七海が犬を飼ったよ
そう、誰も…誰もこんなこと望んでなかったのに。
「なんで…?」
膝下丈の白い靴下、踵の高い艶々した靴にフリフリが重たいスカート。
「……なんで?」
そして極め付けは…………。
「いいよいいよ、可愛いよー!はい笑顔こっちに頂戴!そう、そこでクルッと回って!はい可愛い!」
なんで???
呪術師に取っ捕まって偉い人達の前に引き摺り出される前に、私は療養期間を与えられた。
肉体も精神も磨耗してまともじゃ無かったらしく、半月程とある家に拘束されながらも痛みや苦しみの無い、警戒心の必要無い生活を過ごした。ふかふかのベッドで沢山寝て、暖かい食事を沢山取って、足の伸ばせるお風呂に入って……穏やかに息をすることを思い出せたのは、私を捕まえた七海さんという大人のお陰だ。
半月間、私が人前に出てまともな精神を持って会話が成り立つようにと世話を焼いてくれた七海さんは勿論、半月後に私が不当な扱いを受けぬようにと手回しをしてくれた五条さんには本当に感謝をしている。
だから、せめても彼等にはお礼がしたくて「私に出来ることはありませんか?」と尋ねれば、五条さんは真剣な顔で「あるよ、君にしか出来ないミッションがね……」と言って来たものだから、私も真面目な顔で「任せて下さい」と答えてしまったのだ。
その結果……。
「な、なんで……なんでこんなフリフリ着せられて、私……」
「可愛いよ!!世界一可愛い!東洋の妖精!ディーヴァ!呪術界のアイドル!」
「や、や、やめて…やめてよ……恥ずかしいわ……」
「はい、可愛いー!七海も何か言えって」
「……すみませんが頑張って下さい」
こんなはずでは無かったのに!
五条さんからのお願いは、「広告作らせて!」という物であった。はて…広告?何の?とは思ったが聞かなかったのが悪かった、私は現在フリフリふわふわな黒いドレスを着せられて、笑顔を強制されながら可愛いポーズで写真をパシャパシャ撮られている。学校のいたる所で。
そのため、通りすがりの人達に「なんだなんだ…」と奇異な視線を向けられていて恥ずかしい、泣きそう、助けてお母さん。
「笑顔固いよ!リラックスリラックス!」
「あ、あう……うぅ……」
「もっとおもねったポーズで!」
「足をあと数センチ開いて下さい」
七海さんまで!どうして?あんなに私に優しくしてくれたのに……さっきから七海さんが一番厳しい、これが労働というものなの?沢山休んだから働けってことなの?そんな……私、まだ16歳にもなっていないのに。社会って厳しい……辛い、心が痛い……。
私の泣きそうな顔をカメラ越しに見ていた五条さんが、いきなり真顔になって近付いてきた。どうしよ、怒られる?笑顔が上手く出来ないから叱られてしまうのだろうか、ごめんなさい、ごめんなさい……。
「その顔可愛いから個人的に撮ってもいい?」
「えっ……」
パシャリッ。
スマホのカメラを向けられて、許可する前に写真を撮られた。五条さんは後方で腕を組んで撮影を監督している七海さんに、「七海にも送っとくね」と声を投げた。う、嘘……半泣き顔を何故そんな…しかも七海さんも「ありがとうございます」とかお礼言ってるし。何で?一体何の需要を満たしているの?
