錆びた灯火
同級生の女子の手の甲には、左に『門』右に『番』と書かれていた。
曰く、「自分は門であり番人であり、鍵でもある」と語る。
封印を得意としており、術を使う時には何故かデタラメなピアノの音が聞こえてくる。ごく稀に『きゅああああ!』という奇声が封印時に聞こえたりもする。
階級は2級、数多の物を色々と封印していた。封印した物がどうなるかは知らない、教えてはくれなかった。
何かと秘密の多い人間であったので、知り合って数ヶ月程度の異性ならば尚更に踏み込んだことは知らなかった。
何処から持ち出してきたか分からない釣竿を肩に担ぎ、バケツを片手に持った彼女が廊下を歩いていたので呼び止める。
「釣りに行くんですか?貴女が?」
「新鮮なのが入り用で…一緒に行く?」
疑問系で尋ねながらも拒否権は無いというように、色々と入ったバケツを持たされた。ちょっと待て、財布まで入れてるのか、流石にどうかと思う。
可愛げの無い茶色い皮の折り畳み財布を抜き取り彼女に無言で手渡せば、渋々と言ったようにポケットに突っ込んだ。あの財布には小銭程度しか入っていないことは知っているが、それにしたって金の管理が杜撰(ずさん)にも程があるだろう。
「七海くんはちょっぴり神経質ね」
「貴女が一々ぞんざいに扱い過ぎるだけだ」
「おおらかと言って、細かいことには囚われない主義なの」
一人でこの女子の相手をするのは荷重だ、こうなったら灰原も連れて行こうと二人で灰原の部屋の前まで来る。迷わずノックをしながら「灰原、居ますか」と尋ねれば「待ってー」と声がし、30秒程してから扉が開いた。
ポサポサした髪に上下グレーのスウェットで如何にもオフな格好をした灰原は、私だけだと思ったらしく彼女の姿を見て少し慌てた。
「灰原くん、今から七海くんと釣りに行くんだけど」
「行く!」
話が早くて助かる。
部屋に一度引っ込んだ灰原は、上着だけ着替えて靴を履いて出てきた。
「釣れるかな」とワクワクしている灰原が居るだけで随分空気がほわっとする、柔軟剤か何かか。レノアハピネス灰原…。
どうやら川釣りらしく、近場の川に向かっている。緑に囲まれた道を進み、木々が影を作る。穏やかに風がそよそよと髪を撫でる道中、一学年上の先輩達が前に喧嘩していた話題になり、その流れで何故かトムとジェリーの話になった。
あの二匹はどうしてあんなに楽しく喧嘩出来るんだろうね、と灰原が言う。私、歌えると彼女が歌い出す。
「ネズミだって生き物さ♪ネコだって生き物さ♪……この曲を聴く度に思うことがあるの」
「この曲にそんなに思う部分ありますか?」
「ええ、私は毎回思ってしまうの……だから何なんだよって」
「こっちが聞きたいですよ」
感情が急カーブ過ぎる、いつものことだが。
「そもそもジェリーのことを純粋に憎んでいたから…」
「ジェリーのこと憎む人って居るんだ」
「トムのこと、可哀想だってずっと思ってた、あの手のキャラを本気で憎んだ幼少期だった…」
「トムジェリに向いて無さすぎる」
同じ理由でセーラ●ーンのチビウサとやらも憎んでいたと彼女は語る。
「ウサギちゃんは何も悪く無いのにママに叱られて……可哀想、クソが。私だけは絶対に許さないからな…」
「正義感が強かったんだね」
灰原、人の良い面だけを見るのはやめるんだ。貴方がそうやって肯定するせいで、この女は最近どんどん自己肯定力を上げて自分に緩くなっているのに気がついてくれ。
午後の昼下がり、太陽の日を遮る木々の下でそんな話をしていた。
…
緩やかな流れの川に釣糸を垂らしてひたすら待つこと早30分、こんな下流で果たして釣れるのだろうか。
釣れたとして、それは食べられるのだろうか。
「今更ですが、釣った魚はどうするのですか」
「連れて来ておいて何だけど、そもそも釣れるのかしら…」
「釣れないね……」
