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ジンクス本編外

アーマーガアタクシーでナックル丘陵へ降り立つと、心地の良い秋風を感じた。
真夏の焼きつけるような太陽に比べて幾分柔らかくなってきているが、それでもまだ日差しは眩しい。
ナックルシティの門をくぐり、真っ直ぐ歩いて目指す先はナックルシティジム。
今日はキバナさんと新しくできたカフェに行く約束をしていた。
バトルの時は鋭い目つきに闘志をむき出しにしているが、普段のキバナさんは温厚で笑みを絶やさない。語学や歴史だけではなくファッションからグルメ、娯楽と様々なことを教えてくれる。新しくできた店が人気だと割と頻繁に連絡が入り、食事に行った回数ももう数えきれない。男性には珍しく甘いものも好んで食べるため、量が多いスイーツも一緒に食べてくれる。
ホップやマリィとはまた違った距離感で付き合ってくれるキバナさんの存在は、他の大人たちとはまた違う頼もしさがあった。

待ち合わせの時間より少し前にジムへ着くと、リョウタさんが入口で何やらばたばたと動き回っていた。
いつも忙しそうにしているなぁと思いながら手が空くまで入口の付近でスマホを見ながら待つこと数分。
「ユウリ様!」
ひと段落ついたらしいリョウタさんの声が聞こえた。
「キバナ様とお約束が?」
「はい。キバナさん、お昼休みに入りますか?」
「それが……今日は書籍を探しに行くと言って朝に見かけたきりなんです。恐らく宝物庫にいらっしゃると思いますのでそちらへ行って頂いてもよろしいでしょうか」
リョウタさんは対応も口調もいつも丁寧だ。ジムチャレンジャー時代から変わらないのだから、チャンピオンだからというわけではないのだろう。
「わかりました、ありがとうございます」
お辞儀をしてジムを出て、右に曲がってブティックやバトルカフェの前を通り過ぎ、宝物庫のドアを開ける。
滅多に入ることのできない宝物庫はいつ来ても胸が躍った。
タペストリーや保管されている物を見るとガラルの歴史を感じる。
もはや生まれ故郷より長く住んだガラルの歴史を知ることは楽しい。
それは一重にキバナさんのおかげだろう。
ふと疑問に思ったことを口にすれば、彼の口からはするりとその答えが出てくる。歴史と言えば淡々と説明されるだけかと思いきや、キバナさんの興味を引く語り口と説明はとても分かりやすく面白い。他の地方に由来するものであったり、伝説として語り継がれるものであったり。口で説明するよりもと書籍を進めてくることもある。そんな時は滅多に入室できない書庫が見れるチャンスだ。
日光が入らないように締め切られた窓。少しカビ臭い室内に、ずらりと並んだ本棚の数々。
収められている本は歴史書だけではなく、ポケモンに関することや絵本、他地方の料理本などもあったりする。
持ち出しは禁止されているため、書庫内で読むかキバナさんの執務室でしか読む事できないが、時には半日ほど居座ってしまうこともある。
「キバナさーん」
そっとドアを開けてきょろきょろと辺りを探す。
珍しく開け放たれた窓からは気持ちのいい風が時折吹き込んでいた。
数歩歩いて中へと入ると、書庫の奥に置かれたソファーセットにキバナさんは座っていた。
組んだ足の上にくすんだ茶色い表紙の分厚い本を乗せ、左肘を肘掛の上に置き、頭を支えている。
右手は常人より早いスピードでページを捲っていた。
ナックルジムのウェアに、七分袖のパーカーを羽織った姿は見慣れたものだ。
端正な顔立ちにわずかな日光の光を受けて輝くピアス。
そこまではいつも通りだった。
ただオレンジのヘアバンドがない。他に違和感を感じるものの、その正体がよくわからない。
数十秒、キバナさんを観察して、感じた違和感の正体は、普段はかけていない黒縁の眼鏡だった。
声をかけようとして、伸ばしかけた腕を下ろす。
夏のジムチャレンジを終え、ようやく訪れた閑散期。
キバナさんと知り合ってからずいぶんと経ったけれど、こんなに没頭している姿は初めてかもしれない。
いつだって、私が来た時はすぐに気づいてくれるキバナさんが、今日はドアの開く音や足音すら聞こえていないようだ。飲食も禁止されているのでそれすらも忘れているのだろう。
時計もないこの部屋はスマホだけが時刻を知る手段だが、それすらも見ていないのだろう。
相変わらずページを捲る速度は速いが、僅かに笑みを浮かべて楽しそうに読みふけるその姿に、声をかけてはいけないと思った。
足音を立てないように移動して、本棚を覗いていく。
様々な言語で書かれたサイズのバラバラな背表紙が並ぶ棚をゆっくりと見て周り、一冊の本に手を伸ばす。
『ブラックナイト現象と英雄伝説』と書かれたその本は、以前ソニアさんに勧められたものだ。
災厄とも呼ばれたムゲンダイナが手持ちに加わって六年。あの時の壮絶な被害は忘れた事がない。
何度となく取り沙汰されたその存在については実のところ、メディアの解説並みの知識しかない。
知ることが怖かった。人間によって作られたポケモンなのか、太古から存在していたのか、謎の多いポケモンなだけに今までの歴史を覆すような強大な存在の過去を知ることにどこかで拒否していたのだ。
表紙を捲り、前書きをさらりと読む。
次項から始まったその歴史は、ガラルの歴史とともに紹介されている。
なるほど、ソニアさんが薦めるだけあるな、と数ページ読んで、私はその場にしゃがんだ。

