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ヴィーナスお願い

役10年前に何やかんやあって五条さんが祓ったらしい呪霊が居た土地に、新しい呪霊が発生したとか居着いたとかで私と七海さんが行くことになった。

七海さんと会ったのは今回が初めてだが、とても美味しそうな人間で一緒に任務に行けるのが嬉しかった。
健康的な血の匂いがする、程よく熟れた品質の良いワインのような香りだ。きっと美味しいんだろうなぁ、飲みたいなぁ。

「……ということが昔あり…聞いてますか?」
「え?あ、はい、聞いてます」
「そうですか、では続けます」

聞いてはいるが興味は無い。
なので、私は車の後部座席でオヤツ変わりに死刑囚から採取した血をジュルジュルと飲んでいた。モヤシをシャンタンで炒めたやつみたいな味がした。


七海さんの話は要約するとこうだ。
学生時代、七海さんと御学友は今から行く土地に任務へ赴き、御学友は呪霊に下半身を奪われ亡くなられたと。
そして、その下半身は今も見つかっていないと。でも呪霊は既に祓われていると。

まあ呪術師が死ぬのはよくあることだから気にしないとして、そういえば最近私も上半身を呪霊に喰われたのだったことを思い出す。ヤバ、おそろっちじゃん。
あの呪霊…祓ったと思ったけど何となく手応えが薄かったんだよな…。
流石に上半身と下半身が都合良くあるからってくっつけられてたりはしないだろうけど、それでもタイミング良いな〜と勘繰ってしまう。

まあ、杞憂だろうけど。



………




「いや、杞憂じゃなかったんかい!!」
「灰原の下半身なのに上半身は女性の身体に……」
「特殊性癖過ぎるだろ!!バカバカバカ!!!」

フラグ回収おめでとうございます。実績解除、トロフィー入手。
ということで例の地に居たのは私の上半身を食った呪霊と、七海さんの御学友の下半身を奪った呪いの残滓だった。それらが融合したことにより、めでたく身体の方も融合。
呪霊の側に侍るのは上半身が女性、下半身が男性の首無し死体。ニッチすぎる、誰に需要があるんだバカタレが。

七海さんを見ると、歴戦練磨の彼も流石に戸惑っていた。
いや、戦力的には過剰なくらいなので倒せないなんてことは万が一にも無いのだろうけど、それとは別に「あの身体くっついちゃってるけど、どうやって別けたらいいの?」という疑問に頭を悩ませた。

てか丸出しなんだが、下も上も。どっちかは隠せよ、特殊性癖しか喜ばねぇよこんなシチュエーション。

私からすれば、自分の下半身に得体の知れないブツがぶら下がっている絵面を見させられているワケで…いや私も肉体を男にすることが出来るので、付いてるのには慣れっこなんだが…でもあれは他人のチンポポ様なので…なんか、違うんだよな…うーん…。

「灰原の灰原をマジマジと見るのはやめて下さい、彼は私の大切な友人なんです。例え、あんなことになっていても…」
「いや七海さんも私の上半身ガン見してたじゃん、いやんエッチ♡」
「ハラスメントとして訴えますよ」
「さーせん…」

だがしかし、私には意味不明呪霊を喰い殺した実績がある。
多分喰らえば吸収出来るはずなのだが…しかし、この場合どちらを先に喰えばいいのだろうか。
自分の方を喰ったとしても下にぶら下がってる成分が入り込んでしまうかもしれないし、かといって七海さんの御学友の方を喰ったらキメラになりそうだし。
でも融合している以上一つの個体として成立しているわけで…。

うーん、どうしよっかな〜…と、頭を悩ませている間に七海さんは戦闘を開始してしまった。
背中に背負った大鉈を手にし、振り被って突っ込んでいく。7:3で切り離された呪霊の腕は、帳の張られた黒い空へと舞い上がった。

「こちらは私が、貴女は自分の身体を優先して下さい」

舞い上がる砂埃の間から声が届く。
私はそれに、仕方無い…やるだけやってみるかと腹を括って走り出した。


金星の名を冠する者、金星の始まりと地獄を知る血。
命を奪う灼熱と、全てを溶かす酸の雨。
烈火の金は私が人であることを、姉妹星の者だけが幸福に生きることを許さない。

失われた楽園に住まうはずだった者達の、羨望と嫉妬の声が身体の内にこだまする。

ああ、この恨みは…呪いは…この星の命を奪うことでしか満たされない。
戦いはいつも私を高揚させる。まるでその在り方こそが正しいと言わんばかりに。

鋭い爪が首無しの胸を抉る。破れた皮膚から飛び散った血が私の顔を濡らし、気分を昂らせた。
殴る、蹴る、抉る。
駆ける、飛ぶ、傷付く。
爆ぜる金の炎は我が身共々相手を飲んで、酸性雨の礫は身を貫いた。
口の端に垂れてきた血を舌先で舐め取れば、幾億の情報が詰まった星の味がする。太陽に殺された命の嘆きが伝わってくる。

