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ジンクス本編外

モニターの文字が霞んで見えるようになってきて、ちらりと右下のデジタル時計を見ると、もうすぐ日付が変わりそうになっていた。
ソニアと一緒に夕飯を食べて、少し休憩がてらバイウールーやワンパチと遊んで、風呂に入ってからパソコンに向かうこと早数時間。手元にあるマグカップに入れた濃いめのコーヒーはもう空になっていた。
眠いわけではない。ただ、脳の機能は低下し、眼球は限界を迎えていた。
大きく伸びをして少し離れた位置にあるソニアのデスクに視線を向けると、山積みの分厚い書籍とコピー用紙が散乱していた。
当のソニアはというと、キーボードに手を乗せたまま頭が僅かに左右に揺れている。
連日、論文の翻訳をしていればさすがに疲れがたまっているのだろう。
立ち上がって手近にあったブランケットを肩にかけてもソニアは起きなかった。
ブブっと白衣のポケットに入れていたスマホが震え、手に取るとメッセージがきていた。
久々のユウリからのメッセージに首を傾げながらタップをする。
幼いころは毎日のように一緒に遊び、ジムチャレンジの時も頻繁に会ってバトルをした。
ユウリがチャンピオンになり、拠点をシュートシティに移した頃にはもうあまり会うことはなくなっていた。
連絡もだんだんと間が空くようになっても研究が忙しい時はさほど気にはならなかった。
ところが、会うことが少なくなったユウリとは反対に、チャンピオンを降りた兄とは会う機会が増えた。
ローズ委員長とオリーブの監視がなくなったからか、時間が空けば昼夜問わず研究所にやってくる。
最初の頃は頑張っているな、と褒められるのが嬉しかったが、週に数回会うようになればそれも薄れてくる。
反対にソニアと仲良さ気に話す姿を見ているとたまにはユウリに会いたいと思うようになっていた。
『来週の土曜日、マリィとビート君と飲み会するんだけどホップも来ない?』
画面をカレンダーアプリに切り替えて来週の土曜日を探す。
青い文字で休日が強調されたその日は空欄だった。
『大丈夫だぞ。楽しみだ!』
おまけにゲンガーがわくわくと嬉しそうな表情をしているスタンプをつける。
『場所と時間は予約取ってから送るね』
イワンコが立ち上がってわーい、と喜んでいるスタンプと共にメッセージが返ってきた。
続けざまにおやすみ、とメッセージ付きのカビゴンが手を振っているスタンプが返ってくる。
スマホの画面を消して、マグカップを手にキッチンへと向かう。
棚からインスタントコーヒーの粉末を取り、小さめのスプーン二杯。
ケトルでお湯を沸かしていると、再びスマホが震えた。
『明日の11時頃、ランチに行きませんか?』
文面に違和感を覚えながらも、カレンダーアプリに切り替える。
明日は兄の元へ本を届ける予定があって、午前中にシュートシティへ行くことになっていた。
シュートシティならば届けた後ランチに行けばいい。
OK、とナエトルのスタンプを返す。
『ナックル東側のポケセンで待ってますね』
今度はOKとメッセージが付いたイーブイのスタンプを返す。
ウールーのスタンプもあるのだが、むっと頬を膨らませているイラストで、正直あまり使いどころがない。
熱々の湯をマグカップに注ぎ、濃いめに作ったコーヒーを啜る。
再びモニターと向き合ってワイルドエリアのガラル粒子を計測した数値をグラフ化していると、ふと先ほどのメッセージが頭を過った。
終わったはずの会話に、少し固い言い回し。待ち合わせがナックルシティ。
はっと気が付いてデジタル時計を見る。
数字に向き合っているうちに時刻は深夜へと変わっていた。
今から電話をしても恐らくユウリは眠っているだろう。
もしかしたらメッセージが来た時点でもうだいぶ睡魔に襲われていたのかもしれない。
ユウリは朝が苦手だから、今からメッセージを送っても家を出る前にメッセージを見ない可能性もある。
ユウリが送ろうとした相手、キバナにメッセージを送ろうかとも思ったが、やはりもう非常識な時間帯だ。
明日起きてからどうにかすればいいか、と結論付けて表計算ソフトを保存し、パソコンの電源を落とす。
ソニアの書きかけの翻訳文もいったん保存をして、灯りを絞った。
ごろん、とソファーに横になり、ブランケットを引き寄せる。
疲れていたのか、目を閉じるとふっと意識がどこかへ吸い寄せられるように遠くなっていった。


◇◇◇
開け放したカーテンから差し込んだ眩しいほどの白い光とウールーやココガラの鳴き声の声に目を開けると、背伸びをするようにソファーに前足をついて覗き込んでいるワンパチと目が合った。
ヌワ、と一声鳴いてキッチンへと誘導するように少し離れた所で立ち止まっているワンパチについていく。
腹が減ったのだろう。
ポケフードと冷蔵庫に入っているカット済みのきのみを乗せてワンパチの前に差し出すとゆっくりと食べ始めた。
一階にソニアの姿はない。深夜に目が覚めて寝室へ行ったのだろう。
きのみをしまうついでに冷蔵庫からカロリーバーを一本取り、かじりながらスマホを見る。
連絡は何もない。
トークアプリからキバナを呼び出し、文面を打っていく。
