第一話


 桜雲街のよく晴れた空の青は淡く霞み始め、山端のほうから橙の色が染まってきている。日の傾きかけた時間帯、最後の荷物を抱えて、レノックスは今日の最後の配達先に足を向けた。
 向かうのは桜雲街の東部にある薬種問屋。店先にはいつも鮮やかな藍色の暖簾がかかっており、淡い桜色に彩られた街並みの中でもよく目立つ。レノックスがその暖簾をくぐって店内に足を踏み入れるとすぐに、大きな狐の尻尾が揺れるのが見えた。
「レノ!」
 振り向いた彼はぱっと花が咲くような笑顔でレノックスを迎えてくれる。彼の名はカイン。ここで用心棒として働いている妖狐だ。
 カインがこの店に働きに来たのは数ヶ月ほど前のことで、レノックスは週に何日か飛脚の仕事で荷物を届けに行くため、自然とカインとも顔馴染みになった。レノックスが来ると、いつもカインはその耳をピンと立てて、長く豊かな毛に覆われた尾をふわふわと揺らす。
「今日も来てくれたんだな! えへへっ……」
「ああ。……荷物はこの辺りに置いておくので大丈夫か?」
「うん、大丈夫。……それよりレノ! この後も飛脚の仕事残ってたりするか……?」
「いいや。今日はこれで最後だが……どうかしたか?」
「えっと……その……」
 カインは目線を落とし、どこか落ち着かないように身を揺らす。尾もゆらゆらと揺らいでいて、何か言い出そうか迷っているらしい。ふと視線を感じてレノックスが顔を上げると、店の奥に何か引っ込む影が見えた。カインと同じ妖狐の尾と、もうひとつは鼬のような尾だった。
 妖狐と鼬といえば、とレノックスが思考を巡らせる前に、「あの!」とカインがようやく声を上げた。カインは頬を淡く桜色に染めて、レノックスを真っ直ぐに見つめている。
「おっ……俺と、デートしないか!?」
「……でいと?」
 聞き慣れない単語にレノックスは首を傾げた。
「それは……何をするんだ? 鍛錬の一種か?」
「ち、違くて、その……。要は、一緒に出かけないかって……」
「ああ……それなら問題ないぞ。カインの準備が出来たら、すぐにでも」
 そう言うとカインは瞳をきらきらと輝かせて、固く張っていた糸が一気に解れたように笑った。それから不安げに揺れていた尾が、今度はぶんぶんと風を切る勢いで振れている。
「じゃあ着替えてきた方がっ……あ、でもそしたら時間……どうしよう、何も考えてなかったっ」
「そう慌てなくても。いつも通りのカインでいいぞ」
「そっ、そうか……? レノが言うなら……」
 カインは落ち着きのない様子で髪を手ぐしで整える。もともと癖のある毛のようだから大して変わらないような気もするし、自分の前でそう気を遣わなくても良いのに、とレノックスは思う。
「店主の方たちには言わなくて平気なのか?」
「それは大丈夫! もう伝えてあるから、レノとデートするって……」
 カインがちらと背後を伺う。そこには誰の姿も見えないが、そういえば先ほど見えた妖狐と鼬の影は、ここの店主の息子とそのお付であるヒースクリフ、シノのものだったのだろう。
「それじゃ、行こうぜ! レノはどこか行きたい場所あるか?」
「出かけるなら……中心街の方か?」
「じゃあそっちだな!」
 カインは明るく応えながら、レノックスの片腕に抱きついてきた。レノックスが目を丸くして彼を見ると、「ダメか?」と上目で伺われる。
「ダメ……ではないが……」
「えへへっ、ならこうさせてくれ!」
 レノックスの肩に頬を擦り寄せて、カインは浮いた声色で言う。人気のある往来でこうも寄り添われながら歩くのは少々気恥しいが、カインが楽しいならいいかと自分を納得させた。

 桜雲街の中心街は、昼と夜で大きく雰囲気を変える。この時間帯はちょうどその切り替わりで、昼間の繁盛店が暖簾を片付けている傍ら、ゆったりとした落ち着きのある夜の店が静かに店を開け始めていた。二人と同じように今日の仕事を終えた大人たちが顔を見せる一方で、これから帰るのであろう子供連れも多い。人の往来も激しく、気を抜いていたらはぐれてしまいそうだ。