三者共に釣糸は微動だにしない、川の流れに沿ってゆらゆらと揺蕩うだけ。釣れる気配も無いため、私は持ってきた本を開いて読むことにした。隣の灰原と一個向こうの彼女は「やりたく無い仕事」について話ていた。
「でも、何事も経験だと思うな」
「じゃあエノキの根元の方を一本一本ほぐす仕事は?」
「それはちょっと辛そう…」
そんな仕事は無い、と凄く言いたかったが言葉を何とか飲み込む。あの二人は二人で会話させておくと終始フワフワしているので、ツッコミが無いまま妙な場所に話題が着地するが、それを一々訂正し軌道修正することは果てしなく疲れる。
「小さい頃ってどんな遊びした?」
「長渕剛ごっことか、中島らもごっことか」
「…それ、楽しいの?」
「おばあちゃんがガン予防にいいって」
どんな祖母だ。
そうは思うが何も言わない、私は会話に混ざらないからな。
「女性誌でヒモにしたい男トップランキングが載っててね」
「ヒモにしたい男の人の特徴ってこと?どんなの?」
「1顔が良い 2優しい 3料理が出来る 4声が落ち着く 5長身・痩身……夏油先輩数え役満じゃない?」
「夏油さんはカッコいいからね!」
そうじゃない、そうじゃないでしょう。
「ドアラの内股が気に入らないんだけど…」
「愛媛の人に怒られちゃうよ?」
「ドアラ愛媛だっけ?」
「……愛知ですよ」
とうとう突っ込んでしまった。この二人と一緒に居てまともに本を読もうとしたことが間違いだった、愛媛と愛知なんて全然違うだろう、大丈夫か。
「それより、引いてますよ」
「あら、本当」
絶対釣る気もう無かっただろ、何しに来たつもりなんだ。
クイクイと引く糸に気付いた彼女が、竿を勢いよく上げれば何らかの川魚を釣りあげた。
灰原がご機嫌に拍手をするので、私も無感動にパチパチと手を打ち鳴らす。
「…ギンブナね」
「食べれる?」
「ギンブナは有棘顎口虫(ゆうきょくがつこうちゅう)の中間宿主だから」
「もう釣りはやめませんか?」
解散だこんなもの、何のための40分間だったのだろう。時間をひたすら無駄にした気しかしない。
溜め息を飲み込んで、何も掛からなかった釣竿を引き上げれば灰原が声を上げた。
「あ、待って僕の方も釣れそう!」
自分の釣竿に変化が現れた灰原が、グイッと竿を引けば釣れたのはカニ。
これは…釣ったというより引っ掛かっただけじゃないだろうか。
「食べれる?」
「サワガニは肺ジストマの中間宿主で」
「はい、帰りますよ。さっさと片付けて下さい」
糸の処理をし始めれば「待って」と少女が言う。
灰原が釣り、リリースしようとしていたカニを受け取り、ギンブナと同じバケツにポチャンッと投げ入れる。
それ、一体どうするんだ…と訝しげに見ていれば、両手をペタリと地面について術式を発動させた。
めちゃくちゃなピアノの音が流れ始める。
速度も、強弱も、拍子も、何もかもがひっちゃかめっちゃかな喧しい音が鳴り響く。
そうして、彩り豊か、と言えば聞こえは良いが、そうでは無くひたすらに煩い色彩をした玩具のような花がポンッと咲いた。
その中央、花弁では無く柱頭部分、そこがカパッと割れたかとおもえば真っ赤な唇が現れた。
それを確認した彼女は、バケツからギンブナの尾を掴み、持ち上げた。
「まさか……」
「はーい、供物よー」
「寄生虫は大丈夫?」
「灰原、問題はそこじゃない」
ビチビチと身体をくねらせ足掻くギンブナは、抵抗虚しくも花の口元に近づけられる。グアッと唇が上下に割り開き、並びの良いツルリとした白い歯が見えたと思ったら、未だ生きたままのギンブナの頭に噛みつき、血やら鱗やらを撒き散らしながら汚ならしくバリバリと食べていった。
一言で表すならば、グロテスク。付け加えるならば醜悪、さらには生臭い。思わず鼻を手で覆いながら、しかし目線を逸らさずにその奇異な生餌の光景を三人で眺めた。
あっという間にギンブナの尾まで食べきった花のような形のそれに、次いでサワガニをやろうとした彼女に灰原が待ったをかける。
「あげなきゃダメ?」
「うーん……可愛くお願い出来たら考えましょうか」
