F.NOZOMI
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次号の打ち合わせ会議に使う資料を運んでいたら廊下で遭遇した上司。これとこれと、あとこれもよろしくと更に山積みにされた資料。鬼だ。
長い廊下を抜け、エレベーターに辿り着いたはいいけど、両手が塞がってボタンが押せない。
片手を離したらバランス崩して落としちゃいそうだし。
んーどうしたものか。
太ももをあげて資料を支えて、少しだけ手を離してみたりしたけど厳しそう。
「上ですか?」
後ろからふと声をかけられ振り向いてびっくりした。
雪組の望海風斗さんだ。
男役さんにこんな事思ったらだめなんだろうけど舞台化粧じゃないからか、なんて美しいのだろう。
私が見惚れて返事しないものだから不思議そうに首を傾げられる。
「あっ、はい。上に行きたいんですけど」
資料を抱えて苦笑いする私ににこりと笑って上ボタンを押してくれた。何ていい人なの。
「重そうですね。持ちましょうか?」
「いえいえ、ボタン押してくださっただけでありがたいです。お気持ちだけいただきます。」
大きく首を振って辞退する。
恐れ多い。オーラに当てられそうだと目も合わせられずにいたらぴーんという音とともにエレベーターの扉が開く
「私も上なので一緒に乗っても?」
「もちろんっ」
「何階に行くんですか?押しますよ」
「ありがとうございます。35階に行きたくて」
癖でボタンの前に立ったはいいけど、結局ボタンを押すことができない私・・・なんてバカなの。
私よりずっと背の高い望海さんが後ろから私越しにボタンを押して下さる。
背中に望海さんを感じて勝手にドキドキして資料を持つ手に力が入る。そのまま25階を押した望海さん。
応接フロアだからきっと次号の打ち合わせなんだろう。
「あの・・・高瀬さんですよね」
ボタンを押してくれた後、私と反対側の扉横に立った望海さん。
25階までこの静かな空気に耐えれるか不安を抱いていた私に望海さんが先に口を開いたのだが、あまりにも思いもよらない言葉だったので言葉に詰まってしまった。
私なんかをご存知なんて。
「こないだ撮影ご一緒させて貰ったんですけど雪組の望海風斗です」
「もちろん存じ上げてます。高瀬貴美と申します。私なんかを覚えててくださるなんて思ってもみなかったもので」
控えめに自己紹介していただいたけども、もちろん存じてます。
カメラ助手の私をまさか覚えていらしたなんて。
確かに何度かアシスタントで入らせていただいた事はあるけど自己紹介もはじめの頃に軽くご挨拶しただけなのに、さすが気遣いの望海さんと言われるだけある。流石だ。
名乗って、頭を下げれば安心した様な顔で見つめられる。
「良かった。変な人と思われたらどうしようかと思ってました」
まさか!雪組が誇るスターさんを忘れるわけがない。というか、その笑顔反則だと思います。
ときめきの全てがここにあると言っても過言ではない。
高鳴る鼓動に身をもって体験する。
「さっきね、一生懸命どうにかしてボタンを押そうと奮闘してたでしょ?それを後ろから見てたんです。早く声かけなきゃと思ったんですけど可愛くてついつい観察しちゃいました」
照れながらそう話す望海さんに恥ずかしさが込み上げる。
声をかけていただいた時から私の足掻きを見られてたんだろうなとは薄々気づいてはいたけど、恥ずかしい・・・。
「あ、もっと話したかったんだけどまた今度」
いつのまにか25階で。
じゃあと、エレベーターを降りる望海さんに慌ててお礼を言った私に振り返って微笑んで去っていく背中を扉が閉まるまで見つめてた。
可愛いって言われちゃった。
一瞬の出来事だけど、あまりに夢みたいな時間にぼーっとしてしまって気づけばいつの間にか35階で。
開いた扉の向こうに同期のゆきが仁王立ちしてた。
「遅いよ!ってか何、熱?」
「どうしよう、死んじゃうかも」
「は?」
予想以上の量の資料を抱えて真っ赤な顔をした私を見てびっくりしてる。
そりゃそうか。自分でも分かる位顔が熱い。
半分持ってくれたゆきと会議室に急げばもう大分揃ってた。
ロの字型に組まれた会議室のデスク、自分の席に着けば次の各組特集の打ち合わせが始まる。
目の前の資料を眺めながらも浮かぶのはさっきの望海さんの笑顔。また今度なんてないと分かってるけどもしかしたらいつかなんて夢を与えてくれる。
ああ、いつか一緒にお仕事が出来るように頑張ります。
「雪組担当は高瀬」
「はい」
「で、各組ごとに・・・」
早口な上司の言葉を聞き逃すまいと資料にペンで殴り書いてたので、勢いのまま雪担当って書いて疑問が生まれた。
ん?ちょっと待って!!雪組?たっ担当?アシスタントじゃなくって?