怖い、高専怖い。呪術師怖い。
今思えば、呪詛師のお兄さんお姉さん方はかなり私に気を使ってくれていたのだな。呪詛師デビューしたての頃など、私の境遇に口を挟まず「良い動きだった、また頼む」と言って認めてくれたりしたことが嬉しかったっけ。呪詛師の方々は皆金や理想のために逞しく生きていた、私も彼等のように自分が決めた生き方を貫きたくて研ぎ澄ました刃を奮っていたが……それが何故こんなことに……。私、間違えたのかな…あの時夏油さんに保護して貰ってれば良かったかな……。喉元まで迫り上がって来た後悔を飲み込んで、下手くそな笑顔を作る。
全うに生きるって大変なんだな。皆こうやって、やりたくない事をやって生きているんだね。
それに、この活動によって五条さんに何か利益があるのならば貢献しなければならない。私は彼等に恩があるのだ、恩義には報いねばならない。当然のことだ。
高専の広いグラウンドで自分に出来る最も可愛いポーズと頑張った笑顔でカメラを見つめる。グラウンドで訓練をしていた生徒さん達が「何だあれ」「何してんだ」「こんぶ」「どうしたのかな?」と呟いているのが耳に入って来た。見ないで…!考えないで…!恥ずかしい、穴があったら入ってしまいたい。頼むから早く終わってくれ。
ちなみに先程まで様子を見ていた七海さんはお仕事に行かれてしまったので、ここには居ない。置いて行かないで欲しかった…。
「皆も一緒に撮る?この子ね、アイドルなのよ」
「あ、え?アイドル……?」
アイドルという単語に反応した生徒さん達がぞろぞろとやって来る、あれ?パンダ動いてない?あのパンダ動くの!?あっちの方がアイドルでは……というかアイドルって何、誰が?私が?一体全体どこからそんな話が。
「元呪詛師界のアイドルで、現在は七海に囲われてるスーパープリティーガールちゃんでーす、こっちは高専一年の子達だよ、仲良くしなね」
「あ、よ、よろしくお願い致します……」
「しゃけ」
「鮭……?」
よろしくよろしくとワァワァ言われるが、ついて行けない。そもそも私はアイドルでは無いし、七海さんに囲われている訳では無い、ただちょっと行く先が無いからお世話になっているだけで……。どうしよう、話を訂正する前に盛り上がって先に進んでしまう。五条さんが適当な相槌を打つせいで、私が「七海さんが推してるアイドルで、事務所が恋愛NGだったために呪詛師になってしまった」という設定が生まれてしまっている。違うの、七海さんはドルオタでは無いの、私が呪詛師になったのはもっと別の理由で……。
「恋愛結婚するためにそんな生活を…」
「こんぶ……」
「人間って気持ち悪いな…」
「大変だったんだね…」
「ち、ちが…あの…」
「そうなんだよ~、しかも他の危ないファンから身を隠すためにさ…」
話を盛らないで!!もう訂正しようが無い域まで来てしまった、否定も肯定も間に合わない、呪術師おっかない。
皆さんに同情されたり労られたりしながら、私を囲って写真を撮り、その後も撮影を続けて気付けば解放されたのは夕方…茜色の差す空を見上げて私はひたすらに混乱していた。
七海さんの仕事が終わるまで高専待機を命じられ、大人しくしていれば疲れがドッと押し寄せて来た。
戦うよりも疲れた、呪詛師と問答するよりも疲れた……これが、呪術界という奴なのか…。やだな、あんまり関わりたく無い、出来れば距離を取った立ち位置に居たい。勿論そんな我が儘が通用するとは思っていないので、これは思うだけ。
重たくて窮屈な服を着ながらぼんやりと待ち惚けていれば、黄昏時のせいか気持ちが乱れた。
私は子供、未熟だから一人では生きられない。
でも、生き続けることは果たして正解なのだろうか。教科書に答えが載っているわけでは無い問題について、私は母が死んでからずっとずっと迷って悩んでいる。
回答用紙にあいた空欄は未だ埋まらない。
だって、生きるのって大変なことなのだ。
毎日ご飯を食べて、清潔を心掛けて、病気や怪我に気を付けて。これだけでも大変なのに、さらにお金を稼がないと何も出来ないのだから。
お金が無いと、ご飯を食べれないし、お風呂に入れない、病気になっても医者に行けない。
人生はお金が全てだ、お金が無いと寝る場所だって無い。
だけれど、いくらお金が必要で稼ぐ気があっても、雇ってくれるとは限らない。
私は未成年で高校生でも無くて、住所も親も居ない。
後ろ楯も信用も無い小娘が、一体この先どうなるのか。
私はどうやって生きることが正解だったのだろう。それとも、生きていてはいけない命だったからこうなったのか。
ずっとずっと辛くて苦しいだけだった、でもお母さんが居たから頑張ろうって思えたのに、そのお母さんはもう居ない。
もう、私には頑張る理由すら無い。
泥水啜ってでも生きる、なんて最初に言った人は泥水を啜ったことが無いから言えたのだと思う。
嫌な思考が心を暗く支配し、深みにハマっていく。
自分では制御出来ない苦しみと悲しみの波ををやり過ごす方法を私はまだ知らない、項垂れるように背中を丸めていれば、ここ半月で聞きなれた靴音が耳に入って来た。
七海さんの足音だ、帰って来たのか……ああ、じゃあ私も帰らなければならないのか、嫌だ……逃げてしまいたい。そんなことは叶わないけれど。
「七海さんお帰りなさい、お疲れ様です」
「はい、貴女もお疲れ様でした」
丸めていた背中へ力を入れて背筋を伸ばし、主の帰還を喜ぶ従順な犬のように「喜んでいます」と顔に貼り付けて挨拶をする。
今の私に出来るのはこれだけだ、こうして良い子にしていれば、安全な場所で眠ることが許される。ならば、そうする他無い。
私は一人で戦えても、一人で生きてはいけないことを学んだのだ。
犬の真似して生きていく。
ねえお母さん、この人生に価値はありますか?
