ep.6
——最近、カインのことを真っ直ぐに見ることができない。
「レノ! おはよう!」
朝。いつものように森の方までカインが来て、視線を彷徨わせている彼の手に触れる。おはよう、と返すとカインは花が咲くように笑って、今日もいちばんにレノに会えた、とはしゃぐ。
今日はよく晴れていて、朝日も豊かに差し込み、木漏れ日がきらきらと輝く水面のように揺れている。今日は何しようか、と考え込むカインの頭上にもそんな木漏れ日が差して、癖毛なのか、ぴょこぴょこ跳ねている可愛らしい彼の赤髪を眩いほどに照らす。
「今日は天気も良いからなぁ。あんたたちも一緒に鍛練するか? なんてな」
足元に寄ってきた羊を拾い上げ、豊かな毛をふかふか揉みながらカインは言う。カインに抱き上げられているのが面白いのか、羊もめぇめぇと機嫌が良さそうに鳴いているので、ひとまずカインが一匹抱き上げたまま魔法舎の方へ戻ることにした。
魔法舎まで帰る道のりは、今日は誰が任務なのかとか、誰が何か言っていたとか、お互いの情報交換も兼ねている。けれどそう堅苦しいものではなく、あくまで雑談混じりのゆるやかな時間だ。
「よく考えたら、羊のミルクって飲んだことないかもな。ヤギのミルクとか、牛のミルクならあるんだが」
「そうだったのか……確かに売り物としても毛の方が主流ではあるからな。良かったらあとで分けてやろうか。搾りたての方が美味いから」
「いいのか! やった! あんたたちはすごいなぁ、かわいいし、美味いし……」
「メッ!?」
「あっ、違うぞ!? 今のは肉じゃなくてミルクの話な!」
「はは……安心しろ。カインはお前たちを取って食いはしない」
人間の会話もそれなりに理解はできるのだろうか、怯えて縮こまった羊がそろそろとカインの顔を見つめるので、カインは羊の小さな頭を指先で撫でてやる。
「よしよし、かわいいな、あんたたちは……。……んー……」
「……どうした?」
「いや……なんか、重さが近いのかな。こうして抱っこしてると、赤ん坊でも抱いてるみたいだ」
「ああ、確かに似ているかもしれないな。温かいし」
赤子をあやすようにカインがゆらゆらと腕を振ってみると、羊もすっかり機嫌を良くしてメェメェと応える。カインはかなり子守が上手そうだ。
そんな彼を見ているとなぜか羞恥心のようなものが湧いてきて、レノックスはカインから視線を外した。羊はレノックスの仕事の大切な商品なのだが、その可愛い見た目からして周囲からは殆どペット扱いだ。個別に名前こそ付けていないが多少なりとも愛着はあるし、ある意味、レノックスの子供のようでもある。
そんな羊を大事そうに腕に抱えて可愛がっているカイン。その姿に一瞬、家族の姿を重ねてしまった。レノックスがこの先出会うかもしれない、永遠を誓う伴侶とその子供たちという、今はまだ夢の存在であるそれを——カインに。
(何を考えているんだ、俺は)
カインは賢者の魔法使いとしての仲間に過ぎない。確かに魔法舎の中では仲がいい方だと言えるし、彼のことは好ましいと思っている。それでも仲間とか友人の範疇を超えることはないはずだ。それなのに、なぜ。
「レノ?」
「……うん?」
「なんかぼーっとしてたから。考えごとか?」
「……カインは案外、子守が上手そうだなと……」
「子守? あはは、なんだ急に。確かに子供は好きだけどさ」
——お前に将来の伴侶の姿を重ねた、とはとても言えない。
中庭に着くとカインは抱いていた羊を下ろしてやる。今日も二人きりで鍛錬の時間だ。体を動かしていれば、隣のカインに向けてしまった、不埒な感情も消えてくれるだろうか。
『事故みたいなもんだろ!? なっ!? お、お互い忘れようぜ……!!』
きっかけとしては、やはりあの日からだろうか。オーエンに羊に変えられてしまったらしいカインの全身を触れ回し、人の姿ならおよそ見せるものではない場所を拡げ見て。人の姿に戻ったあと、あんなに顔を赤くして動揺している彼を見るのは初めてだった。
体調不良の羊の診察と治療も羊飼いの仕事だから、自分はその仕事を真っ当に果たしただけだ。それでもカインのあの様子に直面すればこちらも意識せざるを得ないし、もしあれが人の姿なら、という想像も浮かんでしまう。鍛錬終わりに一緒にシャワーを浴びに行くことも多いので、カインの体つきはよく知っている。それが余計に、想像の中のカインの造形を精巧なものにしてしまうのだ。
自分の膝の上にまたがる、一糸まとわぬ姿のカイン。そんな状況になることなんて、ひとつしかないわけで。
「……ッ」
カインのそばにいると、厄介な微熱のようにそんな妄想がぶり返してきて、消えてくれない。カインは仲間だ。友人だ。そう何度も言い聞かせて鍛錬に集中しようと思っても、隣で腕立て伏せをしているカインの少し苦しそうな吐息が、ますます妄想の中の彼と合致していく。
「っ、は、っはぁ……、ッく……、んッ……」
——違う、違う。カインは身体を鍛えているだけだ。何もいやらしいことなんてない。己の劣情を煽るものなんて、何もない……!
