紡がれる物語と、想い
南の国に戻ってきたレノックスが他の魔法使いと暮らしているらしい、という噂自体は以前から広まっていた。ただその同居している魔法使いは全く姿を見せないので、いったい誰なのかという話にもなっていたそうだ。そしてカインがまだ家から少しも出られなかった頃、窓越しから姿を一瞬見た村人の証言が広まった結果、街の方では妙な勘違いが広まっていたらしい。——レノックスは賢者の魔法使いだった時に大恋愛をして、今、長い赤髪のやんごとなき令嬢と駆け落ちをしてきたのだと。
たまたまルチルとミチルの方へはその噂は耳に入らず、フィガロは面白がって放置していたようで、正体は同じ賢者の魔法使いのカインだと明かしてくれる人が誰もいなかった。だからカインが初めてレノックスと一緒に街へ買い物に来たとき、まずその相手が男だったことに驚く村人が少なくなかった。
羊飼いという職業柄、羊を放牧しておくための草原が要るので、冬場を過ごすための住居も街からは少し離れている。前の方にカインを乗せ、それを後ろから支えるようにして、二人で箒に乗って街に向かった。あたたかい柔風の吹く、心地よい天気の日だ。
地上に降りて市場の通りに来ると、店の人から次々に声をかけられる。今日はこの野菜が新鮮で美味しいだとか、珍しいものが入ったから買っていかないか、とか。賑やかな市場の客の呼び込みというよりは、近所の人からのお裾分けの誘いのようなものだ。
「今日はこれが安く仕入れられましてね。一つどうですか」
「じゃあ、二つ。あとでカインと食べるので」
「カイン? ……ああ、後ろの連れさんですか。仲睦まじくていいですねえ」
店の人から穏やかに話しかけられ、カインも曖昧に微笑みで返す。以前の人懐っこさはなりを潜めてしまったが、人と接すること自体は好きなカインだ。何度か共に買い物に来ていると顔を覚えられ始め、声をかけられることも増えた。
とはいえ、一人にしてしまうとやはり心配でもあるので、カインは基本、街に出る時はぴったりとレノックスの後ろをついてきている。心を病んだ影響で動作がゆったりしているカインの様子も、周囲には『やんごとなき令嬢』を思い出させる振る舞いに映っていたらしい。つまりカインは、いつの間にか周囲からは『レノックスの婚約者』になっていたのだ。
「レノさん、果物なんていかがです?」
食材の買い出しをほとんど終えて帰ろうとした矢先、そんな女性の声にレノックスは振り向いた。果物屋を営んでいる、顔馴染みの若い女性だった。
「サリ。それじゃあ、何か買っていこうかな。カインは何か、食べたいものはないか?」
後ろのカインに声をかけると、サリは「カイン?」と不思議そうな声を上げた。
「……ああ! もしかして、私ははじめましてかな。私はサリ、果物屋をやってます。どうぞよろしく、カインさん」
「あ……、カインだ、よろしく……」
サリから差し出された手を、カインもそっと握り返す。サリの店は南に限らず、他の国から輸入してきた果物も取り扱っているため、彼女も普段から仕入れであちこち動き回っている。おかげで女性にしては体つきもがっしりとしているため、今のカインと手の大きさは大差なかった。女の自分とほとんど体格の変わらないカインに、サリも何か思うところはあったらしい。
「うちの果物はみんな甘くて美味しいよ。たくさん食べて、しっかりレノさんを支えられる相手になんないとね!」
「へ……?」
「へ? じゃないよ。婚約者なんだろ? 噂は聞いてるよ」
ほらほら、とサリはカインにカゴを持たせると、その中にポンポンといろいろな果物を放っていく。レノさんちだから安くしとくよ、と、そのまま大量の果物を持ち帰ることになってしまった。
食材の詰まった紙袋と、カゴに入ったたくさんの果物を抱えながら帰路に着く。小さな桃をカインが齧っていると、箒の後ろのレノックスが「カイン」と呼んできた。
「……サリは以前中央に住んでいたんだ。だから、いつもあんな感じでな。ちょっと強引なところもあって……その。……婚約者とかなんとか、噂のことは、気にするな」
「ぁ……、ん、うん……」
曖昧に頷いて、照れ隠しにまた桃を齧る。若い人たちから見れば、二人の様子はすっかり『婚約者』なのだ。それがカインには、こっそりと嬉しく思えた。
