ep,1
リケやミチル達はもう既に眠りについているであろう、夜。魔法舎二階の階段近く、シャイロックのバーの明かりは今日も灯っている。
日々の任務や仕事に励む賢者の魔法使い達の憩いの場であるそこに、今日はカインとフィガロという、少し珍しい組み合わせの二人が来店していた。
「——でね。やっぱり幸せそうな夫婦って、見てる方も癒されるんだよねぇ。愛っていいなぁ、って感じがしてさ」
グラスを傾けながら、フィガロは以前南の国で顔見知りだったという夫婦の話を語っていた。結婚式が増える時期ということもあり、今日の話題も結婚だとか恋愛だとか、そういう浮いた話の方になったのだ。酒の力でフィガロの気も緩んでいるのか、他人の馴れ初めやかなり込み入った夫婦生活のことまでぺらぺらと喋っているのはいただけない気もする。苦笑いを浮かべつつ、カインは酔ったフィガロの話に相槌を打っていた。
「フィガロ、もう結構飲んでるんじゃないか?」
「そう? いつも通りだよ、ね? シャイロック」
「……そうですね」
シャイロックはいつも通りの妖艶な微笑みを浮かべながら、フィガロの目の前にもう一杯グラスを置く。タイミングが合えばフィガロとここで呑みあったこともあるが、それにしても今日は彼の酔いが早い気がする。もしかするとシャイロックは、フィガロに出しているものだけ少しアルコールを強めているのかもしれない。
「そういうカインはどうなんだい?」
「えっ?」
突然話題が自分に移り、カインは思わず抜けた返事をしてしまう。ふやけたような笑顔のまま、フィガロは続けた。
「恋とか愛とかだよ。まだ若いしモテるんだから、浮いた話のひとつやふたつあるでしょ?」
「あー……、そうだな。確かにモテるが……俺はまだ誰かと付き合ったりしたことはないし。フィガロが期待してるような話はできそうにないぜ」
そう返すとフィガロは「嘘だぁ」とけたけた笑う。息から強いアルコールの匂いがして、やはり今日の彼は随分酔っているようだ。
「……カイン。どうぞ」
そんなフィガロを横目に、シャイロックがそっとカインの前に細長いグラスを置いた。カクテルのようだ。
「お? なんだ、初めて見る酒かもな。サングリア……より赤いような……」
「今のカインにぴったりのお酒ですよ」
「俺に?」
フルーティーな香りがするので果実酒ではありそうだが、ベリーにしても濃く真っ赤な色の酒の底に、淡い緑色のシロップだろうか、が沈んでいる。グラスの縁にはミントの葉と小さな白い花の飾りが添えられていた。
「うまそうだが……なんで急にこの酒を出してくれたんだ? 当ててから飲みたいな」
「ふふ。ヒントもお出ししましょうか?」
「うーん……いや! 質問させてくれ。これはさっきまでのフィガロの話と関係あるか?」
「直接的な関係はありませんが、フィガロの期待には応えられると思いますよ」
「ふむ……じゃあ、俺の中の何かをイメージしたカクテルか?」
「そうとも言えますね」
「そうとも言える? なんか曖昧だな……。じゃあ何か、場所とか風景とか、思い出みたいなのがイメージか?」
「私の意図としては、違いますね。もしかしたら……フィガロならピンとくるかもしれません」
「フィガロなら?」
名前を呼ばれたので、隣で二人の会話を眺めていたフィガロも身を乗り出した。
「なになに、俺に用事? 構ってくれるならいいよ?」
「シャイロックが俺にくれたカクテルなんだが、何のイメージなんだろうって。ちょっとした推理ゲームさ」
「へぇ、どれどれ」
フィガロはカインの手元のカクテルを見て少し考え込む。そう長くないうちに、「ああ!」と声を上げて頷いた。
「なるほどなるほど。うんうん。確かに、今のカインにぴったりかも」
「え? そ、そんなにすぐ分かるのか? なんだろう……」
「ヒントは賢者の魔法使い! かなぁ。ね、シャイロック」
同意を求められたシャイロックは意味深に微笑むだけだ。意図せず直接的なヒントを貰ったカインは、カクテルを見つめてじっと悩む。
赤といえば自分も赤い髪だし、左目にはオーエンの紫に近い赤目がある。だがカクテルの色はどちらとも違う色合いだ。ということは、こういう燃えるような赤色の印象があって、それから緑色と、小さな白い花の印象もある魔法使い――。
「……レノックス?」
「おや。正解ですよ、カイン」
「ほら、やっぱり!」
フィガロがぱちぱちと隣で手を叩いてくれるが、カインはやはり首を傾げた。
「えっと……なんでレノックスなんだ? あっ、さっきまで結婚だとかなんだとか言ってたから、俺以外にモテる奴みたいな意味か?」
「そんな意味を込めるくらいなら、もっと別のものを出しますよ。もしや自覚がないのですか?」
「自覚? え? なんのことだ……?」
「ないの? やだなぁ、カインって意外と鈍感? こりゃ前途多難そうだ」
「え? え?」
シャイロックとフィガロの二人の間では何かの共通認識があるようだが、カインだけが置いてけぼりにされてしまっている。ぽかんとしているカインの前で、シャイロックも少しからかうように、笑って告げた。
「お好きなんでしょう? レノックスのことが。……ふふ」
毎朝目が覚めて、朝食を食べに向かう前に、行く場所がある。魔法舎の裏に広がる小さな森の方。いくらか進むと切り株のある開けた場所に着いて、そこにいつも小さな羊たちがたくさんいるのだ。
