ep.7

「レノさんの羊達のお世話なら、南の国でお手伝いしたこともありますから。私たちに任せて、ゆっくり休んでください」
「冬場で街に戻ってきているときに、よく羊に触らせてもらってて……。その時みたいにすれば大丈夫ですよね。ボクも頑張ります!」
 レノックスの羊たちの面倒は、ルチルとミチルが見てくれることになった。怪我や病気で面倒のかかる羊も今はいないので、一日二日くらいなら任せっきりでも問題はないだろう。
 そんなわけで今日は丸一日、本当にすることがない休暇となったレノックスだったが。こう天気がいいと部屋に引きこもっているのも勿体ない気がするし、昼間に寝るとかえっていつもの生活リズムが狂ってしまいそうだ。
「じゃあ、レノのマナエリアに行くのはどうだ? 疲れてる時なら、アミュレットよりは実際に行った方がいいだろ?」
 そんなカインの提案で、朝食を終えて少しした頃の午前、南の塔にほど近い広い高原に、レノックスたちの姿はあった。——そう、"たち"である。
 小川の流れているすぐそばに、カインが大の字になって寝転がった。背丈の低い草花は自然の心地よい匂いをさせて、このまますっかり眠ってしまいそうになる。
「落ち着く……。レノのマナエリアになるのも分かるなぁ」
 呑気にそう笑うカインは、レノックスが一人でマナエリアに行こうとしているところにちゃっかり同行を申し出たのだった。丸一日休暇のレノックスと二人きりになれるチャンスなのだから、見逃すにはあまりに惜しい。それに——。
(……レノが大っきくしてるところ、初めて見ちまったし……)
 朝勃ちにしては起きてから時間が経ちすぎているし、疲労によるものにしては、レノックスの体調は良さそうに思う。そう考えると、可能性として考えられるのは——レノックスもカインのことを意識して、不本意にも反応してしまったということだ。もしそうだとするなら、レノックスも多少はカインに、友人としての範疇を超えた好意を抱いてくれているということになる。だから二人きりで一日を過ごしてみれば、レノックスの心情も少しは窺えるのではないかと思ったのだ。
「お前の場合は、川もあるからじゃないか。こういう景色は南には多いぞ」
 カインのすぐ横に座っているレノックスは、遠くを見つめながら静かに応える。
「いいなぁ。栄光の街みたいに賑やかなのも好きだが……ここには俺とレノしかいないし、静かで、自然しかなくて……こういうのも、いいな」
「……そうだな。この辺りはまだいないが、誰もいないからという理由で家を建てる夫婦もいるんだ」
「家を? ……住むにしては不便じゃないのか?」
「不便ではあるが、それを天秤にかけてもなお選ぶんだ。周りに誰もいないから……世界にお互いしかいないみたいで、助け合って、愛し合う気持ちが強く思えるんだと言っていた」
「……なるほど……」
 レノックスの話し方からして、実際にそのような暮らしをしている夫婦が知人にいるようだ。きっと街へ買い物に出かけるのにもひどく時間がかかるだろうが、その行きと帰りの二人きりの道のりでさえ、彼らにとっては余りある幸福なのだろう。だって、お互いがそばに居るのだから。
「レノは……その人たちのこと、どう思ったんだ?」
「どう、って」
「俺は、生まれも育ちも賑やかなところだったからさ。こんなに静かで何もないところでも……お互いがいればいい、って思えるくらいの気持ちがあるのは、なんか、すごいなぁって思う」
「そういうことなら、俺は……そうだな。俺もそんなふうになるのかもしれない、とは思った。俺の知人には、人間の夫婦で一組いて……今はもう居ないんだが」
「居ない? 引っ越しちまったのか?」
「いいや、かなり老齢の夫婦だったんだ。一人が病で亡くなってしまって、もう一人は、その後を追って自分で……。それだけ相手を愛していたんだ。お互いだけが生きる理由で、世界だった」
「……レノもそんなふうになるんだ、って?」
「ああ。誰かを愛すると決めたら、その人が俺の生きる理由で、世界そのものみたいに思うだろう。実際にこういう場所に住むとなると、不便の方が大きいと思うが……そうする気持ちは分からなくはない。もし相手が望むなら、きっと俺もそうすると思う」
「そっか……いいな。うらやましい。……あんたに、そんなふうに想ってもらえる人が居るかもしれないんだよな……」
 ——それが自分だったら、どれだけいいだろう。
 カインは大の字に広がるのをやめ、レノックスの方へと身を向ける。こちらに顔を向けてくれたレノックスの感情は、その表情からは伺えないが。草花と果てしない空と、レノックス。カインの視界には、世界には、それしかない。
「……いいなぁ……」
 誰に、何に向けたものなのかは、カイン本人にもよく分からなかった。自然と口をついた言葉にレノックスも不思議そうな顔をして、しばらく彼の中で考え込んでから、ゆっくりとその手が伸びてきた。レノックスの大きな手のひらが、カインの頭をあやすように撫でる。
「おまえも今日は羽を伸ばすといい。俺がそばにいるから」
「……レノは優しいな。でもそれじゃ、あんたが休めなくなっちまう」
「俺がしたいからしているだけだ。気にしなくていい」
