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ヴィーナスお願い

幼少期、将来の夢はお寿司だった。
お寿司屋さんではなくお寿司、握る側では無く食べられる側。
幼稚園だか保育園だかの将来の夢を発表する場では、「おおきくなったらおすしになりたいです!とくに、まぐろになりたいです!」とデッカイ声で高らかに言った記憶が未だに鮮明に残っている。

そんなお寿司になりたい系女児だった私は、今現在頭から爪先まで真っ赤に染め上げ自宅のリビングにあるソファで足を投げ出し座っているわけなのであった。

赤い身体に生臭い香り、座るソファは清潔な白。
念願叶ってのマグロのお寿司状態。夢が叶って良かったね、いつかの私。


「いや、なんも良くないな………」


血の滴る手のひらを見つめて呆然と呟く。
何でこんなことになったのか…とか、どうして私が…とか、そういう理不尽に対する怒りよりも先に、早く風呂に入りたいという欲求が上回ってしまい、フラフラとした足取りで風呂を沸かすためのスイッチを力無く押した。

お湯を沸かします。と、人間を真似た機械の音声が流れるのを聞きながら項垂れる。


遡ること数分前の出来事だ。

元気に学校から帰宅した私は自宅の玄関扉を抜けて、「疲れた疲れた」と溢しながらリビングへと普段通りに向かった。
時刻は夕方6時半過ぎ、いつもならば母の作る美味しそうな夕御飯の香りが家中に漂っているはずなのに、何故だか今日はやたらに焦げ臭い香りが充満していたのを覚えている。
魚でも焦がしたのか?珍しいこともあるものだ…と、リビングへ続く扉を至って普通に開けた。

ガチャリ。
開かれた先には点きっぱなしのテレビから流れる夕方のニュースと、天井からダラリと吊り下がる母のエプロン。
予想外の出来事に立ち止まり、声も無く揺れるエプロンの紐部分を眺めてしまう。

瞬間、天井がゆらりと波打つ。
クリーム色の天井は小さく波紋を広げながら小波のように波打ち、子供の甲高い笑い声を無数に上げた。
クスクスと家のそこかしこから聞こえ始めた耳障りな笑声は湧き上がっては気泡のように消え、またフツリフツリと湧き上がっては消えを繰り返す。
次第に大きな渦の如くなっていく天井から、ゆっくりとゆっくりと這い出て来たのは、ブヨブヨとしたタコと人間を無理矢理結合したかのような異形の怪物だった。
そいつは全身を赤黒く染め上げて「クスクス」と笑いながらこちらをジロリと見つめてくる。
本来顔がある部分には長い口だけしか存在せず、無数に垂れ下がる触手の先端には尖った鉤爪がぬらりと光っていた。

その鉤爪が自分に向かって伸びてくるのを、私はやたらにスローモーションで感じ取っていた。
そこからの記憶は酷く曖昧だ、気付けば私は血ダラ真っ赤になっており、カラカラに干乾びたミイラみたくなった母の死体と、色んな物が壊れたリビングで呆然と立ち尽くしていたのだった。


もうすぐ風呂が沸き上がるというアナウンスが流れ、それによりボヤけていた意識を取り戻す。
酷く渇く喉を擦りながら血濡れの足を引き摺って風呂場の扉を開き、何も考えずに冷たいシャワーを浴びた。
鮮血が冷水と交わり排水溝へと流れて行く。
口先から入った血がやたらに甘く感じたのはきっと疲れているからだろう。
頭がボーッとする、喉が渇いた。早く寝たい。

グラリと傾きそうになる身体をなんとか起こし、シャワーを止めて浴室を出た…その瞬間。

ガラリ。
脱衣所の引き戸がいきなり開かれ、突然見知らぬ人間と相対した。
一瞬覚醒の遅れた頭は、状況を理解した瞬間にはもうブラックアウトしていた。
崩れていく身体を誰かが受け止める。
今日最後の記憶は、耳障りの良い声による謝罪で締めくくられた。


「ごめん、助けられなかった」


はて、私は他人に謝られるようなことをしただろうか。
まあいいや、もう眠ろう。
都合の悪い現実なんて、見たくない。



___




真衣や三輪の一個上の先輩達は東堂を筆頭に変わり者が多い。
加茂家の嫡男に小さな魔女っ子、そして弱点の無い吸血鬼。

血液パックにストローを突き刺し、まるでジュースか何かのようにジュルジュルと音を立てて吸われていく赤黒い液体を見た加茂は眉を小さく顰めた。
飲んだ液体と同じ色に染まる髪と目は、今しがた吸われた血液と同じようになまめかしい赤をしており、正常な視界を持つ人間であるならば誰だろうと多少はたじろいでしまうであろう。