「えっ。私ですか?」
「ついにアシスタント卒業だな」
進む話を遮った私ににやりと笑って頑張れよって言われた。
え、待って待って。
確かにまた会えたら、いつか担当出来たら嬉しいと思ったよ。
でもそれはまだ先の話で。いきなりすぎる。
「やらないのか?」
「・・・やらせて下さい」
こうなったら最高の写真を撮ってみせようじゃないのって思ってました。一昨日くらいまでは。
昨日から胃が痛い。撮影慣れした上級生さんたちがメインとはいえ組特集とか結構重要だよ、私に出来るのかって思いが今更ながら押し寄せてきて。
朝から緊張で胃が痛いをついに通り越した。
ずっと胃を押さえてないと辛い。
「あ、貴美ちゃんやん。」
スタジオのど真ん中、カメラを準備するのを装って出来るだけ体を小さくして、人にバレずにキリキリする胃を圧迫して自分をごまかそう作戦に出ていた私に声をかけてくれたのは彩凪さん。
「彩凪さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
「なに、今日は貴美ちゃんが担当なん?凄い、出世したやん」
頭をぽんぽんと撫でてくれる。
前から思ってたけど、天然のタラシってこの人の事を言うんだろうな。かっこよすぎる。
何人の、いや数えきれない人達がこの魅力にやられたんだろう。
彩凪さんは初めて撮影アシスタントで入った時にお話しさせていただいて。その時から気にかけてくださる優しい方。
見惚れてしまって胃の痛みを忘れそうになっていたところに望海さん、彩風さんが、入ってこられる。
ああ、一気に胃の痛みを思い出しましたよ私は。大役すぎて吐きそうです。
ご挨拶すれば、私に気づいた望海さんが満面の笑みでこちらにやってくる。
先日は美しかったですが、スーツを見に纏った姿はかっこいいという言葉がぴったり。
「あ、高瀬さんだあ。また会えたね」
「のぞ様、王子様みたい」
でも口を開けばなんだか可愛らしい。
彩風さん、そこは深堀しなくていいんです。意味はないのでさらっと流してください。
イケメンとプレッシャーには弱い胃をもってますので。
彩凪さんももちろんイケメンなんだけど、慣れてるイケメンと慣れてないイケメンでは違うのよ。
「貴美ちゃんはついにアシスタント卒業してデビュー作なんですから気合い入れて下さいね」
肩に手を回して自分の事のように自慢げに言ってくださるけど彩凪さんっ。気合を入れなければならないのは私の方ですから。
皆様は自然にしていただくだけで十分です。止めに入ろうとするけど、望海さんは目をキラキラさせ自分の事かのように喜んでくれる。
「そうなの?おめでとう。めちゃくちゃかっこよく撮ってもらわなきゃ」
うっ、もうだめかもしれない胃が・・・・。プレッシャーに絶えられなくなった頃
「貴美ちゃーん」
「きいちゃんっ」
走ってきて抱きついてきたきいちゃんを抱きとめる。
会いたかった大好きな娘役さん。
今日の撮影の救いはきいちゃんがいる事。
私より一個お姉さんで、前から撮影の度に休憩中や終わった後お茶したりして色んな話をさせてもらって癒やされてる。
「なんかまた可愛くなったわね」
笑顔全開で左手で私の腰を抱いたまま、右手で私の前髪を直しながら見つめるきいちゃん。相変わらず可愛くて男前。
「パワーチャージしてあげようか」
「してほしい」
撮影前、アシスタントのくせにガチガチの私にいつもやってくれる緊張が解れるおまじない。
力一杯抱きしめてくれた後ほっぺを両手で包んでおでこをくっつけて"貴美なら大丈夫よ"って優しく笑ってくれる。
うん、今なら出来るような気がする。
「頑張れそう。ありがとう」
「良かった」
「あーっ。」
振り返ると望海さんがぷるぷるしながら私達を指差してた。
望海さんをチラリと見ながらさあ始めましょっかとにこにこしながら撮影ブースに向かうきいちゃんを呆然と見つめる望海さん。
私をチラリと見て望海さんもきいちゃんを追いかけるようにブースに向かって行った。
嫉妬されちゃったかな。大事な相手役さんだもんね。
「お疲れ様。これどうぞ」
1日がかりの撮影も折り返し。
お昼休憩に入り、みんながご飯に行くのを見届けて私はスタジオの隅っこで午後の準備をしつつ、ウィダーインゼリーで済まそうと思ってたんだけど、戻ってきた望海さんが手に持った紙袋からサンドイッチとジュースを差し出して下さった。
「いちご、好きだって聞いたから」
「嬉しい。好きです」
なんて優しいんだろう。
勿体なさ過ぎて食べれないと手の中の苺サンドを眺めていたら、望海さんは私の横に座ってサンドイッチを頬張り始めた。
えっと一緒に食べるのかなこれは。
「胃に負担が掛からないように無理しなくていいからね。」
ちらっと横目に私を見て心配そうに笑った。
もしかして、ずっと胃が痛かった事気付かれてたのかな。
「お気遣いありがとうございます。食べるの勿体ないなって思ってしまって。」
「ウィダーインゼリーだけじゃ体壊しちゃうよ」
こんな私みたいなカメラマンにも気を遣って下さる神だ、この方は。
食べながら望海さんと少しお話しも出来てちょっと緊張がほぐれた。
午後の撮影も順調に進み、望海さん最後のショット。
おっきな真紅の薔薇の花束を持ってかっこよくキメる。
今日は一日横できいちゃんが見学してるから変に緊張せずに済んだ気がする。
きいちゃん、望海さんの事本当大好きだもんなぁ。
「素晴らしいです。お疲れ様でしたー」
望海さんと撮れた写真の確認をして今日は終了。
無事素晴らしいショットばかりが撮れた。
これは編集さん選ぶの苦労するだろうな。被写体がよかったらこんなにも何気ない仕草でさえ色気とか出るものなんだな。
生徒さん達が帰った後、撤収タイム。
大事にカメラをケースに仕舞っていると撤収中のざわめきの中こちらに向かってくる足音が聞こえる。
「高瀬さん、お疲れ様」
聞き覚えのある、綺麗な声に振り返れば望海さんが立っていた。
「お疲れ様です。どうされたんですか?」
慌てて立ち上がる。なんか忘れ物かな?でも荷物類は先にチェックしたから忘れ物はないはず。
ニコニコした望海さんの背中から現れたのはさっきの薔薇の花束。
「はい、独り立ちおめでとう」
撮影で使ったもので申し訳ないけど、なんて申し訳なさそうに言われるけど全然そんなの思わない。
嬉しすぎる。わざわざ戻ってきてくださったの?
