錆びた灯火
「って具合に夏油先輩に吸われてね?」
「ちゃんと逃げなさい」
「夏油さん疲れてるんだね」
夏油さんに吸われた報告会、という聞いただけでは一体何のことか分からない会を開いた少女の報告を灰原と聞いて、思わず眉間にシワがギュッと寄った。もう駄目だこの女、早く私が何とかしないと…。
吸われたことに対する愚痴では無く、如何にして吸われたか、吸われた時の虚無感、そもそも何故吸いたくなるのか…などと言ったことばかりを話す彼女に苦言を呈したくなる。しかし、言ったところでどうにもならないだろう、だから堪えた。
「そんな変わった匂いするかしら…」
スンスンッと鼻を鳴らして自分の匂いを確認する少女は、自分では分からなかったらしく灰原に身を寄せた。灰原は意図を察し、迷いも躊躇いも無くクンクンッと匂いを確認している。
この光景は男女として何か間違っているんじゃ無いだろうか、そう思う私が可笑しいのか。誰か教えて欲しい。
「いい匂いがするよ」
「ミュゲ……スズランの練り香水ちょこっと使ってるの」
ポーチを取り出し、中から取り出した500円玉程の白いケースの中に入った物を灰原に嗅がせている。「あ、この匂いだ」と言う灰原の手首に、指先に練り香水を少し付けた彼女の指がツツーッとなぞる。数度撫でつけ、指を離せば二人は同じ香りを纏った。
なんとなく、面白く無い。
「香水着けてるんだね」
「本当に少しだけね、自分に自信を付けるために良いって記事で読んだ」
二人の話を聞きながら眺めていれば、話す彼女と目が合って、無言で香水を差し出された。なので、こちらも無言で香りを嗅ぐ。甘く、清潔感のある柔らかな香りだ、重く無く癖も無い、随分可愛らしい香りを纏っているんだな…。
しかし、まあ、確かに彼女がローズやジャスミン、サンダルウッドを着けているのは似合わない、妥当と言えば妥当だろう。
「ご自身で買われたのですか?」
「いえ、硝子さんに……嗅覚は脳に刺激を与えやすいから、リラックスに使ってって」
「ああ、なるほど」
それなら納得だ。
それにしても、他人から贈られた香水を着けて彼女の兄は何も言わなかったのだろうか、見ているこちらがヘビー過ぎて疲れてくるような感情を妹に向ける かの先輩は、例え同性だろうとその辺り厳しいのでは無いかとやや心配になってあれば、グッと手首を掴まれた。
そうして、制服を手繰り上げて灰原にしていたように、私にも香水を塗りつける。
少しだけペタペタとした、そして彼女と同じ香りになる。
「仲良くお揃いね」
「だね、女子力上がっちゃったね七海」
「そうですね」
これは、五条さんに気付かれたら面倒臭いことになるな とは思うものの、今だけでも二人と同じ香りになっていることに少しの優越感を覚えてしまう。
きっと、兄よりも先輩よりも、私と灰原と居る時の方が彼女は明るく笑い、自然な心の内を見せてくれている。
灰原から聞いた彼女の葛藤を三人で分かち合い、私達は互いを照らし合っている。
支えが必要な時は支え、助けが必要な時は助ける。そうで無い時は地に足をつけ、各々が前を向いて一人一人歩けるように、適切な距離で依存し切ら無いように隣人として手の届く距離に居る。
相手に依存し切ることは互いにとって良い結果を生まない、彼女はそう学んだらしく、誰かに依存しないで自分に自信を付けようと頑張っている。
良い傾向だと私は思った、前までの…兄を真似て特別になろうと、兄の求める存在てあろうと悩み奇行染みた行動を起こし、時に馬鹿らしいと思えるような許容の仕方をしてみたり、無理な真似をするようなことを最近はあまりしなくなった。
以前はそういった面を見ても、私も灰原もあまり口を出したり踏み込まなかったが、近頃は我々も彼女が必死になりすぎ無いように時々確認をした。
正直他人に気を配る余裕なんて全然無かったが、二人が私に気を掛けてくれる分くらいは、こちらからも彼等にだけは誠実であろうと頑張れた。
二人が逃げ出さないから、まだここに居ても良いと思える程には、支えだった。
支えだったのに。
…
沈み込む気持ちと、疲れの抜けない身体を無理矢理働かせてペンを握る。
書ける人間が私しか居ないから、私が報告書を書いた。
