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ヴィーナスお願い

今度は座敷牢ではなく、死刑囚が入れられる頑丈でおどろおどろしい部屋へと入れられた化け物は、面会に来た人間に向かって舌をべっと突き出した。

手足を鎖で拘束され、四方を曼荼羅で囲まれ、聖水やら何やらを一頻り置かれた部屋の居心地の悪さと来たら最悪で、そんな状況下で苛立ちが募っているというのに人間の相手などしていられるか!というような荒んだ気持ちで相対する。

「君は……どうしていつもそうなんだ」
「逆に聞きたいんだけど、何で憲紀くんはこんなんになっちゃった私を化け物として見てないの?」
「…それは、」

女の苛立ちは何も部屋の居心地の悪さに限ったものではなかった。
あともうちょっとで完全に理性を手放し、彼等の望んだ化け物となれたのに、それを阻害する認識がごく僅かだけ存在したからだ。

それは彼女の在り方を「変わってて面白い」で済ませてしまう五条のものであり、彼女が化け物として羽化した所を見たはずなのに「けれど、彼女は望んでそうなったのではない」と思い至れた七海のものであり、一年間共に過ごした学友達のものであり……彼女に血を与えることを続けた加茂の認識によるものであった。

理性さえ手放せれば、何もかも楽になって暴れて殺されるだけだったのに…と、化け物の成り損ないは自傷気味に笑う。
例え誰が何と言おうとも、元々は人間なのだ。人間には星の願いを背負うことも、化け物に成り果てることも、血だけを啜る生活も耐え難い苦痛であった。

嘲るような笑みを浮かべ、加茂に「早く楽にしてよ」と言う。
そんな女の笑みに、加茂は苦い顔をするだけだった。

重い沈黙が暗い部屋に蔓延る。

暫し黙したあと、先に口を開いたのは加茂の方だった。
何を喋れば良いのか分からなくなり、「…体調はどうだ」と自分でもよくわからないことを聞いてしまう。
それに加茂に対し女は馬鹿にしたように笑うかと思いきや、少し悩んだ後に自身の腹を擦りながら少しだけ困った表情を浮かべた。

「なんか…ちょっとお腹が痛いんだよねぇ」
「変な物でも拾って食べたんじゃないのか?」
「いや、まあ……勢い余って十年前の死体とかは食べたね」
「絶対に原因はそれだろう、何をしているんだ全く」

君は本当に……。

加茂はあまりのアホらしさに強張っていた身体から力を抜き、気付けば溜息を吐き出していた。

しかし、対面する女からすればわりと深刻な問題であり、この部屋に入れられる前から痛む腹は今日になってピークを迎えていた。
端的に言うと、下しそうだった。

まるで内側から「出せ!!」と言わんばかりに叩かれるような痛みは、弱点のほぼ無い化け物の身体にとっても苦痛に違い無い。
ぐぬぬ…と奥歯を食い縛り、腹を抱えて額に汗を滲ませる。
痛みって口に出すと途端に痛さを増すよな…と、口元をへの字に歪ませた。

「憲紀くん…」
「君、いつも以上に顔色が悪くなっているが大丈夫なのかい?」
「も、漏れそう……」
「なんだって?」

…漏れちゃう、我慢出来ない、無理、助けて憲紀くん…。

普段あれだけ「餌がなんか言ってら、キャハハッ ダル」と、それはもう何様俺様上位種様目線で加茂を馬鹿にし、腹が減ったら血をタカり、可愛いだの何だのと癇に障ることばかり言ってくる存在が瞳に涙を浮かべ己に助けを求める有り様に、加茂は少しだけドキッとした。

息を切らし、涙目で見上げる瞳は痛みを訴える。
震える唇からは浅い呼吸を繰り返し、時々痛みに耐えられずに小さく高いうめき声を漏らしていた。
普段涼しい顔をしている加茂とて年頃の男の子、自分に懐く女の子がこんなんになっていれば色々悶々としてしまうもので。

フイッと顔を背け、顔ごと視線を逸らす。
よくわからないけど見てはいけない、教育上よろしくない。加茂家の嫡男は密室えっちハプニングに屈したりはしない。

「なに顔赤くしてんの坊っちゃん…!それよりたすけ、」
「そうやってまた私を誑かそうとしているのだろう、通用しないと何度言えば分かるんだ」

いや、どう見ても苦しんでるだけだろ拡大解釈今すぐやめろ!!!!

大きな声を出そうとしたが、腹に響いたのでやめた。
しかし時既に遅し、力んだ瞬間ナニカが出た。腹のど真ん中から。


ボチャリ。ヌチャリ。


重く粘着質な水音が部屋に響き渡る。

突然腹が歪み中から何かが溢れ落ちた女は、視線を恐る恐る下へと向ける。
墨のように黒い液体が腹からダクダクと流れあたり一面に広がっていく様は、例え化け物と呼ばれている身であっても表情を失う程に奇っ怪なものであった。

そして、女の膝元からゆっくり、ゆっくりと何かが現れる。

それは人の手であり、女に向けて墨の海の中から手を伸ばしていた。

「……………」
「……………」
「………なにこれ、闇の握手会はじまった?」
「一体私はどうしたらいいんだ…」

互いに顔を見合わせ困惑を顕にする。
いやこんなん聞いてないが、てかなんか凄い勢いでこの手…ブンブン動いてるけど…もしかして、溺れてる?