「そんなかわいい顔したらずるいよ」
「え?」
花に見とれすぎて望海さんが何ておっしゃったのか聞き取れなくて聞き返したけど何でもないって言われてしまったので分からないままだった。
「またご一緒できるよう頑張ります」
「うん、私も頑張る」
帰り道はこのおっきな薔薇の花束に視線を感じながら、嬉し恥ずかしな想いと共に足取り軽く家路に着くのだった。
家に帰って早速花瓶に飾って写真に残しておいた。ずっと枯れなければいいのに。
しばらく現実に戻れなさそうなくらい夢のような1日だった。
プロとしてはウハウハしてる場合じゃないんだけど。
これに慣れないといけないんだもんね。お仕事だからきちんとしなきゃ。でも本当に幸せだったな、薔薇の香り広まる部屋で撮影の余韻に包まれながら眠りについた。
****************
人生で一度だけ一目惚れというものを経験したことがある。
息を呑むような経験。目があった瞬間時が止まった。
お仕事で軽い挨拶程度ににこりと微笑まれただけなのにドキドキが止まらなくなって。名前しか知らない人。
その笑顔がまぶたの裏に焼き付いたみたいにずっと離れなくて。これが恋に落ちるって事なのか。
それからずっとその恋に囚われている。
「はい、望海さんこのカメラに視線をお願いします」
あの日、進められていく撮影、カメラマンさんの横で私を凄く真剣に見つめている女の子。
でも手はテキパキとレンズ準備したり取り替えたりと休む事なく動いている。
さっき撮影の始まりにご挨拶した時からその瞳に釘付けで目線が自然と彼女に向ってしまう始末。
それから何回も撮影で見かけるけど話しかけれないまま。
あの子も人見知りみたいで中々会話という会話ができないまま今日まできた。真彩ちゃんとはよく話してるみたい。
私もその輪の中に入りたいと何度も思ったけど、お化粧とかお洋服の話とか女の子同士の会話ってなんとなく気が引けちゃって結局他の子と話して終わり。
次の撮影の打ち合わせで訪れたTCA。
編集部さんに立ち寄った後、別階の打ち合わせルームへと向かい歩いてたら廊下の先に目に入った人。
エレベータの前に立ってるけどなんだか変な動きをしてる。
片足で立ってみたり、よろけてみたり。
よく見ると何やら持ちきれない位の冊子を抱えてる。
彼女がよろけた時に横顔が見えてびっくりした。あの子だ。
話しかけるチャンスは今しかないと思った。
「上ですか?」
はやる気持ちを抑えて近づき、話しかけた私に振り返った彼女は一瞬目を見開いたけど、なんにも答えない。
あれ、私の事覚えててくれてるかななんて淡い期待を持ってたんだけど。
一応、あなたの仲良い真彩ちゃんの相手役させて貰ってます。というか私の問いかけは、行き場を無くしてしまってるけどと思ってたら、ボタンを押せないという自分の置かれた状況に苦笑いしながらやっと答えてくれたから上行きのボタンを押す。
ちょっと話せるかななんて思った途端エレベーターがきた。
なんだよ、いつもならきて欲しい時には中々来ないくせに、もうちょっとここにいたいって思う時にはあっさり来るんだもん。
一緒に乗り込んだエレベーター。高瀬さんはすっとボタンの前に立ったけど、その状態じゃボタン押せないと思うけど。
きっと普段からボタン押してあげる人なんだろう。
後ろから高瀬さんが行く階を押してあげればきゅっと力が入って耳が赤いような。
ちょっとは意識してくれてるのかな、なんて。ないか。
このチャンスを逃すまいととりあえず自己紹介をしたら覚えてくれてはいたみたい。
25階までなんてあっという間で名残惜しいけど"また今度"自分の願望を込めた言葉を残してエレベーターを降りた。
全然気の利いたことも言えなかったと反省しながら。
次の撮影日
お化粧も終わって咲ちゃんとスタジオに入れば高瀬さんがいた。
しかも今日はアシスタントじゃなくて初担当さんらしく、私も気合い入れなければ。
それよりスタジオに入った時、翔ちゃんが頭を撫でてるのが目に入った。翔ちゃんとも仲良しなのかな、あの優しそうなまなざしは兄的なものなのだろうか。
真彩ちゃんに至ってはキスなんかしちゃって。ここスタジオだよ?慎んでください。
高瀬さんも公衆の面前でキスされて何てことなさそうだったし。付き合ってるのかな・・・皆んな何も言わないってことは公認?モヤモヤしたまま撮影が始まった。
真彩ちゃんはずっと高瀬さんの横で見学してるし高瀬さんはそれがリラックス出来るのかスタジオに入った時より全然いい表情してるから余計モヤモヤは増すばかり。
休憩時間に皆ご飯に行く中スタジオに戻り、高瀬さんに真彩ちゃんから好きだって聞いた苺サンドを差し入れに行った。
朝から胃の辺りを抑える仕草をたまにしてたからあんまり体調良くないのかなって胃に重たくないものをと思ったんだけど生クリームとか重かったかな。
心配しながら手渡せば可愛い笑顔で微笑まれた。
「いちご、好きだって聞いたから」