一度距離を取り、右手を引いて駆け出す。
狙うは一点、我が心臓。
臓腑を喰らって、あの日と同じように私は私以外の物を吸収し、私と同化させる。


自分の上半身だったはずのモノの胸を貫いた時、無いはずの痛みを感じて口元が歪んだ。
それでも、私は私だったモノを殺すことを躊躇わなかった。
この世に私は一人で十分、なり損ないは喰われて消えろ。

引き抜いた手に握られた脈打つ心臓に勢い良く齧り付く。
喉に張り付く血は、あの日飲んだ母の味がした。


始まってしまった捕食衝動は止まらない。
あの人生を全て血で塗り替えた夜と同じように、私は目の前のものを喰らって生き永らえることを選択する。


例えそれが自分の肉体だったとしても、約十年前に散った哀れな学生の亡骸でも、脈々と受け継がれ、喜びや悲しみを重ねて育った血は私にとってただの餌だった。
血が、肉が、喉を通り胃を満たす。飲み込む度に鳴り響く喉からは獣の如き音がした。

この口は獣、この髪は業、この身体は星の恨み。

最後の一欠片まで飲み干し、口元を拭って顔を上げる。
私は獣、化け物。そう思えてしまうのは、眼前の人間が私をそう認識し定義付けているからだろうか。
はたまた、鋭い牙が見え隠れする口元から未だ滴る血と唾液のせいだろうか。


私と餌に関わらず、全ての存在は相対的関係を築いている。

人間が私を化け物だと捉え、そのように見ているから私が化け物として存在しているように、私が人間を餌だと捉えているから、人間は私の前では餌となる。

それは何も私と人間だけではない、地面も空もスマホも、全ては認識する者が居てはじめて存在が成立する。
そして、私という存在証明がされるには人間という存在が必要不可欠であるのだ。

それが何故かと言えば、それこそが私の生まれ持った術式だったからだ。


『共同幻想術』

自分の相手への認識を強く強く思うことで、相手の存在定義を現実ごと捻じ曲げる術式。
謂わば、最強の思い込み。

私がカラスは白だとそれはもう強く思い込めばカラスは白になるし、私が「コイツは物語の中の化け物、人間に倒されるべき化け物、私の方が強い、強いのだ」と思い込めば…特級呪霊にも勝ててしまう。

例えその結果、今度は私が化け物になろうとも。


一つ…自己幻想
私は私を私と認識する。

二つ…対幻想
他人は私を化け物と認識している。

三つ…共同幻想
他人の意識が寄り集まり、集団は私を化け物と定義付けた。


この世は共同幻想によって成り立っている。
互いに互いを認知した上で、相手に「こうあれ」と集団的無意識に思うことで、相手の在り方だけでなく、世界の在り方や集団の秩序、民族意識を幻想するに至る。

私という存在は、人間達の認知の上で成り立つ相対的存在だ。
化け物とは人間の御伽噺から生まれるもの、呪いも人間から生まれ落ちるもの。私が金星の吸血種を「倒されるべき化け物」と認知したのと同じように、私は他人からの認知で化け物となっている。

術式の仕様によって。

この術式は、何も私が相手の定義を一方的に書き換えるだけではない。相手から私へも同じように定義を書き換えれてしまうのだ。
私はそれを、コントロール出来ていない。

近所のおばあちゃんが「立派なお嬢さん」と私を見たから、私は立派なお嬢さんだった。
後輩が私を「格好良い先輩」だと言ったから、私は格好良い先輩になれる。
教師が私を信頼したから、私は信頼に足る人間となった。
呪術師が私を化け物と認識するから、私は本当に化け物になってしまった。

みんなが私を化け物と見るから、だから、私はもう人間には戻れない。
戻れないのだ。

元々金星の吸血種が「情報を糧として生きる」呪霊だったことも、私をここまでにした理由の一つだろう。
我々は相性が良すぎたのだ。
情報を糧とする呪いと、他人の認識で自分の在り方を変える呪い。
二つが交わり、他人の存在(情報と認知)無くして自己を保てない吸血種となった。


指先から赤黒く滴る血をペチャペチャと舐め取る。

尻が隠れるほどに伸びた紅の髪は地獄のように赤く、帳の黒の下で伸びる長い手足は死人のように青白かった。
恐ろしく朱い瞳は爛々と輝き、背中を裂いて現れた羽化したばかりの濡れた羽は悪魔が背負うに相応しい、禍々しく恐ろしいものだった。

血を求めヌラリと鋭利に輝く牙の生えた口元が、愉しげに歪む。

この夜、まるで永年の宿願が叶ったと祝福せんばかりに金星は夜空の中で一際輝いた。

燃ゆる地獄の星の姉妹星、希望と奇跡で満ちた青い星に、30億年掛けて金星の命が誕生したのだ。
例えそれが化け物だったとしても星は私を慈しみ、その生を祝いだ。

貴女の命は間違いなんかでは無いのだと、星だけが私を肯定した。

喜びはどこにも無い。
私はもう、人間ではいられない。
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