何となく墨の海に溺れている感覚を察知した女は、加茂に向かって「溺れてるっぽいぞコイツ!」と声を挙げた。

「まず何者なんだソレは、そこからだろう!」
「いやでも、助けてあげた方が…」
「どうしてこういう時に限って優しさを発揮しようとするんだ、普段私には任務中に助けを求めても笑うだけだというのに…!」
「それは、ワンチャン血流れないかなって…」
「君という奴は…!」

二人が言い合う間も謎の手は「たーすーけーてー!」と言わんばかりに手を振り続ける。
やはり助けるべきな気が直感的に感じた女は、自分を拘束する鎖を無理矢理引き千切ってその手を掴んだ。

瞬間、脳内を駆け抜けた情報とあまりの事態に力を入れ忘れる。
逆に、掴んだ手は縋り付くように力を込めた。


「あ、」


気付いた時には死んだように黒い、死人の血の海へ真っ逆さま。
遠くで自分の本当の名を呼ぶ男の声を聞きながら、女は眼前に目を向ける。

そこには確かに自分があった。

自分が吸収することを拒み、共にあることを良しとした新たな自分の一部が存在していた。


この世は共同幻想によって成り立っている。

人と人が互いに認識し合うことこそが存在証明の本幹であり、互いに互いを定義付けるからこそ個が成り立つ。

女は見る、自分が受け入れなかった血を。
女は理解する、それは自分では無い別の存在だと。

彼は、自分の中にあってはならないのだと。




___




「ってことで出来上がった完成品がこちらです」
「七海、久しぶり!」
「説明を……求めます…」

ということで、急遽死刑囚ハウスから出された私は、突然私の腹が出てきた得体の知れない奴を「眷属」として強く激しく認識してしまい、それに形を与えてしまったのであった。

いや、そもそもの話をすれば、私の中にかろうじて残っていた良心があの日彼を吸収することを辞めにしたのだ。
それというのも、「七海建人」への友情の情報を私が接種するのもなぁ…という感じでして。万が一接種して七海さんに友情を感じてしまったりしても嫌だし、仕方無いから吸収せずに後でペッてしようと端に寄せておいたのだ。

そしたらまあ、なんというか…私のコントロール不可な術式が勝手に発動していたらしく、「七海さんの友達の肉体と血と情報」と食ったものを認識していたことで、いつの間にか「灰原雄」の存在証明を成立させてしまっていた。

そこからはもう先の通りに。
ドロドロの墨状態で辛うじて存在が成立してしまった彼に、仕方無いので私の血を分け与え「主人と眷属」という対幻想により互いを認識し合うことでめでたく人の形に収めたわけだ。

正直に言おう、リソースの無駄すぎる。
いらないよこんなの、どうすんだよマジで。


一通りの説明を終え、私は出されたお茶をグビッと飲み干した。ゲロマズ、でも腹は減っているので液体ならこの際何でも良い。

眉間にシワを寄せる私に、五条さんが話し掛けてくる。

「まあでも、見たところ本当に"幻想"のような物だね。君が信じた幻が動いているに過ぎない、だから幻から覚めたら灰原は…」
「元の泥になって私の腹の中に戻るでしょうね、あくまで共同幻想…私が許して彼が願った夢でしかない」
「つまり全ては君の思い込みによる一時的な契約状態ね、大体式神に近いかな」
「式神というか、非常食というか…」

非常食という言葉に「え!?」と声を挙げた灰原さんは、まんまるお目々を見開いてこちらを見た。
そして、驚きを隠さずに「僕のこと食べる気なの!?」と言った。

「まあ…必要に駆られた時は…」
「食べても美味しくないよ?」
「それは知ってる、本当に不味かった、ゲロの方がまだマシだった」
「それでも食べるんだ……好き嫌いしないのは偉いね!」

次は私が「は?」と声を溢す番だった。

別に美味い不味いで食べる物を選んではいない。
そもそも選べるほど選択肢が無いし、生命活動を維持する上で仕方無く食事を行っているに過ぎない。偉いとか凄いとか、これはそういう行為ではない。あと何でタメ口きいてんだ、友達感覚やめろ。私が主だぞ。

文句を言おうと口を開く。
けれど私が何かを言うより先に、彼は私の頭の上に手のひらを乗せて心地の良い力加減で撫でてきた。

「よしよし、本当に沢山頑張ったね。これからは珈琲は僕が飲むから」
「やめろ!!眷属如きに憲紀くんの珈琲は一滴もやらんぞ!!!」
「でも毎回不味い不味いって思いながら飲んでるの…君の血から伝わってきてるよ?」
「いいの!!!憲紀くんは可愛い餌だからいいの!!!」

キャンキャンッ!!バウワウ!!

頭を振って手を振り落とし、七海さんに向かって「ちょっと!!!」と勢い良く吠えた。

「貴方、ありがた迷惑と大きなお世話と余計な横槍しか突っ込んでこない奴と本当に友達なの!?」
「はい、灰原は私の大切な…友人です」
「微笑ましそうな顔するのやめてもろてええですか???」
「灰原のこと、どうかよろしくお願いします」

何もよろしくしたくないが!?
今の一連の流れ見てました?相性合わないにも程があるだろ。さてはお前が元凶だな?のびのびと育てたな?

騒ぐ私と兄目線でよちよちしてくる眷属と、それを温かく見守る男……を見る五条さんは、「何とかなりそうだし、いっか!」と言って色んなことを放棄した。
きっと、その放棄した責任や後始末や何やらは全て伊地知さんを含めた多数の補助監さんにいくのだろう。

あーあ、私…しーらないっ!
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