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夏油、吐いたってよ

何度目かの破壊音が聞こえた後に頭上から落ちてきた瓦礫から少女を待避させるため、私と灰原は彼女の手を掴んではあっちへこっちへと移動を繰り返していた。

もうひっちゃかめっちゃかである。
担任の声も聞こえていない先輩二人は、暴れ回って破壊作業に勤しんでいた。
これはどうにもならない、諦めて戦闘の見学とでも思っていよう。
どうやら二人もそう思っていたらしく、灰原の「凄いね…」という感心したような声に、「そうですね、凄い…」と少女も口を開けて同じく感心していた。

「最早災害ですよ、あんなもの」

純粋に感心をする二人にそう突っ込んでいる最中も、瓦礫が飛んで来たり止めに入った呪術師が宙を舞ったりと大変なことになっていた。
とりあえず一旦離れようと、三人でその場から安全地帯と思われる方へと小走りで移動する。


夏油さんがクソキレている理由は知っている。
知っているだけに、今回ばかりは味方する所存だ。

とうとう五条さんが手を出してしまったのだ、ほぼ赤ん坊同然の未知なる少女に。

五条さんの強行から解放された彼女を一番最初に見付けたのは我々であった。
任務から帰って来て、喋りながら廊下を灰原と共に歩いていた時に前方からシオシオな状態で力無く歩いて来た少女に気付いた我々は、一体どうしたと問い掛けた。
そうすれば、ポツリポツリと少女は話始める。
その内容に我々は顔を見合せ、私は眉間を揉み、灰原は口元をひきつらせた。

「少々気持ち悪かったのです」
「最悪だ」
「大変だったね、飲み物でも買おうか」

灰原に背中を擦られ、自販機のある休息スペースまで赴く。
口直しにと渡した微糖の珈琲をコクリコクリと飲む姿に、今更ながらどうしようも無い危機感を抱いた。

ちゃんと自衛手段を身に付けさせ、一刻も早く常識を身に付けさせなければ。
でなければ、最早いつ何が起きるか分からない。

そんなことを悩みながら、灰原と話し合い、一先ずは夏油さんが帰って来たら報告して、彼から五条さんに一言文句を言って貰おう。という結論に至った。
だがそれは間違いだったのかもしれない。結果として、子を守る母の怒りを買った五条さんごと教室は更地になり、午後の授業は全面中止なってしまった。


避難先にて遠目から破壊活動を見ていれば、同じように避難してきたらしい家入さんが煙草を咥えながらやって来た。
三人揃って先輩へ向けて頭を下げれば、ひらりと片手を軽やかに振り返される。

「五条にキスされたんだって?」
「口内に舌を入れられました、あれもキスですか?」

彼女の疑問には答えず、フッと笑ってから煙草を一度吸い込み、ピュアな瞳で自分を見つめる少女に向けて家入さんは口の中の煙を吹き掛けた。
咄嗟に目を瞑り、そしてケホケホッと咳をした少女は我々が何かを言う前に「なるほど」と呟く。

「これが煙草ですか」
「興味あるなら一本吸う?」
「いいえ………あの、煙草を吸うことに意味はありますか?」
「…んー、無いかな」

こんな時でも彼女は変わらずなぜなぜ期を発動させている。
この星のことも、人の営みも、築き上げた文明も、紡がれた歴史も…何も知らない彼女は全てのことに興味を抱き、知ろうとする。
知的欲求や探求心はヒトが持つ根元的欲求の一つだ、好奇心が技術の発展に繋がり、それは時に歴史を動かす一手となる。

他の人がどう思っているかは知らないが、私はこの少女……スピカと書類上呼ばれている存在を、限り無く純粋な人間に近い生命体なのだと思っている。

そんな純粋な彼女は、自身の知識と人類への理解を深めるために質問を続ける。

「キスに意味はありますか?」
「さあ、人それぞれじゃない?」
「私には繁殖能力が無いのに、何故五条さんはキスをしたのですか?」
「あのクズの行動に、とくに意味なんて無いよ」
「意味が………無い……?」

家入さんの回答に少女は珍しく眉間にシワを寄せ、不可解な表情を浮かべる。
首を横へと倒し、「それは可笑しいです」と困惑気味に言った。

「だって、あらゆる物事は理由があって起こるのです。因縁因果、運命、宿命…人はいつだって当てはまらない物事が無いように、ルールを作り続ける生き物で……」

藤色の瞳が、揺らぐ。

やや早口で語られた内容には、彼女なりの人間への解釈が表れていた。
だがしかし、世の中は彼女が思っている程シンプルでも綺麗なわけでも無い。

咥えていた煙草を口から離し、人差し指と中指の間で挟んで持つ家入さんは面白そうに少女の解釈を聞くと、口の端に笑みを浮かべながら「そうかもね、でも…」と言い聞かせるように話した。

「やっぱり意味なんて無いよ」
「……それは、どうして?」
「人間は君が思ってる程、賢く無いから」
「……………」


文字通り、言葉を失った少女はややあった後、胸の前で両手を握り締めると「じゃあ……」と、震える声で呟いた。


「じゃあ私にも、意味は無いのでしょうか」


その声には、恐怖心が滲み出ていた。


「私の命にも、意味は無いのでしょうか」


カタカタと震える指先が白くなっていく。


「私に何の意味も無いから、彼は意味の無い行動をしたの?」


瞬きを繰り返す瞳の端から透明な雫が零れ落ちるのを、我々は黙って見つめることしか出来なかった。

何故なら、正しい回答をしてやるためには、あまりにも我々は彼女について何も知らなかったから。

彼女は必死に我々を理解しようとしていたが、我々は彼女について理解を深めようとは思わなかった。
「神秘」と断定された未知の宇宙から来た生命体、どうせ理解出来やしない。
純粋な赤ちゃんみたいなもの、なぜなぜ期の子供、ただ居るだけの存在。
表面上しか見ずにカテゴライズしたレッテルを貼って、それで完結させる。

ちゃんと向き合わなかった、よく分からない変な奴だと思って。

でも彼女の行動や疑問には全て理由があった。

一人で暗くて狭い宇宙船の中で生きてきた。
生きる理由はいつか解体されるため、即ち死ぬため。
死ぬために産み出され、死ぬために生きる。
だがしかし、彼女の死を望んだ作り手達は既に滅んでおり、彼女の死は何の意味も無かった。

死ぬために生きる命。
だが、その死に意味は無い。
それは同時に、生に意味が無いことと同義。

彼女が生きる価値はこの宇宙の何処にも無かったのだ。

だから必死で探していたのだろう、自分の意味を。
当初の目的通り解体されるため、卵子を受け渡せる個体を探す。そのために性知識を求める。だが解体は夏油さんに止められてしまった。
そうすればいよいよもって彼女は自分の存在意義を見失う。

己の価値を見出だせず、同胞も居ない世界で孤独に耐える。


掛けるべき言葉が浮かばない私の目を見て、何かを感じた彼女は顔を俯かせると走ってその場から立ち去って行った。

私はただ呆然と、その場に突っ立ったまま走り去る白い後ろ姿を眺めていた。
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