ep.3

「結構遅くなってしまいましたね。皆さん、今日はゆっくり休んでください」
 賢者のその一言で、今日の任務に赴いた魔法使いたちは解散となった。とっぷりと日が落ちたこの時間、まだ少し動き足りない気がして、レノックスの足は自然と中庭の方へ向いていた。
 さて何の鍛錬をしようかと考えつつ中庭に着くと、噴水の縁に腰掛ける人影が見えた。夕食の時間も過ぎ、自室でくつろいでいる者がほとんどであろうこの時間に一人で中庭にいるとは一体誰なのだろうか。近づいていくと、尾のように伸ばした後ろ髪を纏める髪飾りが月明かりに微かに反射した。
「……カイン?」
「えっ? ……あ、レノ……!」
 こちらを振り向いたカインは、レノックスの姿を認めると何故か忙しなさそうに腕を振る。何かやましいことでもしていたのかと一瞬思ったが、カインのような者が中庭でそのようなことはしないだろう。隣いいかと言うと慌てっぷりは収まり、今度は落ち着きすぎているくらいに小さくこくんと頷いた。
「えっと……おかえり、レノ。任務だったんだよな? いつの間に帰ってきてたんだ?」
「いや、ついさっき帰ってきたばかりだ。動き足りなくて鍛錬をしようと思って来たら、おまえがいたものだから。カインはここで何をしていたんだ?」
「お、俺はその……えっと……か、考え……ごと? みたいな……」
「考えごと? ……何か悩みでもあるのか?」
 そういえば今日のカインは朝から様子が変だった。体調不良ではないと必死に訴えていたが、おかしな挙動の起因が悩みであるなら確かに体調不良ではない。
「その……朝、ファウストとフィガロに声掛けてくれたんだろ? あのあと、俺のところに二人が来てさ。それで話を聞いてもらって、お守りみたいなのももらったんだ。だから大丈夫」
「……そうか。ファウスト様達なら、きっとおまえの力になってくれただろうな」
「ああ。心配かけてごめんな、レノ」
 カインがいつものように笑顔を浮かべたのを見ると、それに反してなぜかレノックスの胸はちくちく痛んだ。朝一番に彼の不調に気づいたのは自分だ。けれど自分には話さなくて、その次に来たファウスト達には話せる悩みとは何なのだろう。ファウストとフィガロは信頼のおける人達だから、きっとカインの悩みにも良く応えてくれたのだと思う。それは良いことだが――自分はカインの悩みも聞いてやれないほどの男なのだろうか。
「……カイン。俺は何か……力不足だっただろうか。おまえが悩んでいることも分からなくて、すまない」
「へ!? あっ、れ、レノは悪くない! 俺の問題だから気にしないでくれ……!」
 そうとは言えど、彼の力になってやれなかった事実は揺らがない。自分もまだ未熟なのだ。返す言葉が上手く思い浮かばず、レノックスはつい黙り込んでしまう。カインがもし自分と同じ立場なら、きっと気の利いた言葉をすぐに返してやれるだろうに。
「……レノ」
 そんなレノックスを見てか、カインは控えめに名前を呼んでくる。
「ごめんな、俺の悩み、どうしてもレノには言えないんだ。だけど……ひとつ頼み事をしてもいいか? レノにしかできないんだ」
「……俺にできることなら、なんでも」
 カインは少し腰を浮かせて、レノックスと距離を縮めて座り直した。そのままレノックスの肩に頭を寄せ、腕を絡ませて抱きついてくる。
「……ちょっとだけでいいから……こうさせてくれないか……?」
 カインの甘えたような声色が、脳内で響く。ああ、と返事をしてレノックスの内心は、動じない見た目に反して大きく揺れていた。
 何か香水でもつけているのだろうか。カインからはいつもほのかに良い香りがして、ぴったり寄り添っていると余計にその匂いを強く感じる。香水の中には、癒しや安眠だったり、中には異性を誘惑する効果のあるものもあると聞いた。彼が知っているのかどうかは分からないが、カインがつけているのは、もしかするとそういった何かの効果があるのかもしれない。
 だから、甘く胸を締め付けられるようなこの感覚は、きっと香水の一効果に過ぎない。すぐ後ろでは絶えず噴水が流れているから当たる風は冷たいが、それでも体が火照ってくるのも、きっと同じだ。
 二人の間に、会話はなかった。聞こえるのは植木が風に揺らぐ音と、噴水の水が流れるせせらぎに似た音だけ。
「……なぁ、レノ」
 そんな長い沈黙を破ったのはカインだった。
「俺のマナエリアが川辺だって話、レノにはしたっけ」
「いや……俺はまだ聞いていないな」
「そっか。……俺の実家の裏にな、小川が流れてて。そこによく居たから、川のそばにいると落ち着くんだ。せせらぎの音が好きで……。水が流れる音がいいのかな。噴水の近くにいても、結構落ち着けるんだ」
「そうだったのか。……もしかして、時々ここに来るのか?」
「うん。落ち着きたいとか、考えごとがしたいようなときは、一人で。この時間ならあんまり人も来ないだろ。それで……考えてたんだ。いつもここで、俺と一緒に居てくれる人のこと……」
「……カイン、それは」