「好きです」
どうしよう好きって、好きって言われた!
落ち着け私いちごに対してなんだから。分かってるけど好きって・・・。頭が混乱した勢いで隣に座ったんだけど、一度座ったらもう立ち去るとか変だなと思って自分用に買ったサンドイッチに手をつけた。
「胃に負担が掛からないように無理しなくていいからね」
さっきからサンドイッチをじっと見つめたまま動かない高瀬さん。
やっぱり生クリームは重かったかな。
一瞬目を見開いたけど、食べるの勿体なくてなんて可愛い答えが返ってきて喉に詰まりそうになった。
撮影が終わった後、使った薔薇の花束をいただいてもいいと言われたのでみんなには先に帰って貰ってまたスタジオに戻る。
花束を背中に忍ばせみんなが撤収作業中のなか、しゃがんでる小さな背中を目指して歩く。
「高瀬さん、お疲れ様」
声をかければびっくりして立ち上がった高瀬さんに花束を渡す。
嬉しそうにはにかんだ顔が可愛すぎて今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られたんだけどまだ気持ちも伝えてないし、ぐっと堪えて。また撮影一緒に出来たらいいな。少しづつ私を刻んでいこう。そして2人の距離が縮まりますように。
**********
今日は1人で撮影の日。また高瀬さんに会えたら、なんて思ってたけど現実はそんなに甘くない。
今日は別のカメラマンさん。そういつも会えるものじゃないよね。
遊びにきてくれた真彩ちゃんの周りをつい見回してしまった。
「今日は一人なんです。今度連れてきますね」
「へ?」
「貴美ちゃんを探してらっしゃるようだったので」
さすが相手役様・・・。バレてたか。
さっきまで一緒だったけど、通りかかったスタジオで捕まってヘルプに駆り出されたらしい。
確かさゆみちゃんも撮影って言ってたな。そこかもしれない。
見に来て貰えなくてがっかりしたけど、会いに行く口実を見つけた私は一気にやる気が出てきた。
撮影も中盤にさしかかり、次の衣装に着替えに戻る途中通りかかった別の楽屋から何やら言い争う声が聞こえてきた。
「だから無理だって」
「大丈夫だって」
扉が開いて勢いよく出て来た子とぶつかった勢いで抱きとめる形となった。
すみませんと発した声が会いたかった人の声な気がしてその子を見ればやっぱり。
「わっ望海さん」
「高瀬さん」
私を捉えた目は最大限に見開いていた。
いつもと全然違う大人っぽいメイク、深紅のルージュなんてしてドレス姿だから一瞬分からなかった。
「撮影ヘルプに行ったんじゃないの?」
「それが」
いざ、現場に行けば急に体調を崩してこれなくなった写る側の人の代打の依頼だったらしい。
あれよあれよと身ぐるみ剥がされ化粧されて今に至る。
「騙されました」
腕の中の高瀬さんはものすごく恨めしそうな怒った顔してるけど、そんな顔も可愛いなんて恋の力かな。
このままぎゅっと抱きしめてしまいたいな。
「だって写る側なんてやった事ないんですよ?」
「後ろ姿と、斜めとかからだから全貌は映らないし大丈夫だって」
高瀬さんの後から出てきた女の子が頑張って説得してるけど高瀬さんはそれでもやりたくないらしい。
撮影に穴が開いてもいいの?と脅されてぐっと言い返せなくなっていた。
休んだのは高瀬さんじゃないのにまるで高瀬さんが悪いかのような展開にしょぼんと項垂れるからなんだか可哀想。
でもそうでも言わないと埒が開かなさそうだもんな。
「だってさ、私みたいなのが入り込んでいい世界ではないよ」
「それよりさ、いつまで望海さんに抱きついてるつもり?」
その子に言われてハッとした高瀬さんは顔を真っ赤にして謝りながら離れていった。
このままでも良かったんだけどな。
「すっごく綺麗だね」
「ほんと綺麗なドレスですよね。生徒さんこそこれを着るべき」
「高瀬さんがだよ」
馬子にも衣装ってやつですと苦笑いされたけど、本気で可愛いと思ってるんだけどな。
写る側って分かったのなら一緒に来てた真彩ちゃんを代打を頼んでもよかったのに、そうしなかったのは真彩ちゃんにお休みの日に仕事させたくなかった高瀬さんの優しさだろう。
「大丈夫高瀬さんなら出来るよ」
「・・・頑張ってみます」
髪型を崩さないようにそっと撫でれば覚悟を決めたように微笑んだ。後で見に行くと言ったんだけど絶対に来ないでと言われてしまったのでこっそり覗きに行けば撮影は順調そうだった。
さゆみちゃんとのオフショット撮ってもらった後に嫌がる高瀬さんとも撮ってしっかりデータいただいた。
真彩ちゃんとは楽しそうに撮ってるのが気に食わなかったけど。
*********
今日は月組トップさんコンビの撮影後、雪組トップさん達の撮影。レンズの向こう側、きいちゃんと見つめあって微笑む望海さんを見てなんだか胸が苦しくなった。
なんでだろう。大好きなきいちゃんとそのきいちゃんが大好きな相手役さんと幸せそうにしてるのに私はそれを喜んであげないの?
