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七海が犬を飼ったよ

ふと、目が覚めた。
どうやら寝ていたらしい。

辺りを見渡せば慣れ親しんだ部屋の光景が目に入る。
慌てて身を起こせば私は何故かパジャマを着ていた、もしかして…母のことは、夢だったのだろうか。

ボンヤリと働かない頭で昼間の出来事を思い出そうとするが、ツキンッと頭が痛くなり、私は上手くあの時の光景を思い出すことが出来なかった。
不思議と落ち着いている精神状態に疑問を抱きながらも、言い表せない喪失感を感じて一人で居ることが途端に怖くなった私は、七海さんを探すため、部屋を出ることにした。

ベッドから下りるために素足を床に付ける。
暗がりでイマイチ分からなかったが、側にあったスリッパは私のために用意された物であった。
ふかふかしたスリッパを履き、目を擦りながら扉を開けて部屋を出る。
明かりの灯るリビングへと行けば、そこには読書中の七海さんの姿があった。珈琲の香りがする、いつもの風景だ、いつもの七海さんだ。
何故かそれに無性に安堵してしまい、胸を撫で下ろせば、泣きたいのに涙は流れてこない…そんな気持ちになった。

私に気が付いた七海さんが本を閉じると、側に畳んであったカーディガンを持ち立ち上がる、「よく眠れましたか」と尋ねながら私の肩にそっと羽織らせてくれた。
カーディガンに袖を通しながら、私は何かを言おうと彼を見上げながら口を開くも、上手く感情を言葉に出来なくて黙りこむ。

項垂れるようにうつむき、カーディガンの袖口を握り締めて、喋らなければと焦っていれば、七海さんの大きな手が私の頭を優しく撫でた。
髪を透くように撫でる動きが繰り返されるうちに、自然と身体からは力が抜けて行き、私は衝動のままに目の前にある七海さんの身体に近付き頭を胸に寄り掛からせた。
背中に回された腕が、甘やかすようにポンポンと私を叩く。
瞼を閉じて、何も見ないようにすれば、私はやっとこ小さな声で「家族が…」と、言いたいことの出だしだけを口に出来た。
だがその続きは出てこなかった、上手く言い表せない孤独感だけを募らせていく。

昼のことを上手く思い出せなくても、一つ確かなことは、私は二度目の母との別れを味わったということ。
悲しむ時、苦しむ時、不安な時、私の視界を閉ざすように包み込んでくれた黒褐色のツヤの無い羽は、もう居ない。
ボンヤリと母の羽を思い出していれば、ジワジワと悲しみと悔しさが混ざりあった苦しい気持ちが沸き上がる。


無力だった。
何も出来なかった、また私は間違えた。
約束をしたのに、一緒に生きると。あの時、確かに覚悟をしたのだ、お母さんがもう二度と私のせいで死なないために、頑張ると。
母の自慢の娘になると、誇らしいと思える、そんな人間になると。

なのに、私は……。

人間が嫌い、醜いから。
でもそれ以上に、私は私が嫌い。
弱くて、醜くて、憎い。
私では無い、他の人が母から産まれて来たら良かったんだ。
そうしたら、きっと幸せになれた。
私には愛される資格なんて無い。


いくらか七海さんの腕の中で黙りこくっていたが、とうとう、決壊寸前まで涙を瞳に溜めても、母は姿を現してはくれなかった。


「家族が、死んでしまったんです。多分、恐らく、私のせいで」


やっと口に出せた言葉は、やはり自分を責めるための言葉であった。
声を震わせながら、私は懺悔のように目の前の人に縋り、悲嘆の涙をホロホロと流して心の痛みを音に表す。

「私が、呪いなの?」
「違います」
「じゃあどうして、どうしてお母さんは…」
「…貴女のお母さんは、貴女を愛していましたよ」

七海さんは、私の傷に優しい声を掛ける。
彼の顔をそっと見上げれば、心配さを隠した穏和な瞳が私を見下ろしていた。
頭を撫でられながら、私は疑問を口にする。

「どうして、そうだと言えるの?」
「ずっとお二人を見ていましたから」

貴女とお母さんが共にお互いを大切にしている所を。
貴女を預かってからずっと、見守っていましたので。

零れ落ちる涙を拭いながら、七海さんは安心させるようにもう一度、ゆっくりハッキリと、「貴女は確かに愛されていました」と告げた。


これはきっとまやかしだ、都合の良い言葉だ。
けれど、抱えきれない痛みと切なさを誤魔化すためには、この言葉を飲み込む他に、私は傷の癒し方を知らない。


七海さんの言葉に私はもう一度顔を伏せ、彼の胸に額を押し付ける。
もし、私を愛してくれる優しいお父さんが居たのなら、こんな感じなのかな。
それはきっと、嬉しくて温かくて、幸せなことだと思った。

大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。

家族が居ないことは怖いことではない。
お母さんは私を愛してくれていた。
辛くない、寂しくない、私には七海さんが居る。

大丈夫、きっとすぐに慣れる。

私はお母さんの子だもの。
私は強いもの。
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