七海が犬を飼ったよ
可愛がっていた少女を失った。
正しく言い直すと、行方不明となってしまっている。
その報告を聞いた時、私はまた選択を間違えたのだと己を責めた。後悔し、反省したはずであったのに、目を離してしまった私に責任がある。
だがしかし、その後五条悟から聞かされた少女の正体に、私は暫く何をもってして正解であるのかが分からなくなった。
呪霊「典麗妖鳥」
人間の男を好み、取り憑き惑わし恋に堕とす呪い。
破滅へ誘い、最後は相手を取り込んで糧とする。
その、娘。
それが、私が愛犬のようだと錯覚し、可愛がっていた少女の正体であった。
「ま、でも全然呪いとしては弱いよ?ほーんとヨワヨワ、雑魚、だって頑張って誑かしても何も起きない、こっちの感情も「あ!可愛いな!」止まりだっただろ?」
「……私は結構誑かされていましたよ」
「そりゃお前が悪いよ、ロリコン」
……そうかもしれない、否定出来ないことが悔しい。
あの頃はとにかく疲れていたのだ、それはもう酷く。そこにやって来た傷付いた少女は、自分が生きるために犬のように懸命に媚びて、時に寄り添い、自発的に家事をし、私が帰ってくればパタパタとスリッパを鳴らして愛らしい笑顔で出迎える。
私が選んだ服を着て、私が好む味付けを覚え、控え目に笑い、褒めれば喜び、私が疲れを顕にしていれば気を使ってくれた。
心地よい癒しそのものであった少女に、早々に絆された私は、これは良くないと思い感情の舵を切った結果、斜め上の方向へと惑わされ、あの子を「愛犬」と錯覚していたらしい。
一体自分は幾つなんだと自らに突っ込まずにはいられない、良い年した大人がして良い迷走では無い、せめてもう少しマシな感情の整理の仕方は無かったものかと思うが、それも既に遅い。
私はあの下手くそな幻惑に見事にハマり、堕ちたのだ。
実に頭の痛くなる話だ、溜め息を殺す私を見て五条さんが笑うが、何も言えない。
「あー、オモシロ」
「見せ物ではありません」
「で、どうすんの?」
椅子に行儀悪く片膝を立てて座る男の隣から立ち上がる、私はネクタイを締め直し、背筋を伸ばす。
どうするかなど決まっている、あの子はうちの子なのだから。
「迎えに行きます」
「そ、任せるよ」
ヒラリと振られた手を一瞬だけ見て、部屋を後にする。
彼女は呪いとしては確かに弱い、雑魚と言っても過言では無い弱さだ。
破滅へ誘う所か、対象を癒してしまっている、プラスの作用しか起こしていない。これで本人はきっと今頃、「自分は呪いだから…」とか何とか悩んでいるのだろうから、馬鹿馬鹿しくて欠伸が出る。
呪いなら、もっと呪いらしく私を困らせ破綻させてみろ、それが出来ないのならば、お前は呪いでは無く、所詮ただの可愛い人だ。
私としては、可愛い人で居て貰って全然構わない。
幻覚が切れたはずの今ですら、貴女で癒されたくて仕方が無いのだ。最早中毒のようなもの。
出会う前のように、私は渡された資料片手に目撃情報のあった現地へ向かう。
好きなだけ私を惑わせれば良い、どうせ私も、貴女を手離すつもりは無いのだから。
___
「え、降伏……え、え?」
「そう、降伏」
ニコニコニコニコ、人好きする笑みを浮かべながら、夏油傑の顔をした、明らかに夏油傑では無い人が、私に「降伏して、取り込まれてくれないかい?」と尋ねて来た。
どういうことかと話を聞けば、どうやら私は本物の夏油傑に「呪い」として一度取り込まれていたらしい。
そ、そうだったんだ…全然知らなかった……。
だがしかし、やはり人間成分が邪魔をしたのか、完璧とは言い難い取り込み具合であったらしく、本物の夏油さんが死んだ後、私はポイッと手札から出てしまったのだとか。
そうなんですか…としか言えない、夏油さんが死んでたことにも驚きだが、私を取り込んでいたことにも衝撃しか無い。
ん、あれ……夏油さんが死んだってことは、魂は?