「それでな、その時ヒースのやつがさ……」
 なおもぴったりとレノックスに寄り添いながら、カインは薬種問屋で起きたことを楽しげに話す。尻尾がゆらゆらと揺れているから酔ったように気分がいいのかもしれないが、それでも周りが見えていなさそうなのは用心棒の彼らしくない。カインの話に耳を傾けつつ、揺れている尻尾ごと包むように、レノックスは片翼をそっとカインの背まで広げた。
「わっ……れ、レノ……っ?」
「はぐれてしまいそうだったから……」
 片翼が触れるとカインは少しよろめいて、レノックスのほうへますます密着する。翼でちょっとした個空間ができたせいか、なんだか、カインとの距離が縮まったような錯覚があった。
「……かっこいぃ……」
「……うん? 今なにか……」
「なっ、なんでもない! あっ……なぁレノ、あそこの店! 入ってもいいか?」
 カインが唐突に指を指した先には雑貨屋の暖簾があった。店先には細やかな装飾の髪飾りなどが並んでいる。
 人波をかき分けながら雑貨屋に入ると、中はそこそこに賑わっていた。妖獣用のアクセサリーも多く並んでいて、もちろん妖狐であるカインの視線も真っ先にそこに止まった。けれど先に向かうことはせず、レノックスの腕に抱きついたまま、「いいか?」と小首を傾げて尋ねられる。ーー離れたくはないということだろうか。
「もちろん、いいぞ」
 そう言うとカインはふやけたような笑顔になって、レノックスの肩口に頬擦りをした。妖狐の割にはどことなく犬っぽさを感じるカインだが、こうされるとよく懐いた飼い猫のようだ。
 妖獣たちはやはり頭の獣耳がいちばんの特徴になるので、並んでいるアクセサリーも耳飾りが多い。つまみ細工の花や精巧なガラス玉など、見ているだけでも目に楽しい品揃えだ。カインはそんな品々をうろうろと眺め、ふと顔を上げる。
「レノはどれがいい?」
「……俺か?」
「ああ。レノは、その……どれが一番俺に似合うと思う?」
 重ねて訊ねてくるカインの頬は赤い。翼に当たっている彼の尻尾が、不安げにまたゆらゆらと揺れ始めた。
「俺はあまり目利きが良くないが……」
「いいから、いいから!」
 そう急かされてアクセサリー達に視線を落とす。カインは整った顔立ちをしているから、何を選んでも似合うだろうがーーなんとなくカインらしいと思ったそれを、レノックスは手に取った。
「これなんて、どうだ?」
 象っているのは椿だろうか、赤い花飾りを中心に、煌びやかな金の装飾がなされたかんざしだった。すっきりとしたシルエットで、あまりゴテゴテと装飾を盛っているような派手なものではないが、細い鎖の金飾りが動く度に煌めいて、品の良い華やかさがある。カインはいつも長い後ろ髪を纏めているから、かんざしもさせるだろう。
 カインはレノックスの手の中のそれをじっと見つめ、しばらく何も言わなかった。
「……ええと、すまない。何か気に障ってしまっただろうか……」
「あっ……ち、違う! そうじゃないんだ。むしろ、その……嬉しくて……」
 カインの尻尾がぱたぱたと揺れ始める。どことなく耳も跳ねるように反応しているが、喜んでくれている、のだろうか。
「あ、あの……これ買ってもいいか……?」
「うん? 気に入ったなら、俺が買おう。お前にやる」
「へっ!? あ、あり、がとっ……」
 やたらと声が上擦っているので彼の様子を伺うと、カインは髪の色と同じくらい顔を上気させていた。どうしたのかと訊ねればなんでもないと返される。そんなに顔を赤くしておいて、何もないことはないと思うのだが。
 ーーレノックスがすました顔をしている横で、真っ赤になってうつむき気味のカイン、そして買うのは簪。いろいろと合点のいったらしい店員が、品物は包むかと尋ねてくる。レノックスは少しカインを見やってから、首を横に振った。
「せっかくだから、ここでつけていったらどうだ」
「……あ、ああ……」
