七海が犬を飼ったよ
やっぱりおかしい、これはどう考えてもおかしい。
七海さんという、とても優しい大人の呪術師の方に保護され半月と少し、私は精神状態が大分安定したため、本日は五条さん引率のもと、上層部?の査問会?で話合いが行われる予定であった。
朝、緊張しながら家を出る時に七海さんは真面目なお顔で「君なら大丈夫です」と言ってくれた。その言葉を信じて私は五条さんと共に上層部の元まで足を運んだわけなのだが……。
「では、この子供は嘘偽り無く自ら呪詛師の道を歩んだのでは無く…」
「そうなんだよね~、洗脳によってやりたくないことやらされてさ…七海が助けなければ今頃……」
「今頃…なんだ?」
「きっと今頃悪い大人達に洗脳プレイをされていたんだって!何ならパンツ脱いでたって聞くし、ね?」
えっと……あの…な、え??洗脳プレ…?パンツ脱ぐ……?
呼吸をするように嘘を付く五条さんの隣で私はひたすらに縮こまり、困惑を伝えるために彼を見上げていた。
だがしかし、私の思いは一ミリも伝わらなかったらしく、彼は「ああ!嫌なこと思い出させてごめんね!」と私を抱き締め、よしよしと頭を撫でた。
なんで???
「ほら、見てよこの顔、思い出して泣きそうになってる」
「可哀想に…」
「こんな清廉潔白な子が嘘付くわけ無いでしょ」
「確かに…」
鵜呑みにしないで…!
そして嘘を付いているのは私じゃない、五条さんだ。私はここに来てから挨拶くらいしかしていないのに、何故…どうしてこんな……。「この子の目を見て」と五条さんが背後から私の頬をむにっと支えて顔を上げさせる。
「この純粋な瞳……どう見たって悪い子じゃないでしょ」
「何と穢れの無い…」
「神秘的だ…」
流されている!偉いおじいさん達が適当な嘘に流されている!
目を見て何が分かるんだろう、落ち着いてよく考え直して欲しい、私すっごい悪者ですよ、極悪呪詛師なんです、人殺しちゃってます、然るべき罰を与えるべきだ。
流れに負けてはならない、この嘘は美しくない。それに、嘘を付いて生き残っても母は喜ばないだろう、ならば言わなければ、私に罰を与えろと!
「わ、わ、私は呪詛師です!呪詛師なんです!人を殺しました、自分の意思で…」
私の言葉に注目が集まる、緊張で手が冷たくなっていくのを感じながら、私は「母が死んでから…道を間違えました……」と反省の言葉を口にした。
私は自分の罪を自覚している、だから罰されて当然だと感じている。
人を傷付け、命を奪ったのだから、同じ目にあったって当然なのだ。
改めて感じる命を奪ったことへの重い責任に、息苦しくなり俯いた。
目を閉じて荒れる感情をやり過ごそうとすれば、五条さんの大きな手が背中を撫でて、そして私へ語りかけてくる。
「君の話は分かったからさ、少し外で休んでおいで?」
「でも…」
話し合いはまだ終わっていないだろう、と振り返り五条さんを見上げる。
だがしかし、五条さんが何かを言う前に、周りの偉いおじいさん方が「そうだな」「そうした方が良い」と言い出した。
……おかしいな、今私は完璧に自分が全て悪いです、同情の余地なんて無いです、って流れに持って行けたと思ったんだけどな…。
「違うんです」「待って下さい」と口にするも、私は五条さんに無理矢理背中を押されて部屋の外へと追い出されてしまう。
扉が閉まる前に財布から万札を渡されて、これでジュースでも買って飲んでてと言われ、突然の大金に狼狽えていれば、無情にも扉は重たい音を立てながら閉まってしまった。
ど、どうしよ……どうしたら良いのだろう…。
外部の人間と連絡を取れないようにと携帯機器の類いは持っていない、そもそも未だ監視対象であるはずの私は一人になってはならないのだ。
むき出しの一万円握り締めたまま立ち尽くす、ここに居たって邪魔なだけなことは分かっているのだが、だからと言って私は何処に行けば良いのか。
何処にも居場所なんて無いのに、誰のことも知らないのに。
うつむきながら扉から数歩離れ、廊下の壁に寄り掛かる。
どうして皆私のことを肯定的に捉えるのだろうか、どうして…正しく私という人間の在り方や所業が伝わらないのか。
どうしようも無いやるせなさを感じながら、話し合いが終わるまでは大人しく待っていようとしゃがみ込み、背中を丸めて目を閉じる。
醜い人間が嫌いだ、醜い人間が許せない。
