【web再録】Tuning.

 男女交際における一般的な進展ペースとは、一体どの程度のものであるのか。そんな問いには意味がない。それ以前からの関係性や互いの年齢、価値観、あるいは文化によっても多種多様だろう。様々な地域から年齢の異なる学生たちが集い、ともに机を並べるこの死武専において、そんなことは今更考えるまでもなく皆身に染みているはずだ。
 けれど、それでも。誰しも未知の領域に触れる時、普通と比べて自分がどうであるのか、間違っているのかいないのか、確かめてしまいたくなる時がある。経験が浅く思春期真っ盛りの、十代そこそこの学生ともあればなおさらだ。
 ソウル=イーター=エヴァンスとマカ=アルバーン。二人の若き少年少女にとってはそれが今であった、ということなのだろう。

「ちょっと、出鼻挫かないでよ。わ、私だっていろいろ、ちゃんと考えてきたんだから」
 表情から動きから、ぎこちなくも決意を秘めた様子のマカが口を開く。
「ならまずその考えとやらを言ってみろってんだよ」
 冷や汗をにじませ頬を引きつらせつつも、勢いにのまれまいとソウルはそれに対峙する。

 『交際』がスタートしてわずか四日目であるこの日。職人・魔武器のパートナー関係がスタートして三年目というこの年に、幾分平和的かつ小規模なズレによって、二人は物理的に膠着状態を迎えていた。

*
  *   *

 ことの起こりは四日前。マカの下駄箱に入っていた一通の手紙こそが今回のすべての元凶だ。少なくとも、ソウルはそう思っている。
 かねてより、先輩後輩問わずして女子を中心にパートナー申し込みが盛んに舞い込んできていたソウルとは異なり、本年度に入ってからマカのもとへもその類の手紙が届くようになっていた。そのほとんどが新入生で、性別は半々。気持ち女子の方が多いような気がする、とはキムの言だ。とにかく、以前はソウルにばかり注目が集まることに思うところのありそうだったマカも、はじめのうちはふわふわ浮かれた様子で呼び出しに応じていたものである。
 しかし回を重ねるにつれ、マカの対応からは次第に熱が引いていった。それもそのはず、ラストデスサイズのパートナーという肩書に加え、現死神様であるデス・ザ・キッドや武神を公言して憚らないブラック☆スターとチームを組んで戦ってきたという実績・手腕に惹かれ、「自分も同じように強い武器にしてもらおう」というタイプの生徒が少なからずいたためである。
 数々の修羅場を相棒のソウルや仲間たちと潜り抜けてここまで来たマカにとっては、強さの本質はそこにはなく、それは彼女自身の持ち味に対しても同じことが言える。悪気のない思い違いもあると分かったうえで、時に毅然と、時にやさしく、後進たちの熱のこもった誘いを断る日々が続いた。彼らにマカの思いが伝わったかどうかは定かではなかったが、それでも通常授業は始まり、課題も課されていく。断られた彼らも各々パートナーを見つけて落ち着いてきたようで、半年が経つ頃には時折一通だけが入っている程度まで波が引いていった。
 そんな時分の話であったから、マカも周囲も「久々にきたなあ」と思うくらいで、特別気に留めることもなかった。気負うことなく呼び出しに応じて、流れるようにお断りをして、またいつもと同じ明日が来るだろう。きっと誰もがそう思っていた。先に帰っていてと言われたソウルも例に漏れず、そんな風に考えていた。
 ――興奮と緊張によって頬を紅潮させたマカ本人の口から「告白だった」という言葉を聞かされるまでは。
「つ、付き合ってほしいって。一週間のお試しでもいいから、って……」
 帰宅するなり様子のおかしいマカに何事かを問うべきか。就寝間際の頃合いまで様子を見る構えだったソウルに対し、この日ばかりはマカが口を開く方が早かった。夕食を終え、普段の平日ならば宿題やら予習やら、明日の課外授業の準備やらでさっさと部屋に引っ込んでしまうことも少なくないあのマカが、リビングでくつろぐソウルへおずおずと近づいた。素知らぬ顔で、内心ついに来たかと息をついたソウルを前に、「相談があるんだけど」と切り出したのがこれである。
 どう思う? などと、相談と呼ぶにはあまりに曖昧な問いをぶつけられたソウルは、胡乱な瞳で詳細を問い返す羽目になった。
 マカの話によると、呼び出し人は例のごとく面識のない相手だったのだが、一年生ではなかったらしい。今やマカを慕う後輩の筆頭であるつぐみと同期かつNOTクラス所属の上、魔武器ではなく職人の男子。想定をことごとく裏切る自己紹介から始まったことで意表を突かれたマカに、ダメ押しのように言い放たれたのが先程の台詞、ということだった。
