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錆びた灯火

学年も変わり、多忙が増す日々。

最近、悟の妹の戦績が好調…らしい。一体どうしたのか、精神バランスも安定しているとのこと、久しく私の元に泣きつきに来なくなった。ちょっぴり寂しい。

後輩の同級生三人組は仲良くしているらしく、最近見掛けた時も子犬同士が戯れるようにワチャワチャとしていた、それを見て少し癒された。
あんなにツンツンと、灰原無くしては彼女に積極的に関わろうとはしていなかった七海も、近頃は随分角が取れたような具合で彼女に接していた。自分が見ていない間に人間関係は変わっていく、自分一人だけ取り残されたような、悟にも、あの子を取り巻く環境にも、私は追い付けていない。

これも、全て忙しいことが理由だ。どうして休む間も与えられず働き通しているのか、どれだけ働けども働けども呪霊は減らない、その原因は…。

そこまで考えて思考を止める、考え出したら悪い方へとしか進まない。もう疲れた……といった具合に荒んだ心で報告書を提出し、職員室から出れば、例の少女が居た。
何というタイミングだろうか、私はこれを神からの贈り物だと思った。
私を見てビクッと身体を震わせ、固まった少女に手を伸ばす。白く柔らかい髪に指を通し、背中に手を回して抱き込んだ。頭の天辺に顔を近付け鼻を埋める。

「スーーーーーッ」
「す、吸ってます…?」
「スーーーーーーーーーーッ」
「ひぇぇ……」

私とちょっと会わない間にシャンプーを変えたのか、香りが違った。
腕の中の少女が抵抗しないことを良いことに、そのまま抱き上げ廊下を進む。近い場所にある首に顔を寄せ、そこで思いっきり深呼吸してやれば身を捩られた。

「暴れない、暴れない」
「深呼吸は流石に…」
「疲れには、猫の腹で深呼吸すると良いって記事で読んでね」
「私は猫じゃないのよね……」

大体一緒だろう、どちらかと言えば犬のような気もするが…犬も猫も愛玩生物には違い無い。欲も無くただただコネコネと可愛がるだけの存在、時に寄り添ってくれたりくれなかったり…甘えられただけ甘やかす、そういう物。
だとすれば、私は親友よりも余程健全に彼女に接している。間違ってもファーストピアスを開けたくらいで一週間喜んだりなどはしない、貰ったと嘘をついて互いのシンボルカラーのピアスを贈ったりしない。アイツのは"ガチ"だ。

しかし、そんな親友とも擦れ違いの日々だ。
私よりもずっとずっと高い所へ行こうとしている、追い付きたいのに追い付けない。それなのに近頃はもう、忙しすぎて意識の端にすら存在を置いておけない、余裕が全く無かった。
戦うことへの疑問が尽きない、いくら戦って祓おうとも呪霊が消えることは無い。自分一人では抱え続けることが辛くなってきた問題を、だけれどぶつける場所なんて無かった。
だからせめてと、こうして癒しを求めている。

適当な場所でスゥハァスゥハァと少女の腹を吸っていれば、頭に手を置かれて撫でられた。
……撫でられた?
顔を上げ、少女を見れば窓の外をボンヤリと眺めていた。どうやら無意識の行動らしい。
夕暮れに照らされながら、黄昏る少女は流石 悟の妹だけあって美しかった。思わずさらに触れたくなって、迷わず頬を撫でた。

「何を見てるんだい?」
「窓の網にデッカイカミキリ虫が…きも……」
「デッカイカミキリ虫かぁ…」

一瞬にして終わったセンチメンタルな雰囲気にしょっぱい気持ちになる。私はデッカイカミキリ虫を眺めながら撫でられてたのか、デッカイ蛾より私を見て欲しい。

「こっち見てくれないの?」
「見てても楽しく無かったから…」
「じゃあ楽しいことしようか」

少女の両側に手をつき、顔を寄せる。キョトンとした顔で瞬きをした後に、お決まりの「まあ…」を呟いて、私の頬をそっと両手で包み………。

ブニュッ、思いっきり両側から潰された。

「やふぇふぁふぁい」
「フフッ、楽しい」

小さく笑ってから手を離し、その手で私の右手に触れる。
今日は随分と、受け入れてくれるらしい。犬も主人が精神を不調にしている時は察する生き物だから、彼女も察しているのだろうか。私が君に対して悩みを抱えていることを。