 カインは後ろ髪を手に取り、右耳の後ろで丸く団子にまとめ始める。簪を受け取ろうとカインが片手を差し出すより先に、レノックスはそのまとめ髪に簪をさしてやった。
「……うん。似合ってる」
「……えへへ……ありがと、レノ……」
 耳を垂れさせて前髪を弄りながら、カインは小さな声で返事する。こちらを見つめる琥珀の瞳は潤んでいて、不覚にもレノックスは心臓を揺らされるような思いがした。
「……カイン、このあとは少し休憩するか?」
「へっ!!? きっきききゅうけっ……!!?」
「お前も仕事終わりでそのまま来たから、腹が減っただろう。どこかで夕飯でも食べよう」
「えっ、あっ……あ、そ、そっち……」
「そっち?」
「なっ、なんでもない!! じ、じゃあ行こうぜ、レノ……!」
 慌ててレノックスの腕を掴み、カインは店の外へ飛び出した。その背後でカインの誤解の意味に気づいた店員がくすくすと笑っていたのは、もはや言うまでもないだろう。

 少し街を歩いて二人が入ったのは、小路に入ったところにある落ち着いた雰囲気の料理屋だった。カインの行きつけの店らしく、厨房ではレノックスと同じ烏天狗の青髪の店主が一人で黙々と調理をしている。昼に来るともう一人白黒の混じった髪色をした天狗の店員がいるそうだが、姿は見当たらなかった。昼間はその店員の出前の早さも評判でなかなか繁盛しているが、夜は店主一人で営んでいるからか、客層も静かで落ち着いている。ゆったりとお喋りをしながら、店主の料理が来るのを気長に待っているような。
「ここのきつねうどん、美味いんだよなぁ。おあげがふわふわでさ! おいなりさんも美味いんだ! この前のは生姜が効いてて、何個でも行けちまうって感じでな!」
「そんなに美味いのか。よほど気に入っているんだな」
「レノも食えば分かるよ。表通りの店のおあげも美味いけど、俺はここのが一番好きだな!」
 座敷席に向かい合って座ると、カインの尻尾の様子がよく見えた。厨房から漂ってくる匂いも相俟ってか、期待でぱたぱたと左右に揺れている。
 レノックスと同じ長屋通りのルチルとミチルも同じ妖狐だが、そこまで尻尾が揺れていると意識したことはない。目につくほどに分かりやすく大きく揺れるのは、カインの気質なのだろうか。豊かに変わる表情に合わせて揺れる尻尾は、彼の感情のアンテナのようでなんだか可愛らしかった。
「はい。おまちどうさん」
 ふと声がして見ると、店主がきつねうどんを二つ机に置いてきた。それからいなり寿司の四つ並んだ皿がひとつ。
「あれ? ネロ、おいなりさんは頼んでないぞ?」
「いいよ、いいよ。あんたはお得意さんで、そっちの人は初めてだろ。さっきはずいぶん褒めてくれてたしな」
「あはは、聞こえてたのか。じゃあ、ありがたくもらおうかな。レノも食べてくれ!」
「ああ。どうもありがとう」
 ネロ、と呼ばれた店主はどういたしましてと肩をすくめる。それから踵を返そうとして、小麦色をしたその目がふとカインの方に止まった。カインの髪を飾っている花の簪。それから一瞬、レノックスの方にも。
「……まぁ、ごゆっくり」
 そう言い残して、今度こそネロは厨房のほうへと戻っていった。
「……? 何かあったんだろうか」
「な……なんでだろうな? あはは……さ、さっ! 伸びないうちに食おうぜ!」
「それもそうだな」
 きつねうどんとサービスのいなり寿司は、確かに絶品だった。妖狐の好物は油揚げだと相場も決まっていることだし、そんな妖狐のカインが気にいるのだから不味いわけがない。レノックスも飛脚の仕事の合間に料理屋へ立ち寄ることはあるが、この店もこれからの選択肢に入りそうだ。
 食事を終えて外に出ると、カインはまたレノックスの腕に抱きついてきた。夜はすっかり更けて、街はもう既に大人だけの世界に色を変えている。
「……まだ帰りたくないな……」