「ねえ、気づいてた?ずっと望海さんの事目で追ってるの」
「え?」
「恋する目してたよ」
休憩できいちゃんと一緒にお昼に出たはいいものの、出てきたパスタのフォークをくるくるし続けてたらしい私。
気づいてなかった、そんな恐ろしい事を私はしてたの。
微笑むきいちゃんの言葉に顔が熱くなる。そんな恋だなんて。相手は天下の望海風斗様だよ。
「恋だなんて恐れ多いよ。ただの憧れ」
「どうして」
「だって・・・。」
きいちゃんの大好きな人で宝塚を担うスターさんだもん。
私はしがないカメラマン。
こんな恐れ多い想いの所為で大事な2人を失いたくない、だから遠くから見てたいなんて虫が良すぎるかな。
でも、きいちゃんの想いが恋の好きではないと聞いてどこか安心してる私がいた。
「恋する気持ちには抗えないものよ」
望海さんに当たって砕けたら私が付き合ってあげるよって背中押されちゃったけど完全にアウトな感情を抱いていると自覚させられてしまった私の心は好きだと叫んでいるようで視界に入る度心臓が煩い。
意識しちゃダメ。見ちゃダメ見ちゃダメ。自分に言い聞かせてもつい目が追ってしまう。
こんな想い気付かれたら、これからもお仕事でお会いするであろう方なのに気まずくなったらどうするの。
できるだけ見ないように心掛けて午後を過ごした。
「ねえ、私何かした?」
「え?」
次のセットの準備中、やってきた望海さんになんだか避けられてる気がすると眉を顰められた。
なんて鋭いの。そして私ってなんてダメな子。気持ち隠そうとして全然隠しきれてない。
「そんな事ないです」
努めて笑顔で誤魔化すけど望海さんの眉間のシワが一層寄ったからきっとバレてるんだろうな。
「本当?」
「はい」
「そっか」
納得してなさそうな表情を浮かべた望海さん。
それから望海さんが話しかけてくることはなかった。
安心したような、変な態度とって嫌われてしまったかもしれない不安とで心はぐちゃぐちゃだった。
気持ちを自覚した日に終了、身の丈に合わない想いを抱くとこうなるのだ。
分かりきってる事じゃない。それなのに涙出るのはなんでだろう。
**********
微妙に避けられた気がして問い詰めてしまったあの日から数ヶ月高瀬さんとは会えてない。
あの日の事を咲ちゃんに相談したら、意識されたんじゃないかって言われたけど、本当にそうだろうか。
何か嫌がられるような事を知らない内にしてしまったのでないだろうか。
撮影の度に高瀬さんがいるかもと意識してスタジオ入ってはがっかりしての繰り返し。
それでも片隅にある日に日に大きくなる想いに抗えないでいる。会いたい。
今日も違うんだろうと諦め半分でスタジオ入りしたからまさか高瀬さんが担当だなんて思ってなくて。
目があった瞬間ドキドキしだした心臓を落ち着かせて、高瀬さんに声をかける。
「久しぶりだね」
「望海さん、お久しぶりです。お元気でしたか」
ああ、やっぱり好き。
今すぐにでも伝えてしまいたい。
でもそれが出来ないのはずっと引っかかってることがあるから。
「真彩ちゃんと高瀬さんは付き合ってるの?」
「まさか、可愛い妹ですよ」
「こないだスタジオで堂々とキスしてたじゃん」
思い切って真彩ちゃんに聞けば、おでこくっつけてただけ、皆んな知ってていつもやってるから皆んな何も言わないだけだって言われて。てっきりキスしてるんだと思ったじゃん。
私の位置から見たらそうしか見えなかったよ。紛らわしいことしないでよねっ。
「落ち込んでましたよ、望海さんに嫌われたんじゃないかって」
冷たくしたつもりはないんだけど、避けられてる気がしてどう接したらいいか分からなくなってしまって。
近づけば自分の想いが溢れだしてしまうかもしれない。抑える自信がなくて。
撮影終わり、撤収に入りだしたのを見て今しかありませんよと真彩ちゃんが背中を押してくれる。
勢いで高瀬さんの前に飛び出た私をキョトンとした顔で見つめる高瀬さん。頑張れ私。
「あっあのっ。私と結婚してください!」
「へ?」
高瀬さんだけじゃなくてここにいる全員が目が点になってる。
「いや、いくらなんでもいきなりすぎですよ」
「えっと・・・おっお付き合いから・・・お願いします。」
「やったーーー!」
咲ちゃんはびっくりし過ぎて笑っちゃってる。
高瀬さんの返事に飛び上がって喜ぶ私にみんなは苦笑い。
「なにこないだまでの引っ込み思案な感じはどこにいったん。いきなりプロポーズとかぶっ飛び過ぎですよ」
翔ちゃんは呆れ顔してるけど、私は至って本気です。
高瀬さんにぎゅっと抱きついた。
彼女は慌てふためいてるけどもう離してあげないもんね。
確認だけど、結婚を前提にって事でいいんだよね?もう最後の人って決めてるの。指輪も用意しててね・・・
ちょっ・・ちょっと待って
え?だめ?こんなに好きなのに
(そんな目で見つめられたらいいって言っちゃうよ。というかもしかして私の方が彼氏なんだろうか)
長い廊下を抜け、エレベーターに辿り着いたはいいけど、両手が塞がってボタンが押せない。
片手を離したらバランス崩して落としちゃいそうだし。
んーどうしたものか。
太ももをあげて資料を支えて、少しだけ手を離してみたりしたけど厳しそう。
「上ですか?」
後ろからふと声をかけられ振り向いてびっくりした。
雪組の望海風斗さんだ。
男役さんにこんな事思ったらだめなんだろうけど舞台化粧じゃないからか、なんて美しいのだろう。
私が見惚れて返事しないものだから不思議そうに首を傾げられる。
「あっ、はい。上に行きたいんですけど」
資料を抱えて苦笑いする私ににこりと笑って上ボタンを押してくれた。何ていい人なの。
「重そうですね。持ちましょうか?」
「いえいえ、ボタン押してくださっただけでありがたいです。お気持ちだけいただきます。」
大きく首を振って辞退する。
恐れ多い。オーラに当てられそうだと目も合わせられずにいたらぴーんという音とともにエレベーターの扉が開く
「私も上なので一緒に乗っても?」
「もちろんっ」
「何階に行くんですか?押しますよ」
「ありがとうございます。35階に行きたくて」
癖でボタンの前に立ったはいいけど、結局ボタンを押すことができない私・・・なんてバカなの。
私よりずっと背の高い望海さんが後ろから私越しにボタンを押して下さる。
背中に望海さんを感じて勝手にドキドキして資料を持つ手に力が入る。そのまま25階を押した望海さん。
応接フロアだからきっと次号の打ち合わせなんだろう。
「あの・・・高瀬さんですよね」
ボタンを押してくれた後、私と反対側の扉横に立った望海さん。
25階までこの静かな空気に耐えれるか不安を抱いていた私に望海さんが先に口を開いたのだが、あまりにも思いもよらない言葉だったので言葉に詰まってしまった。
私なんかをご存知なんて。
「こないだ撮影ご一緒させて貰ったんですけど雪組の望海風斗です」
「もちろん存じ上げてます。高瀬貴美と申します。私なんかを覚えててくださるなんて思ってもみなかったもので」
控えめに自己紹介していただいたけども、もちろん存じてます。
カメラ助手の私をまさか覚えていらしたなんて。
確かに何度かアシスタントで入らせていただいた事はあるけど自己紹介もはじめの頃に軽くご挨拶しただけなのに、さすが気遣いの望海さんと言われるだけある。流石だ。
名乗って、頭を下げれば安心した様な顔で見つめられる。
「良かった。変な人と思われたらどうしようかと思ってました」
まさか!雪組が誇るスターさんを忘れるわけがない。というか、その笑顔反則だと思います。
ときめきの全てがここにあると言っても過言ではない。
高鳴る鼓動に身をもって体験する。
「さっきね、一生懸命どうにかしてボタンを押そうと奮闘してたでしょ?それを後ろから見てたんです。早く声かけなきゃと思ったんですけど可愛くてついつい観察しちゃいました」
照れながらそう話す望海さんに恥ずかしさが込み上げる。
声をかけていただいた時から私の足掻きを見られてたんだろうなとは薄々気づいてはいたけど、恥ずかしい・・・。
「あ、もっと話したかったんだけどまた今度」
いつのまにか25階で。
じゃあと、エレベーターを降りる望海さんに慌ててお礼を言った私に振り返って微笑んで去っていく背中を扉が閉まるまで見つめてた。
可愛いって言われちゃった。
一瞬の出来事だけど、あまりに夢みたいな時間にぼーっとしてしまって気づけばいつの間にか35階で。
開いた扉の向こうに同期のゆきが仁王立ちしてた。
「遅いよ!ってか何、熱?」
「どうしよう、死んじゃうかも」
「は?」
予想以上の量の資料を抱えて真っ赤な顔をした私を見てびっくりしてる。
そりゃそうか。自分でも分かる位顔が熱い。
半分持ってくれたゆきと会議室に急げばもう大分揃ってた。
ロの字型に組まれた会議室のデスク、自分の席に着けば次の各組特集の打ち合わせが始まる。
目の前の資料を眺めながらも浮かぶのはさっきの望海さんの笑顔。また今度なんてないと分かってるけどもしかしたらいつかなんて夢を与えてくれる。
ああ、いつか一緒にお仕事が出来るように頑張ります。
「雪組担当は高瀬」
「はい」
「で、各組ごとに・・・」
早口な上司の言葉を聞き逃すまいと資料にペンで殴り書いてたので、勢いのまま雪担当って書いて疑問が生まれた。
ん?ちょっと待って!!雪組?たっ担当?アシスタントじゃなくって?
