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夏油、吐いたってよ

「ということで夏油は今日一日ゆっくり休ませるように、以上」

そう締め括られ終わった朝のホームルームの後、私は隣の席に座り熱心に読書に耽る女子生徒の格好をした地球外生命体に目をやった。

彼女の手に持つ文庫本のタイトルを盗み見る。

「ソドム百二十日」

誰だ、一体誰がこんな物を彼女に貸した。
世界各国で上映禁止となった邪悪な映画の元となった、あまりに惨くて口にも出せない物を何故読んでいるのか。
何故誰も押収しないのだ、これは……また私が教えなければいけないのか?
しかし、面倒臭さと使命感に板挟みになっていた私よりも先に声を掛けた人物が居た。
それは、唯一の同級生である灰原だった。
彼は屈託の無い笑顔で彼女の机に向かうと、机越しにしゃがみ「何読んでるの?」と聞いた。
よし、いいぞ灰原。そのままそれを奪って捨てろ。

「それがなんだか……よく分からない話なのです。4人の男による絶対権力下で少年達が…性的侮辱を受けさせられ、最終的には拷問により死んでいくような話で、私には何を持ってこれが書かれたのかさっぱりよく分からず…」
「うーん……七海なら分かるかな?」

私に振るな。
灰原の言葉に二人揃って純真な瞳でこちらを見つめてくるものだから、息を詰まらせる。
やめろ見るな、知らないならばそのままでいい。
興味本位で知識を齧ったことのある自分が途端に恨めしく思えた。
こんな話、知らなくて良い。私はその気持ちを込めて「知らなくて良いです」と言ったが、なぜなぜ期の知りたがりは「知りたいです」と言い出した。

「人類種は繁殖目的以外にも性行をすると読みました、これもその一貫なのですか?」
「だから、知らなくて良いです」
「本来子孫繁栄目的である性行が、何故死に繋がるのでしょうか…」
「それも知らなくて良いです」

その後もなぜなぜ期の少女は朝っぱらから恥じらいも無く「何故肛門を使って性行為をするのですか?」「この作品では男性同士でも性行をしておりますが、これにはどんな意味が?」「この"絶倫"という単語の意味を知りたいです」と容赦の無い質問をして来た。
私はそれを「ああ、今日も始まってしまった……」と黙って流していたが、可哀想なのは灰原で、彼は耳を真っ赤にして少女の机に顔を突っ伏してしまった。

灰原は「七海ィ……」と弱々しい声で私の名を呼び、何とかしてくれと言わんばかりの視線を送ってくる。
私はそれに対して静かに首を横に振った。
残念だが、この生き物は妙に人間の身体と繁殖について興味関心が強いのだ。
こうなるとどうにもならない。


「何故、出産適齢期で無いメスと繁殖行為をするのですか?」
「知りません」
「そもそもどうして同種族の間で迫害や殺害が起きるのですか?」
「何故でしょうかね」
「七海師匠はこういうことやったことありますか?」
「ありません」

そろそろいい加減にしろと一喝すべきか……と悩んでいた時、沈黙していた灰原が「七海師匠?」と声を上げた。
それについて言及されるのも正直あまり好ましくは無かったが、この際話が逸れるならば何でもいいと灰原の疑問に乗っかった。

「私が色々とマナーや社会常識を教えてるんです」
「へー!」
「まあ、まだ教え切れて無いのですが…」
「それは…うん、これから頑張ろう!」

僕も手伝うから、と頼もしいことを言ってくれる友人に感謝をしながら、私は当初の目的を果たすことにした。

「ということで、その本は没収です。ルール違反ですので」
「……この本が?」
「ええ、その本は教育の場に相応しく無い」
「…わかり、ました……」

分かったとは言ったが、実際には何も分かっていないだろう声色でぽけっとしながら文庫本を渡されたので、しっかりと受け取りさっさと鞄に仕舞いこんだ。
これは後で先生に押し付けてしまおう。

私が本を没収したことにより、手持ち無沙汰となってしまった彼女は自分の手を瞳を丸くしながら見つめていた。それにどんな意味があるかは知らないが、私は変わりにと自分が読むために持って来た本を一冊手渡すことにした。
それは世界的に有名な物語、「星の王子様」である。何となく読み直そうと思い持って来たが丁度良かった。

だがしかし、私が手渡そうとした本は受け取られなかった。
差し出した本を見て、彼女は首を横に振り、「この本については知っています」と言った。

「ファクトリーで学んだ資料の中にありました、人類種の中で長年に渡り愛されている一冊であると」
「ファクトリー?」

灰原が首を傾げる。
それに対して少女も真似るように同じ方向へと首を傾げた。

「はい、人間生産工場です…この世界にはありませんか?」
「無いよ、えっと……君はその工場で産まれたの?」
「産まれてはいません、製造されました。製造番号はQQ42-C」
「製造……?」

灰原傾げていた首を元の位置に戻し、今度は逆方向へと傾げる。
同じように少女も首を反対方向へと傾け、瞬きを繰り返していた。
何とも不思議な感じであった。

「人間が人間を作ったってこと?」
「はい、ですが人類種はもう絶命しています」
「でも、君は確か人類のために労働するとかって」
「はい、私達は人類種のために労働を行います」

彼女の発言が矛盾していることはすぐに理解出来た。
人類のために製造され、人類のために働いているのに、その人類が彼女の生きていた世界ではもう絶えている。
では何故彼女は宇宙の中で死を眼前に突き付けられながら、労働をしていたのだろう。

浮かび上がった疑問は、すぐに彼女が答えてくれた。

薄い腹を撫でながら、「我々のここには」と小さく呟く。
その目に感情は一切無く、機械的に淡々と言葉を紡ぐ。


「人類種の卵子が凍結された状態で保管されております。いつか、人類種を再生するために絶命する前の彼等から託された品です。ですが………」

「私達労働個体には、これを体外に人として産み出すための器官が備わっておりません」

「私達の目的はただ一つ、いつか何処かの誰かにこの身を解体して貰い、中の卵子を託すこと」


「私はどうやら、目的達成に一番近い個体のようです」


そう言った彼女の顔は、まるで安堵したかのような笑みを浮かべていた。

灰原も私も揃って沈黙し、言葉を探す。
だがしかし、何も言える言葉は浮かんで来なかった。
違う世界の違う生き物の話。
SF小説の中の設定、だがしかし、目の前に居る少女の背負った物語。

我々は何も喋らないまま、一時間目のチャイムを待った。
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