逃げ出すなら、君を連れて行きたい。

断られた時を考えて、口には出せなかった。
いや、断られたとしても拒否権無く連れて行きたかった。私を一番に選んで欲しい、私だけに媚びて私だけに甘やかされて愛でられていれば良い。
淀んだ思考は口を緩めた。

「……一緒に連れて行く」

私の言葉に首を傾げた彼女の瞳を覗きこみ、触れられた手を覆い隠すように握った。

「地獄に?」
「地獄だろうと連れて行く」
「お腹吸うために?」
「………まあ、うん…そうだね…」

彼女は、とくに顔色も変えずに「強制なのね、兄さん怒らないかしら」と随分アッサリ私の言葉を受け入れた。それで良いのか、もうちょっと…何か無いのか、抵抗を忘れた犬じゃあるまいし…いや、犬扱いをしていたのは私だが。

「地獄だよ?」
「体験済みよ、任せて下さいな」
「…やっぱりやめようか、物凄く不安だ」
「まあ、失礼な人」

クスクスと笑ったかと思えば、私に抱きつき二度三度背中を柔く叩いて身体を離した。

「先輩、誰かのために消耗なんてされないでね」

赤く、火種を抱えた炭のような瞳に私が写る。
縁取る白く長い睫毛は親友の物と良く似ているのに、瞳の色も、抱える感情も、何もかも違った。

この少女は、悟に似ていない。悟を真似て、似せた作りをしているのに、まるで赤の他人のように発せられる言葉は誰の物でもなかった。

「呪霊が居る限り、夜は明けないけれど……どうか、先輩の戦いが先輩だけの物でありますように」

願うように、祈るように。
私の手を両手で握り締め、そこに額を当てて彼女は優しい声で呟いた。
穢れを知らず、戦いを恐れる人間が、自分の戦いのために祈りを捧げている。何も知らないはずなのに、私は何も語っていないのに、少女は赦して私を自由にしようとしてくれた。

この祈りが、一瞬足りとも他人のものになって欲しく無いと思った。

これ以上思考とリードを取られないようにと、あくまで明るく私は言う。

「やっぱり連れて行こうかな」
「そんな実家の猫を新居に連れて行くか行かないかみたいなノリで…」
「大丈夫、ちゃんと広いお家に住まわせてあげるから」

自分で言ってて何が大丈夫なのか全く理解出来なかったが、彼女がとくに文句も言わなかったのできっと大丈夫だろう。
何だかんだ言って従順だ、心配になる程に。だからやっぱり私が連れて行くことがこの子のためにも良い、ここで使い潰されて適齢期が来て胎にされるのはあんまりだ、それくらいならば私に可愛がられていた方がずっと良いに決まっている。

柔らかな髪を撫でて、身を離す。
それに伴い少女も私から手を離し、立ち上がるとスカートのシワを直してから立ち去ろうとした。
そういえば、職員室の前に居たのだから何か用事があったのだろうか。
随分足止めをしてしまったが、お陰で少し頭がクリアになった。アニマルセラピー、素晴らしい効果だ。皆様にもオススメです。

手を振れば振り返す彼女に、今度芸でも仕込もうか…などと思う。私を見たら飛び付いて喉を鳴らすくらいにはしたい。
犬は猫と違って、愛情を向ければ向けただけ答えてくれると何かで読んだ、彼女なら私に答えてくれるという確信がある。やはりあの子は犬だ。

広い家でゆったり愛犬と暮らす……そんな夢を心の底に揺蕩わせた。
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