「えっ。私ですか?」
「ついにアシスタント卒業だな」
進む話を遮った私ににやりと笑って頑張れよって言われた。
え、待って待って。
確かにまた会えたら、いつか担当出来たら嬉しいと思ったよ。
でもそれはまだ先の話で。いきなりすぎる。
「やらないのか?」
「・・・やらせて下さい」
こうなったら最高の写真を撮ってみせようじゃないのって思ってました。一昨日くらいまでは。
昨日から胃が痛い。撮影慣れした上級生さんたちがメインとはいえ組特集とか結構重要だよ、私に出来るのかって思いが今更ながら押し寄せてきて。
朝から緊張で胃が痛いをついに通り越した。
ずっと胃を押さえてないと辛い。
「あ、貴美ちゃんやん。」
スタジオのど真ん中、カメラを準備するのを装って出来るだけ体を小さくして、人にバレずにキリキリする胃を圧迫して自分をごまかそう作戦に出ていた私に声をかけてくれたのは彩凪さん。
「彩凪さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
「なに、今日は貴美ちゃんが担当なん?凄い、出世したやん」
頭をぽんぽんと撫でてくれる。
前から思ってたけど、天然のタラシってこの人の事を言うんだろうな。かっこよすぎる。
何人の、いや数えきれない人達がこの魅力にやられたんだろう。
彩凪さんは初めて撮影アシスタントで入った時にお話しさせていただいて。その時から気にかけてくださる優しい方。
見惚れてしまって胃の痛みを忘れそうになっていたところに望海さん、彩風さんが、入ってこられる。
ああ、一気に胃の痛みを思い出しましたよ私は。大役すぎて吐きそうです。
ご挨拶すれば、私に気づいた望海さんが満面の笑みでこちらにやってくる。
先日は美しかったですが、スーツを見に纏った姿はかっこいいという言葉がぴったり。
「あ、高瀬さんだあ。また会えたね」
「のぞ様、王子様みたい」
でも口を開けばなんだか可愛らしい。
彩風さん、そこは深堀しなくていいんです。意味はないのでさらっと流してください。
イケメンとプレッシャーには弱い胃をもってますので。
彩凪さんももちろんイケメンなんだけど、慣れてるイケメンと慣れてないイケメンでは違うのよ。
「貴美ちゃんはついにアシスタント卒業してデビュー作なんですから気合い入れて下さいね」
肩に手を回して自分の事のように自慢げに言ってくださるけど彩凪さんっ。気合を入れなければならないのは私の方ですから。
皆様は自然にしていただくだけで十分です。止めに入ろうとするけど、望海さんは目をキラキラさせ自分の事かのように喜んでくれる。
「そうなの?おめでとう。めちゃくちゃかっこよく撮ってもらわなきゃ」
うっ、もうだめかもしれない胃が・・・・。プレッシャーに絶えられなくなった頃
「貴美ちゃーん」
「きいちゃんっ」
走ってきて抱きついてきたきいちゃんを抱きとめる。
会いたかった大好きな娘役さん。
今日の撮影の救いはきいちゃんがいる事。
私より一個お姉さんで、前から撮影の度に休憩中や終わった後お茶したりして色んな話をさせてもらって癒やされてる。
「なんかまた可愛くなったわね」
笑顔全開で左手で私の腰を抱いたまま、右手で私の前髪を直しながら見つめるきいちゃん。相変わらず可愛くて男前。
「パワーチャージしてあげようか」
「してほしい」
撮影前、アシスタントのくせにガチガチの私にいつもやってくれる緊張が解れるおまじない。
力一杯抱きしめてくれた後ほっぺを両手で包んでおでこをくっつけて"貴美なら大丈夫よ"って優しく笑ってくれる。
うん、今なら出来るような気がする。
「頑張れそう。ありがとう」
「良かった」
「あーっ。」
振り返ると望海さんがぷるぷるしながら私達を指差してた。
望海さんをチラリと見ながらさあ始めましょっかとにこにこしながら撮影ブースに向かうきいちゃんを呆然と見つめる望海さん。
私をチラリと見て望海さんもきいちゃんを追いかけるようにブースに向かって行った。
嫉妬されちゃったかな。大事な相手役さんだもんね。
「お疲れ様。これどうぞ」
1日がかりの撮影も折り返し。
お昼休憩に入り、みんながご飯に行くのを見届けて私はスタジオの隅っこで午後の準備をしつつ、ウィダーインゼリーで済まそうと思ってたんだけど、戻ってきた望海さんが手に持った紙袋からサンドイッチとジュースを差し出して下さった。
「いちご、好きだって聞いたから」
「嬉しい。好きです」
なんて優しいんだろう。
勿体なさ過ぎて食べれないと手の中の苺サンドを眺めていたら、望海さんは私の横に座ってサンドイッチを頬張り始めた。
えっと一緒に食べるのかなこれは。
「胃に負担が掛からないように無理しなくていいからね。」
ちらっと横目に私を見て心配そうに笑った。
もしかして、ずっと胃が痛かった事気付かれてたのかな。
「お気遣いありがとうございます。食べるの勿体ないなって思ってしまって。」
「ウィダーインゼリーだけじゃ体壊しちゃうよ」
こんな私みたいなカメラマンにも気を遣って下さる神だ、この方は。
食べながら望海さんと少しお話しも出来てちょっと緊張がほぐれた。
午後の撮影も順調に進み、望海さん最後のショット。
おっきな真紅の薔薇の花束を持ってかっこよくキメる。
今日は一日横できいちゃんが見学してるから変に緊張せずに済んだ気がする。
きいちゃん、望海さんの事本当大好きだもんなぁ。
「素晴らしいです。お疲れ様でしたー」
望海さんと撮れた写真の確認をして今日は終了。
無事素晴らしいショットばかりが撮れた。
これは編集さん選ぶの苦労するだろうな。被写体がよかったらこんなにも何気ない仕草でさえ色気とか出るものなんだな。
生徒さん達が帰った後、撤収タイム。
大事にカメラをケースに仕舞っていると撤収中のざわめきの中こちらに向かってくる足音が聞こえる。
「高瀬さん、お疲れ様」
聞き覚えのある、綺麗な声に振り返れば望海さんが立っていた。
「お疲れ様です。どうされたんですか?」
慌てて立ち上がる。なんか忘れ物かな?でも荷物類は先にチェックしたから忘れ物はないはず。
ニコニコした望海さんの背中から現れたのはさっきの薔薇の花束。
「はい、独り立ちおめでとう」
撮影で使ったもので申し訳ないけど、なんて申し訳なさそうに言われるけど全然そんなの思わない。
嬉しすぎる。わざわざ戻ってきてくださったの?
「そんなかわいい顔したらずるいよ」
「え?」
花に見とれすぎて望海さんが何ておっしゃったのか聞き取れなくて聞き返したけど何でもないって言われてしまったので分からないままだった。
「またご一緒できるよう頑張ります」
「うん、私も頑張る」
帰り道はこのおっきな薔薇の花束に視線を感じながら、嬉し恥ずかしな想いと共に足取り軽く家路に着くのだった。
家に帰って早速花瓶に飾って写真に残しておいた。ずっと枯れなければいいのに。
しばらく現実に戻れなさそうなくらい夢のような1日だった。
プロとしてはウハウハしてる場合じゃないんだけど。
これに慣れないといけないんだもんね。お仕事だからきちんとしなきゃ。でも本当に幸せだったな、薔薇の香り広まる部屋で撮影の余韻に包まれながら眠りについた。
****************
人生で一度だけ一目惚れというものを経験したことがある。
息を呑むような経験。目があった瞬間時が止まった。
お仕事で軽い挨拶程度ににこりと微笑まれただけなのにドキドキが止まらなくなって。名前しか知らない人。
その笑顔がまぶたの裏に焼き付いたみたいにずっと離れなくて。これが恋に落ちるって事なのか。
それからずっとその恋に囚われている。
「はい、望海さんこのカメラに視線をお願いします」
あの日、進められていく撮影、カメラマンさんの横で私を凄く真剣に見つめている女の子。
でも手はテキパキとレンズ準備したり取り替えたりと休む事なく動いている。
さっき撮影の始まりにご挨拶した時からその瞳に釘付けで目線が自然と彼女に向ってしまう始末。
それから何回も撮影で見かけるけど話しかけれないまま。
あの子も人見知りみたいで中々会話という会話ができないまま今日まできた。真彩ちゃんとはよく話してるみたい。