同級生男子に何を求めているんだ、灰原も「分かった!」じゃない。
彼女の片手をソッと掴み、両手で包んで瞳を合わせて「お願い?」と首を傾げながら言う灰原にしょっぱいような気持ちになる、一体私は先程から何を見せられているのだろうか、この時間に意味はあるのだろうか、帰っていいですか。
「100億点、東京ガールズコレクションに出てました?」
「出てるわけ無いでしょう、ほらサワガニを戻して帰りますよ」
「サワガニ、元気でねー!」
「いつか灰原くんに恩返しに来るのよ」
そうしてサワガニを川に戻して見送った二人は、ポケットから取り出した飴やらガムやら輪ゴムやらを花に食わせていた、輪ゴムは吐き出されていたが。
彼女が説明するには、この花は「友達」らしく、門から入れた物の仕分け作業や検閲作業などを手伝ってくれているらしい。と、言われても何も分からなかった、なんだそれはという気持ちしか無い。やたら気持ち悪い物を飼っている…それしか分からなかった。
彼女は、異質だ。
地に足の着いていないかのような振る舞いも、甘くふわついた声も、命に容赦が無いところも、出自の謎も。石畳を叩くブーツの踵から、宙をかき回し踊る指先に至るまで、その全てが特異であるのに、本人は自分を「普通の人間」だと語るのだから…少しだけ、この隣人を私は恐ろしく思ってしまう。
花もどきは目を離した隙に消え去っていた、今日の釣りは…先程言っていた通りに供物の調達だったのだろう。
私達は、得体の知れない存在のための生け贄を釣らされていたわけだ。
「次からは、説明くらいして下さい」
「説明したら一緒に来てくれた?」
その問いに言葉を詰まらせれば、私の変わりに灰原が答える。
「僕は行くよ」
「なら、私も行きます」
「今度はお弁当持って来ようよ!」
高校1年になってまだ半年も経たないが、私達は上手いバランスで関係が成り立っていると思う。
少なくとも、灰原が居なければ、私はこの女と釣りには二度と来たくは無かった。
曰く、「自分は門であり番人であり、鍵でもある」と語る。
封印を得意としており、術を使う時には何故かデタラメなピアノの音が聞こえてくる。ごく稀に『きゅああああ!』という奇声が封印時に聞こえたりもする。
階級は2級、数多の物を色々と封印していた。封印した物がどうなるかは知らない、教えてはくれなかった。
何かと秘密の多い人間であったので、知り合って数ヶ月程度の異性ならば尚更に踏み込んだことは知らなかった。
何処から持ち出してきたか分からない釣竿を肩に担ぎ、バケツを片手に持った彼女が廊下を歩いていたので呼び止める。
「釣りに行くんですか?貴女が?」
「新鮮なのが入り用で…一緒に行く?」
疑問系で尋ねながらも拒否権は無いというように、色々と入ったバケツを持たされた。ちょっと待て、財布まで入れてるのか、流石にどうかと思う。
可愛げの無い茶色い皮の折り畳み財布を抜き取り彼女に無言で手渡せば、渋々と言ったようにポケットに突っ込んだ。あの財布には小銭程度しか入っていないことは知っているが、それにしたって金の管理が杜撰(ずさん)にも程があるだろう。
「七海くんはちょっぴり神経質ね」
「貴女が一々ぞんざいに扱い過ぎるだけだ」
「おおらかと言って、細かいことには囚われない主義なの」
一人でこの女子の相手をするのは荷重だ、こうなったら灰原も連れて行こうと二人で灰原の部屋の前まで来る。迷わずノックをしながら「灰原、居ますか」と尋ねれば「待ってー」と声がし、30秒程してから扉が開いた。
ポサポサした髪に上下グレーのスウェットで如何にもオフな格好をした灰原は、私だけだと思ったらしく彼女の姿を見て少し慌てた。
「灰原くん、今から七海くんと釣りに行くんだけど」
「行く!」
話が早くて助かる。
部屋に一度引っ込んだ灰原は、上着だけ着替えて靴を履いて出てきた。
「釣れるかな」とワクワクしている灰原が居るだけで随分空気がほわっとする、柔軟剤か何かか。レノアハピネス灰原…。
