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誰が正義を殺したか

その知らせが五条の元まで届いたのは、全てが終わった後だった。

ピタリと止んだ襲撃、ハッピーエンドのお別れ、さあ幕は降りたぞあとは休むだけだと言った所で担任から呼び出され告げられた内容に、気付けば壁を殴ってヒビを入れていた。
吸った息を吐き出すことにすら苦労しながら、少しずつ噛み砕いて話を飲み込んでいく。


五条は自分が恵まれていることを良く理解している。
同じ御三家に生まれながら、余程酷い扱いを受ける者達が居ることを知っている。
勿論恵まれた分掛かる重圧だとか期待だとかは目を背けても存在するのだが、しかし彼はそれらを気にせず生きる生き方を学んでいたから分からなかった。

気を向けていなかった所から、地獄が湧き上がったことに。

一人残らず殺され尽くした教団の幹部達と事件に関与したと思われる人々、消された死体、隠れていた幹部の居場所を吐かせるために使われたであろう放置された人質達、銃痕、血溜まり、残穢。
それを行ったのは一つ下の後輩で、その後輩は五条が目を背けた場所で苦しみを訴えていた者だった。

あの後輩が同じ家に居たなどという記憶は無い、いやもしかしたら居たのかもしれないが、それこそ気にも留めずに忘れてしまっていた。
同じ一族の血が流れ、しかし同じ道を辿ることは無く生きてきた者であることを、今日まで全く知る由もなかったのだ。
片や時期当主、誰もが道を開き頭を下げて顔色を伺う存在。大抵の我儘は通り、様々な事柄を学べる立場にある血も才能も立場も優れた者。
片や犬と嘲笑われた殺し屋、誰かに必要とされるために必死に殺しを覚え、それだけを求められて使われる人間。

どうにも自分にはやたらに従順だと思っていたが、それは単純な好意によるものではなく、彼女を飼う側の人間の一人としてカウントされていたからに他ならないと気付いた時、妙に冷静な気持ちになっていた。
人懐っこいのも捨てられたく無いがため、妙に色々な技術を持っているのもそういう教育だけを受けていたから。術式の解釈を新しくした結果、地味な技ばかり思い付くのも職業柄。

怒りと後悔、一つ救えれば一つ取り零す。

会いたい、会わせてくれと頼み込むも今は無理だと却下される。
だってこのままじゃ死ぬだろ、死ななければ死なないで酷い目に合うだろう。高専に一任されているとはいえ、その高専とて一枚岩ではない。むしろ、然るべき対応を求められれば誰も何も言えない、皆目を背ける他になくなるはず。


「誰かの力になりたいのです」


当たり前のように人を助け、当たり前のように背筋を伸ばして先を歩く眩しい背中を思い出す。
怖いものなど無いのだと、怯える必要など無いのだと、どんな状況でも笑顔で「もう大丈夫」と言える彼女は確かに正義であったはずなのに。

それなのに、一体なぜ。
誰が正義を殺すというのか。


五条は奥歯を噛み締めその場を後にする。
前は見ずに足元に視線を落として、息も上手く出来ずに悔しい思いを胸に抱いて、ただただ暗がりを鉛のように重たい足取りで歩いた。

隣で「猫背は駄目ですよ」と笑って小言を言う真っ直ぐな背筋の少女は居ない。
きっと、明日も明後日も居ない。

自分がルールを破って無理矢理にでも会いに行かねば、隣り合って笑う日は二度と来ないのだと、彼はハッキリと理解していたのだった。




………





質問に答える。
素直に答える。

私は悪いことなどしていないのだと、皆のために戦ったのだと訴える。
だって教団の幹部は悪者だ、幼気な女の子を自分達の都合のために殺してしまおうだなんて考え、可笑しいに決まっている。
そんな考えのために命を狙われた女の子も、そんな奴等のために仕事をしなきゃならない時雨さんや甚爾さんも、襲撃の対処をしなきゃいけない高専も、みんな可哀想で大変だから私が諸悪の根源を討ち取ってやったのだ。

それの何が悪いの?

分からなくて首を傾げれば、取り調べをしていた男は冷たい目で私を見て席を立った。
私はそれに「待って、違うの…!」と手を伸ばそうとしたが、両手には鎖が繋がれておりどうにもならなかった。

何が悪いの?私の行動の一体何が悪かったと言うの?分からない、分からないから誰か教えて欲しい。誰でも良いから私の質問に答えて欲しい。
外へ繋がる、内側からは開かない扉に向かって私は尋ね続けた。
だって肯定されたかったから。
私じゃない誰かに、私は正しいって言われたかったから。

ねえ、どうして?
一体何故、私はこんな牢獄に繋がれなきゃいけないの?
みんなのために戦ったのに、なんで頭が可笑しいだなんて言われなきゃいけないの?何故目を背けるの?異常者だなんて言うの?
私、駄目な子だったの?違うよね?だって沢山施設で学んだもの、やり方…間違えてないでしょ?
ねえ、なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?

