その剣は君がため

 懐かしい音がする。昔、故郷で暮らしていた頃、毎日欠かさず聞いていた音。母が食事を作る音。家の裏から微かに届く川のせせらぎの音。風に乗って聞こえる、栄光の街の人々が行き交う賑やかな声たちーー。

 目が覚めると、カインは実家のダイニングテーブルに突っ伏していた。ことんと小気味よい音を立てて目の前に何かを置かれ、カインはゆっくりと面を上げた。
「ほら、カイン。寝てないで、しゃんと食べて支度しな。今日は大事な日じゃないか」
 懐かしい母の姿がそこにあった。カインの記憶の中よりは心なしか若く見える。以前気まぐれに実家に帰った時に気にしていた白髪も無いし、肌も張りがあって皺はない。こんな姿だったっけーーそんな疑問がはっきりと思考に浮かび上がる前に、カインは自然と「そうだった」と返事していた。
「まったく、あんたって子は。これから領主様に会いに行くっていうのに」
 ぶつくさと言いながら、母はキッチンの方へ戻っていく。あらためて目の前の皿を見ると、厚切りのベーコンが五枚と、温め直したふかふかのパンにバターが溶けている。大事な今日この日のために、カインの好きなメニューを作ってくれたのだ。
 ありがたいな、と思いながら、カインは一先ずパンを手に取った。食を進めつつもカインは、なんとなく、夢を見ているようなぼんやりとした感覚に襲われていた。夢の中で勝手に動く自分を少し後ろから眺めているような、意思とは関係なく身体が勝手に動いているような。本当の自分は今この身体に宿っていなくて、少し後ろにいる傍観者こそが本当の自分であるような、そんな曖昧で、何とも形容しがたい不思議な感覚。
 食を終えるとカインは自室に戻り、身支度を整えた。着替えなどは目覚める前から既に終えていたのだが、領主に会うのだから念入りに身なりは整えておくべきだろう。服の裾はしっかり形を整えて、癖のある赤毛も寝癖に間違われないように、両方揃った琥珀の目の頭に、目やになんてつけていたら格好つかない。
 そうして隅々までチェックを終えてから、ようやくカインは家を出た。目指すは、栄光の街の領主が住まう屋敷へ。

 栄光の街は古くから剣士の街として知られている。大河が流れるため交通や貿易の要所でもあり、中央の国の中でも比較的発展した大きな街だ。中央の国が建国されてからーー約四百年前にアレク・グランヴェルと魔法使いファウスト・ラウィーニアが国を建てた時から、この栄光の街の領主は魔法使いが務めている。ファウストの手足となって建国に貢献した英雄、その名をレノックス・ラムという。
 戦後レノックスがこの地を自らの領地として贈られたのは、彼が国の要所となるこの地を治めるにはじゅうぶんな知と武を兼ね備えていたからだと聞いている。現にレノックスの統治によって、栄光の街は治安も良く、景観の良い観光地としても栄えていた。いっぱんにこのような地理的要因を持つ街は、人や物の流れの増加に伴って治安も悪くなりやすいというが、少なくともカインの感じられる範囲としては全くそんなことはない。都会として住み良く発展しつつも人同士の陽気であたたかな交流は色濃く残り、一度訪れれば忘れられなくなる場所ーー。そんな風に言われるこの生まれ故郷がカインは好きだったし、この街がそう成ったのは長らくこの地を治めている領主様のおかげなのだろう。だから直接顔を見たことはなくても、カインは昔から領主様を好いていた。