しかもそれが昼食の時間に行われている光景であり、さらには自身の席の真横で血を吸われているものだから、出会ってから三年経った今ですら加茂は隣の女の有り様に慣れなかった。

「君、頼むから音を立てて食事をするのをやめてくれないか」
「ジュルジュルジュル~~ズココココッッ」
「…その汚い飲み方を今すぐにやめてくれ、食事が不味くなる」
「ジュゾゾゾゾ~~ ケフッ」

加茂、ガン無視されるの巻。

出会って三年経ったといえど別に友人として仲良くなってはいなかったので、女は面倒な小言をこれでもかと知らん顔をして昼食の血液を嗜んだ。

やっぱ血はコイツのに限るなぁ〜何やかんやこれがいっちゃんうめぇわ。
ストローの先をガジガジと噛りながら、耳にワイヤレスイヤホンをぶっ刺しシャカシャカとシンセサイザーの主張が激しいアップテンポな音楽を聴く女は加茂の話をガン無視していた。
小言の煩い人間は嫌いだし、そもそも嫌なら他所で食えという思いである。

教室内に流れる空気は最悪も最悪、何故二人がこんなにも険悪なのに一緒に居るのかと言えば、そこにはちょっとした理由があった。


三年前のある日、突如呪霊に襲われた母と娘は不幸なことに死に絶えた。
母は体中の血を抜かれ、娘はその血を浴びて助けに来た五条悟の腕の中で息絶えた。
しかし、そのニ時間後の話だ。なんと遺体安置所で娘は目をパチリと覚ます。
遺体袋を鋭い爪で切り裂き、熟睡から起きた時のようにポンヤリとした頭で欠伸をしながら身体をゆったりと起こしたのだ。

「…ヲッ、全裸……」

そこで自分が何も身に着けていないことを知り、何か着る物は無いかと室内を漁っていた所、監視カメラ越しに異常事態に気付いた警備員が術師と共に現場に駆け付けたわけである。

突如やって来た知らない人間数名に警戒されながら囲まれた少女は、自分が入っていた遺体袋でなんとか身体を隠しながら目を白黒させる。
一体全体どうなってるんだってばよ、誰か説明してクレメンス。
緊急事態の時ほど頭が悪くなるタイプの少女は、刀に手を掛ける男や拳を握る男などを前に「龍が如くっぽいじゃん…もしかして私、転生した?」と、ちょっとワクワクしていた。わんぱくにも程がある。

そうして遅れてやって来た五条が顔を出し、「とりあえずこれ着な?」と上着を貸してくれたことで一旦事態は沈静化した。

「あ〜…こうなっちゃったか〜。ま、なっちゃったもんは仕方無いし、これから君には頑張って貰うとして…」
「あの、なんにも分からないんですが…ここどこ……」
「誰が適任かな、とりあえず片っ端から声掛けてみよっか」
「ペットの里親探しか何かの話してます?」

突然親を失い化け物に襲われたかと思えば、グラサンをかけた縦に長い男に里親探しの話をされ、少女は何一つ事態を飲み込めぬままに遺体安置所を後にする。

ぺったぺったと素足を踏み鳴らしながら、長い脚でスタスタと廊下を進んでいく五条の後ろを追い掛ける。
嫌になるほど暫く無言で歩き、辿り着いた先は学長室であった。
廊下以上にシン…とした暗い室内では大柄な男が一人縫い物をしており、繊細な手付きから生み出されたのであろうぬいぐるみたちに囲まれる姿は少女に「ここはヤベェ場所」だとしっかり認識させた。

どうやら自分は何かに巻き込まれ、変な場所に運ばれてしまったらしい。
龍が如くの世界じゃない、転生でもない、ああ…喉が渇いた。

学長と呼ばれた男と背の高いグラサン男が話し込む姿を入ってきた扉付近で待つ少女の耳には、どういう訳だかしっかりとその声を潜めて話合う話の内容が入ってきた。

「金星の吸血種…そう例の、追ってたやつ。あれとどうやら融合したらしい」「何故そんなことになった、じゃあ彼女は呪いということに…」「いや、僕の見た限りでは限りなく人間だよ。今はね」