だが南の国の、特に老人たちの間では、まだ『男が外で働き、女が家を守る』というような古い価値観も根強い。どこぞの令嬢と駆け落ちしてきたのならもう他の女性が出る幕はないが、同じ男ならまだレノックスを婿にするチャンスはあるのでは。という理屈で、またレノックスの元へ婿養子の誘いを、なんなら線は細いが顔立ちのいいカインも婿に、と話する村の老人たちに、フィガロはいつもと変わらないゆったりした様子でさらりと言った。
「魔法使いは何にでも恋をしますよ。それに——魔法で女にもなれるので、カイン、家じゃたまに女になってるんじゃないかな?」
遠回しだがそれは、レノックスとカインがもう既に恋人関係であるというのを示唆する発言だった。
魔法使いは何にでも恋をするし、魔法で性別を変えられるのも事実だ。カインが家で女の姿に変わっているというのは、「かな?」という推測、つまり嘘。けれどレノックスと深い親交のあるフィガロが言うならそうなのだろうと、村人達はすっかり信じ込んでしまったのだった。
かつて魔法舎で受けていた依頼などのために南へやってきたカインと、実際に接したことのある村人たちも何人か居た。明るかったカインが心を壊してしまい、レノックスに連れられて南の国に療養をしに来た、という大まかな経緯も人伝で広まってゆき——いったい誰が書き始めたのか、ある日レノックスのもとに風の噂が届いた。カインと暮らし始めてから、一年半くらいが経とうとしていた。
「中央の国の方で、レノさんとカインさんをモデルにした小説が人気になっているそうですよ」
よく晴れた日、外に置いたテーブルで皆で昼食を取ろうと、ルチルとミチル、フィガロ、レノックス、そしてカインの五人で集まっていた時のことだ。パンにミルクバターを塗るミチルの隣で、ルチルがそんな話を切り出した。
「俺とカインが?」
「はい。元々、私たち賢者の魔法使いがモデルの作品は沢山出回ってるんです。中央なら、中央の魔法使い。西なら西の、南なら南の……といった感じで、それぞれの国の人達がそれぞれの国の魔法使いを中心にした物語を書いて、それが一旦中央の国に集まって本になって、たくさんの人に読まれるようになる、という形で。それで最近、特に人気なのがレノさんとカインさんなんですって」
「どうしてでしょう……? 確かにレノックスさんもカインさんもかっこいいですけど、いきなり人気になるのは不思議じゃないですか?」
「うーん……もしかしたら、流れなのかもね? 俺が思うに……」
大いなる厄災との戦いが終わった後、アーサーを喪ったという事実は中央の国民にも深い悲しみを与えていた。実際、戦いが終わった直後の頃には、アーサーが勇敢に戦って勝利する話、厄災との戦いが終わった後やそもそも存在しなかった場合でのアーサーの暮らしや王子としての戦い、など、アーサーが主役でかつ生き残る物語がたくさん作られたのだ。その中でカインはアーサーの騎士としてアーサーに付き従ったり、あるいは厄災戦でアーサーの代わりに死ぬ役回りになったり、言わば脇役としての扱いが多かった。カインは顔が広く人望も厚かったので、いつまでも彼を脇役に据え置いたり、ましてやアーサーの代わりに死なせるのを快く思わなかった人たちも居たのかもしれない。そうしてカインを主役の物語を書こうとすると、今カインと居を共にしているレノックスにも自然と焦点が当たり、結果的にレノックスとカインの二人が中心の話が増えたのではないか。——フィガロの推測はこうだった。
「俺とカインの話、か……。いったい、どういう話が書かれているんだ?」
「私もまだ読んでみていないので分からないんですが……今度、中央まで行っていくつか買ってこようかなって思ってるんです。私やミチルに、フィガロ先生のお話もあるらしいので」
「……よかったら、カインさんも一緒に行きませんか? 僕もお供しますから。久しぶりに、中央に帰ってみるのもいいんじゃないですか?」
ミチルの提案にカインはぇ、と小さく声を上げた。それからフィガロとレノックスの顔を交互に伺う。
「……お医者さんとしてはオッケー出すよ」
「それなら俺も一緒に行こう」
「ぃ……良いのか? じゃあ、行こうかな……」
決まりですね、とルチルが笑う。フィガロは診療所の診察予定が既に入っているので同行できないが、残りの四人で明日、さっそく中央へ出かけることとなった。