肉体はここにある、ならば本来結び付くべき魂が、稼働しているのに自分が結び付けない身体の側に概念として存在していても可笑しくない。
私は咄嗟に辺りをキョロキョロと見回す。
首を傾げた夏油さんの名を語る男が、どうしたのか尋ねてくる。
「あ、えっと…夏油さん本人の魂はどこかなって……」
「ああ、君の術式は確か…」
「はい、肉体と魂を分離させて、魂を保管する物です」
「蝶々群游・喜戯」
先程説明した通りの術式だ、私は人、動物、虫、植物、関係無く、対象の魂を肉体から切り離し、蝶という形の檻に閉じ込めさせることが出来る。
ただそれだけ、終わり。
弱い、正直あまり使い道の無い綺麗なだけの術式だ。
なんなら、虫が苦手な人からしたら、何の役にも立たないどころか嫌がられる。
ちなみにこの術式にはランクのような物があり、保管した魂を用いて強い攻撃手段に出来る「舞楽」や、魂を糧と出来る「誘致」などが存在する。
「喜戯」は底辺も底辺、ドベの弱さだ。
でもまあ、綺麗だし…蝶好きだし、いつか役に立つかもしれないから…私はコッソリ少しずつ、自分が殺した人間だったり、道端で轢かれてお亡くなりになっている動物や虫なんかの魂を蝶にしている。
七海さんと出会った時も、彼の側をウロウロしていた魂に声を掛けて蝶にした。その子はとても綺麗な黒アゲハとなった。
だから夏油さんの魂もあればいいなーと思ったが、見当たらない。夏油さんの魂ならきっと綺麗なモンキアゲハやスミナガシになったのに……もしかしたら近くでは無く、少し離れた場所にあるのかな?
そう考えた私は、取り込む前に夏油さんの魂を回収させて欲しいと偽夏油さんにお願いした。
「あんまり遠くには行かないように、君は弱いんだから」
「一応、剣があれば戦えます…」
「なくしちゃったんだろ?」
「なくしちゃいました…」
ドジっ子ちゃんだね、と笑って言われて悲しくなった。
違うもん…ドジで失くしたんじゃないもん……高専に行けば多分あるもん…。
でもそんな抗議、恐ろしくて出来ないので、私は頬を噛むように口をキュッと結んで口にすることを堪えた。
何かあれば真人くんを呼ぶように言われたが、彼は私を一方的に構うだけで基本居て欲しい時には居やしないのだ。
この前も起きたら知らない呪霊達に囲まれていて泣きそうになりながら慌てて彼を呼んだけれど、全く姿形が見当たら無かった。
とうとう泣き出した私を大きな身体をした花御と名乗る呪霊が綺麗な可愛らしいお花を出してあやすなどしてくれた。呪霊は見掛けによらない。
真人くんはあまり役に立ったことが無い、私的な視点では。
…と言うのが数日前の話、私はここ最近毎日目深に帽子を被り、人目を避けるように歩いて夏油さんの魂を探している。
器が動いているのに、入れないなんてちょっと可哀想だ。
自分の家なのに居られないみたい、私だったらきっと悲しくて泣いてしまう。
あの人のことは嫌いでは無い、ついぞ理想には賛同出来なかったが、苦しいばかりの世界で、それでも人を信じて生きていたあの人を笑うことなんて出来なかった。
寝床にしている部屋の近辺をグルリと見て回る。
ゴミステーション、植え込み、近くの駐車場、公園…魂の気配は感じ無い。
蝶を数匹出して、彼等にも捜索を手伝って貰うが、本日も収穫は無し。正直手詰まり感があるが…あと考えられる場所が一件だけある、だがそれは、ここから離れており、尚且つ私では行けない場所。
もう二度と、行ってはならない場所。
高専、五条さんの側。
もしかしたら夏油さんの魂は、そこにあるのかもしれない。
「そう思いません?」
指先で羽を休める黒アゲハに向かって語り掛ける、黒一色で染められた美しい羽に見惚れて思わず笑みを漏らしていれば、その蝶はいきなり羽ばたいて何処かへ飛んでいってしまう。
「こら、待ちなさい」
探しに行けとも、飛んでいけとも命令はしていないはずなのに、一体どうしたのか。勝手に動くことなんて今まで無かったのに。
蝶を追い掛け私は走る。