にわかには信じられない会話が聞こえ、少女は自分の身体が緊張するのが分かった。

会話の内容から察するに、自分を襲ってきたあの化け物は"金星の吸血種"とやらで、自分はそれと何故か融合し、何故か限りなく人間のままで居て、これから里親探し…?をされると…。
そ、それってつまり……!
そこまで考え少女はハッとした。辿り着いた答えに怯えるように、生唾を一度ゴクリと飲んで、震えた声を出す。

「NASAに…売られる……?」
「あ、聞こえてた?メンゴメンゴ」
「私、NASAに売られるんですか?こんなにも真面目に健気に頑張って生きてきた私が?生まれてこの方人生に一点の曇も無く可愛くて素敵な女の子に育ったこの私が!?」
「自己肯定感高いのいいね」

えッ!!?!?
ご近所のおばあちゃんからは「立派なお嬢さんになって」と涙ぐまれるくらいに優しくて、学校は皆勤賞を目指しているからズル休みなんてしたことが無く、同性の後輩からはモテにモテて毎年バレンタインチョコを大量に貰い、先生からの信頼も厚く、高校は地元でも有名なそこそこ偏差値の高い制服が可愛い高校に入学予定の、まさに少女漫画のヒロインかご都合良すぎドラマの主人公のように生きているこの私を…NASAに売り飛ばすっていうんですか!?
あのイカだかタコだか分からない奴の喉笛に喰らいついて掻っ切って、勢い余って口の中にあった肉塊をゴックン!て飲み込んじゃっただけなのに!?

今日だけで様々なピンチを乗り越えて来た少女であったが、"VS"NASAというかつてない程のピンチの前に、とうとう精神は限界に到達する。
目に涙を浮かべ「タコみたいな形だけど歯応えはクラゲでした……」と、どうでも良いことを解説し出した所で五条はケラケラと薄情な笑い声を上げながら少女の元へと近付き頭を一撫でしてみせた。

「なるほどね〜食べちゃったか、そっか、馬鹿だねお前〜!」
「馬鹿っていうほうが馬鹿だもん!!!!」
「ところで、喉とか渇いてたりしない?」
「のどカラカラだよお〜〜!!!」

喉はカラカラだしお腹はペコペコだし、ついでにやたら耳や目や鼻などの知覚が冴えてるし、もう嫌だ嫌だと泣き喚く少女の声は部屋の外まで響き渡る程で、そんな少女の様子を五条と夜蛾は冷静に観察しながら視線で軽く意思を確認し合う。
「なんか面白そ…いや、ちゃんと理性あるっぽいしとりあえず僕預かるね」「あまり大っぴらにするなよ」「りょ」
こんな感じで話は纏まったので、五条はペショペショに泣く少女をあやしながら部屋を後にした。

そして翌日、夜蛾の言葉を丸っと忘れることにした…もとい、「僕忙しいからさ、僕の変わりにこの子扱える奴居ない?」とそこら中に聞いて回った……結果、半日で「金星の吸血種をタコと間違えて喰って殺した女が見世物になってるらしいぜ!見に行こうぜ!」という感じで噂は瞬く間に広がり、見せて見せて!キャッキャッ!とはしゃいで見に来た何処ぞのお偉いさん達によって、「いやこれ冗談で済ませちゃいけないレベルやんけ、投獄しとこ…」と、五条が居ない隙に少女は流れるように投獄されたのであった。許さんぞ五条悟。少女は白髪頭を脳内で煩悩の数だけ八つ裂きにした。

投獄された先は京都に屋敷を構える呪術界御三家が一つ、加茂家。血を扱うことに長けた術式を相伝として持つ家ならば、対処もしやすいだろうとの理由である。
そんな加茂家の立派な屋敷の立派な座敷牢に突っ込まれ、なんか上手い具合に洗脳とかしとく?という話合いが行われていたりいなかったりしていた。

「いやもう…何でも良いけど……お腹空いた…」

キュルル…と切なく鳴り響く自身の腹を擦り、はぁ…と疲れた溜息を溢す。
よく考えれば悲惨な目にしか合っていないなぁ…と、何処か達観してしまった精神で考えながら渇いた喉に唾液を通すことでやり過ごす。

……そんな日々が、二週間続いた。
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