「なんで…?」
膝下丈の白い靴下、踵の高い艶々した靴にフリフリが重たいスカート。
「……なんで?」
そして極め付けは…………。
「いいよいいよ、可愛いよー!はい笑顔こっちに頂戴!そう、そこでクルッと回って!はい可愛い!」
なんで???
呪術師に取っ捕まって偉い人達の前に引き摺り出される前に、私は療養期間を与えられた。
肉体も精神も磨耗してまともじゃ無かったらしく、半月程とある家に拘束されながらも痛みや苦しみの無い、警戒心の必要無い生活を過ごした。ふかふかのベッドで沢山寝て、暖かい食事を沢山取って、足の伸ばせるお風呂に入って……穏やかに息をすることを思い出せたのは、私を捕まえた七海さんという大人のお陰だ。
半月間、私が人前に出てまともな精神を持って会話が成り立つようにと世話を焼いてくれた七海さんは勿論、半月後に私が不当な扱いを受けぬようにと手回しをしてくれた五条さんには本当に感謝をしている。
だから、せめても彼等にはお礼がしたくて「私に出来ることはありませんか?」と尋ねれば、五条さんは真剣な顔で「あるよ、君にしか出来ないミッションがね……」と言って来たものだから、私も真面目な顔で「任せて下さい」と答えてしまったのだ。
その結果……。
「な、なんで……なんでこんなフリフリ着せられて、私……」
「可愛いよ!!世界一可愛い!東洋の妖精!ディーヴァ!呪術界のアイドル!」
「や、や、やめて…やめてよ……恥ずかしいわ……」
「はい、可愛いー!七海も何か言えって」
「……すみませんが頑張って下さい」
こんなはずでは無かったのに!
五条さんからのお願いは、「広告作らせて!」という物であった。はて…広告?何の?とは思ったが聞かなかったのが悪かった、私は現在フリフリふわふわな黒いドレスを着せられて、笑顔を強制されながら可愛いポーズで写真をパシャパシャ撮られている。学校のいたる所で。
そのため、通りすがりの人達に「なんだなんだ…」と奇異な視線を向けられていて恥ずかしい、泣きそう、助けてお母さん。
「笑顔固いよ!リラックスリラックス!」
「あ、あう……うぅ……」
「もっとおもねったポーズで!」
「足をあと数センチ開いて下さい」
七海さんまで!どうして?あんなに私に優しくしてくれたのに……さっきから七海さんが一番厳しい、これが労働というものなの?沢山休んだから働けってことなの?そんな……私、まだ16歳にもなっていないのに。社会って厳しい……辛い、心が痛い……。
私の泣きそうな顔をカメラ越しに見ていた五条さんが、いきなり真顔になって近付いてきた。どうしよ、怒られる?笑顔が上手く出来ないから叱られてしまうのだろうか、ごめんなさい、ごめんなさい……。
「その顔可愛いから個人的に撮ってもいい?」
「えっ……」
パシャリッ。
スマホのカメラを向けられて、許可する前に写真を撮られた。五条さんは後方で腕を組んで撮影を監督している七海さんに、「七海にも送っとくね」と声を投げた。う、嘘……半泣き顔を何故そんな…しかも七海さんも「ありがとうございます」とかお礼言ってるし。何で?一体何の需要を満たしているの?