ヒラヒラと舞う姿に誘われるように、寝床としているアパートの側を離れ、団地の道を逸れ、行ったことの無い場所へと足を運べば、そこにはもう二度と会うことな無いと勝手に決め付けていた人の姿があった。
高い背と、よく伸びた背筋。
ツーピースのシングルスーツを着こなす姿。
七海さんが、夕陽に照らされながら待っていたのだった。
正しく言い直すと、行方不明となってしまっている。
その報告を聞いた時、私はまた選択を間違えたのだと己を責めた。後悔し、反省したはずであったのに、目を離してしまった私に責任がある。
だがしかし、その後五条悟から聞かされた少女の正体に、私は暫く何をもってして正解であるのかが分からなくなった。
呪霊「典麗妖鳥」
人間の男を好み、取り憑き惑わし恋に堕とす呪い。
破滅へ誘い、最後は相手を取り込んで糧とする。
その、娘。
それが、私が愛犬のようだと錯覚し、可愛がっていた少女の正体であった。
「ま、でも全然呪いとしては弱いよ?ほーんとヨワヨワ、雑魚、だって頑張って誑かしても何も起きない、こっちの感情も「あ!可愛いな!」止まりだっただろ?」
「……私は結構誑かされていましたよ」
「そりゃお前が悪いよ、ロリコン」
……そうかもしれない、否定出来ないことが悔しい。
あの頃はとにかく疲れていたのだ、それはもう酷く。そこにやって来た傷付いた少女は、自分が生きるために犬のように懸命に媚びて、時に寄り添い、自発的に家事をし、私が帰ってくればパタパタとスリッパを鳴らして愛らしい笑顔で出迎える。
私が選んだ服を着て、私が好む味付けを覚え、控え目に笑い、褒めれば喜び、私が疲れを顕にしていれば気を使ってくれた。
心地よい癒しそのものであった少女に、早々に絆された私は、これは良くないと思い感情の舵を切った結果、斜め上の方向へと惑わされ、あの子を「愛犬」と錯覚していたらしい。
一体自分は幾つなんだと自らに突っ込まずにはいられない、良い年した大人がして良い迷走では無い、せめてもう少しマシな感情の整理の仕方は無かったものかと思うが、それも既に遅い。
私はあの下手くそな幻惑に見事にハマり、堕ちたのだ。
実に頭の痛くなる話だ、溜め息を殺す私を見て五条さんが笑うが、何も言えない。
「あー、オモシロ」
「見せ物ではありません」
「で、どうすんの?」
椅子に行儀悪く片膝を立てて座る男の隣から立ち上がる、私はネクタイを締め直し、背筋を伸ばす。
どうするかなど決まっている、あの子はうちの子なのだから。
「迎えに行きます」
「そ、任せるよ」
ヒラリと振られた手を一瞬だけ見て、部屋を後にする。
彼女は呪いとしては確かに弱い、雑魚と言っても過言では無い弱さだ。
破滅へ誘う所か、対象を癒してしまっている、プラスの作用しか起こしていない。これで本人はきっと今頃、「自分は呪いだから…」とか何とか悩んでいるのだろうから、馬鹿馬鹿しくて欠伸が出る。
呪いなら、もっと呪いらしく私を困らせ破綻させてみろ、それが出来ないのならば、お前は呪いでは無く、所詮ただの可愛い人だ。
私としては、可愛い人で居て貰って全然構わない。
幻覚が切れたはずの今ですら、貴女で癒されたくて仕方が無いのだ。最早中毒のようなもの。
出会う前のように、私は渡された資料片手に目撃情報のあった現地へ向かう。
好きなだけ私を惑わせれば良い、どうせ私も、貴女を手離すつもりは無いのだから。
___
「え、降伏……え、え?」
「そう、降伏」
ニコニコニコニコ、人好きする笑みを浮かべながら、夏油傑の顔をした、明らかに夏油傑では無い人が、私に「降伏して、取り込まれてくれないかい?」と尋ねて来た。
どういうことかと話を聞けば、どうやら私は本物の夏油傑に「呪い」として一度取り込まれていたらしい。
そ、そうだったんだ…全然知らなかった……。
だがしかし、やはり人間成分が邪魔をしたのか、完璧とは言い難い取り込み具合であったらしく、本物の夏油さんが死んだ後、私はポイッと手札から出てしまったのだとか。
そうなんですか…としか言えない、夏油さんが死んでたことにも驚きだが、私を取り込んでいたことにも衝撃しか無い。
ん、あれ……夏油さんが死んだってことは、魂は?