「っはー……、はぁっ、はぁ……。これ結構キくなぁ……って、あれ。今日は随分早くないか?」
「……いや、その……何でもない。心配しなくていいから……」
「そうか……?」
不本意にも反応してしまった自身を見られないように、カインに背を向けてレノックスは答えた。軽く背を丸めて座り込み、ぎゅっとそこを抑える。早く収まってくれ。カインに、何か悟られてしまう前に。
「……あの、レノ」
「ッ……何だ」
カインの声をすぐ近くに感じる。きっと距離を縮めてきたのだと思うが、顔を向けることは出来なかった。
「……ち、違ったら悪い。俺も男だから、その……。あんまり気にしなくて平気だぞ。疲れてる時って、なんか、なるよな」
「気づっ……、……。すまない……」
「なんで謝るんだ! なりたくてなるようなものじゃないし、な? 疲れてるってことだし、このへんで切り上げようか」
カインの声色は明らかにこちらに気を遣った丸っこいものだった。同じ男で、かつ境遇も似通ったところがあるカインなので、どういう時に反応してしまうのかもよく知っているのだろう。けれど今のレノックスのそれは、カインが想像しているのであろう寝起きや疲れている時の生理反応ではない。
「さっきもボーッとしてたし、ここ最近任務続きだっただろ。今日は休みか?」
「休み、だが……」
「じゃあ今日は休もうぜ。レノは羊飼いの仕事があるから、休みの日でも休めないようなもんだろ。俺も休みだからさ、出来ることは手伝うよ」
カインからの真っ直ぐな善意に、どうにも居た堪れない気持ちになってしまう。違う。俺はただ、お前に不埒な目を向けてしまっているだけだ。今だって、できることは手伝うと言うならこの熱を静めてくれ、なんて悪い思考が脳裏をよぎる。そんなことを言ったら、させたら、きっとカインをひどく傷つけてしまう。それでも思ってしまうのだ。——もしかしたら、受け入れてくれるのではないのかと。
「とりあえず、そろそろ食堂行こうぜ。えっと……上着とか巻いておけば大丈夫そうか?」
「ああ……。情けないところを見せてしまった」
「いいさ、俺はレノのそういうとこ、もっと見たい。俺だけが知ってるレノって感じで、素敵だぞ」
ほら、そうやってまた、思わせぶりなことを言う。自分のことだから表情にはろくに出ていないだろうけれど、確かにレノックスの心臓は、ぎゅっと掴まれてしまったかのように鼓動を強くする。
仲間に、友人に、こんな感情を抱いてしまうなんて。それをカインに受け入れて欲しいなんて、おこがましい願いだ。
(……俺一人で、何とかしよう。俺の感情なんかで、カインを傷つけたくない)
こうしていつも、二人きりで居れる心地よい時間を壊したくはない。カインと仲間として過ごす時間を守りたい。だからなんでもないフリをして、この想いは隠し続けよう。
そんなレノックスの内心も知らず、カインは何も知らない顔で隣を歩いている。
「レノ! おはよう!」
朝。いつものように森の方までカインが来て、視線を彷徨わせている彼の手に触れる。おはよう、と返すとカインは花が咲くように笑って、今日もいちばんにレノに会えた、とはしゃぐ。
今日はよく晴れていて、朝日も豊かに差し込み、木漏れ日がきらきらと輝く水面のように揺れている。今日は何しようか、と考え込むカインの頭上にもそんな木漏れ日が差して、癖毛なのか、ぴょこぴょこ跳ねている可愛らしい彼の赤髪を眩いほどに照らす。
「今日は天気も良いからなぁ。あんたたちも一緒に鍛練するか? なんてな」
足元に寄ってきた羊を拾い上げ、豊かな毛をふかふか揉みながらカインは言う。カインに抱き上げられているのが面白いのか、羊もめぇめぇと機嫌が良さそうに鳴いているので、ひとまずカインが一匹抱き上げたまま魔法舎の方へ戻ることにした。
魔法舎まで帰る道のりは、今日は誰が任務なのかとか、誰が何か言っていたとか、お互いの情報交換も兼ねている。けれどそう堅苦しいものではなく、あくまで雑談混じりのゆるやかな時間だ。