◇◇◇
ぱたんと本を閉じ、そっと棚に本を戻す。
結局のところ、キバナさんとソニアさんから聞いた話以上のことは書かれていなかった。
それも仕方がないのかもしれない。
少しだけあの出来事の整理ができたことに満足をして、凝り固まった首を回すとパキッと小気味のいい音が石壁に反響した。
「誰かいるのか?」
ピクっと体が跳ねる。キバナさんの集中を切らしてしまったらしい。
「こんにちは、キバナさん」
「……ユウリ?」
棚から少しだけ顔を出すと、目を丸くしたキバナさんが急に立ちあがった。
「えっと、多分二時間くらい前からそこにいました」
スマホで時刻を確認して棚の奥を指すと、キバナさんは慌てて自身のスマホを確認した。
「うわ……悪ぃ……すっかり時間の感覚なかった」
はあ、と長く盛大なため息をついてキバナさんはテーブルに積みあがっていた本を持ち上げる。
「私の声も聞こえないくらい集中されてたので、私もそこで読んでました」
「ホントごめん。随分前に返ってきたこれに目を通さなきゃいけなくて。読んでたら夢中になってた。……ってカフェに行く約束してたんだったな……」
「今度でも大丈夫ですよ。それより、キバナさんの眼鏡姿、初めて見ました」
隣に並んだキバナさんを見上げれば、身なりや口調はいつも通りなのにまるで別人のように感じた。
どくん、と一瞬強く脈打った心臓に疑問符が頭に数個浮かぶ。
「ああ、今日はなんだか調子が悪くて眼鏡にしたんだ。結構眼鏡でいること、あるんだけどな。初めてだったか?」
「……そうですね、初めて見ました」
書庫の石壁は外の熱を通さない。わずかに空いていた窓の外気を取り込んでも外よりは涼しいはずなのに、どうして頬が熱いのだろう。
その熱は頬だけでなく、なんだか体全体が暑くなり、何も考えられなくなる。
「ユウリ?」
並んで歩いていたはずが気が付けばキバナさんの後ろを歩いていた。
振り返ったキバナさんと目が合って、心臓がバクバクとまるで全力疾走した後のように動き出す。
もしかして、風邪でも引いたのだろうか。動悸と頬の火照り。これから熱が上がってくる前兆のような気がする。
それでも、まだキバナさんと一緒にいたい。カフェには行けなかったけれど、時間が空いていたらバトルをして、夕飯に誘いたい。
小走りで追いかけてもう一度横に並ぶ。
その隣が今日はなんだか落ち着かなかった。
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