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錆びた灯火

妹擬きが廊下の先を歩いている。
それに気付いた五条は、コキコキッと首を曲げて鳴らし、グッと一度伸びをしてからクラウチングスタートの姿勢を取った。
彼にとって、目前の自分そっくりな女は妹であり、今一番面白い玩具であった。

自らの中で「用意」と告げ、次の瞬間口に出して「ドンッ」と言った。
その声に気付き、後ろを振り返った少女目掛けて一直線に走る。廊下を走ってはいけないなんてルールは捨て去った。

「あらまあ」

だなんて、キョトンとした顔で呟かれたのと同時に、五条はそれに飛び付き抱え上げ、ワッショイワッショイと上下に振り回した。
この行動に意味は無い、好きにして良いぬいぐるみを衝動のままにぶん回しているのと同じ理屈である。
一頻りシェイクし終えると解放し、グルグルと目を回してたたらを踏む少女の頭をグリグリと押さえつけて、ニヤニヤしながら話掛ける。

「妹ぉ、今 暇?」
「今、死にそう」
「よっわ、カスじゃん」

白く艶めくシルクのような髪を手でグチャグチャにかき混ぜボサボサに乱し、顎に手をやり強制的に顔を上に向かせる。身長差のせいで少女の首が仰け反る、細く折れてしまいそうな首をとくに理由も無く、思い立ったままに撫でた。

「お兄様からプレゼントがある、喜べ」
「プレゼント…?」
「これ」

ポケットに突っ込んでおいた剥き出しのソレを少女の掌に置いた。
小さく、透明だが綺麗な照りのある石が二つ掌に無造作に投げ出された少女はパチクリと瞬きをしてソレを眺め、兄の顔を見上げる。

「ピアス?」
「そ、貰ったんだけど俺開けて無いから」
「私も開けて無いけど…」

石を指先で摘まんで光に透かす。角度によって表情を変える石の美しさにため息を漏らした。
透明でキラキラしているが、ダイヤモンドの類いでは無さそうだ。人工ジルコン辺りだろうか、随分質が良い。人工ダイヤモンドとして売られている部類の物だろう、それなりの値段がするはず……。少女は耳元にピアスを持っていき、「似合う?」と五条に尋ねた。

「髪のせいであんま目立たねえ」
「でも綺麗…穴って、病院で開けるのが良いのかしら」
「自分でやれば良いだろ、なあに?怖かったりする?お兄様がブスッとやってやろうか?」

少女の耳たぶをモニモニと弄りながら顔を近づけ、耳の穴にフッと息を吹き掛ける。
「意地悪しちゃイヤ!」と笑いながら身を捩る少女の身体を似たような笑顔で羽交い締めにし、「生意気言うな」と擽れば、腕の中からキャラキャラと笑い声が響く。

「開けてやるよ、ファーストピアスってやつ?」
「やだ、もう。離してったら、重たいわ」
「は?デブじゃねえし、言い直せよ、お兄様は羽より軽いわ!って、リピートアフタミー?」
「お兄様のバカ、重い、エッチ」
「はあ~~~~?」

生意気を言うのはこの口か、と頬を掴んでミョンミョンと伸ばす。「いひゃい、いひゃい、ほへんははひ」と不細工な顔を晒して無様に謝る妹擬きの顔を捏ねくり回し、満足した所で手を離せば息を乱した少女がキッと睨み付けてくる。
全く怖くないどころか、ただただ反応が面白いだけだったので、ボサボサになった髪を指で鋤いて整えてやれば、睨み付けていた目を細めて心地良さそうにこちらに身を委ねてくる。
二人は、親猫と子猫のようなものであった。

「俺が初めての男になってやるよ」
「言い方」
「ニードル買っとく、ピアス処女貫通~!」
「はしたない!」

ポフポフと眼下にある、自身と同じ色の頭を叩き、五条は少女の背を押して廊下を進む。
「どこに行くの?」と尋ねてくる少女に「マリカー」と短く答えれば、顔を上に向けた少女がこちらを覗きこんでくる。

互いに瞳を合わせ、見つめ合う。

同じ顔をしている。
性別が変わっただけの見た目だ、自分が与えて自分が生きることを許した生命。一から百まで、自分の一存で決まる命。俺の妹、俺の物。

「兄さん、何が心配?」

年齢を重ねていない、声帯が震えてフニャフニャとした柔らかな声が耳を撫でる。
まるで己の延長線にあるかのような、自分の一部であるかのように錯覚してしまえる程に、妹と定義した存在は五条によく馴染んだ。

「兄さん?」

五条は、少女の首に手を添える。細くて柔らかく頼りない首を数度撫であげる。

「俺の写しなのに、すげー弱っちくて心配」
「…大切にしようとしてくれてるのね、ありがとう兄さん」
「そんなこと一言も言ってねえよ、都合良く解釈すんな」

五条の手から離れ、二歩、三歩、先に行った少女がクルリと振り返る。
窓から差しこむ光の中、しっとりとした柔い笑顔で言う。

「私を見つけてくれてありがとう、いつか私が透明になった時、また私を貴方の妹にしてくれる?」

その問いに五条は答えず、「勝手にどっか行くつもりかよ、ウゼー」とポケットに片手を突っ込み、もう片手で妹の一回り以上小さな手を掴み廊下を歩んだ。

今更、どうにもしようが無いが、もし次があるならば、きっと自分はこの白紙の人間を妹にしようだなんて思わないだろう。
もっと他人がいい、そうすれば ただただ大切に出来た。親友の、傑のように、ただひたすらに甘やかして大事にして、玩具じゃなく、宝物として閉じ込めて。

そうだ、そうなのだ、この繋ぐ指先も、己を兄と呼ぶ唇も、あの時「妹」だなんて言わなければ全て正しく自分の物になっていたはずなのに。
キョウダイなんて、一番近くい他人だろう。どうせ他人なら、赤の他人が良かった。
後悔したって時既に遅し、五条が少女を妹と定義するように、少女も五条悟という人間を兄と定めている。揺るぎなく、関係性は強固に固められ、彼女の存在定義の根元に楔として打ち込まれていた。

指を絡めるように繋いだって、少女は何も言わない。兄がそうあれと望む通りに彼女はあろうとする、兄を絶対的存在として身を委ねてくる。

妹擬きは所詮擬きだ、本当の妹にはなりはしない。
本当の妹だったのならば、こんな後悔はしなかったのに。
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