「——おはよう、レノ!」
そう声をかけると、切り株を取り囲むように集まっていた羊たちの不自然な間が動いて、足音が聞こえる。掲げた手に手が触れ合う感触がすると、目の前にぱっとレノックスの姿が現れた。
「おはよう、カイン」
ゆるく笑んだレノックスの瞳を見つめ返して、どうしようもなく、嬉しくなる。レノックスはいつも、カインに声をかけられて手を触れ合わせて、目線が合ってから挨拶をしてくれる。眼鏡のレンズの向こうの真っ赤に燃えるような赤色の瞳に、差し込むようなわずかな緑色が入っているのは、このくらい近づかないと分からない。まるで自分だけが知っている秘密のようで、毎朝それを見つめるたびに、胸がくすぐったくなる。今日も一番にレノックスに会えた。それだけで、朝からカインの気分は快晴のように澄み渡るような思いがするのだ。
「羊たちはまだ草食べさせるのか?」
「いいや、今朝の分はもう平気そうだ。一緒に魔法舎まで戻ろうか」
レノックスがそう言うので、並んで魔法舎まで歩く。今日は早かったな、とか、任務はあるのか、とか、話しながら歩いていると、それなりに距離もあるはずの魔法舎までの道のりも短く感じる。
レノックスは毎朝羊たちのために日の出前には起きて森の方に行くので、それをカインが迎えに行くように森へ行き、一緒に戻って朝の鍛錬をする、というのがいつもの流れだ。取り決めた訳では無いのだが、魔法舎の中でお互い身体を鍛えるのが好きなもの同士と気づいてからは一緒に鍛錬をするようになったし、自然と生活リズムも合わせるようになった。
魔法舎のメンバーは皆大切な人たちだし、レノックスとて例外ではない。けれど必ず朝一番に出会う相手となれば、その大切に想う気持ちにも変化が起こるものだ。厄災の傷の影響で、朝目が覚めると世界から誰の姿も見えなくなってしまうカインにとって、レノックスは一番最初にカインの世界に現れる人、ということにもなる。だからどちらかが任務で魔法舎を離れ、朝一番に出会う人が違う人になる日は、なんだか少し変な気分になるのだ。
この時間になると中庭にシノが来るので、この後はシノも交えて鍛錬をするのが習慣なのだが、今朝は任務で不在のようだった。中庭にも少し伸びた芝生があるため、羊たちはそこに放牧をしながら、二人で筋トレや手合わせをする。動くと当然汗もかくので、初めに着ていた上着類は脱いでしまうことが多い。
鍛錬終わり。レノックスが上着を脱いで薄いタンクトップ一枚になると、よく鍛え上げられてがっしりとした身体があらわになる。普段取り立てて意識しているわけでもないそれを見て――カインはつい、目を逸らしてしまった。昨晩シャイロック達に言われた言葉が脳裏に蘇る。
『お好きなんでしょう? レノックスのことが』
きっと酒に酔って妙な記憶違いをしてしまったのだと言い聞かせていたが、一度はっきり思い出してしまうと、もう言い訳も効いてこない。
シャイロックはバーの店主として、フィガロは医者として、はっきりと言葉に表せない心情や病状を正確に汲み取るのを仕事にしてきた。そんな彼らに指摘されたのなら、たとえ自覚がなくともきっとそうなのだろう。――自分は、レノックスに恋をしているのだと。
「今日もよく動いたな。少し休んでから食堂に……。……カイン?」
「んへっ!?」
「大丈夫か、ぼうっとして」
「あ……、あ、わ、悪い! なんでもないさ!」
慌ててそう手を振るが、レノックスはその赤い瞳でじっとカインを見つめたままだ。視線を合わせると妙に気恥ずかしくなって、目を逸らせばレノックスの男らしい身体つきが目に入る。かといって明後日の方を向いても、それはそれで不審だ。そんなわけでカインの視線は、どこを見ればいいのかさ迷い続けてしまう。
「……なぜそんなに目が泳いでいるんだ?」
「あ、えっ、えと、そのっ……」
カインの視線が迷えば迷うほど、レノックスは距離を縮めてカインの顔を覗き込む。もうレノックスと見つめ合うしかなくなってしまい、顔がどんどん熱くなっていくのが分かる。頬に手が添えられると、思わず肩が跳ねてしまった。
「体調が悪くなってしまったなら、フィガロ先生のところに……。って、まだ寝ているか」
「ぁ、べ、別に体調は平気なんだ……! だけど、そのっ……へっ、平気だから! あ、朝飯食いに行こうぜ! なっ!?」
「……そうか? お前がそう言うなら、構わないが……。何か悪いところがあるなら、すぐに言ってくれ」
手が離れ、カインが言うならと荷物をまとめ始めたレノックスを見て、カインはようやくほっと息をつけた。運動終わりのそれではない胸の高鳴りは、まだ落ち着いてくれないが。
(……言われたことを意識しすぎだ、俺! 今までだって普通に接してたじゃないか。レノのことは好きだが、変な意味での好きじゃないだろ……!)
突然言われたものだから、まだ気が落ち着けていないだけなのだ。だから、違う。自分も脱いだ衣服をまとめて支度をしながら、こっそり彼の方を盗み見てしまうのも。その体つきや些細な仕草のひとつまで、かっこいい、と思ってしまうのも。全部、全部、ぜんぶ、違う!
(恋なんかじゃ、ないからな……!)
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