私もその輪の中に入りたいと何度も思ったけど、お化粧とかお洋服の話とか女の子同士の会話ってなんとなく気が引けちゃって結局他の子と話して終わり。
次の撮影の打ち合わせで訪れたTCA。
編集部さんに立ち寄った後、別階の打ち合わせルームへと向かい歩いてたら廊下の先に目に入った人。
エレベータの前に立ってるけどなんだか変な動きをしてる。
片足で立ってみたり、よろけてみたり。
よく見ると何やら持ちきれない位の冊子を抱えてる。
彼女がよろけた時に横顔が見えてびっくりした。あの子だ。
話しかけるチャンスは今しかないと思った。
「上ですか?」
はやる気持ちを抑えて近づき、話しかけた私に振り返った彼女は一瞬目を見開いたけど、なんにも答えない。
あれ、私の事覚えててくれてるかななんて淡い期待を持ってたんだけど。
一応、あなたの仲良い真彩ちゃんの相手役させて貰ってます。というか私の問いかけは、行き場を無くしてしまってるけどと思ってたら、ボタンを押せないという自分の置かれた状況に苦笑いしながらやっと答えてくれたから上行きのボタンを押す。
ちょっと話せるかななんて思った途端エレベーターがきた。
なんだよ、いつもならきて欲しい時には中々来ないくせに、もうちょっとここにいたいって思う時にはあっさり来るんだもん。
一緒に乗り込んだエレベーター。高瀬さんはすっとボタンの前に立ったけど、その状態じゃボタン押せないと思うけど。
きっと普段からボタン押してあげる人なんだろう。
後ろから高瀬さんが行く階を押してあげればきゅっと力が入って耳が赤いような。
ちょっとは意識してくれてるのかな、なんて。ないか。
このチャンスを逃すまいととりあえず自己紹介をしたら覚えてくれてはいたみたい。
25階までなんてあっという間で名残惜しいけど"また今度"自分の願望を込めた言葉を残してエレベーターを降りた。
全然気の利いたことも言えなかったと反省しながら。
次の撮影日
お化粧も終わって咲ちゃんとスタジオに入れば高瀬さんがいた。
しかも今日はアシスタントじゃなくて初担当さんらしく、私も気合い入れなければ。
それよりスタジオに入った時、翔ちゃんが頭を撫でてるのが目に入った。翔ちゃんとも仲良しなのかな、あの優しそうなまなざしは兄的なものなのだろうか。
真彩ちゃんに至ってはキスなんかしちゃって。ここスタジオだよ?慎んでください。
高瀬さんも公衆の面前でキスされて何てことなさそうだったし。付き合ってるのかな・・・皆んな何も言わないってことは公認?モヤモヤしたまま撮影が始まった。
真彩ちゃんはずっと高瀬さんの横で見学してるし高瀬さんはそれがリラックス出来るのかスタジオに入った時より全然いい表情してるから余計モヤモヤは増すばかり。
休憩時間に皆ご飯に行く中スタジオに戻り、高瀬さんに真彩ちゃんから好きだって聞いた苺サンドを差し入れに行った。
朝から胃の辺りを抑える仕草をたまにしてたからあんまり体調良くないのかなって胃に重たくないものをと思ったんだけど生クリームとか重かったかな。
心配しながら手渡せば可愛い笑顔で微笑まれた。
「いちご、好きだって聞いたから」
「好きです」
どうしよう好きって、好きって言われた!
落ち着け私いちごに対してなんだから。分かってるけど好きって・・・。頭が混乱した勢いで隣に座ったんだけど、一度座ったらもう立ち去るとか変だなと思って自分用に買ったサンドイッチに手をつけた。
「胃に負担が掛からないように無理しなくていいからね」
さっきからサンドイッチをじっと見つめたまま動かない高瀬さん。
やっぱり生クリームは重かったかな。
一瞬目を見開いたけど、食べるの勿体なくてなんて可愛い答えが返ってきて喉に詰まりそうになった。
撮影が終わった後、使った薔薇の花束をいただいてもいいと言われたのでみんなには先に帰って貰ってまたスタジオに戻る。
花束を背中に忍ばせみんなが撤収作業中のなか、しゃがんでる小さな背中を目指して歩く。
「高瀬さん、お疲れ様」
声をかければびっくりして立ち上がった高瀬さんに花束を渡す。
嬉しそうにはにかんだ顔が可愛すぎて今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られたんだけどまだ気持ちも伝えてないし、ぐっと堪えて。また撮影一緒に出来たらいいな。少しづつ私を刻んでいこう。そして2人の距離が縮まりますように。
**********
今日は1人で撮影の日。また高瀬さんに会えたら、なんて思ってたけど現実はそんなに甘くない。
今日は別のカメラマンさん。そういつも会えるものじゃないよね。
遊びにきてくれた真彩ちゃんの周りをつい見回してしまった。
「今日は一人なんです。今度連れてきますね」
「へ?」
「貴美ちゃんを探してらっしゃるようだったので」
さすが相手役様・・・。バレてたか。
さっきまで一緒だったけど、通りかかったスタジオで捕まってヘルプに駆り出されたらしい。
確かさゆみちゃんも撮影って言ってたな。そこかもしれない。
見に来て貰えなくてがっかりしたけど、会いに行く口実を見つけた私は一気にやる気が出てきた。
撮影も中盤にさしかかり、次の衣装に着替えに戻る途中通りかかった別の楽屋から何やら言い争う声が聞こえてきた。
「だから無理だって」
「大丈夫だって」
扉が開いて勢いよく出て来た子とぶつかった勢いで抱きとめる形となった。
すみませんと発した声が会いたかった人の声な気がしてその子を見ればやっぱり。
「わっ望海さん」
「高瀬さん」
私を捉えた目は最大限に見開いていた。
いつもと全然違う大人っぽいメイク、深紅のルージュなんてしてドレス姿だから一瞬分からなかった。
「撮影ヘルプに行ったんじゃないの?」
「それが」
いざ、現場に行けば急に体調を崩してこれなくなった写る側の人の代打の依頼だったらしい。
あれよあれよと身ぐるみ剥がされ化粧されて今に至る。
「騙されました」
腕の中の高瀬さんはものすごく恨めしそうな怒った顔してるけど、そんな顔も可愛いなんて恋の力かな。
このままぎゅっと抱きしめてしまいたいな。
「だって写る側なんてやった事ないんですよ?」
「後ろ姿と、斜めとかからだから全貌は映らないし大丈夫だって」
高瀬さんの後から出てきた女の子が頑張って説得してるけど高瀬さんはそれでもやりたくないらしい。
撮影に穴が開いてもいいの?と脅されてぐっと言い返せなくなっていた。
休んだのは高瀬さんじゃないのにまるで高瀬さんが悪いかのような展開にしょぼんと項垂れるからなんだか可哀想。
でもそうでも言わないと埒が開かなさそうだもんな。
「だってさ、私みたいなのが入り込んでいい世界ではないよ」
「それよりさ、いつまで望海さんに抱きついてるつもり?」
その子に言われてハッとした高瀬さんは顔を真っ赤にして謝りながら離れていった。
このままでも良かったんだけどな。
「すっごく綺麗だね」
「ほんと綺麗なドレスですよね。生徒さんこそこれを着るべき」
「高瀬さんがだよ」
馬子にも衣装ってやつですと苦笑いされたけど、本気で可愛いと思ってるんだけどな。
写る側って分かったのなら一緒に来てた真彩ちゃんを代打を頼んでもよかったのに、そうしなかったのは真彩ちゃんにお休みの日に仕事させたくなかった高瀬さんの優しさだろう。
「大丈夫高瀬さんなら出来るよ」
「・・・頑張ってみます」
髪型を崩さないようにそっと撫でれば覚悟を決めたように微笑んだ。後で見に行くと言ったんだけど絶対に来ないでと言われてしまったのでこっそり覗きに行けば撮影は順調そうだった。
さゆみちゃんとのオフショット撮ってもらった後に嫌がる高瀬さんとも撮ってしっかりデータいただいた。
真彩ちゃんとは楽しそうに撮ってるのが気に食わなかったけど。
*********
今日は月組トップさんコンビの撮影後、雪組トップさん達の撮影。レンズの向こう側、きいちゃんと見つめあって微笑む望海さんを見てなんだか胸が苦しくなった。
なんでだろう。大好きなきいちゃんとそのきいちゃんが大好きな相手役さんと幸せそうにしてるのに私はそれを喜んであげないの?