「よく考えたら、羊のミルクって飲んだことないかもな。ヤギのミルクとか、牛のミルクならあるんだが」
「そうだったのか……確かに売り物としても毛の方が主流ではあるからな。良かったらあとで分けてやろうか。搾りたての方が美味いから」
「いいのか! やった! あんたたちはすごいなぁ、かわいいし、美味いし……」
「メッ!?」
「あっ、違うぞ!? 今のは肉じゃなくてミルクの話な!」
「はは……安心しろ。カインはお前たちを取って食いはしない」
人間の会話もそれなりに理解はできるのだろうか、怯えて縮こまった羊がそろそろとカインの顔を見つめるので、カインは羊の小さな頭を指先で撫でてやる。
「よしよし、かわいいな、あんたたちは……。……んー……」
「……どうした?」
「いや……なんか、重さが近いのかな。こうして抱っこしてると、赤ん坊でも抱いてるみたいだ」
「ああ、確かに似ているかもしれないな。温かいし」
赤子をあやすようにカインがゆらゆらと腕を振ってみると、羊もすっかり機嫌を良くしてメェメェと応える。カインはかなり子守が上手そうだ。
そんな彼を見ているとなぜか羞恥心のようなものが湧いてきて、レノックスはカインから視線を外した。羊はレノックスの仕事の大切な商品なのだが、その可愛い見た目からして周囲からは殆どペット扱いだ。個別に名前こそ付けていないが多少なりとも愛着はあるし、ある意味、レノックスの子供のようでもある。
そんな羊を大事そうに腕に抱えて可愛がっているカイン。その姿に一瞬、家族の姿を重ねてしまった。レノックスがこの先出会うかもしれない、永遠を誓う伴侶とその子供たちという、今はまだ夢の存在であるそれを——カインに。
(何を考えているんだ、俺は)
カインは賢者の魔法使いとしての仲間に過ぎない。確かに魔法舎の中では仲がいい方だと言えるし、彼のことは好ましいと思っている。それでも仲間とか友人の範疇を超えることはないはずだ。それなのに、なぜ。
「レノ?」
「……うん?」
「なんかぼーっとしてたから。考えごとか?」
「……カインは案外、子守が上手そうだなと……」
「子守? あはは、なんだ急に。確かに子供は好きだけどさ」
——お前に将来の伴侶の姿を重ねた、とはとても言えない。
中庭に着くとカインは抱いていた羊を下ろしてやる。今日も二人きりで鍛錬の時間だ。体を動かしていれば、隣のカインに向けてしまった、不埒な感情も消えてくれるだろうか。
『事故みたいなもんだろ!? なっ!? お、お互い忘れようぜ……!!』
きっかけとしては、やはりあの日からだろうか。オーエンに羊に変えられてしまったらしいカインの全身を触れ回し、人の姿ならおよそ見せるものではない場所を拡げ見て。人の姿に戻ったあと、あんなに顔を赤くして動揺している彼を見るのは初めてだった。
体調不良の羊の診察と治療も羊飼いの仕事だから、自分はその仕事を真っ当に果たしただけだ。それでもカインのあの様子に直面すればこちらも意識せざるを得ないし、もしあれが人の姿なら、という想像も浮かんでしまう。鍛錬終わりに一緒にシャワーを浴びに行くことも多いので、カインの体つきはよく知っている。それが余計に、想像の中のカインの造形を精巧なものにしてしまうのだ。
自分の膝の上にまたがる、一糸まとわぬ姿のカイン。そんな状況になることなんて、ひとつしかないわけで。
「……ッ」
カインのそばにいると、厄介な微熱のようにそんな妄想がぶり返してきて、消えてくれない。カインは仲間だ。友人だ。そう何度も言い聞かせて鍛錬に集中しようと思っても、隣で腕立て伏せをしているカインの少し苦しそうな吐息が、ますます妄想の中の彼と合致していく。
「っ、は、っはぁ……、ッく……、んッ……」
——違う、違う。カインは身体を鍛えているだけだ。何もいやらしいことなんてない。己の劣情を煽るものなんて、何もない……!