 と、経緯や状況に関する情報を追加したところで言葉を区切ったマカへ、ソウルは再度言葉を促した。今こうして帰ってきているのだから、何らかの返答はしたんだろう、と。マカは言葉に詰まっていたが、そらした視線が全てを物語っていたのは言うまでもない。そう、『保留』である。
 窺うような間、言葉を探しているような間。……ひょっとすると、内心で頭を抱えているかのような間でもあったのかもしれない。ようやく口を開いたソウルが放った言葉はマカからの問いに対する答えではなく、新たな質問であった。
 付き合うとはどういうことなのかを具体的に理解しているのか。マカの認識以上のことを相手が求めているとは考えられないか。それらを踏まえて、期間限定のお試しとはいえ、友達よりも一足飛びに踏み込んだ間柄である『交際』をあえて持ち掛けてくる魂胆について、考えられるひとつの可能性の話であるとか。
 マカについて、いつか「ほとんど男子」と言い表した者がいたという。そう評される程度にはそういう意味の男っ気はなく、父親の影響で異性関係には妙に潔癖な節があり、かと思えば恋愛に対する興味がゼロというわけでもない。むしろどことなく羨んでいる素振りを見せる時もある。そんなまだまだ思春期一年生の彼女だから、一つ目の問いかけの段階では意図をつかめていないようであったが、続いた問いにはさすがにぴんと来るものがあったらしい。ソウルの言葉に直接的な表現こそなかったものの、さすがに言わんとしていること、その方向性は察したのだろう。はじめこそ「何考えてんのよ!」と反射的に顔を赤くして憤慨していたが、いざそれが自分事であるのだと指摘されれば徐々にその勢いはしぼんでいき、百面相の行き着く先は何とも言えない渋い顔だった。
 男女の差はあるとはいえ、マカはEATクラスの二つ星職人だ。よからぬことを強行しようとしたところで、NOTクラスの一つ星職人程度であれば滅多なことにはならないだろうことは想像に難くない。しかし恋に恋する段階の乙女にとって、問題なのはそこではないのだ。
 ソウルの挙げた「もしも」を否定する材料も、その不安要素をおしてまで恋人を作りたい願望も、そのどちらもマカの中にはなかった。少なからず落胆はあるものの、断るのが無難だろうという方向に傾いていたマカの天秤であったが、「冷静に考えればわかる」という旨の発言がソウルの口からため息混じりに吐き出されたことによって、何かが切れてしまったらしい。
「……どうせ、」
 マカの握りこぶしが震えているのに、もう少し気づくのが早かったのなら。
「どうせソウルと違って告白され慣れてなんかいないわよ! あんたいつも適当にごまかしてるけど、ただのパートナー申し込みなんかじゃないことくらい、私にだってわかるんだから!」
 つい軽口を叩いてしまう癖をもっと早くに改めていたのなら。
「いいわよ、むしろ『お試し』乗ってやろうじゃない! そういう可能性があると思えばちゃんと警戒もできるわけだし?」
「いや……何言ってんだよお前、無茶苦茶だぞ」
「うるさいな、ソウルには関係ないじゃん」
 もう寝るから。そう言ってリビングから出ていこうとするマカを追いかけて手をとった。それはいい。そこまではいい。
「そいつでいいなら俺でもいいだろ」
 マカに届いた一通の手紙。それが原因だというのは真っ赤な嘘だった。咄嗟とはいえ、そんなとんでもないことを口走ったソウルが――『俺』こそが、一番の下手人だったのだ。

*
  *   *

「私、ずっと考えてた」
 自らが招いた失態、その瞬間へと飛んでいた意識がじわじわ現実へと戻ってくる。今目の前にいるマカは、あの晩までのような単なるパートナーでも同居人でもない。一週間きりの恋人、というやつである。
「告白を断った日の放課後も」
 三日前。例のトンデモ発言をかましてしまった翌朝、「今日断ってくるから帰りは待っててよね」などとほんのり頬を染めながら言われ、正直心臓が止まりかけた。どういう意味かと問い返すのもブレアの手前憚られたが、言われた通りに話をつけるのを待って、二人で帰路につく途中でそっと右手をとってみれば、無言ながらもあっさり握り返された。
 戦いの最中でもなければ、治安の悪い地域というわけでもない。人通りが少なかったとはいえまだ明るい、何の変哲もないデス・シティーの帰り道。それでも今一つ信じられずに横目でそちらを盗み見れば、妙にしおらしく俯くマカがいて。このことは秘密だからと小声でつぶやかれてしまえば、この異常事態を現実だと認めるほかなかった。
「次の日の映画デートも」