どうやら川釣りらしく、近場の川に向かっている。緑に囲まれた道を進み、木々が影を作る。穏やかに風がそよそよと髪を撫でる道中、一学年上の先輩達が前に喧嘩していた話題になり、その流れで何故かトムとジェリーの話になった。
あの二匹はどうしてあんなに楽しく喧嘩出来るんだろうね、と灰原が言う。私、歌えると彼女が歌い出す。
「ネズミだって生き物さ♪ネコだって生き物さ♪……この曲を聴く度に思うことがあるの」
「この曲にそんなに思う部分ありますか?」
「ええ、私は毎回思ってしまうの……だから何なんだよって」
「こっちが聞きたいですよ」
感情が急カーブ過ぎる、いつものことだが。
「そもそもジェリーのことを純粋に憎んでいたから…」
「ジェリーのこと憎む人って居るんだ」
「トムのこと、可哀想だってずっと思ってた、あの手のキャラを本気で憎んだ幼少期だった…」
「トムジェリに向いて無さすぎる」
同じ理由でセーラ●ーンのチビウサとやらも憎んでいたと彼女は語る。
「ウサギちゃんは何も悪く無いのにママに叱られて……可哀想、クソが。私だけは絶対に許さないからな…」
「正義感が強かったんだね」
灰原、人の良い面だけを見るのはやめるんだ。貴方がそうやって肯定するせいで、この女は最近どんどん自己肯定力を上げて自分に緩くなっているのに気がついてくれ。
午後の昼下がり、太陽の日を遮る木々の下でそんな話をしていた。
…
緩やかな流れの川に釣糸を垂らしてひたすら待つこと早30分、こんな下流で果たして釣れるのだろうか。
釣れたとして、それは食べられるのだろうか。
「今更ですが、釣った魚はどうするのですか」
「連れて来ておいて何だけど、そもそも釣れるのかしら…」
「釣れないね……」
三者共に釣糸は微動だにしない、川の流れに沿ってゆらゆらと揺蕩うだけ。釣れる気配も無いため、私は持ってきた本を開いて読むことにした。隣の灰原と一個向こうの彼女は「やりたく無い仕事」について話ていた。
「でも、何事も経験だと思うな」
「じゃあエノキの根元の方を一本一本ほぐす仕事は?」
「それはちょっと辛そう…」
そんな仕事は無い、と凄く言いたかったが言葉を何とか飲み込む。あの二人は二人で会話させておくと終始フワフワしているので、ツッコミが無いまま妙な場所に話題が着地するが、それを一々訂正し軌道修正することは果てしなく疲れる。
「小さい頃ってどんな遊びした?」
「長渕剛ごっことか、中島らもごっことか」
「…それ、楽しいの?」
「おばあちゃんがガン予防にいいって」
どんな祖母だ。
そうは思うが何も言わない、私は会話に混ざらないからな。
「女性誌でヒモにしたい男トップランキングが載っててね」
「ヒモにしたい男の人の特徴ってこと?どんなの?」
「1顔が良い 2優しい 3料理が出来る 4声が落ち着く 5長身・痩身……夏油先輩数え役満じゃない?」
「夏油さんはカッコいいからね!」
そうじゃない、そうじゃないでしょう。
「ドアラの内股が気に入らないんだけど…」
「愛媛の人に怒られちゃうよ?」
「ドアラ愛媛だっけ?」
「……愛知ですよ」
とうとう突っ込んでしまった。この二人と一緒に居てまともに本を読もうとしたことが間違いだった、愛媛と愛知なんて全然違うだろう、大丈夫か。
「それより、引いてますよ」
「あら、本当」
絶対釣る気もう無かっただろ、何しに来たつもりなんだ。
クイクイと引く糸に気付いた彼女が、竿を勢いよく上げれば何らかの川魚を釣りあげた。
灰原がご機嫌に拍手をするので、私も無感動にパチパチと手を打ち鳴らす。
「…ギンブナね」
「食べれる?」
「ギンブナは有棘顎口虫(ゆうきょくがつこうちゅう)の中間宿主だから」
「もう釣りはやめませんか?」
解散だこんなもの、何のための40分間だったのだろう。時間をひたすら無駄にした気しかしない。