「ん……」
 レノックスの優しい声と、あたたかい手のひら。ついうとうとと眠ってしまいそうになるくらい、心地よくて穏やかな時間だった。
「レノ……」
「寝たいなら寝ていいぞ」
「でも……」
「……俺もこういう時は、何もしないでぼうっとしていることが多いんだ。何かしなければ、とか、そんなことは、考えなくていいからな」
「……ああ。ありがと、レノ……」
 カインはそのまま瞼を下ろす。草原の柔らかな風が頬を撫でて、そばの川のせせらぎの音が心地いい。そして隣にはレノックスが居てくれる。こんな時間が永遠のように続いてくれたら、確かに、他には何もいらない。微睡みのなかで、そう思った。


 カインが目を覚ましたのは、正午を過ぎた頃だっただろうか。レノックスが草原の果ての果てをぼうっと眺めていると、隣でがさがさと音がして「レノ」と名を呼ぶ声がした。
「おはよう、カイン。よく眠れたか」
「ん……。すっかり熟睡してたよ。レノの隣だったからかな……。レノの近くも落ち着くから」
「……それなら、良かったが」
 カインが身を起こし、髪や体についた草を払い落とす。
 熟睡できたのはあくまで自分のマナエリアに似た川辺ではなく、レノックスの隣にいたからだとカインは言う。人付き合いの上手い彼なら、自然と相手が嬉しくなる言い回しを選べるだけかもしれない。でもカインは素直で正直な性格をしているから、彼の言うことは嘘ではないはずだ。他の魔法使いたちからも褒められたり感謝されたりすることも多いレノックスだが、カインから言われる言葉だけはどうも照れくさく感じてしまう。表情にこそ出ていないと思うが。
「レノは何してたんだ? ずっとぼうっとしてたのか?」
「はは……まぁ、そうだな。お前が寝る前の話で、なんとなく……もし俺が将来、結婚した時のことを考えていた」
「……!」
 カインの顔色がぱっと変わった。頬を上気させて、瞳にきらきらと光が宿る。
「どっ……、どんなこと、考えてたんだ?」
 つとめて普通に話しかけようとする彼の声は上擦っていた。 どきどきと心臓が鳴って緊張しているのが、声だけでも分かる。
「……理想の相手とか、かな」
「ど……どんな人なんだ?」
「……俺は見ての通り、愛想がないからな。反対に、相手にはいつも笑顔でいてほしい。明るくて、前向きで……太陽みたいな人がいいな。正義感に溢れてて、信念には真っ直ぐで。でももし相手が疲れたら、俺が安らげる場所でありたい。……そう思える人だ」
「……、っ……ぁ、ぇ、と……」
「あとは……ご飯を美味そうに食べてくれるのもいいな。毎朝幸せそうに頬張っているところが、可愛い」
「……ッ、」
 レノックスの理想の相手の輪郭が見えてくるにつれて、カインの顔はどんどん紅潮していった。レノックスの語る言葉は、いつもカインが他の人達から受ける評価ばかりだから。
「そういうカインはどうだ。……理想の相手はいるか?」
「え、ぁ……。ん、うん……」
 カインは曖昧に答えると、膝を抱えて顔を埋めた。赤くなった顔を、これ以上見られまいとして。
「俺は……そ、その、落ち着きないから……。俺の相手なら、落ち着いてる人がいいかなって。俺より年上で……落ち着いてて……かっこよくて、頼りになって……。えっと、それから優しくてっ、誠実で……えっと、ッ……」
 抱えた膝の中で、ぽつりと呟くように言う。
「…………レノみたいな人……」
 その声はレノックスにまで届いたのだろうか。カインの声はとても小さかったし、遮るように吹いた強い風のさざめきでかき消されてしまったかもしれない。
「……」
 レノックスは何も言わないまま、カインの頭をそっと撫でた。その手つきはカインに大丈夫だと言い聞かせるようで、安心する。
「……レノは……やっぱり、いつか、結婚したいのか……?」
「……いい人が居ればな」
「……そっか……」
 ——どうしてももう一歩踏み出したことを聞くことができないのは、どちらも同じだ。その理想の相手とは自分じゃないのかと、そう言い切れる自信と勇気が、今は出ない。だから続く言葉を互いに言えなくなってしまって、レノックスは話題を変えることにした。
「……軽く散歩でもしようか。少し歩くが、街にも行ける距離だ」
「ぁ……ああ。じゃあ、街の方に行ってみたいな。何かいいものがあるかも」
「お前好みのものがあればいいな。のんびり行こう」
 先に立ち上がったレノックスは自然とカインに手を貸した。無意識に染み付いているのであろうその些細な仕草さえ、愛おしい。自分だけの特別ではないのだろうが、誰にでも施す、気取らないレノックスの優しさが好きだ。
 もう少しこの想いは心の内で育てて、言うべき時が来たら、想いを告げよう。その日はきっと遠くないだろうから。
(レノ。……好きだ。俺は、レノのことが)
 確かめるように心の中で繰り返しながら、カインはレノックスの隣を歩く。
 かつて何もない草原に家を建て、二人きりの世界に閉じこもって愛を誓った夫婦も、こんなふうに少し遠い街への道のりを、二人並んで歩いたのだろうか。
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