 二日前。互いに特に予定の入っていない土曜日だったが、前日の出来事を思えばじっとしているわけにもいかなかった。たまたまブレアが早い時間から出かけてしまったために、家に二人だけでいるのが妙に気まずかったというのもある。たまにはどうだと色気もへったくれもない誘い方をしたものの、マカはやはりあっさりとそれを承諾した。
 秘密にしたいというマカの意向も踏まえ、服装も距離感も見る作品も、基本的には普段と変わらないものをと意識したが、それでも一応はデートのつもりの外出だ。人前でべたべたするのは趣味じゃないからそれはいいが、とはいえあまりにいつも通りでは意味がない。売店で買ったポップコーンやジュースをすかさず持ってやったり、反対隣りが空席になるような位置取りにしたりと、ささやかにそれらしい振る舞いをしてみたところ、珍しくこちらの意図に気づいたらしい。気を紛らわすためだろうか、妙な雑談を振ってきたり飲食のペースが速くなったりと、様子がおかしくなるマカを見るのは正直少し愉快だった。
「その次……は、特に何もなかったけど」
 一日前。この日も特に予定のない日曜日だったが、前日と違ってマカを何かに誘うことはせず、俺は適当な口実をつけて半日程家を空けていた。
ここまで順調な滑り出しに見せかけてはいたが、こちらだって別に余裕があるわけじゃない。マカはいかにも俺が慣れているかのような言い方をすることも多いが、実際はただの一度も女子と付き合ったことはないのだ。そもそも浮気をするなと常からさんざん言っておいて、そんな邪推をしてくるのがおかしな話だと声を大にして言いたい。
 ただ、この日何も行動を起こさなかった理由はそれだけじゃない。例え俺がそういった分野に慣れていたにしても、毎日新しいことをするのは現実的とも思えないし、なまじ付き合いが長いせいで、いざ分かりやすい恋人らしさにシフトしようとすれば、あっという間に本格的な方向性に走らざるを得なくなってしまう。一方でこの状況はあくまでお試し、マカの知的好奇心や憧れを満たしながら場慣れさせるためのもので、俺はいわば比較的安全な練習台。ぬるすぎず、やりすぎず。その微妙なラインを残り半分の期間中保たなくてはいけないのだ。
 こんな役回りを進んで買ってでるなんて、我ながら間抜けだと思うが仕方ない。何せあの言葉が口をついて出るまで、マカの隣を譲る気がなかった自分に気づいていなかったのだから。
 結局街をぶらぶらしている間もそんなことばかりが頭をめぐり、加えて道行くカップルの振る舞いが妙に目について。何の気晴らしにもならないまま帰宅することになったはずだ。
「でも」
 そして今日。目の前のマカは伏せていた目をゆっくりと開いた。
「この三日間ずっとソウルの方からあれこれ考えて動いてくれてて、私からは何もしてなかったし」
 気まずいのか気恥ずかしいのか、言葉はしりすぼみになっていく。
 もちろん俺だってマカの気持ちが理解できないわけじゃない。戦闘中こそ最終的な意思決定や即時判断の大部分が職人であるマカに委ねられるとはいえ、基本的に俺たちは対等な関係だ。家事だって当番制だし、マカが俺を引き上げてくれる分、俺はマカを支えてここまでやってきた。だけど今の関係はそうじゃない。その居心地の悪さがこの状況を生んでいるのだろう。マカが夕食の支度を済ませるのを待ちながらリビングのソファで微睡んでいた俺に、まさかキスを仕掛けようとしてくるなんて、そうでなければどう説明がつくというのか。
 ただし、理解できるのと承諾できるのとではまた別の話でもある。
 前門のマカ、後門のソファという状況で、肩を押さえつけられた俺に逃げ場はない。説明をしろと抗議を受けたからとはいえ、ほとんど抵抗も逃げようともしていない俺に無理やりにでも迫らないあたり、そこまでヤケにはなっていないのだろう。そこに少し安心する。
「別に何かしてほしくてやったことじゃねェから」
「だったら」
 食い気味に飛び込んできたマカの声と、わずかに揺れる真剣な瞳に思わず言葉を呑み込んだ。
「なんであんなこと言ったのよ」
「それは――」
 『あんなこと』が何を指しているのかなんて明白だ。だったら、これはきちんと答えなければいけない問いだろう。あの時は自分でも焦燥の原因がわからないままに反射的に口をついて出たが、今はその理由もはっきりしている。この選択でまた俺たちの何かが変わってしまう可能性は十分にあったが、そんなのはもう今更だ。
 逃げるつもりはないという意思表示にマカの瞳を見つめ返せば、それは正しく伝わったらしい。マカの背筋がぴんと伸びて、ゆっくりと、そして静かに深呼吸をするのを待つ。