だから醜い人間の肉体と魂を分離させて、魂だけでも美しく…と、身勝手なことを理想に掲げた。
しかし、今醜いのは他でもない、己だ。
身勝手な理由で人を殺め、醜悪な思いで剣を振るい、一人じゃ生きられないと分かれば、あさましくも大人に縋り生きている。
卑しく、下劣で、意地汚い。
みっともない人生だ、私は低列な人間だ。
一人になると、自分を追い詰めることばかり考えてしまう。
よくない癖がついてしまっていた、皆が私に良くしてくれるから、七海さんが優しいから、だから罰が欲しくなる。
自分は悪い子なんだって思っていないと周りから与えられる優しさで参ってしまうのだ。
優しくされるような人間ではないと、自分に言い聞かせていないと、堕落してしまいそうで怖い。
滲んだ涙を拭うために目元をゴシゴシ擦っていれば、ふいに足音が聞こえて顔をパッと上げる。
見上げた先、通路の向こうからこちらへ歩いてくる人影には見覚えがあった。
何せ、一人だけ制服が白いからよく目立つのだ、乙骨さんは。
一応立ち上がりペコリと頭を下げれば、眉をヘニャリと垂れさせながら不器用な笑みを作り片手を上げて挨拶をしてきた。
通り過ぎるのかなと思い、邪魔にならないように肩を小さくしていれば、彼は私の前で立ち止まった。
多分、私は今 キョトン とした顔をしているだろう。
何故なら、どうして彼がここに来て、私の前で立ち止まったのか理由がわからないからだ。
見上げた先、乙骨さんは「五条先生に呼び出されて…」と頬を人差し指で掻きながら口にする。
「す、すみません…私のせいだ……」
「気にしないで、それより大丈夫?」
丁寧な物腰で尋ねてくる乙骨さんは、わざわざハンカチを差し出した。
未だ流れる涙を優しく拭おうとしてくれたが…しかし、その手が私に届くよりも先に、彼のお姫様…呪いの女王「里香ちゃん」がヌルリと現れ問答無用で私に拳を振りかざした。
「里香ッ!!」
乙骨さんが呪いの名を呼ぶも、静止の声を振り切り、遠慮なんて知らない力加減で振りかぶられた拳を受け止めたのは、羽を広げた一匹の黒い蝶であった。
ブワリと風圧だけが身を襲う。
私の身を守るように巨大な黒い羽を羽ばたかせ、呪霊の前に立ち塞がるは「お母さん」
私の愛した、今は蝶となった母がその身で呪いから放たれた、歪んだ愛故の一撃を受け止める。
だがしかし、相手は特級。
深い愛と悲しい恋の結末から産まれた愛欲の化身、怪力乱神と語るに相応しき彼女の強打は鋭く、重く、目を奪われる程に強かった。
対してこちらは、大きかろうと蝶は蝶、お母さんと呼び連れ歩く私の美しき自慢の黒蝶は、里香ちゃんの惨憺たる鮮烈な一撃を受け止めたが最後、そのまま身を貫かれ、冷たい床に力無くポトリと落ちて消滅していく。
「………………」
その光景を前に、私は頭が真っ白になってただ立ち尽くしていた。
音が遠退いていく、自分の呼吸がどうなっているのかすらよく分からない、何処かで乙骨さんが何かを誰かに言っている声を聞きながら、私は母の元にフラフラとした足取りで近付き、消滅し行く身へ震える指先を伸ばす。
シュワシュワと、まるで泡のように消えていく儚い姿を見つめ、私は何も考えられなくなった。
チカチカと視界が明滅する、肺が苦しい、指先はやたらに熱いのに、足の方から感覚が失われていくかのように冷たくなっていく感覚が感じられた。
そこまでは覚えている。
そこから先は、覚えていない。
もう、何も分かりたくない。
人間なんて、愛なんて、嫌いだ。
七海さんという、とても優しい大人の呪術師の方に保護され半月と少し、私は精神状態が大分安定したため、本日は五条さん引率のもと、上層部?の査問会?で話合いが行われる予定であった。
朝、緊張しながら家を出る時に七海さんは真面目なお顔で「君なら大丈夫です」と言ってくれた。その言葉を信じて私は五条さんと共に上層部の元まで足を運んだわけなのだが……。
「では、この子供は嘘偽り無く自ら呪詛師の道を歩んだのでは無く…」
「そうなんだよね~、洗脳によってやりたくないことやらされてさ…七海が助けなければ今頃……」
「今頃…なんだ?」
「きっと今頃悪い大人達に洗脳プレイをされていたんだって!何ならパンツ脱いでたって聞くし、ね?」
えっと……あの…な、え??洗脳プレ…?パンツ脱ぐ……?