ねえ、なんで。誰か答えて、教えて、何が悪かったのか言ってよ。
私、良い子だから言われたら悪かったとこ直せるよ。だから教えてよ、お願いだから。

どこが間違っていたの?血を掃除しなかったこと?幹部の娘を拉致して人質に取ったこと?捕まえた幹部に他の仲間の居場所を吐かせるために、電動ドリルで踵に穴を開けたこと?死体を鉄スクラップと一緒に処理したこと?盗んだやつも含めて車を2台駄目にしたこと?弾を使いすぎたこと?幹部の家に毒ガスを仕込んだこと?叫び声が煩かったから喉を焼いたこと?

産まれてきたこと?お父さんに顔が似てたこと?お父さんが別の愛人の名前を私に付けたこと?家に入れてって泣いたから?挨拶のやり方が分からなくて近所の人に挨拶出来なかったから?靴の左右も分からなかったから?お箸の持ち方も分からなかったから?靴下をいつも片方だけ失くしちゃうから?

施設で成績が悪かったから?初めて人を殺した時に吐いて具合を悪くしたから?逃げようとしたから?もうこんな世界嫌だって思ったから?本当は正義なんて何処にも無いんだって、そんなのやるだけ無駄だって、頑張る皆のこと見下して馬鹿にしていたから?

ねえ何が悪かったのよ、私のどこが悪かったって言うのよ。
頑張ったじゃん、努力したじゃん、諦めなかったじゃん、愛想良くしてたじゃん、なのに何が間違っていたのよ。

なにが、どこが、どうして、


「どうして誰も、私の正義が間違ってるって教えてくれなかったのよ!!!」


牢獄に響き渡る絶叫が外に溢れ出すことは無い。
薄暗く、一月も居れば目が悪くもなりそうな湿気った室内で何日も何日も、息を荒らげて眠りから覚める度に錯乱する私は、それでも自分は正気を保っていると信じていた。

荒い呼吸を繰り返し、泣いて叫んで正義を訴えて疲れて眠る。そして、起きたらまた誰にも聞こえないのに質問を繰り返す。
壁を掻き毟り、頭を打ち付け、血の味が口に広がるまで叫んで、丸まって涙を枯れるまで流す。

誰かが言った、あれはもう駄目だと。
いや、最初から駄目だったのだと。
近親同士の血を交えてしまったせいだ、せめて産まなければ母親だけでも幸せだったろうにと。

それを耳にした時、私はとうとう泣くのをやめてケタケタと笑い出した。


なんだ全部最初から私は間違っていたんじゃないか、ただの過ちの結果に過ぎない不用品だったんだ。

最後の記憶はなんだっけ、そうだ…確か、こう思ったはずだ。

「私じゃない、他の誰かが産まれてきて苦しめば良かったのに」と。





………




久方振りに光の差し込んだ牢の中には、細い手足を投げ出し隅に寝転ぶ女の姿があった。

まるで死人のように白い肌で、指先はボロボロになっており、酷く痩せた体躯をした女はそれでも小さくか細い息を繰り返していた。

看守が言う、「もうずっと食事もしていないうえに、まともな意思疎通も出来ないものでして」と。
それに対し、中を見ていた人間は何も返さずに足を一歩二歩と踏み出した。

コツリ、コツリ。
冷たく硬い床に靴音が鳴り響く。
それに気が付いたのか、女はゆっくりと小さく身動ぎをして自分に近付いてくる人間の方へと視線をやった。

女の元に膝をついてしゃがみ込んだ人間は、そっと手を取り「迎えに来た」と言う。
言葉を返すだけの気力を持たなかった女は、答えのかわりにキュッと小さく指先に力を込めてその手を掴んだ。

膝と首裏に回された腕により、軽い身体が冷たい床から離れていく。

そのまま、抱きかかえられた女は何処ぞへと丁寧に連れて行かれたのだった。


正義は死に、希望は潰え、最後に残った涙すら枯れて消えた。

それでも誰かの何かになれたことは確かで、そこには確かに紛い物でも輝く光はあったのだと、彼女の行動を受け取った者だけはその正義を覚えている。

儚く、霞のような青春を、きっと誰かが覚えている。





Q.あなたにとって、「正義」とはなんですか?

A.「……………そんなもの、最初から何処にも無かったよ」
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