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錆びた灯火

五条悟は気だるい身体を何とか起こし、意識を無理矢理覚醒させるために洗面所で顔を洗っていた。
首に引っ掻けたタオルで顔を拭いていれば、ガチャリッと扉が開く音がしたので、何だと思い顔を捻る。親友か後輩か、朝っぱらから一体なんなんだ……という気持ちは瞬く間に消え去った。

開いた扉から女が入ってきた。

否、正確には、女の姿形をしていたであろう得体の知れない人らしき者が、室内に侵入して来た。
黒い。黒いと感じた理由は髪や目の色合いなどと言った意味合いでは無い、本当に全身黒いのだ。それは何故か、焦げているからだ。丸焦げ、炭化した指の先から徐々にボロボロと崩れていくのが見て取れた。

高専は立ち入りが厳しいのに、コレはどこから入ってきた?何故なにも起きない?そもそも、扉の外に一瞬見えた光景は。
思考を纏めるよりも先に、その得体の知れない存在を拘束しようとしたが、それより先にソレは糸が切れたかのように地に沈んだ。
動かなくなったソレを5秒程眺め、五条は恐る恐る近づき、しゃがみ込んで見下ろした。

「お前……こんな状態でよく生きてんな、いや…もう死ぬか、これ」

空を切り取ったかのような瞳で死にかけの女を見つめ言葉を投げれば、ピクリと反応し、口元が小さく動く。焼け焦げた小さな唇が何かを紡いだ、五条はソレに耳を寄せて消え入りそうな言葉を受けとめる。

「……、…、………。」
「マジ?ヤベーね。お前手に入れたら俺、ほぼ神じゃん」
「……、………。」
「俺が死ねっつったら、死んでくれる?」
「…、…。」

死にかけのソレと話をつけていれば、廊下側から人の気配と足音、次いで「悟?誰かいるのか?」と声が掛かる。なので、五条は扉が開かぬうちに「今、開けんな」と忠告をした。
今にも死に絶える寸前のソレの頭部を一度指先で撫でてやってから立ち上がり、息を一度吐いてから、己の親友へと声を掛け直した。

「妹がさ、来てんだわ」
「…妹?妹なんて居たのかい?」
「そ、妹。なー?」

見下ろす先の丸焦げたソレを五条は妹と呼んだ。

この存在は、この世界では無い世界から何処かを経由してやって来た。
別世界から別世界へ移動する代償として、コレは己の全てを支払ったという。全てとは、存在定義も名前も全てだ。
代償を支払ったせいで、物質的自己を保てなくなっている。
さらに代償を支払ったせいで、精神的自己を消失した。
コレの生きていた世界そのものが消えたから、社会的自己は消え失せた。
ここにあるのは、ただの残りカスだ。燃え尽きた後の灰であり、この世界の何にも定義付けされていない非居住者。

しかし、その本質は終わりを見、世界を超え、"その先"を見てしまった者だ。
原理を司る何かと『縛り』を結びここまでやって来た存在を、五条は自分の物にしようと思った。
新しい玩具を手に入れた気分だ、俺が最初に見つけて俺に助けを求めた。俺に存在定義を委ねると、この神の小指に触れたであろう、丸焦げの始原の到達者は言葉を紡いだ。

視線の先、焦げた表面がパキパキと音を立て、その身にヒビが入っていく。丸焦げのソレは、身体を起こすように四肢に力を入れて四つん這いの姿勢を取れば、焦げた黒い炭がパラパラと床に落ちていき、中から傷一つ無い人間の女が現れた。
滑らかで柔らかそうな白い肌、細く傷みを知らない白い髪、そして焦げた煤のように赤黒い瞳。薄い唇を割り開き、産まれたばかりのフニャフニャとした喉の年齢を重ねていない声で五条を「にいさん」と一度呼ぶ。

こうして、世界を失い自己を消滅させた普通の中学生は、兄と新たな自分を手に入れた。
お互いの視線が噛み合う。

「全裸じゃん、しかもわりと胸あるな」
「あら、まあ……」

あらまあ、では無い。
五条はスウェットの上を脱いで全裸の女に頭から雑に被せると、服から顔も出ていない女の頭を今度はしっかりと撫で、扉の外で待っているだろう親友に声を掛けた。

この日、五条悟に妹が出来た。
白くてフニャフニャふわふわとした、アンバランスで異質、歪な家族だ。
そして、「五条悟の妹」と定義されたせいで、女の人間性はだいぶ酷い物になるのだった。
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