 そんなタイミングで、ジリリリリ、と沈黙を破る不届き者が突如としてこの部屋で声を上げた。声といっても人じゃない。無機質な固定電話のコール音に、俺の視線もマカの視線も一点に注がれた。
 一コール、二コール。
 同じタイミングで俺たちの視線が再び交わる。
「……なァ、」
「…………わかってる」
 けど、とぽつりと付け加えられた言葉を、俺は強く否定はできなかった。
 三コール、四コール。
 ためらうような微妙な間の後、ようやく肩の上から重みが消える。立っているマカがそのまま電話に出るかと思われたが、マカが手に取ったのは受話器ではなく俺の右腕だった。俺はそのままソファから立ち上がらされ、いまだ呼び出し音を鳴らし続ける電話の目の前へと連れられる。……出ろ、ということらしい。
 その心境は定かではないが、特に不都合があるわけでもない。電話の主に対して出鼻をくじかれたことへの不満は多少あるが、それはあくまでこちらの都合でしかない。気持ちを切り替えて受話器を手に取った。
「はい、イーター・アルバーン……」
『てめえ! ソウル=イーター‼』
 スピーカーでも取り付けたんだったかと勘違いしそうになる声量が受話器から飛び出して、咄嗟に腕を伸ばして耳から遠ざけた。当然隣で待機していたマカにもばっちり聞こえているため、「パパ……」と心底呆れた声を漏らしていた。
 娘の溺愛ぶりと女癖の悪さが目立つ一方、その実力は折り紙付き。そんな先代死神様のデスサイズことスピリット=アルバーンこそが電話口の声の主だ。以前に比べれば幾分か話ができるようになっていたはずだが、今日は虫の居所でも悪いのだろうか。先程までの自分たちの状況が状況だっただけに、第六感でも働いたのかと勘ぐってしまいたくなる。
「あ~、ハイハイ。目当てはマカだな? ンなことでいちいち喚くなよ……」
 そそくさと話者交代しようとしたところ、返ってきたのは思わぬ言葉だった。
『いーや、用があるのはお前だ。ソウル』
「……は?」
『いや、待てよ。マカもそこにいるんだな? 鏡からかけなおすから、マカと一緒に少し待て』
 逃げるんじゃねえぞ、と言い残して、一方的に通話が切断されてしまった。いつまでもこうしているわけにもいかないので受話器を置くと、様子を訝しんでいるらしいマカが半歩こちらに近づいた。
「何? 気味が悪いくらい早かったけど」
「鏡からかけなおすってよ。俺とお前二人に用がある、とか言ってたけど」
「えー……」
 なんだろ、と言いながら鏡を取りに自室に向かうマカの背を見送ってから、リビングに一人取り残された俺は、うげ、と舌を出した。先程の通話の第一声と、おかしな方向に転がりつつある俺とマカの関係性。その二つを思い浮かべながら、手を出すだ出さないだーという問答が『あらぬ嫌疑』ではなくなってしまっている現実へと思いを馳せる。
 まさか、という思いとあるいは、という思い。いくらもしないうちに戻ってきたマカがテーブルの上で準備している様子を視界に入れながら、懸念について説明すべきかどうか思案している間に、テーブルの上に用意された鏡が反応を示した。わずかばかりのタイムラグを経て浮かび上がった光景に、俺は思わずマカの顔色を窺ってしまう。
 薄暗い照明、ムードのあるBGM。ソファの中央にどっかり腰掛けるデスサイズの前にはロックグラスとつまみの皿がいくつか。そしてその両脇には、見切れてはいるものの胸元や足周りを露出した衣服を身に着けた妙齢の女性たちがチラチラと映っている。未成年である俺やマカにとっては馴染みのない、けれどある程度予想のつく場所に、一児の父親たるその男はどっかり座していた。
 冷やかな怒りによってわなわなと肩を震わせるマカに気づいているのかいないのか、デスサイズのたれ目がちな瞳がくわっと大きく見開かれた。
「オイ! 近いぞソウル、マカから離れろ!」
「でけえ鏡がねえんだから仕方ねェだろ……何カリカリしてんだよこのくらいで」
 鏡から飛び出してきそうな勢いで前のめりになり、こちらへと人差し指を突き付けてくるデスサイズは、相変わらず娘がかかわるとポンコツであるようだ。テーブルの上にのせるサイズの鏡なんて一人用と相場が決まっているのだから、画角に収まるためには肩が触れる近さになるのは仕方ないものと少し考えればわかるだろうに、それすら判断がつかないようである。試しにと上体のみをマカから遠ざけるように傾いでみれば、「逃げる気か」だのと息をまかれる始末。加えて「やだーかわいー」「この子が娘さんのパートナー?」などと鼻の詰まったような呑気な声がその後ろから飛んでくるものだから、妙に勢いがそがれてしまう。