肉体はここにある、ならば本来結び付くべき魂が、稼働しているのに自分が結び付けない身体の側に概念として存在していても可笑しくない。
私は咄嗟に辺りをキョロキョロと見回す。
首を傾げた夏油さんの名を語る男が、どうしたのか尋ねてくる。
「あ、えっと…夏油さん本人の魂はどこかなって……」
「ああ、君の術式は確か…」
「はい、肉体と魂を分離させて、魂を保管する物です」
「蝶々群游・喜戯」
先程説明した通りの術式だ、私は人、動物、虫、植物、関係無く、対象の魂を肉体から切り離し、蝶という形の檻に閉じ込めさせることが出来る。
ただそれだけ、終わり。
弱い、正直あまり使い道の無い綺麗なだけの術式だ。
なんなら、虫が苦手な人からしたら、何の役にも立たないどころか嫌がられる。
ちなみにこの術式にはランクのような物があり、保管した魂を用いて強い攻撃手段に出来る「舞楽」や、魂を糧と出来る「誘致」などが存在する。
「喜戯」は底辺も底辺、ドベの弱さだ。
でもまあ、綺麗だし…蝶好きだし、いつか役に立つかもしれないから…私はコッソリ少しずつ、自分が殺した人間だったり、道端で轢かれてお亡くなりになっている動物や虫なんかの魂を蝶にしている。
七海さんと出会った時も、彼の側をウロウロしていた魂に声を掛けて蝶にした。その子はとても綺麗な黒アゲハとなった。
だから夏油さんの魂もあればいいなーと思ったが、見当たらない。夏油さんの魂ならきっと綺麗なモンキアゲハやスミナガシになったのに……もしかしたら近くでは無く、少し離れた場所にあるのかな?
そう考えた私は、取り込む前に夏油さんの魂を回収させて欲しいと偽夏油さんにお願いした。
「あんまり遠くには行かないように、君は弱いんだから」
「一応、剣があれば戦えます…」
「なくしちゃったんだろ?」
「なくしちゃいました…」
ドジっ子ちゃんだね、と笑って言われて悲しくなった。
違うもん…ドジで失くしたんじゃないもん……高専に行けば多分あるもん…。
でもそんな抗議、恐ろしくて出来ないので、私は頬を噛むように口をキュッと結んで口にすることを堪えた。
何かあれば真人くんを呼ぶように言われたが、彼は私を一方的に構うだけで基本居て欲しい時には居やしないのだ。
この前も起きたら知らない呪霊達に囲まれていて泣きそうになりながら慌てて彼を呼んだけれど、全く姿形が見当たら無かった。
とうとう泣き出した私を大きな身体をした花御と名乗る呪霊が綺麗な可愛らしいお花を出してあやすなどしてくれた。呪霊は見掛けによらない。
真人くんはあまり役に立ったことが無い、私的な視点では。
…と言うのが数日前の話、私はここ最近毎日目深に帽子を被り、人目を避けるように歩いて夏油さんの魂を探している。
器が動いているのに、入れないなんてちょっと可哀想だ。
自分の家なのに居られないみたい、私だったらきっと悲しくて泣いてしまう。
あの人のことは嫌いでは無い、ついぞ理想には賛同出来なかったが、苦しいばかりの世界で、それでも人を信じて生きていたあの人を笑うことなんて出来なかった。
寝床にしている部屋の近辺をグルリと見て回る。
ゴミステーション、植え込み、近くの駐車場、公園…魂の気配は感じ無い。
蝶を数匹出して、彼等にも捜索を手伝って貰うが、本日も収穫は無し。正直手詰まり感があるが…あと考えられる場所が一件だけある、だがそれは、ここから離れており、尚且つ私では行けない場所。
もう二度と、行ってはならない場所。
高専、五条さんの側。
もしかしたら夏油さんの魂は、そこにあるのかもしれない。
「そう思いません?」
指先で羽を休める黒アゲハに向かって語り掛ける、黒一色で染められた美しい羽に見惚れて思わず笑みを漏らしていれば、その蝶はいきなり羽ばたいて何処かへ飛んでいってしまう。
「こら、待ちなさい」
探しに行けとも、飛んでいけとも命令はしていないはずなのに、一体どうしたのか。勝手に動くことなんて今まで無かったのに。
蝶を追い掛け私は走る。
ヒラヒラと舞う姿に誘われるように、寝床としているアパートの側を離れ、団地の道を逸れ、行ったことの無い場所へと足を運べば、そこにはもう二度と会うことな無いと勝手に決め付けていた人の姿があった。
高い背と、よく伸びた背筋。
ツーピースのシングルスーツを着こなす姿。
七海さんが、夕陽に照らされながら待っていたのだった。