 顔を向けると、カインもこちらを向いていた。琥珀色のきれいな右目が、レノックスを映している。同じ色をした左目を奪ってしまったオーエンの気持ちも今なら理解できてしまいそうな程に、はっきりと澄んで、綺麗だった。
「考えてたんだ、れ――」
「ぶぇっっくしょん!! っだー、もう!」
 ガラスをハンマーで叩き割ったかのように、静かだった中庭にブラッドリーの声が響き渡った。まさにレノックスとカインの目前に、肩に雪を乗せたブラッドリーが姿を表す。
「おお、中庭に来れたのか。運がいいな……って、……あ?」
「ぁ……」
「……おかえり、ブラッドリー」
 レノックスのそれにも返事をせず、ブラッドリーは訝しげな顔をして二人を見た。どちらかと言うと、レノックスの腕に抱きついているカインの方を。
 この時間にこんな場所で二人きり。男同士の友愛として肩を組むようなそれではなく、控えめに腕に絡みつくその仕草。
「…………あー……。いや、…………その、……悪かったな」
「や、やめてくれ! あんたにそういう反応されるのが一番心に来る……!!」
 色々と合点のいったブラッドリーが気まずそうに目を逸らし、慌ててカインはレノックスの腕を離したのだった。


 前の賢者だったか今の賢者だったかは忘れてしまったが、とにかく賢者が以前、『穴があったら入りたい』なんて呟いていたことがあった。恥ずかしい時に使う慣用句らしいのだが、穴に入りたくなるなんて賢者様の世界は面白い言い回しをするんだな、と思ったものだ。
 今のカインにはその言い回しが誰よりも何よりも理解出来る。生憎入れる穴はないので、布団に包まるしかできないのだが。
 ブラッドリーが気を利かせて早々に中庭を後にしてくれたのはいいものの、そこからレノックスと何をすればいいのかも分からなくなってしまい、結局カインは逃げるように自室に戻ってしまった。――変なやつだと思われた。ブラッドリーにも、レノックスにも!
(今日だけで一体、何人にバレちまったんだろう……。レノにバレるのだって時間の問題だ……)
 あれはレノックスに少しくない好意を抱いているのだということを伝えたくてしたことだった。その好意をレノックスが受け入れてくれるのか、拒まれるのか、様子見をしてからこれからのことを考えたかったのだ。もし思いを伝えるならきちんと自分の言葉で伝えたいし、誰かに『カインってお前のこと好きなんだぜ』なんて伝えられるのは本意ではない。だからできるだけ他の人に知られるのは控えたいのだが、態度を隠すのが下手すぎてこの有様だ。
 ファウストがくれたネックレスの効果は一ヶ月ほど。その間にも任務はあるし、他の魔法使いたちもいる場所でレノックスと接する機会も当然あるだろう。これ以上他の魔法使いたちに気づかれないように、けれどレノックスには気づいてもらえるように――振る舞わなければならないなんて。
(難しすぎるだろ……!)
 ただでさえ包まっている布団をさらに抱え込み、きつく丸まる。こうして丸まってじっとしていたいような、かと思えば思い切り暴れてしまいたくなるような、色々な感情がごちゃ混ぜになって、こんなに悶々と悩むのは初めてだ。ぐるぐると混ざった感情の中でただひとつはっきりしているのは、やはり、レノックスが好きなのだという想い。ぎゅっと目を閉じて、暗闇の中に彼の姿を思い浮かべる。
 ――もし先程ブラッドリーの邪魔が入らずに、「レノックスのことを考えていた」と伝えられていたら、彼はどんな顔をしたのだろう。少し驚いたような顔をして、どうして、くらい聞いてくれただろうか。自分は色々な話をして――細かい脈絡を考えるのはさておき、それからレノックスに抱きしめられて、頬を撫でられて、顎を持ち上げられると唇を重ねて――。
「〜〜〜〜ッッ……!!」
 身体の奥からかっと全身が熱くなる感覚がして、カインは布団に包まったままごろごろとベッドの上を転がった。自分はなんて妄想をしているんだ!
「だめっ、だめ、だめだっ! 変なこと考えるなって、俺ッ……」
 途端に重力から解放されたかと思うと、すぐさまカインはフローリングの床に叩きつけられた。ベッドの幅を見誤って落ちてしまったのだ。鈍い痛みが半身に響く。なんだか情けなくて涙すら出てくる。なおも丸まったままカインが動けないでいると、控えめに部屋のドアを三回ノックする音がした。
「カイン? 大丈夫ですか、すごい音がしましたけど……」
 ドアの向こうからはくぐもった賢者の声がする。そうだった、カインの隣室は賢者だった。
「だっ……大丈夫だ賢者様、ちょ、ちょっと部屋で運動してたら、ぶつかっちまって……」
 そういうことにしておこう。騎士たるカインというものが、恋心ひとつでのたうち回って悶えているなんて知られたら、まさしく『穴があったら入りたい』というもの。入ったらもうしばらく出て来れなくなってしまいそうだ。
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