 本当に何なんだこの状況は、と頭を抱えていると、ぎしりとすぐ近くでソファの軋む音が耳へと届いた。当然マカによるものである。先程まですっと伸びていた背中を背もたれに預けて、見下ろすような視線を鏡に向けている。さしものデスサイズも気づいたようで、がちんと音がしそうなほど顔が固まった。
「ま、マカちゃ~ん……」
「わざわざソウルまで呼びつけて、『そんな場所』から何を話そうって?」
 マカの地を這うような言葉のひとつひとつにトゲが滲んでいる。だらだらと脂汗を流すデスサイズはまあまあ自業自得ではあるのだが、このまま本題に進んでしまって良いものかという懸念は未だ俺の中でぐるぐると渦を巻く。とはいえこの状態のマカを止めるのもそれはそれで面倒になるのは目に見えているので、こういう時は黙るに限る。
「これには深ぁ~い事情が……、」
「ごめんねぇ~、デスサイズ様ってば、すぐにでもマカに電話するんだ~って聞かなくて~」
「聞いてるの、パ パ ?」
 店の女性の助け舟は予想通りの逆効果で、マカの先程とは打って変わった猫撫で声と貼り付けたような笑顔が炸裂する。新しいドリンク作ってくるわね、と女性がそそくさと逃げていくのを逆サイドの女性が朗らかに見送って、その場に気まずい沈黙が流れた。
 それを打ち破ったのはデスサイズの咳払いだった。
「そうだな、パパが悪かった! でもどうか聞いてほしい」
「いいからさっさとしてよ。私たちだって暇じゃないんだし」
「私『たち』ィ……?」
 デスサイズの鋭いまなざしが再び俺へと突き刺さる。お前まさか俺のマカに何かしてんじゃねえだろうな、とでも言いたげな、わかりやすい視線がいろいろな意味で痛い。適当な誤魔化しのつもりでメシだよメシ、と言ったのだが、すぐ隣から小さく「あっ」と素の声が聞こえてきたことで思い出した。思わず横目で見てみると、しまった、とでも言いたげな表情を浮かべたあと、すぐにマカの視線が明後日の方向へ向いてしまった。そう、マカの奇襲にいっぱいいっぱいで忘れていたが、本当に夕食がそっちのけになっていたのである。
 不思議なことに、一度気づくと妙に空腹が気にかかってくるもので、続く言葉が予想に反してくだらないものだったら、いつも以上に話が頭に入ってこないだろうなあなどと思考が油断に傾いたその時だった。
「マカ。ソウル。……お前たち二人が……つ、つつつ、付き合ってるというのは……まさか本当だったりしないだろうな?」
 しん、と場が一瞬静まり返った。顔の下半分を覆い隠したデスサイズのこの世の終わりを宣告するかのような瞳と、不意を突かれてぽかんと口を開けるマカ。ついぐっと表情筋が強張る俺。そこに、きゃー、いやーん、と盛り上がる店の女性たちが加わって、まさにカオスの状況になった。
 今とるべき対応は二つに一つ。肯定か、否定か。俺は静かに息を吸い込んで、それを一気に吐き出すように口を大きく開いた。
「……はァ~~~~~あ⁉ いきなり何言ってんだこのエロ親父! 酔いが回ってんじゃねェの⁉」
 いつかの俺に戻ったかのように、心底の「何言ってんだコイツ」感を演出する。ついさっきのデスサイズもかくやという勢いで前のめりになり、大げさな否定のポーズをとってやると、マカが「はぁ⁉」と声を裏返らせながらすぐさま立ち上がった。
「あんたよくもそん――……」
 非難めいた視線がこちらに突き刺さる。マカが怒るのは当然だ。だがここで話をややこしくさせるわけにもいかない。鏡を占領してマカの顔、声をなるべく届かせないようできる最大限の障害になった状態で、後ろ手にマカへと静止の動作をとってやると、マカは続けたかったであろう言葉をむぐむぐとこらえてくれたようだ。
 すいっと俺が鏡の前からよけると、そこに食い込むように今度はマカがデスサイズに追撃をする。
「――じゃなくて、パパ! 何を根拠にそんなでたらめ言うわけ⁉」
 ありえないから! と吐き捨てるように付け加えたのは、間違いなく俺に対する当てつけだろう。俺はそこまで言ってねえだろとは思ったが、ここは甘んじて受け入れることにする。
 しかし、だ。マカのぶつけた文句を聞いて少し冷静さが戻ってきた俺は、ふと疑問が浮かぶ。デスサイズがマカのことで男(主に俺だが)に何かしらケチをつけてくるとき、それは大抵目の前で一緒にいる時であるはずだ。そうでないのにわざわざ電話で確認をとってくるということは、何らかのトリガーがあるのではないか。
 マカによる追撃は、明らかに相手の発言に対し言い返せる前提のそれだ。けれどもし、デスサイズにカウンターの準備があったならどうなる?
