをデフォルメしたブランケットを見つけた。
ふかふかと手触りのいいそれらの中にヌメラ柄を見つける。
およそ彼の部屋にはふさわしくないデザインではあるが、自分の部屋になら置いても違和感はないだろう。
足先がいつも冷たいと言っていたから、少しは寒さ除けになるかもしれない。
同時にモコモコとしたスリッパもメンズ用とレディース用を欲張って手に取ると、腕の中から滑り落ちそうになる。
落とさないようにレジへ持っていって、会計を終えると大きなビニール袋が返ってきた。
大きな袋を抱えて店を出ると、辺りは真っ暗になっていた。
たいして重くはないがかさばる袋とブティックの紙袋を下げて自宅へ向かう。
一定間隔に設置された街頭と様々な色を映し出している電光板のおかげで足元は明るい。
24時間、人工的な明かりで煌びやかなシュートシティは暗闇を知らない。
その光を疎ましく思うこともあるが、今はここがユウリの住む街だ。
毎日この道を通り、バトルタワーで仕事をして家へ帰る。
休みの前日はナックルシティまで行ってキバナの家へ泊ることもあれば、自宅で過ごすときもある。
逆にキバナがシュートシティへ来たときには一緒にランチを食べたり泊まっていくこともある。
だから、お互いの家に物が増えた。
彼の置いていった物がそのままそこに置かれている。
読みかけの本、着替え、好みの調味料、ポケモンたちのフード。
普段は意識しなくとも、時たまそれを見ては寂しくなることもある。
付き合い始めて半年が過ぎた。その半年の間にお互い忙しい合間を縫って会えないときは電話をして。
マリィには今が一番楽しいときやね、と言われて赤面したのはつい先日のことだ。
自宅のマンションが近づいて、バックから鍵を取り出す。
手首に引っ掛けたナイロン袋が時計を掠め、慌てて持ちかえる。
この時計も今年の誕生日に贈ってもらったものだ。
明らかに高価だとわかる時計を身に着けるのを最初は躊躇ったが、結局バトルの時以外は身に着けている。
「ユウリ」
住宅街の一角に静かに照らされたエントランスに近づくと、名前を呼ばれて振り返る。
「おかえり。すごい荷物だな」
トレードマークのオレンジのヘッドバンドとドラゴンを模したパーカーを着た少し猫背の彼の姿があった。
「え…?キバナさん?」
「ダンデのとこに用事があったから、そのまま来たんだ」
テイクアウトの紙袋を掲げて目尻を下げたキバナに、慌ててブティックの袋を背に隠す。
「夕飯、一緒に食っていいか?」
「も、もちろん」
すかさず持っていた荷物を全てキバナに奪われて、あ、と声がでそうになるのを必死でこらえる。
ちらちらと奪われた紙袋を気にしながらエントランスを通り、エレベーターで上がって行って少し冷え切った室内に入って、靴を脱ぐとそのままキバナはリビングを通り、端に袋を置いた。
「キバナさん、これ」
ナイロン袋からスリッパを出して渡す。
「お、暖かいな」
メンズサイズでも一番大きなスリッパはちょうどいいようだった。
これも、とハンドクリームの箱とブランケットを取り出して腕の中に収める。
「サンキュー」
しぼんだ袋の後ろに隠れていた紙袋をナイロン袋に隠すように持って、慌ててキッチンへと隠れる。
まだ渡したくない、そんな思いは後ろに立った彼に阻まれた。
「…それは?」
にやにやともうわかり切っていると言わんばかりの顔で詰め寄られれば、隠しきれない。
そもそも荷物を持った時点で気づいていたのだろう。
「本当は明日、渡しに行こうと思ってたんです」
「うん」
「…お誕生日おめでとうございます」
ちょっと早いけど、と付け加えて渡すと嬉々としてキバナは受け取った。
「開けていい?」
はい、という前にもう指はラッピングのテープを剥がそうとしている。
丁寧に剥がされたラッピング用紙の中から現れた真っ白な箱の蓋を開けて顔を見せた革の手袋。
「少しは手荒れ、よくなるかなって…」
「去年使ってたやつ、うっかりヌメルゴンの粘液ついてな。今年買い換えようと思ってたんだ。ありがとう」
手にはめてて握ったり開いたりを繰り返している。その表情は、半年一緒にいても慣れない。
「大事にする」
ようやく喜んでもらえたと実感して、ほっと胸をなでおろす。
「いつも私が頂いてばかりだったので」
左手首を掴むと、今は温かい金属の感触。
これだけではなく他にも色々な物をもらった。
小さいフラワーアレンジメント、ピアス、服。この半年間で増えた物はたくさんあるのだ。
「オレもいつも色々貰ってるよ」
へ?と首を傾げれば、戸棚の前に置いていたハンドクリームの箱を手に取った。
「例えばこれ。このクリームもスリッパも、ブランケットも。あとシャンプーとか。そういう日用品をユウリが買ってきてくれるのが、ここに置いてくれるのがすっげー嬉しいの」
「でも…それは必要なものでしょう?」
そう言うと、キバナはうーんと短く唸った。
この部屋で短い時間でも過ごすのにどれも必要な物ばかりだ。もちろんキバナ自身が持ち込んだ物もあるが無くなれば買ってくる。当然のことだと思っていた。
「その、必要だって思ってくれることが嬉しい」
褐色の肌が少しだけ、赤く染まる。
二度目にキバナの部屋を訪れたとき、新品の部屋着と歯ブラシセットが用意されていた。
ここに居ていい。ふと、そう思った日を思い出してユウリの頬も熱を持つ。
同じものを返せていたのだと気づいてようやく腑に落ちたのと同時に、なんだか急に照れくさくなってしまった。
だったら、もう一つプレゼントを渡そう。ラッピングも何もないけれど。三度目にキバナの部屋を訪れたときに貰った物と同じものを。
「今日の朝、ようやく届いたんです」
バックに入れっぱなしだった小さい封筒を渡す。
「…カードキー?」
封筒の中に入っていたのは新品の合鍵だ。
随分前に申請した合鍵は特殊なものらしく、だいぶ時間がかかってしまった。
「合鍵の申請してたんですけど、ずいぶん遅くなっちゃって。これから寒くなるので今度は部屋で待っててください」
「…ユウリにはかなわねーな」
照れくさそうに笑う彼の姿を見れるのも、今は私の特権なのだろう。


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