『キバナさん、おはよう。今日ユウリと約束してたりする?』
『久しぶりだな、元気か?いや、約束してないぜ?どうかしたか?』
『今日、用事なかったら11時頃に東のポケセンに来れる?』
OK、とナックラーが片手を上げたスタンプが返ってくる。
『オレさま今日仕事だからちょいと遅れるかも。またあとでなー』
最初こそ、少し敬語っぽい口調で話していたものの、数年付き合いを続けているうちにフランクな口調で話すようになった。
以来、同期と同じように話すようになって今ではもう何の違和感もない。
続いてユウリにおはよう、とメッセージを送る。
身支度を終えても既読が付くことはなかった。
電話をかけてみるが、目いっぱいコール音が鳴ってアナウンスに切り替わる。
なんとなく予想していたことに苦笑いをして、上着のポケットにスマホを閉まった。
駅に向かい、シュートシティまでの少し長い時間、ぼんやりと景色を眺める。
木々の合間に隠れているポケモンを見ているだけで心が和む。
最近は電車で移動するようなこともなく、少し慌ただしく過ごしていた気がする。
そっと目を閉じる。寝過ごしてしまったとしても、どうせ行先は終点だ。
カタカタと電車の規則的に奏でる音に耳を傾けながら、浅い眠りを繰り返した。
幾つかの駅を通り過ぎ、シュートシティに着くと見知ったオレンジ色の炎が目に入った。
兄のリザードンだ。何かを伝えようと必死に兄の服の裾を掴んでいる。
駆け寄って声をかけると、昼食を買いに広場まで行こうとしていたらしい。
広場までは真っすぐ下っていけばいいはずなのに、兄は左へ進もうとしていた。
それをリザードンは止めていたらしい。そんな兄に約束していた本を渡し、広場まで案内をしてアーマーガアの背に乗った。
以前は少しでも一緒にいたくて昼食を一緒にとった。案の定、今日も一緒に昼食をと誘われたけれどもそれを断る。
兄も特に気にはしていないようで、大きく手を振って見送ってくれた。
真っすぐと南下していき、肌寒いほどの風に頬を打たれながらナックルシティへと向かう。
久々に飛べて嬉しいのか、アーマーガアはいつもよりも速い速度で、けれども決して落とさないように気をつけながら進んでくれた。
やがて見えてきたピンクの屋根とモンスターボールの看板の下に、小さな姿を見つけてアーマーガアに指示を出すと、ゆっくりと降り立つ。
「ユウリ!」
「あれ?ホップ??ナックルに用事でもあるの?」
大きな目をさらに丸くして、ユウリが声を上げた。
「やっぱりスマホ、見てないんだな」
はは、っと苦笑いをしながら言うと、ユウリは慌ててスマホを取り出す。
「昨日の履歴、見るんだぞ」
何度かタップしたのち、あ、っと小さな声が上がる。
「私…キバナさんと間違えてホップに送ってたんだ…」
「オレ、あの時ちょっと疲れててさ。すぐに気がつかなかったんだ」
「ああ…ごめんね。昨日眠くて…間違っちゃったんだ…ここに来たってことは今日時間ある?せっかく来てくれたんだし、ランチ行こう?」
若干落ち込んだような表情をしたのち、ぱっとユウリの表情が変わる。
ユウリもキバナもお互い忙しい身だ。こうやって空いた少しの時間を使って会っているのだろう。
ユウリからキバナと付き合うことになったと聞いた時は驚いた。
二人が仲が良いのは知っていた。同じようにとまではいかなくても、キバナに世話になった事は何度もある。
現在もガラル史に関することで宝物庫を訪ねると、そのまま食事を奢ってもらったり、丁寧に教えてくれたりする。
チャンピオンとトップジムリーダーの恋。
それは間違いなく世間を騒がす出来事で、ユウリとキバナの歳の差も大きい。キバナは女性からの人気も絶大だし、ちょっとしたことでSNSで炎上したりもする。
だから、そういった事に巻き込まれてしまうのではないかと心配だった。
けれどもそんな心配を他所に、二人は兄妹のように仲がいいと言われ、付き合って何年か経っていても未だバレてはいない。
「いや、午前中にキバナさんに連絡したから多分、もう来ると思うぞ」
隣で羽を休めていたアーマーガアの首下を撫でると、ぐりぐりと肩口に頭を押し付けられる。
「え、でも…せっかく会えたんだし、一緒に行かない?」
「今日はアニキのところに届け物があったんだ。昨日ソニアが寝落ちしちゃったからその手伝いもしなきゃいけなくなったから。…だからユウリはキバナさんとランチ、楽しんでくるといいんだぞ!」
まだ申し訳なさそうに項垂れるユウリに、じゃあ来週、と言ってアーマーガアに飛び乗る。
大きく手を振ると、小さいながらも振り返してくれた。
アーマーガアは大きくて強靭な翼をばさばさと音を立てて高度を上げていく。
ユウリの表情が見えないほど高く上った頃、西の方から歩いてくるキバナの姿が見えた。
見えなくてもわかる。きっとユウリは笑顔でいるはずだ。
その様子を思い浮かべながら、どんどん小さくなっていくナックルシティを後にする。
追い風に乗るように、今度は散策でもするかのような速度でアーマーガアはブラッシータウンの方角へと進んでいく。
頬に当たる風はやはり少し冷たかった。
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