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七海が犬を飼ったよ

高専を黒い帳が包んだ。
待機命令場所まで行く道すがらに起きた異常事態に、私は強い呪力の感じる方へと足を進める。

戦闘音が聞こえてくる。
焦る心と裏腹に、どうにも冷静な部分が「行くな」と警告を発しているようで、足取りが重い。
だが行かなければならない、何のためにここへ配置されたのだ、この時のための私だろう。
マフラーを巻き直し、剣を握り締めて到着した先には、本来であれば最前線に出ると予想された呪詛師、夏油傑が歓喜の声で喜びを露に涙を流し語っていた。

「私の望む世界が、今、目の前にある!」

悲惨を通り越した状態となっている現場に目を走らせる、地面に大きく空いた穴、倒れ伏す生徒達、強い血の香り。
両手を広げて泣き笑いながら理想の切れ端を感じて喜ぶ夏油傑の異質さに戦き、私は足を竦ませた。

こちらにゆっくりと振り返った男は、私を視界に捉えると、異様な笑みを浮かべながら口を開く。

「いらない子まで来たか」

ズルズルと彼の背後に出現した、鈍く光ながら蠢く呪霊が嘲るように喉を震わす。

「でも君は半分人間だ、家族には加えられないが…」

数秒の睨み合いの後、歪んだ四つ足を持つ呪霊が攻撃の初動を見せる。

来る!

反射的に構えた剣がキンッと高い音を立てて何かを弾いたのが分かった。

「ペットくらいにはしてやらないこともない」

勘を持ってして避けたすぐ横に、ブワリッと風圧が過ぎる。
息をする間も無く、縦横無尽に繰り広げられる攻撃を捌くことですぐに手一杯になった。
次から次へやってくる怒濤の強襲は、マフラーの端を裂き、コートを破り、私の頬に一筋の傷を付ける。

剣を握り直し、術式によって出現させた蝶の群れで相手の視界を撹乱する。
一度腰を深く落とし、息を細く吸う。
呪力を剣の先端まで行き渡らせて、相手が眼前に踊り出るのを待った。

衝撃に備えて脚を開き、足裏へ力を込め、そのまま私の中の全てを静止させる。

蝶の群れを突き破り、こちらに目掛けて一直線に駆けてくる呪霊を視界が捉えた。
一歩、踏み込む。
私の間合いへ飛び込んで来たその身へ目掛けて剣を振り抜く。込めた呪力を一気に解放させ、衝撃と斬撃を打ちこむため刃で空を凪ぎ払う。

無走。
走らず、ただ静止の構えで敵を待ち、間合いへ踏み込んだ対象へ容赦の無い一閃を放つ。

抉り穿つ、猛火の閃撃。
白熱と共に大地を割り落とす。

呪力によって陽炎のように揺れて歪む空気を巻き込み、私の一撃が身を震わす程の轟音を響かせながら、風を、空気を、地を、捲るように裂き、破壊する。

だがしかし、これで終わらない。

余波だ。
私の無走には余波がある、遠隔の地まで吹き飛ばす連弾衝撃波が、呪霊の指先一つすら残さずに塵へと変えた。

「ハッ、ハッ、ハァーッ、ハァー……」

重いなんて言葉じゃ表せないような一撃を打ち込み終え、息を切らす。
剣を構え直し、男を見やれば、満足そうな顔で安っぽい拍手をしながら「お見事」と世辞を飛ばした。

渇きを覚える喉で唾液を飲み込み、私は夏油傑を睨み付ける。

「君では私に勝てないよ」
「知ってます」

彼から発せられるプレッシャーで震える手足を叱咤して、私は剣を握り締めて口を開いた。

「感謝します、夏油さん」

…彼は私を半分人間だと言った。
母が死んでからずっと付きまとっていた違和感の正体はそれだ。

今、己の価値に正しい値段を付けるとするならば。


私は、人間では無い。
呪いだ。


「最後に私を呪いとして扱ってくれて」

切っ先を彼へ突きつける。
自分の口からこんなことを言いたくなかった、それを口にしたら、一番思い出したくないことを思い出してしまうから。

私の本当の母は父と恋に落ちた妖精であった、だが父は途中でその恋が歪であり、道の先には気紛れに与えられる破滅が待つと気付いて女を振った。
その女が私のお母さんへと私を宿らせたのだ。
私は知っている、何故なら、この魂は女から分離された一部で作られたレプリカだから。

私は、人間が憎い。
同じくらい、私自身が憎い。

何も考えなくていい……普通の女の子に産まれたかった。

だけどもう遅い。
気付いてしまったからには、人には戻れない、その道は歩めない。
残していく七海さんのことだけが気掛かりだけれど、もう皆には会えない。
呪いとして祓われるか、人として死ぬか、この二択しか最早選択肢には無かった。


再び呪力を剣に込める、息を細く吸い、身を静止させて構えを取る。
足先へ力を込め、神経を尖らせた。

悠然とこちらを見つめる男を厳しい眼差しで見つめ返し、私は風と音を置き去りにして高速の剣技を振りかぶる。その身を切り裂かんと振るった刃は、しかし、男に届く前に盾となった呪霊数体を粉砕し、そして。

「ガハッ」

私の身を、眼前に居たはずの男の手が背後から貫いた。
口から血と共に空気が吐き出される。
突き刺さる手が勢い良く引き抜かれ、空いた空洞に風が通り抜けた。


痛い、お母さん、助けて。
そうは思えど、私を助けてくれた母は何処にも居やしない。
だって私が殺してしまったから、私こそが呪いだから。

痛い、苦しい、悔しい。


そのまま、力を失くした身体は重力に従い地面へぶつかる。
私の首筋に突き付けられた物が何であるかすら分からない、ヒューヒューと、か細い息を未だに続けていられるのは、やはり私が人間では無いからだろうか。

「何か言い残すことはあるかい?」

まるでこちらを労るような、優しく柔らかな声が降ってくる。
優しいけれど、でも、同じ優しい男の人の声ならば、七海さんの声の方が良いなと思ってしまうのは、ただの身内贔屓か、それとも愛だの恋だのと呼ばれるものか。
呪いであるらしい私には、もう分からなくて良いことだけど。

「不満を…抱えて、生きているのは、呪術師だけじゃ、ないわ…」

せり上がる血を吐き出しながら、懸命に呼吸を繰り返し、最後の言葉を言い残す。
何も残らなくても、せめて言いたいことだけ言ってやろう。

「動物だって……植物だって、」

視界が眩む、歪む景色が私の終わりを知らせた。

「非術師だって……存続する権利は、あるのよ……」

呪い以外の全てには、この星に存続する権利がある。

生きる権利を奪って良い存在なんて居てはならないのだ。
私も、貴方も、呪いも、誰かの明日を摘み取ることに喜びを感じる者なんて、あっては駄目だ。

私は人が憎い、呪いだから当たり前だ。
でも同じくらい、自分が憎い。

自分の存在が、誰かの未来を歪めるのなら、母や父のような人を生み出してしまうならば、居ない方が良い。
好きな人を、本当に好きになったら、きっと駄目。愛が呪いに変わるのなら、元々呪いである私の愛はきっと不幸を呼ぶ。

だから、居ない方が良い。
きっとこの終わりに価値はある。

七海さんの未来が、私によって摘み取られないのならば、私は死んでもいい。

そう思えるこの感情は、やっぱり愛なのかも知れないと思いながら、私は静かに目を閉じた。
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