 この数日間の自分たちの行動、周囲の反応を記憶を頼りにさかのぼりながら逃げ道を準備する俺を待たずして、デスサイズが高らかに反撃の狼煙を上げた。
「それはもちろん……証人がいるからだァ!」
 やん、と困ったような甘えたような猫撫で声、というか『猫』の声。ぐいっと両肩を掴まれその場に引きずり出された気まぐれ猫魔女は、いたずらがバレたかのような表情を浮かべている。それを前にしてマカの虚勢はあっさりとはがされてしまった。
「ぶ、ブレア~……」
 俺たちの借りているアパートにひょんなことから住み着いた色猫のブレア。わざわざ今の状況について話すことはもちろんしていなかったし、露骨な行動は避けるようにしていたとはいえ、気が抜けやすい自宅という環境で一番俺たちを見ているのは他でもないブレアである。察していたと言われても不思議じゃない。そして、一番バレたらまずい相手がよく通う店に勤めているのも知っていたのだから、もっと注意を払うべきだったのだ。いっそ先にバラして口止めをしておくべきだったか、と悔やむも後の祭りである。
 鏡の向こうで変身を解いて猫の姿に戻ったブレアは、ぽふりと両の前足を胸の前で合わせた。
「ごめぇんマカ、ソウル君~。二人に内緒でパパさんにバラすつもりはにゃかったの! ただ……」
 いつもは飄々とした猫ではあるが、さすがにばつの悪さがあるらしい。ぐいっと帽子を目深にかぶって目元を隠すようなしぐさをとった。
「ただ、ちょ~っと二人に気を使って、お仕事多めに入れよっかにゃ~ってお話をね? してたらたまたまパパさんが来てたみたいで…………エヘ♡」
 うそぉ、と頭を抱えてへたり込むマカからは白旗の空気が前面に出てしまっている。今から何をどう言い訳しても、デスサイズからしたらこの時点でブレアの言葉が事実であると確定してしまっているだろう。……最も、好き同士の本物の交際でないからといって、デスサイズがあっさり話を終わらせてくれるとも思わないが。
 一気に優勢になったデスサイズは、テーブルの上のブレアをひょいと脇によけてもう一度どアップになった。
「とにかく! マカ……今ならまだ間に合う、考え直せ! 男なんてのはな、みぃ~んな、オオカミなんだぞ!」
 両手をわきわきさせて迫真の表情を作るデスサイズは、父娘の間柄でなければ少しまずい図だったことだろう。人がどんだけ気を使ってるかも知らずに好き勝手言いやがって、と口をはさみたい気持ちもあったが、似たような言い分でマカを黙らせたことがある手前、強く反撃できないのも事実だった。
 さあ、どうこの事態を納めたものか。自分がどうにかするしかないかと考えていたのだが、思っていたよりもマカの復活は早かった。テーブルに手をかけ、座り込んだ状態から膝立ちに切り替えたマカの目は、劣勢に怯む者のそれじゃない。俺は浮かしかけた腰をソファにおろした。
「……パパがいうと説得力ありすぎて笑えないんだけど」
 はうッ、とデスサイズに一ヒット。確かに、と店の女性たちのひそひそ声が混じるのがさらに何とも言えない空気を醸し出す。
「ま、まあ、パパのことはさておき……今はソウルの話をだな~」
「お生憎様! ソウルのことならパパより私の方がずっとよく知ってるもん。ソウルは……、」
 きっと、今のマカにはデスサイズしか見えていないのだろう。俺がすぐ後ろで聞いていることなんてすっかり忘れてしまっているに違いない。
「ソウルはそんな手が早くないし、ヘンなことなんて全っ然してこないんだから!」
 ガン、と衝撃に開いた口がふさがらないデスサイズと、画面外からちらほらと集まってくる野次馬たち。特に野次馬たちの視線は俺に遠慮容赦なく注がれて……非常にいたたまれない。
「ソウル……お前……」
「なんとなく言いてェことはわかったわ、喋んなマジで」
 同情しているようにも引いているようにも見えるデスサイズのまなざしも、おそらくこの場にふんわり漂う空気に一切気づいていないであろうマカの様子も、すべてがある種の地獄である。早く言い合いに戻ってほしい、俺のそんな内心の懇願に気づいているのかいないのか、デスサイズは「いや、」と話者をマカへと切り替えた。
「こういうスカしたヤツほど腹ん中じゃ何考えてるか」
「ふ~ん、パパ、私の見る目も信じてくれないんだ」
「ちが……ちがうんだよォ~……」
「ソウルと私のこと認めたってなんか前言ってなかったっけ」
「それは魔武器と職人としての話で……!」
 そこ信じてくれてるのに何をまだ疑うことがあるの? と詰めるマカに、とうとうデスサイズの涙腺が決壊した。マカちゃんのことがただ心配なんだよォ~、と滂沱の涙と鼻水を垂れ流すデスサイズ。セコンドよろしくブレアがティッシュを箱ごと差し入れる様子が画面の端に見えた。
「大体、ソウルと組むって決めた時も今も、どうしてマカはパパになんの相談もしてくれないんだ……」
「相談したら絶対反対するし、邪魔するくせに。そういうのが嫌なの!」