もう私達の間に、スズランの匂いは二度と香らない。
「ちゃんと逃げなさい」
「夏油さん疲れてるんだね」
夏油さんに吸われた報告会、という聞いただけでは一体何のことか分からない会を開いた少女の報告を灰原と聞いて、思わず眉間にシワがギュッと寄った。もう駄目だこの女、早く私が何とかしないと…。
吸われたことに対する愚痴では無く、如何にして吸われたか、吸われた時の虚無感、そもそも何故吸いたくなるのか…などと言ったことばかりを話す彼女に苦言を呈したくなる。しかし、言ったところでどうにもならないだろう、だから堪えた。
「そんな変わった匂いするかしら…」
スンスンッと鼻を鳴らして自分の匂いを確認する少女は、自分では分からなかったらしく灰原に身を寄せた。灰原は意図を察し、迷いも躊躇いも無くクンクンッと匂いを確認している。
この光景は男女として何か間違っているんじゃ無いだろうか、そう思う私が可笑しいのか。誰か教えて欲しい。
「いい匂いがするよ」
「ミュゲ……スズランの練り香水ちょこっと使ってるの」
ポーチを取り出し、中から取り出した500円玉程の白いケースの中に入った物を灰原に嗅がせている。「あ、この匂いだ」と言う灰原の手首に、指先に練り香水を少し付けた彼女の指がツツーッとなぞる。数度撫でつけ、指を離せば二人は同じ香りを纏った。
なんとなく、面白く無い。
「香水着けてるんだね」
「本当に少しだけね、自分に自信を付けるために良いって記事で読んだ」
二人の話を聞きながら眺めていれば、話す彼女と目が合って、無言で香水を差し出された。なので、こちらも無言で香りを嗅ぐ。甘く、清潔感のある柔らかな香りだ、重く無く癖も無い、随分可愛らしい香りを纏っているんだな…。
しかし、まあ、確かに彼女がローズやジャスミン、サンダルウッドを着けているのは似合わない、妥当と言えば妥当だろう。
「ご自身で買われたのですか?」
「いえ、硝子さんに……嗅覚は脳に刺激を与えやすいから、リラックスに使ってって」
「ああ、なるほど」
それなら納得だ。
それにしても、他人から贈られた香水を着けて彼女の兄は何も言わなかったのだろうか、見ているこちらがヘビー過ぎて疲れてくるような感情を妹に向ける かの先輩は、例え同性だろうとその辺り厳しいのでは無いかとやや心配になってあれば、グッと手首を掴まれた。
そうして、制服を手繰り上げて灰原にしていたように、私にも香水を塗りつける。
少しだけペタペタとした、そして彼女と同じ香りになる。
「仲良くお揃いね」
「だね、女子力上がっちゃったね七海」
「そうですね」
これは、五条さんに気付かれたら面倒臭いことになるな とは思うものの、今だけでも二人と同じ香りになっていることに少しの優越感を覚えてしまう。
きっと、兄よりも先輩よりも、私と灰原と居る時の方が彼女は明るく笑い、自然な心の内を見せてくれている。
灰原から聞いた彼女の葛藤を三人で分かち合い、私達は互いを照らし合っている。
支えが必要な時は支え、助けが必要な時は助ける。そうで無い時は地に足をつけ、各々が前を向いて一人一人歩けるように、適切な距離で依存し切ら無いように隣人として手の届く距離に居る。
相手に依存し切ることは互いにとって良い結果を生まない、彼女はそう学んだらしく、誰かに依存しないで自分に自信を付けようと頑張っている。
良い傾向だと私は思った、前までの…兄を真似て特別になろうと、兄の求める存在てあろうと悩み奇行染みた行動を起こし、時に馬鹿らしいと思えるような許容の仕方をしてみたり、無理な真似をするようなことを最近はあまりしなくなった。
以前はそういった面を見ても、私も灰原もあまり口を出したり踏み込まなかったが、近頃は我々も彼女が必死になりすぎ無いように時々確認をした。
正直他人に気を配る余裕なんて全然無かったが、二人が私に気を掛けてくれる分くらいは、こちらからも彼等にだけは誠実であろうと頑張れた。
二人が逃げ出さないから、まだここに居ても良いと思える程には、支えだった。
支えだったのに。
…
沈み込む気持ちと、疲れの抜けない身体を無理矢理働かせてペンを握る。
書ける人間が私しか居ないから、私が報告書を書いた。
もう私達の間に、スズランの匂いは二度と香らない。