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七海が犬を飼ったよ

私の姿を見た途端、目線を合わせながらもジリジリと後退していく姿に、自分は熊か何かだと思われているのかと思った。

元々が痩せぎみである小さい身体付きであるのに、会わない間に随分と頼りない身体付きになった気がする。
以前はもう少ししっかりしていたはずだが、ちゃんと食べれていないのだろうか。うちの子を拐うのならば、面倒もしっかり見ていて貰いたかったものである。

視界の端でヒラヒラと舞う一匹の蝶に、小声で「戻っておいで、戻って、」と焦り気味に少女は呼び掛けているが、黒い蝶は私の回りを飛び交うばかりで離れようとはしない。
それを幸いと思い、私は口を開いた。

「帰りますよ」
「…………」
「言いたいことがあるのなら、怒りませんから言いなさい」

私から視線を外し、服の裾を握り締めて険しい表情をする少女は、その場に立ち尽くして黙したままであった。
半人半呪、人として生きるには、彼女はあまりに人間を嫌い過ぎている。呪いは人を嫌って憎んで生きる者達だ、そちらに付けば幾分か生きやすくなるだろう。
だがしかし、同時に彼女は呪いとしてはあまりに未熟で弱すぎた。正しく呪いとして生きるには、人の多様性や優しさをよく知るあまり、傷付けることすら躊躇ってしまう。

どちらとしても正しくはあれない、中途半端で欠陥のある存在。
彼女の葛藤は分かりやすい、人としても呪いとしても生きられないのなら、せめて誰かを傷付けない選択を。
その誰かと言うのは、私のことだ。

これでも一級呪術師の身分、呪いとして彼女を扱い祓うことなど造作も無いことを、あの子は理解しているのだろうか。
何をどう考え、私が自分のせいで傷付くと思ったかは知らないが、ナメられているんじゃないかとすら錯覚する。
貴方じゃ私には敵わない、貴方は私から逃げられない。
大人しく帰って来てくれないだろうか、自主的に帰る選択をしてくれるのならば、私も厳しいことは言うまい。

だがしかし、やはりと言うか、少女の口から出てきた言葉は拒絶を示すものであった。

「もう帰れません、私は」

目をキツく瞑った勢いで、少女の目尻から涙が落ちた。

「飼い犬程甘くは無い」

そして、瞳を開く。
頑強な意思を無理矢理に灯した瞳で私を睨み付け、戦闘体勢を取ってみせた。
開かれた右手に呪力が満ちる。


無手。
剣を持たずに戦う戦闘方の一種。その場から動かず、間合いに入った対象物に高速の指弾や弧拳を放つ技。

少女は呪いとしてはド三流、しかし、剣士としては一流の技術を持つ。


空気が硬直する。
互いに息を潜め、瞬刻を待った。

決着は一撃でつくだろう、どちらの技が先に相手に届くか。
即ち、届いた方の負けである。

私は剣を握った指先に力を込める。
こうなる予想はしていた、だから問題は無い。
あるとすれば、痩せて頼りの無い身体つきになってしまった少女を、何処まで傷付けずに無力化出来るかだ。

利き脚を一歩下げ、勢い良く地面を蹴った。
風を切り、一気に駆ける。
矢の如く走り、間合いに飛び込む。
振り抜いた刃と、少女の放った衝撃波を含む弧拳が激しい音を立てて打ち当たった。
空気が揺れる、地面が捲り上がる、拮抗した威力は宙を震わせた。
連弾、弧拳による二発目の衝撃波を捌き、私は少女の細い首へ目掛けて攻撃ごと凪ぎ祓うように一閃を浴びせた。

吹き飛ぶか細い身体、上がる砂埃。

強烈な音を立てながら、地面に背中から叩きつけられた少女の身体が、仰向けのままピクリピクリと動いて、顔を横に倒し咳き込むと、胃液をゲホッと吐き出した。
それでも尚起き上がろうとする身体に、「動かないように、神経がパニックを起こしている」と冷静を装い見下ろしながら言った。

浅く息を何度も吸って、少女は涙を流しながら口を開く。

「呪い…が、人を、愛せる、わけ…が、ない……」
「……違います、貴女は呪いなどでは無い」

私を見上げてしゃくりをあげながら泣く少女の元にしゃがみ込み、そっと抱き上げながら言葉を紡ぐ。

「呪いは人のために泣いたりなんてしない、ましてや愛なんて言葉を口にするわけがない」

ハンカチを手渡せば口元へ持っていき、必死に泣くのを堪えようと声を殺していたが、全く堪え切れる様子は見れず、ヒックヒックと喉を鳴らしながら小さくなって少女は泣き続けた。

「……随分、軽くなりましたね。帰ったら食事にしましょう」
「……なん、で、なんで、なんで、」

まだ、優しくしてくれるの。
呪いなのに、人間じゃ無いのに、貴方を好きになったら人生を壊してしまうかもしれないのに。
そういった内容のことを途切れ途切れに喋る少女に、私は、この子は自分の呪いとしての力を過信しすぎていると感じた。帰ったら一度五条さんから説明をして頂かねば…と考えながら、口を開く。
努めて冷静に、なるだけ優しく、思いが少しでも伝わるようにと願って言葉を発す。
何故優しくするか、そんなの、

「貴女のことが可愛くて仕方がないからですよ」

それ以外に理由は無い。

「帰りましょう、貴女は呪いには向いていない」

適材適所、私が呪術師に適切があり、この道を選んだように、この子にも呪いより適切がある生き方がある。苦しみながら誰かを呪うより、愛され可愛がられている方がお似合いだ。

黒い蝶が少女を心配するように飛んで来て、肩で羽を休めた。

もしかしたらこの子には、家族と言う名の縛りが必要なのかもしれない。
ふと、思い浮かんだ家族の形、愛犬以外のパートナーの在り方に、流石にそれは不味いと思い雑念を振り払うように頭を振った。

これではまるで、五条さんが適当に流した噂通りの結末になってしまう。
私のために呪詛師の手に堕ちようとし、戻ってきた。
その続きを実現させることは、いくらなんでも笑い話になってしまう。

私はただ、穏やかで丁寧な生活をこの子と送ることが出来たらそれでいいのだ。
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