 これまでずっと膝立ちで鏡に向きあっていたマカが立ち上がる。鏡の正面に座れるように俺が端へ避けると、そこにぽすりとおさまった。しかし、それだけじゃなかった。適当に投げ出していた俺の右手にマカの左手が重なって、俺の注意は鏡ではなくマカへと向けられる。
「私が自分で話して触れて、それでソウルが良いって思ったの。迷うことなんてなかったんだから、相談なんて最初から必要ないの」
 毅然とした態度で、はっきりとマカは口にした。マカの言葉とマカの横顔、この瞬間だけはそれしか俺には届いていなかったから、デスサイズやブレア、店内の人々がどんな反応をしていたかなんて一切わからなかったが、そのままマカが鏡面をばたりと机に伏せてしまったから、結局最後までそれを確認することはかなわなかった。
 いいや、そんな確認なんて必要はなかったのかもしれない。ふう、と息をついてこちらに振り向くマカの表情、それひとつで。
「……ねえ、途中から観戦してたでしょ」
 じとりと非難めいた視線が向けられる。それでもデスサイズに向けていたようなものとは違って、どこか拗ねているだけのようにも見えてしまうのは気のせいだろうか。
「下手な男よりカッコよかったぜ、さすが俺の御主人様――いって」
「そうね、どっかのラストデスサイズ様よりよっぽどかもね!」
 脇腹にまっすぐ届いた右ストレート。軌道こそ迷いはなかったが、一応手加減はされているようだ。軽い痛みを片手で擦って和らげながら、つんと膨れ面して立ち上がるマカの手を今度は俺から握ってやる。
「悪かったよ」
「ほんとよ! 私一人だけに喋らせて」
「そうじゃねェよ」
 マカが望むからとか、望んでいないからとか。そういうのは言い訳だったのかもしれない。拒絶されるのを恐れて逃げていただけだ。マカはずっとまっすぐ俺に向き合っていてくれていたのに。
 何のことかと不思議そうにするマカへ、万感の思いを込めて。
「好きだよ」
 マカの手から力が抜ける。ぽかん、と気の抜けた表情も、後からじわじわと赤くなりわななく様子も、まるであの日の再現で、けれど記憶の中のそれよりもっと俺の心を揺さぶる。
「へっ⁉ や、な、何よいきなりそんな……」
「だから、『悪い』」
 この上なくストレートに言葉にしたつもりだったが、まだマカには伝わっていないらしい。親愛でも友愛でもない、いや、厳密にはそういう方向性も全くないとは言い切れないが、それだけでは収まらない気持ちを俺が抱えているということ。いまだ顔を赤らめたまま、謝罪の意味を掴めていないマカへと言葉を続ける。
「お前の信用を裏切ることになるけど、俺は……お前とちゃんと付き合いたいと思ってる」
 この先、別の誰かと恋をして付き合うための練習台なんかじゃなく、このまま手を放してしまいたくはない。それが嘘偽りない正直な気持ちだった。それを隠して傍にいるくらいなら、いっそここで終わりにした方がいい。……本当はずっと思っていたことだった。それでも確かに自分の中にある浅ましい願いを振り切れずにいたから今日まで来てしまったが、そんな風に思わせるのも、それを解き放つのもまたマカなのだ。
「ど、どういうこと? だって私たち……」
 戸惑うのも当然だろう。言葉を探して視線をさまよわせるマカに、俺は握っていた手をするりと開放する。
「『お試し』だろ」「もう付き合ってるよね?」
 別の意味の言葉が重なって、互いに信じられないものを見るような目で互いを見やる。
「お試しの代理じゃねェの⁉」
「だ、だってソウルがそういうやり方否定したんじゃん! だから……最初から本気なのかな、って……」
 どうやら、思っていた以上にマカは俺という人間のことを理解していたらしい。初めから間抜けは俺だけだったということだ。は~……と大きく深いため息をついて両手で顔を覆う俺に、マカが「な、なんかごめん」と気まずそうにつぶやく。
 別にマカは悪くはない。だが、それならそれで確かめるべきことはある。
「……で。そう解釈した上で今日までいたってことは、お前も同じ気持ちだと思っていいわけ?」
 案の定マカはすぐには返答せず、すっと両手を自分の背に隠した。
 俺が本気の交際として受け入れられていたなどと微塵も思わなかったのは、例の男子生徒の提案が前提にあったからというだけの話じゃない。マカが俺のことを異性として好いているような印象を持ったことがなかったからだ。手をつないでみた帰り道も、映画を見に行った休日も、それらしいシチュエーションに触発されていたという面も少なからずあったはずで、相手が自分だからだ、なんて確信は一度も持てずにいた。だからこそ今の反応は想定内で、それだけに疑問は残る。
「ごめん。正直言うとそれはわかってないんだけど」
 でも、と前置いた言葉の続きは明瞭に響いた。
「さっきパパに言ったことも嘘じゃないから。あんたに言われて、付き合うってこと一晩考えて。やっぱり不安な部分もあったけど、相手がソウルだったら大丈夫だって思えたの」
「……」
「さっきみたいなのとかも……ほかの人だったら、しようとしてない」
 そう断言した。保険だろうか、直後に「多分」とぼそりと付け足されたが、それでもその破壊力は相当だ。マカは気づいているのだろうか?