「ねえ、気づいてた?ずっと望海さんの事目で追ってるの」
「え?」
「恋する目してたよ」
休憩できいちゃんと一緒にお昼に出たはいいものの、出てきたパスタのフォークをくるくるし続けてたらしい私。
気づいてなかった、そんな恐ろしい事を私はしてたの。
微笑むきいちゃんの言葉に顔が熱くなる。そんな恋だなんて。相手は天下の望海風斗様だよ。
「恋だなんて恐れ多いよ。ただの憧れ」
「どうして」
「だって・・・。」
きいちゃんの大好きな人で宝塚を担うスターさんだもん。
私はしがないカメラマン。
こんな恐れ多い想いの所為で大事な2人を失いたくない、だから遠くから見てたいなんて虫が良すぎるかな。
でも、きいちゃんの想いが恋の好きではないと聞いてどこか安心してる私がいた。
「恋する気持ちには抗えないものよ」
望海さんに当たって砕けたら私が付き合ってあげるよって背中押されちゃったけど完全にアウトな感情を抱いていると自覚させられてしまった私の心は好きだと叫んでいるようで視界に入る度心臓が煩い。
意識しちゃダメ。見ちゃダメ見ちゃダメ。自分に言い聞かせてもつい目が追ってしまう。
こんな想い気付かれたら、これからもお仕事でお会いするであろう方なのに気まずくなったらどうするの。
できるだけ見ないように心掛けて午後を過ごした。
「ねえ、私何かした?」
「え?」
次のセットの準備中、やってきた望海さんになんだか避けられてる気がすると眉を顰められた。
なんて鋭いの。そして私ってなんてダメな子。気持ち隠そうとして全然隠しきれてない。
「そんな事ないです」
努めて笑顔で誤魔化すけど望海さんの眉間のシワが一層寄ったからきっとバレてるんだろうな。
「本当?」
「はい」
「そっか」
納得してなさそうな表情を浮かべた望海さん。
それから望海さんが話しかけてくることはなかった。
安心したような、変な態度とって嫌われてしまったかもしれない不安とで心はぐちゃぐちゃだった。
気持ちを自覚した日に終了、身の丈に合わない想いを抱くとこうなるのだ。
分かりきってる事じゃない。それなのに涙出るのはなんでだろう。
**********
微妙に避けられた気がして問い詰めてしまったあの日から数ヶ月高瀬さんとは会えてない。
あの日の事を咲ちゃんに相談したら、意識されたんじゃないかって言われたけど、本当にそうだろうか。
何か嫌がられるような事を知らない内にしてしまったのでないだろうか。
撮影の度に高瀬さんがいるかもと意識してスタジオ入ってはがっかりしての繰り返し。
それでも片隅にある日に日に大きくなる想いに抗えないでいる。会いたい。
今日も違うんだろうと諦め半分でスタジオ入りしたからまさか高瀬さんが担当だなんて思ってなくて。
目があった瞬間ドキドキしだした心臓を落ち着かせて、高瀬さんに声をかける。
「久しぶりだね」
「望海さん、お久しぶりです。お元気でしたか」
ああ、やっぱり好き。
今すぐにでも伝えてしまいたい。
でもそれが出来ないのはずっと引っかかってることがあるから。
「真彩ちゃんと高瀬さんは付き合ってるの?」
「まさか、可愛い妹ですよ」
「こないだスタジオで堂々とキスしてたじゃん」
思い切って真彩ちゃんに聞けば、おでこくっつけてただけ、皆んな知ってていつもやってるから皆んな何も言わないだけだって言われて。てっきりキスしてるんだと思ったじゃん。
私の位置から見たらそうしか見えなかったよ。紛らわしいことしないでよねっ。
「落ち込んでましたよ、望海さんに嫌われたんじゃないかって」
冷たくしたつもりはないんだけど、避けられてる気がしてどう接したらいいか分からなくなってしまって。
近づけば自分の想いが溢れだしてしまうかもしれない。抑える自信がなくて。
撮影終わり、撤収に入りだしたのを見て今しかありませんよと真彩ちゃんが背中を押してくれる。
勢いで高瀬さんの前に飛び出た私をキョトンとした顔で見つめる高瀬さん。頑張れ私。
「あっあのっ。私と結婚してください!」
「へ?」
高瀬さんだけじゃなくてここにいる全員が目が点になってる。
「いや、いくらなんでもいきなりすぎですよ」
「えっと・・・おっお付き合いから・・・お願いします。」
「やったーーー!」
咲ちゃんはびっくりし過ぎて笑っちゃってる。
高瀬さんの返事に飛び上がって喜ぶ私にみんなは苦笑い。
「なにこないだまでの引っ込み思案な感じはどこにいったん。いきなりプロポーズとかぶっ飛び過ぎですよ」
翔ちゃんは呆れ顔してるけど、私は至って本気です。
高瀬さんにぎゅっと抱きついた。
彼女は慌てふためいてるけどもう離してあげないもんね。
確認だけど、結婚を前提にって事でいいんだよね?もう最後の人って決めてるの。指輪も用意しててね・・・
ちょっ・・ちょっと待って
え?だめ?こんなに好きなのに
(そんな目で見つめられたらいいって言っちゃうよ。というかもしかして私の方が彼氏なんだろうか)