七海が犬を飼ったよ
「遅くなりました」
医務室の扉を開き、入室と共に到着が遅れたことへの謝罪をすれば、中に居た数名が振り返り「お疲れ」「お疲れ様です」と労りの言葉を私に掛ける。
それに適当な言葉を返しながら、案内された先、カーテンで囲うように仕切られたベッドの向こうで眠る少女を見て、眉間にシワが寄ったことが自分でも分かった。
小さく丸まって涙を流しながら眠る姿、彼女をここまで追い詰める事態とは、一体。
私が口を開くよりも先に、乙骨くんが謝罪の言葉を走らせる。
「ごめんなさい、僕のせいです」
「いや、今回のは僕の判断ミスだ」
間髪入れずに五条さんが割って入り、状況の説明をし出す。
話し合いの席から少女を外し、任務の無かった乙骨に少女の身を任せることにしたが、彼に憑く呪霊が暴走した結果、少女の式神を破壊してしまったと言う。
「破壊された式神というのは」
「例の"お母さん"だよ」
「よりにもよって……」
溜め息を堪えて眉間を揉む。一度ゆっくりと呼吸を吸い、深く吐き出して感情を逃がす。
少女が母と呼び慈しむ式神は、我々からすれば式神と判別出来る物であるのだが、精神的が磨耗してしまっている少女からすれば「母の残り火」であると錯覚しているらしく、不安定な精神の唯一の拠り所と言っても過言でない存在であった。
共に暮らしていても度々部屋に出しては、母に対するように接し、甘え、無垢な笑顔を溢していた相手である。
悪意は無かったとは言え、それが破壊された結果はこれだ。
横たわる少女の髪に触れて、彼女の痛みに思いを馳せる。
乙骨くんの話によると、少女は茫然自失な状態で座り込み、暫くした後に、鼓膜が壊れるかと思う程の絶叫を挙げて気を失ったらしい。
絶望と自暴の叫びを聞いた五条さんが慌てて部屋を飛び出せば、既に少女は意識不明となっており、未だに目が覚めないとのことだ。
家入さんが、精神を安定させる薬は投与済みであると告げる。
私はそれに礼を言って、少女の小さく軽い身体を抱き上げた。
「家に連れて帰ります」
「何か様子が可笑しければ、すぐに連絡しろ」
「了解です」
短いやり取りをし、もう一度頭を下げて医務室を後にする。
体調も精神も穏やかさを取り戻して来たと思ったらこれだ。
一体私がどれだけこの子を大切にして、適切な距離を保ち、構いたくなる所を我慢してここまで安定させたと思っているのか。
ああ、やはり外に出すのはまだ早かったのだ、理由なんていくらでもこじつけられたはず。もう少し様子を見てから…後悔した所で後の祭り、きっと目を覚ましたら深く悲しみ落ち込んでしまうだろう姿を思い浮かべて心が揺れる。
傷付いてしまったペットに寄り添うのもまた、飼い主の勤めだ。
私は既に己が死ぬか、この子が先立つかするまで終生面倒を見る覚悟が出来ている。
飼ったからには最後まで責任を持てと、彼女を迎えてから買った犬に関する様々な書籍に書いてあった文章を思いだし、私は一人今一度腹を括るのであった。
目が覚めたら何か食べれるように胃に優しいスープでも作っておこう。
やれることは何でもしてあげたいと思うこの気持ちは、はたして一体何処から生まれてくる感情なのか。
この時の私はまだ、自分が惑わされていることを知らない。
医務室の扉を開き、入室と共に到着が遅れたことへの謝罪をすれば、中に居た数名が振り返り「お疲れ」「お疲れ様です」と労りの言葉を私に掛ける。
それに適当な言葉を返しながら、案内された先、カーテンで囲うように仕切られたベッドの向こうで眠る少女を見て、眉間にシワが寄ったことが自分でも分かった。
小さく丸まって涙を流しながら眠る姿、彼女をここまで追い詰める事態とは、一体。
私が口を開くよりも先に、乙骨くんが謝罪の言葉を走らせる。
「ごめんなさい、僕のせいです」
「いや、今回のは僕の判断ミスだ」
間髪入れずに五条さんが割って入り、状況の説明をし出す。
話し合いの席から少女を外し、任務の無かった乙骨に少女の身を任せることにしたが、彼に憑く呪霊が暴走した結果、少女の式神を破壊してしまったと言う。
「破壊された式神というのは」
「例の"お母さん"だよ」
「よりにもよって……」
溜め息を堪えて眉間を揉む。一度ゆっくりと呼吸を吸い、深く吐き出して感情を逃がす。
少女が母と呼び慈しむ式神は、我々からすれば式神と判別出来る物であるのだが、精神的が磨耗してしまっている少女からすれば「母の残り火」であると錯覚しているらしく、不安定な精神の唯一の拠り所と言っても過言でない存在であった。
共に暮らしていても度々部屋に出しては、母に対するように接し、甘え、無垢な笑顔を溢していた相手である。
悪意は無かったとは言え、それが破壊された結果はこれだ。
横たわる少女の髪に触れて、彼女の痛みに思いを馳せる。
乙骨くんの話によると、少女は茫然自失な状態で座り込み、暫くした後に、鼓膜が壊れるかと思う程の絶叫を挙げて気を失ったらしい。
絶望と自暴の叫びを聞いた五条さんが慌てて部屋を飛び出せば、既に少女は意識不明となっており、未だに目が覚めないとのことだ。
家入さんが、精神を安定させる薬は投与済みであると告げる。
私はそれに礼を言って、少女の小さく軽い身体を抱き上げた。
「家に連れて帰ります」
「何か様子が可笑しければ、すぐに連絡しろ」
「了解です」
短いやり取りをし、もう一度頭を下げて医務室を後にする。
体調も精神も穏やかさを取り戻して来たと思ったらこれだ。
一体私がどれだけこの子を大切にして、適切な距離を保ち、構いたくなる所を我慢してここまで安定させたと思っているのか。
ああ、やはり外に出すのはまだ早かったのだ、理由なんていくらでもこじつけられたはず。もう少し様子を見てから…後悔した所で後の祭り、きっと目を覚ましたら深く悲しみ落ち込んでしまうだろう姿を思い浮かべて心が揺れる。
傷付いてしまったペットに寄り添うのもまた、飼い主の勤めだ。
私は既に己が死ぬか、この子が先立つかするまで終生面倒を見る覚悟が出来ている。
飼ったからには最後まで責任を持てと、彼女を迎えてから買った犬に関する様々な書籍に書いてあった文章を思いだし、私は一人今一度腹を括るのであった。
目が覚めたら何か食べれるように胃に優しいスープでも作っておこう。
やれることは何でもしてあげたいと思うこの気持ちは、はたして一体何処から生まれてくる感情なのか。
この時の私はまだ、自分が惑わされていることを知らない。