 むず痒い気持ちがじわじわ胸に広がっていく。それを紛らわせたい衝動と、マカの真剣な表情を緩めたい気持ちとが合わさって、唇から慣れた軽口が滑り出した。
「それで好きじゃねェの? 逆にすごいなお前」
「好きじゃないとは言ってないでしょ!」
 間髪入れずに答えが返ってくるとは思わず、目を見張ってしまう。マカ自身も驚きだったようで、ぱっと口元を手で覆った。再び微妙な沈黙が流れるかと思いきや、ヤケだとばかりにマカが口火を切る。
「ソウルが想ってくれてるのと同じ『好き』なのかどうか、今はまだその自信がないだけ。それでも私と居てほしいって思ってるの」
 とんだワガママでしょ、などと吐き捨てるが、勘違いもいいところだと思う。俺からすれば条件が良すぎるくらいだし、魔武器と職人として、という前提抜きで求められていることがはっきりしただけでも十分だというのに。
 ふ、と吐き出す息はすがすがしく、晴れやかさを伴う。ソファから立ち上がった俺は軽くマカの肩を叩いた。
「知ってるだろ? 俺は結構楽しいんだぜ、お前のワガママに応えんの」
 いい加減メシにしようぜ、とキッチンへ向かう俺の横顔を、後ろ姿を、その場で見つめるマカの視線に不満の色が滲んでいくのに、当然俺は気づかない。だから、少し遅れて大股で近づいてくるマカが「ソウル、」と俺の名を呼ぶのに何のためらいもなく振り返ってしまったし、そのまま胸倉をつかまれれば呆気なく体勢を崩した。
 崩れたバランスをどうにかしようとして、反射的に膝や腰が曲がる。対するマカは爪先立ちでこちらに顔を寄せて。柔らかさもぬくもりも感じる余裕は一切なく、乱暴に押し付けられた鼻頭と唇は一瞬で離された。
 狙いが頬であったにしろ、唇であったにしろ、失敗だったと言えるだろう。マカの想定以上に体をかがめてしまった俺が変によろめいたせいで、小鼻のやや隣くらいの中途半端な位置にがっつりぶつかった。俺の鼻もきっとマカの頬の辺りにあたっていたはずで、だから目をつむっていたマカも気づいたことだろう……自分が仕損じたということに。
 皴になるほどきつく掴みしめられた襟ぐりからゆっくりと手を放し、踵をゆっくり床につけたマカの何とも言えないばつの悪そうな表情を見下ろして、俺はとうとう我慢の限界を迎えた。
「ぷっ……くくく」
「わ、笑うな!」
「いや、期待を裏切らねェなと思って。まあ俺もうまくできる気しねェから怒んなよ」
「嘘ばっかり!」
「もうお前につく嘘は残ってねェよ」
 ぼかぼかと勢いに任せてこぶしで殴るマカが妙に可愛い生き物に見えて、それがなんだかおかしい。それでもやることは今までと変わりはしない。ピアノの調律をするように、俺たちにとっての正しい音を確認して、ずれたらまた調整して、そうして進んでいく。それがいつまでも続けばいい。
 いろいろあったせいですっかり冷めてしまった夕食のメニューには心なしか俺の好きなものが多く並んでいて、にやける顔を抑えることができない。マカはそんな俺を恨めし気に睨みつつ、無言でそれらをかきこんだ。

 さて、明日を付き合い始めて五日目と見るか二日目と見るか。いずれにしても、少し浮かれてしまいそうな自分を予感しながら、どうマカの機嫌をとってやろうかと考えていた。
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