 カインが領主のレノックスに呼び出されたのは、カインが少し前に剣士の育成学校で良い成績を出したからだった。伝統ある剣士の育成校には歴代生徒たちの成績が残っているものだが、カインは今回、百年は揺らがなかったとある剣技の成績トップを塗り替えた。カインが塗り替える前の成績トップは、かつて中央の国で騎士団長にまで上り詰めた男のものだというから、カインがそれを塗り替えたのは一大ニュースだったのだ。カインは元から他の生徒よりも剣技の成績は良かったのだが、今回の件はカインの腕の良さを証明するものにもなった。
(だからって、領主様に呼び出されるとは思ってなかったけどな)
 領主の暮らす屋敷は街の少し小高い丘の上にある。カインが門番に届いた書を見せると、その重厚な門扉がゆっくりと開かれた。屋敷の者が二人カインを迎えに来て、カインを挟むようにして並んで歩き始める。
 門扉を抜けてもなお緩やかな上り坂が曲がりくねって続き、どうやら丘全体が屋敷を守る要塞として組まれているらしい。しかしそんな強固な守りをした造りに反して、草むらの方にはそういう種類なのか、丸々としたぬいぐるみのような姿の羊が放されており、のどかな高原の穏やかな景色を思わせた。不思議な屋敷である。
 更にいくつか小さな門扉を抜け、坂を登り切るとようやく領主の屋敷であった。平民のカインの家と比べてしまえば何倍も大きいが、昔から住んでいるためか見た目は少し古く、素朴で柔らかい印象を受ける。長らく領主を務めているのだし、目尻を下げた穏やかな顔つきの老爺が住んでいるのではないかとなんとなく思った。
 中に入り、屋敷の者の案内に従って進むと、応接室だというドアの前まで連れてこられた。それまでカインにぴったりと寄り添うようにしていた屋敷の者は身を引き、扉の両側を警備するように姿勢を正した。中に入れ、ということなのだろう。でも声もかけずに入って良いのだろうか。
 カインが躊躇っていると、中からくぐもった声で「入ってくれ」と聞こえた。領主の声だろう。思っているよりずっと若い声だった。
 おそるおそる、カインはその扉を開く。開いた扉の正面には大きく色鮮やかなステンドグラスの窓が飾られ、そこから差し込む淡い光に照らされるように、その人は居た。
「……はじめまして。どうぞ、もっと奥まで」
「は、はいっ……」
 どくんと跳ねる心臓は、緊張によるものだったのだろうか。判別のつかないまま、カインは扉を閉め、領主の座するその五歩手前まで歩いた。初めて見た栄光の街の領主レノックスは、ひょっとするとカインと同じか、少し歳上くらいの若々しい姿をしている。切れ長の涼やかな形の目はその中に燃えるような赤い瞳を宿し、着込んだ服の上からでも分かるしっかりと鍛えられた体躯はかつての英雄の歴史を思わせた。薄く形の整った唇と、そこから紡がれる声色は低く穏やかで、一度聞いただけでも耳に心地よく響いて残る。
 かっこいい人だ。カインは素直にそう思った。

 それが栄光の街の領主・レノックスと、未だ剣士見習いのカイン、二人が出会った始まりだった。


 カインが近くまで立つと、レノックスも立ち上がってカインの方まで歩いてきた。領主との謁見になるのだから、てっきりカインが膝まづいて話を聞くものと思っていたのだが、そうではないらしい。あっちで話そう、と示された先には、これまた上質そうなソファが二脚とローテーブルの置かれた談話スペースのような場所がある。
 レノックスは想像よりもずっと背が高く、友人の中では背が高いと思っていたカインでさえも彼の顔を見るには少し見上げる必要があった。雰囲気からしても、歴戦の戦士と言われて納得できる風格がある。
 先にレノックスが向かいのソファに腰を下ろしたのを見てから、カインもそろそろとソファに腰掛けた。借りてきた猫のように縮こまっているカインを見てか、「気楽にしてくれ」とレノックスは柔らかな声で言う。
「今日おまえさんを呼んだのは、俺が頼み事をしたかったからなんだ。それに……俺はあまり堅苦しいのは得意ではなくて。そう畏まらなくても大丈夫だ」
「そっ……そう、ですか……?」
 とはいえ、戦乱の世を生き抜いた建国の英雄たる領主と、ただのそこら辺の平民では身分が違いすぎる。緊張はほぐれきっていないが、カインが少し肩の力を抜いたのを見計らって、レノックスは話し始めた。
「カインには、俺の……側近になってもらえないかと」
 ーー話によると。レノックスが領主になってから代々、レノックスの側近兼護衛として一人、剣の腕が立つ者を置いているそうだ。現在その役を務めている男ももう長い付き合いになるが、年齢と体力的に難しくなってきたとのことで今月末で職を辞することになり、新しい側近を探していた。そこにカインの名が届き、歴代の側近とは違い、レノックスと同じ魔法使いであるカインならば適任なのではないかと今回声をかけた、とのことだった。
「もし受けてもらえるなら、相応の報酬は出す。地位としてもそれなりに箔はつくが……ただ、王都の騎士団や魔法兵士団に入団するのは難しくなると思う。もしおまえが団長を目指したいとか、そういうことであれば、この話は引き受けなくても構わない。……おまえの意思を確かめたくて」
 王都の騎士団といえば、剣士としては入るだけでも地元の誇りになるような名誉ある職である。栄光の街からも何人か王都の騎士団に行った者が居ると聞く。騎士団長ともなれば国の英雄と言っていいし、カインも幼い頃から剣士として腕を磨く中で、いつかなってみたい憧れの存在でもあった。
 ただ、カインは魔法使いだった。そもそも魔法使いが魔法ではなく剣の腕を磨いているのも奇妙な話なのだが、魔法使いで騎士になろうとすると、正確には騎士団ではなく魔法兵士団の方に配属されると聞いている。名前の通り魔法使いの兵士が集められた隊で、魔法と武術を兼ねて戦う部隊だという。だから騎士もいれば槍兵や弓兵のような別の武器を使用する者たちも居る。魔法兵士団長も騎士団長同様名誉ある職なのだが、どちらかというとカインの興味はそちらではなかった。魔法を使わず、純粋に自らの磨き上げた剣術だけで戦う方が好きだったから。
(俺がもし魔法使いだってことを隠してたら、騎士団長だって目指せたかもしれないが……)
 アレクとファウストが手を取りあって建国した中央の国の気質として、今はもう魔法使いの生まれであることを隠す者は皆無に等しい。カインが騎士団への入団を希望していても、勝手にお上が魔法兵士団への配属を決めてしまうだろう。
(そう思うと、王都に行ったとしても、なりたい職になれるって訳じゃないんだよな。俺は魔法使いだし)
 そう思うと、レノックスの側近という職は魅力的に見えた。自分の生まれ故郷を、領主の側から護ることのできる職業。今までは人間を採用していたのだし、特にカインの魔法の得手不得手を問うつもりはないらしい。剣術の才があると見込んだカインがたまたま魔法使いだったから、同じ魔法使いレノックスの側近としてはちょうどいい、と判断されただけだ。もしカインが人間だったとしても、レノックスは同じように声をかけてくれていただろう。そう考えると、レノックスは純粋な剣の腕だけでカインを見込んでくれたとも言える。
 幼い頃から剣術に惹かれていたカインにとって、生まれついた魔法使いの力はなくてもよいものに過ぎなかった。もちろん使いこなせれば嬉しいけれど、時には知らず知らずに自分が悪戯をしたと疑われる原因にもなる厄介なものでもある。できる限り使いたくないもの、というのがカインの思いだった。
 レノックスの側でなら、魔法を使わず、純粋に自らの剣の腕を活かせると思う。それで好きな故郷や人達を護ることができるなら、下手に騎士として高い名誉や地位を得るよりも、カインにとっては誇らしく思えるだろう。
「……もし悩ましければ、後で答えが決まり次第伝えてくれれば……」
「いや、大丈夫です、領主様。領主様の護衛の任……謹んでお受けいたします」
真っ直ぐな瞳でレノックスを見つめ、それからカインは深く頭を下げた。
 まさかこの場ですぐに答えが貰えるとは思っていなかったのだろう。レノックスは目を丸くして、それからカインが話を受けてくれたのだと理解すると、「よかった」と穏やかに笑うのだった。