「っはー……、はぁっ、はぁ……。これ結構キくなぁ……って、あれ。今日は随分早くないか?」
「……いや、その……何でもない。心配しなくていいから……」
「そうか……?」
不本意にも反応してしまった自身を見られないように、カインに背を向けてレノックスは答えた。軽く背を丸めて座り込み、ぎゅっとそこを抑える。早く収まってくれ。カインに、何か悟られてしまう前に。
「……あの、レノ」
「ッ……何だ」
カインの声をすぐ近くに感じる。きっと距離を縮めてきたのだと思うが、顔を向けることは出来なかった。
「……ち、違ったら悪い。俺も男だから、その……。あんまり気にしなくて平気だぞ。疲れてる時って、なんか、なるよな」
「気づっ……、……。すまない……」
「なんで謝るんだ! なりたくてなるようなものじゃないし、な? 疲れてるってことだし、このへんで切り上げようか」
カインの声色は明らかにこちらに気を遣った丸っこいものだった。同じ男で、かつ境遇も似通ったところがあるカインなので、どういう時に反応してしまうのかもよく知っているのだろう。けれど今のレノックスのそれは、カインが想像しているのであろう寝起きや疲れている時の生理反応ではない。
「さっきもボーッとしてたし、ここ最近任務続きだっただろ。今日は休みか?」
「休み、だが……」
「じゃあ今日は休もうぜ。レノは羊飼いの仕事があるから、休みの日でも休めないようなもんだろ。俺も休みだからさ、出来ることは手伝うよ」
カインからの真っ直ぐな善意に、どうにも居た堪れない気持ちになってしまう。違う。俺はただ、お前に不埒な目を向けてしまっているだけだ。今だって、できることは手伝うと言うならこの熱を静めてくれ、なんて悪い思考が脳裏をよぎる。そんなことを言ったら、させたら、きっとカインをひどく傷つけてしまう。それでも思ってしまうのだ。——もしかしたら、受け入れてくれるのではないのかと。
「とりあえず、そろそろ食堂行こうぜ。えっと……上着とか巻いておけば大丈夫そうか?」
「ああ……。情けないところを見せてしまった」
「いいさ、俺はレノのそういうとこ、もっと見たい。俺だけが知ってるレノって感じで、素敵だぞ」
ほら、そうやってまた、思わせぶりなことを言う。自分のことだから表情にはろくに出ていないだろうけれど、確かにレノックスの心臓は、ぎゅっと掴まれてしまったかのように鼓動を強くする。
仲間に、友人に、こんな感情を抱いてしまうなんて。それをカインに受け入れて欲しいなんて、おこがましい願いだ。
(……俺一人で、何とかしよう。俺の感情なんかで、カインを傷つけたくない)
こうしていつも、二人きりで居れる心地よい時間を壊したくはない。カインと仲間として過ごす時間を守りたい。だからなんでもないフリをして、この想いは隠し続けよう。
そんなレノックスの内心も知らず、カインは何も知らない顔で隣を歩いている。