呼吸をするように嘘を付く五条さんの隣で私はひたすらに縮こまり、困惑を伝えるために彼を見上げていた。
だがしかし、私の思いは一ミリも伝わらなかったらしく、彼は「ああ!嫌なこと思い出させてごめんね!」と私を抱き締め、よしよしと頭を撫でた。
なんで???
「ほら、見てよこの顔、思い出して泣きそうになってる」
「可哀想に…」
「こんな清廉潔白な子が嘘付くわけ無いでしょ」
「確かに…」
鵜呑みにしないで…!
そして嘘を付いているのは私じゃない、五条さんだ。私はここに来てから挨拶くらいしかしていないのに、何故…どうしてこんな……。「この子の目を見て」と五条さんが背後から私の頬をむにっと支えて顔を上げさせる。
「この純粋な瞳……どう見たって悪い子じゃないでしょ」
「何と穢れの無い…」
「神秘的だ…」
流されている!偉いおじいさん達が適当な嘘に流されている!
目を見て何が分かるんだろう、落ち着いてよく考え直して欲しい、私すっごい悪者ですよ、極悪呪詛師なんです、人殺しちゃってます、然るべき罰を与えるべきだ。
流れに負けてはならない、この嘘は美しくない。それに、嘘を付いて生き残っても母は喜ばないだろう、ならば言わなければ、私に罰を与えろと!
「わ、わ、私は呪詛師です!呪詛師なんです!人を殺しました、自分の意思で…」
私の言葉に注目が集まる、緊張で手が冷たくなっていくのを感じながら、私は「母が死んでから…道を間違えました……」と反省の言葉を口にした。
私は自分の罪を自覚している、だから罰されて当然だと感じている。
人を傷付け、命を奪ったのだから、同じ目にあったって当然なのだ。
改めて感じる命を奪ったことへの重い責任に、息苦しくなり俯いた。
目を閉じて荒れる感情をやり過ごそうとすれば、五条さんの大きな手が背中を撫でて、そして私へ語りかけてくる。
「君の話は分かったからさ、少し外で休んでおいで?」
「でも…」
話し合いはまだ終わっていないだろう、と振り返り五条さんを見上げる。
だがしかし、五条さんが何かを言う前に、周りの偉いおじいさん方が「そうだな」「そうした方が良い」と言い出した。
……おかしいな、今私は完璧に自分が全て悪いです、同情の余地なんて無いです、って流れに持って行けたと思ったんだけどな…。
「違うんです」「待って下さい」と口にするも、私は五条さんに無理矢理背中を押されて部屋の外へと追い出されてしまう。
扉が閉まる前に財布から万札を渡されて、これでジュースでも買って飲んでてと言われ、突然の大金に狼狽えていれば、無情にも扉は重たい音を立てながら閉まってしまった。
ど、どうしよ……どうしたら良いのだろう…。
外部の人間と連絡を取れないようにと携帯機器の類いは持っていない、そもそも未だ監視対象であるはずの私は一人になってはならないのだ。
むき出しの一万円握り締めたまま立ち尽くす、ここに居たって邪魔なだけなことは分かっているのだが、だからと言って私は何処に行けば良いのか。
何処にも居場所なんて無いのに、誰のことも知らないのに。
うつむきながら扉から数歩離れ、廊下の壁に寄り掛かる。
どうして皆私のことを肯定的に捉えるのだろうか、どうして…正しく私という人間の在り方や所業が伝わらないのか。
どうしようも無いやるせなさを感じながら、話し合いが終わるまでは大人しく待っていようとしゃがみ込み、背中を丸めて目を閉じる。
醜い人間が嫌いだ、醜い人間が許せない。