怖い、高専怖い。呪術師怖い。
今思えば、呪詛師のお兄さんお姉さん方はかなり私に気を使ってくれていたのだな。呪詛師デビューしたての頃など、私の境遇に口を挟まず「良い動きだった、また頼む」と言って認めてくれたりしたことが嬉しかったっけ。呪詛師の方々は皆金や理想のために逞しく生きていた、私も彼等のように自分が決めた生き方を貫きたくて研ぎ澄ました刃を奮っていたが……それが何故こんなことに……。私、間違えたのかな…あの時夏油さんに保護して貰ってれば良かったかな……。喉元まで迫り上がって来た後悔を飲み込んで、下手くそな笑顔を作る。
全うに生きるって大変なんだな。皆こうやって、やりたくない事をやって生きているんだね。
それに、この活動によって五条さんに何か利益があるのならば貢献しなければならない。私は彼等に恩があるのだ、恩義には報いねばならない。当然のことだ。
高専の広いグラウンドで自分に出来る最も可愛いポーズと頑張った笑顔でカメラを見つめる。グラウンドで訓練をしていた生徒さん達が「何だあれ」「何してんだ」「こんぶ」「どうしたのかな?」と呟いているのが耳に入って来た。見ないで…!考えないで…!恥ずかしい、穴があったら入ってしまいたい。頼むから早く終わってくれ。
ちなみに先程まで様子を見ていた七海さんはお仕事に行かれてしまったので、ここには居ない。置いて行かないで欲しかった…。
「皆も一緒に撮る?この子ね、アイドルなのよ」
「あ、え?アイドル……?」
アイドルという単語に反応した生徒さん達がぞろぞろとやって来る、あれ?パンダ動いてない?あのパンダ動くの!?あっちの方がアイドルでは……というかアイドルって何、誰が?私が?一体全体どこからそんな話が。
「元呪詛師界のアイドルで、現在は七海に囲われてるスーパープリティーガールちゃんでーす、こっちは高専一年の子達だよ、仲良くしなね」
「あ、よ、よろしくお願い致します……」
「しゃけ」
「鮭……?」
よろしくよろしくとワァワァ言われるが、ついて行けない。そもそも私はアイドルでは無いし、七海さんに囲われている訳では無い、ただちょっと行く先が無いからお世話になっているだけで……。どうしよう、話を訂正する前に盛り上がって先に進んでしまう。五条さんが適当な相槌を打つせいで、私が「七海さんが推してるアイドルで、事務所が恋愛NGだったために呪詛師になってしまった」という設定が生まれてしまっている。違うの、七海さんはドルオタでは無いの、私が呪詛師になったのはもっと別の理由で……。
「恋愛結婚するためにそんな生活を…」
「こんぶ……」
「人間って気持ち悪いな…」
「大変だったんだね…」
「ち、ちが…あの…」
「そうなんだよ~、しかも他の危ないファンから身を隠すためにさ…」
話を盛らないで!!もう訂正しようが無い域まで来てしまった、否定も肯定も間に合わない、呪術師おっかない。
皆さんに同情されたり労られたりしながら、私を囲って写真を撮り、その後も撮影を続けて気付けば解放されたのは夕方…茜色の差す空を見上げて私はひたすらに混乱していた。
七海さんの仕事が終わるまで高専待機を命じられ、大人しくしていれば疲れがドッと押し寄せて来た。
戦うよりも疲れた、呪詛師と問答するよりも疲れた……これが、呪術界という奴なのか…。やだな、あんまり関わりたく無い、出来れば距離を取った立ち位置に居たい。勿論そんな我が儘が通用するとは思っていないので、これは思うだけ。
重たくて窮屈な服を着ながらぼんやりと待ち惚けていれば、黄昏時のせいか気持ちが乱れた。
私は子供、未熟だから一人では生きられない。
でも、生き続けることは果たして正解なのだろうか。教科書に答えが載っているわけでは無い問題について、私は母が死んでからずっとずっと迷って悩んでいる。
回答用紙にあいた空欄は未だ埋まらない。
だって、生きるのって大変なことなのだ。
毎日ご飯を食べて、清潔を心掛けて、病気や怪我に気を付けて。これだけでも大変なのに、さらにお金を稼がないと何も出来ないのだから。
お金が無いと、ご飯を食べれないし、お風呂に入れない、病気になっても医者に行けない。
人生はお金が全てだ、お金が無いと寝る場所だって無い。
だけれど、いくらお金が必要で稼ぐ気があっても、雇ってくれるとは限らない。
私は未成年で高校生でも無くて、住所も親も居ない。
後ろ楯も信用も無い小娘が、一体この先どうなるのか。
私はどうやって生きることが正解だったのだろう。それとも、生きていてはいけない命だったからこうなったのか。
ずっとずっと辛くて苦しいだけだった、でもお母さんが居たから頑張ろうって思えたのに、そのお母さんはもう居ない。
もう、私には頑張る理由すら無い。
泥水啜ってでも生きる、なんて最初に言った人は泥水を啜ったことが無いから言えたのだと思う。
嫌な思考が心を暗く支配し、深みにハマっていく。
自分では制御出来ない苦しみと悲しみの波ををやり過ごす方法を私はまだ知らない、項垂れるように背中を丸めていれば、ここ半月で聞きなれた靴音が耳に入って来た。
七海さんの足音だ、帰って来たのか……ああ、じゃあ私も帰らなければならないのか、嫌だ……逃げてしまいたい。そんなことは叶わないけれど。
「七海さんお帰りなさい、お疲れ様です」
「はい、貴女もお疲れ様でした」
丸めていた背中へ力を入れて背筋を伸ばし、主の帰還を喜ぶ従順な犬のように「喜んでいます」と顔に貼り付けて挨拶をする。
今の私に出来るのはこれだけだ、こうして良い子にしていれば、安全な場所で眠ることが許される。ならば、そうする他無い。
私は一人で戦えても、一人で生きてはいけないことを学んだのだ。
犬の真似して生きていく。
ねえお母さん、この人生に価値はありますか?