 ーーそれから二週間後。カインの姿は再び、レノックスの屋敷の前にあった。
 領主レノックスの側近として働くことになったと言うと、両親や友人たちはみな祝福して宴まで開いてくれた。実家の荷物をあらかたまとめて運んでもらったのが昨日のこと。大きめの鞄ひとつを持って待っていると、領主のレノックス自らカインを迎えに来てくれた。
「すまないな、待たせてしまって。中を案内しよう」
「あ、い、いえ! よろしくお願いしますっ」
 レノックスの先導に従い、カインは屋敷に再び足を踏み入れた。
 正面から入ると分かりにくいのだが、レノックスの屋敷は建物が二つある。先日話した応接室のある建物が、レノックスや屋敷の者たちが公務を執り行う『オモテ』になり、渡り廊下を通った先にもう一つある建物が『ウラ』、レノックスが寝食などを過ごす言わばプライベート空間だ。カインがこれから暮らすことになる部屋はウラの建物の方にあるらしい。
「前任はオモテの方に部屋を持っていたから、今までずっと空き部屋だったんだ。掃除はしているし綺麗だとは思うんだが……」
「そうなんですか? ええと……なんで俺だけそっちの、ウラ? に?」
「万が一襲撃されたりしないように、ウラには加護の魔法がかけてあるんだ。だから人間だと近寄れないというか……長く居ると体調を崩してしまうらしい。魔法使いなら問題ないんだが」
「そうなのか……って、あ、そ、そうなんですねっ」
「……堅苦しくしなくていいぞ。敬語が苦手なら、自然に喋ってもらっていい」
「……いいのか? じゃあ、お言葉に甘えて。加護の魔法って言うのは、領主様が自分でやったのか?」
「いや、この建物が立ったころに、ファウスト様がかけてくださった。今もときどき魔法をかけ直しに来てくださるから、おまえもそのうち会えるかもしれないな」
「ファウストって、あの聖ファウストか? はは、すごいな。建国の英雄にお目にかかれるなんて」
 そう話しているうちに、カインが暮らすことになる部屋のドア前まで着いた。レノックスの私室の扉もすぐ側にある。中に入ると、実家の自室の二倍三倍はあろうかという広さの部屋が広がっていた。カインが入る前に張り替えておいたのか、壁紙は真新しく清潔感のある乳白色で、床にもホコリ一つ落ちていない。ベッドは使っていないのがあると言われていたので持ってこなかったが、そのベッドも大人二人は余裕で横になれそうな広さがあった。ベッドの近くに入ってきたのとは別のドアがあり、そこを開けるとレノックスの私室に繋がっているそうだ。
「ほ……本当にこんないい部屋もらっていいのか? 領主様」
「もちろんだ。おまえの好きに使ってくれ。あと……領主様じゃなくて、レノックスでいい」
「レノックス……。へへ。じゃあ、レノックス! これからよろしくなっ!」
「ああ。どうぞよろしく」
 弾けるように笑ったカインに、レノックスも微笑み返す。こうしてカインの、レノックスの側近として過ごす日々が始まったのだった。
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