だから醜い人間の肉体と魂を分離させて、魂だけでも美しく…と、身勝手なことを理想に掲げた。
しかし、今醜いのは他でもない、己だ。
身勝手な理由で人を殺め、醜悪な思いで剣を振るい、一人じゃ生きられないと分かれば、あさましくも大人に縋り生きている。
卑しく、下劣で、意地汚い。
みっともない人生だ、私は低列な人間だ。
一人になると、自分を追い詰めることばかり考えてしまう。
よくない癖がついてしまっていた、皆が私に良くしてくれるから、七海さんが優しいから、だから罰が欲しくなる。
自分は悪い子なんだって思っていないと周りから与えられる優しさで参ってしまうのだ。
優しくされるような人間ではないと、自分に言い聞かせていないと、堕落してしまいそうで怖い。
滲んだ涙を拭うために目元をゴシゴシ擦っていれば、ふいに足音が聞こえて顔をパッと上げる。
見上げた先、通路の向こうからこちらへ歩いてくる人影には見覚えがあった。
何せ、一人だけ制服が白いからよく目立つのだ、乙骨さんは。
一応立ち上がりペコリと頭を下げれば、眉をヘニャリと垂れさせながら不器用な笑みを作り片手を上げて挨拶をしてきた。
通り過ぎるのかなと思い、邪魔にならないように肩を小さくしていれば、彼は私の前で立ち止まった。
多分、私は今 キョトン とした顔をしているだろう。
何故なら、どうして彼がここに来て、私の前で立ち止まったのか理由がわからないからだ。
見上げた先、乙骨さんは「五条先生に呼び出されて…」と頬を人差し指で掻きながら口にする。
「す、すみません…私のせいだ……」
「気にしないで、それより大丈夫?」
丁寧な物腰で尋ねてくる乙骨さんは、わざわざハンカチを差し出した。
未だ流れる涙を優しく拭おうとしてくれたが…しかし、その手が私に届くよりも先に、彼のお姫様…呪いの女王「里香ちゃん」がヌルリと現れ問答無用で私に拳を振りかざした。
「里香ッ!!」
乙骨さんが呪いの名を呼ぶも、静止の声を振り切り、遠慮なんて知らない力加減で振りかぶられた拳を受け止めたのは、羽を広げた一匹の黒い蝶であった。
ブワリと風圧だけが身を襲う。
私の身を守るように巨大な黒い羽を羽ばたかせ、呪霊の前に立ち塞がるは「お母さん」
私の愛した、今は蝶となった母がその身で呪いから放たれた、歪んだ愛故の一撃を受け止める。
だがしかし、相手は特級。
深い愛と悲しい恋の結末から産まれた愛欲の化身、怪力乱神と語るに相応しき彼女の強打は鋭く、重く、目を奪われる程に強かった。
対してこちらは、大きかろうと蝶は蝶、お母さんと呼び連れ歩く私の美しき自慢の黒蝶は、里香ちゃんの惨憺たる鮮烈な一撃を受け止めたが最後、そのまま身を貫かれ、冷たい床に力無くポトリと落ちて消滅していく。
「………………」
その光景を前に、私は頭が真っ白になってただ立ち尽くしていた。
音が遠退いていく、自分の呼吸がどうなっているのかすらよく分からない、何処かで乙骨さんが何かを誰かに言っている声を聞きながら、私は母の元にフラフラとした足取りで近付き、消滅し行く身へ震える指先を伸ばす。
シュワシュワと、まるで泡のように消えていく儚い姿を見つめ、私は何も考えられなくなった。
チカチカと視界が明滅する、肺が苦しい、指先はやたらに熱いのに、足の方から感覚が失われていくかのように冷たくなっていく感覚が感じられた。
そこまでは覚えている。
そこから先は、覚えていない。
もう、何も分かりたくない。
人間なんて、愛なんて、嫌いだ。