溜め息を飲み込んで、何も掛からなかった釣竿を引き上げれば灰原が声を上げた。
「あ、待って僕の方も釣れそう!」
自分の釣竿に変化が現れた灰原が、グイッと竿を引けば釣れたのはカニ。
これは…釣ったというより引っ掛かっただけじゃないだろうか。
「食べれる?」
「サワガニは肺ジストマの中間宿主で」
「はい、帰りますよ。さっさと片付けて下さい」
糸の処理をし始めれば「待って」と少女が言う。
灰原が釣り、リリースしようとしていたカニを受け取り、ギンブナと同じバケツにポチャンッと投げ入れる。
それ、一体どうするんだ…と訝しげに見ていれば、両手をペタリと地面について術式を発動させた。
めちゃくちゃなピアノの音が流れ始める。
速度も、強弱も、拍子も、何もかもがひっちゃかめっちゃかな喧しい音が鳴り響く。
そうして、彩り豊か、と言えば聞こえは良いが、そうでは無くひたすらに煩い色彩をした玩具のような花がポンッと咲いた。
その中央、花弁では無く柱頭部分、そこがカパッと割れたかとおもえば真っ赤な唇が現れた。
それを確認した彼女は、バケツからギンブナの尾を掴み、持ち上げた。
「まさか……」
「はーい、供物よー」
「寄生虫は大丈夫?」
「灰原、問題はそこじゃない」
ビチビチと身体をくねらせ足掻くギンブナは、抵抗虚しくも花の口元に近づけられる。グアッと唇が上下に割り開き、並びの良いツルリとした白い歯が見えたと思ったら、未だ生きたままのギンブナの頭に噛みつき、血やら鱗やらを撒き散らしながら汚ならしくバリバリと食べていった。
一言で表すならば、グロテスク。付け加えるならば醜悪、さらには生臭い。思わず鼻を手で覆いながら、しかし目線を逸らさずにその奇異な生餌の光景を三人で眺めた。
あっという間にギンブナの尾まで食べきった花のような形のそれに、次いでサワガニをやろうとした彼女に灰原が待ったをかける。
「あげなきゃダメ?」
「うーん……可愛くお願い出来たら考えましょうか」
同級生男子に何を求めているんだ、灰原も「分かった!」じゃない。
彼女の片手をソッと掴み、両手で包んで瞳を合わせて「お願い?」と首を傾げながら言う灰原にしょっぱいような気持ちになる、一体私は先程から何を見せられているのだろうか、この時間に意味はあるのだろうか、帰っていいですか。
「100億点、東京ガールズコレクションに出てました?」
「出てるわけ無いでしょう、ほらサワガニを戻して帰りますよ」
「サワガニ、元気でねー!」
「いつか灰原くんに恩返しに来るのよ」
そうしてサワガニを川に戻して見送った二人は、ポケットから取り出した飴やらガムやら輪ゴムやらを花に食わせていた、輪ゴムは吐き出されていたが。
彼女が説明するには、この花は「友達」らしく、門から入れた物の仕分け作業や検閲作業などを手伝ってくれているらしい。と、言われても何も分からなかった、なんだそれはという気持ちしか無い。やたら気持ち悪い物を飼っている…それしか分からなかった。
彼女は、異質だ。
地に足の着いていないかのような振る舞いも、甘くふわついた声も、命に容赦が無いところも、出自の謎も。石畳を叩くブーツの踵から、宙をかき回し踊る指先に至るまで、その全てが特異であるのに、本人は自分を「普通の人間」だと語るのだから…少しだけ、この隣人を私は恐ろしく思ってしまう。
花もどきは目を離した隙に消え去っていた、今日の釣りは…先程言っていた通りに供物の調達だったのだろう。
私達は、得体の知れない存在のための生け贄を釣らされていたわけだ。
「次からは、説明くらいして下さい」
「説明したら一緒に来てくれた?」
その問いに言葉を詰まらせれば、私の変わりに灰原が答える。
「僕は行くよ」
「なら、私も行きます」
「今度はお弁当持って来ようよ!」
高校1年になってまだ半年も経たないが、私達は上手いバランスで関係が成り立っていると思う。
少なくとも、灰原が居なければ、私はこの女と釣りには二度と来たくは無かった。