 これからどうしようかと聞く前に、ぽつりとカインが呟いた声が、夜の雑踏に溶けた。いつもならもうとっくに家に帰って、一日を終える片付けをしているような時間。それなのにまだ中心街のほうでカインと二人でいるというのは、なんだか奇妙な感覚にさせられた。もうそんなことを気にするような歳でもないのに、親に黙って門限を破るような、いけないことをしているような、後ろめたいような気持ち。
「……カインは明日も仕事か?」
「いいや。明日は休みにしてもらったんだ」
「そうか。……なら、もう少し夜更かししてもいいな。俺も明日は休みなんだ」
「ほっ、本当か……!? ならデートもっとできるんだなっ!」
 カインの尻尾がまたぶんぶんと風を切るほどに揺れる。思わずレノックスは笑ってしまい、「そんなに嬉しいのか」と訊ねた。
「だって……へへ、レノとのデートだからっ」
「でいと……」
 音を確かめるようにレノックスは復唱する。一緒に出かけることを彼は頑なにデートと言うが、どこの言葉なのだろう。単にカインのような若者たちや妖狐の間で流行っている表現なのだろうか。
「カイン、でいとというのは、他に何かするものなのか?」
「他に?」
「いや……今のところ、お前と街歩きしかしていないから。何かその、他にも『でいと』らしいことをするのかと思って」
「あ……え、えっと……」
 訊ねるとカインはなぜか頬を赤くしてうつむいた。変なことを聞いてしまったのだろうか。普段はおしゃべりなカインが言葉に迷うのは珍しい。しばらく言葉を探ってから、カインは静かに切り出した。
「……れ、レノ。デートっていうのは、な? えっと、西の方の言葉で……逢瀬とか、逢い引き、みたいな……意味なんだ……」
「……逢い引き」
「だから、その……でも、一緒に出かけたかっただけ、なんだ。レノともっと仲良くなりたくて……」
 尻尾はすっかり大人しくなり、耳も垂れてカインは縮こまっている。逢瀬と言うには二人の距離はまだ遠いが、カインはあえてそういう言葉を使って、距離を縮めようとしてくれていたのかもしれない。善意ではあるのだが、人によっては不快に思うこともあるだろう。レノックスをそうして不快にさせてしまったかもしれないと、カインはきっと怯えているのだ。
 レノックスはそんなカインの背を、守るようにそっと抱いた。
「……逢瀬にしては人前で堂々とし過ぎだ」
「ぅ……」
「だが、まぁ……西の方はそのあたりが大胆だとも聞くし……『デート』なら、丁度いいのかもしれないな」
 顔を上げたカインに、レノックスは微笑む。どこに行こうかと訊ねると、カインの潤んだ目が嬉しそうに細められた。

「今日はありがとな、レノ。家にまで送ってもらって……」
 夜も更けて、月が高く昇る時間。二人の姿は、しんと静まった川沿いの長屋通りの一角にあった。
 あれから夜でも開いている店をいくつか覗いたり、居酒屋に入って騒いでいるうち、気づいたら日付が変わりそうな時刻になっていた。皆もう寝床に就いている時間だから、ささやくような声量でやり取りする。
「構わない。もう遅いし、ゆっくり休んでくれ」
「うん……。あの、レノ。よかったら、また……」
「……ああ。また一緒に出かけような」
「えへへ……。じゃあ、レノも気をつけて帰ってくれよ。おやすみ」
「ああ。おやすみ、カイン」
 はにかむカインに微笑み返してから、レノックスは踵を返す。この桜雲街には桜が多く咲いているが、川沿いには柳も多い。川のせせらぎ、桜と柳が風に揺れるさざめき。空を見上げれば、今日は大きな満月が見える。カインは素敵なところに住んでいるな、と思った。
 何本目かの柳の木を通りかかったところで、ふとレノックスは足を止めた。なんとなく視線を感じた気がして振り向くと、遠くにはまだカインの姿がある。顔の表情までは遠すぎて分からないが、レノックスが振り向いたとたんに尻尾が揺れ始めたから、きっと嬉しいのだろう。
(……可愛らしいな)
 手を振ってみるとカインも手を振り返してくれる。身を正して歩き出すのが、なんとも惜しい月夜だった。
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