誰が正義を殺したか
誰だって幸せになりたかった。
誰だって幸せになりたいと願っていた。
そういう人を、沢山見てきた。
そういう人を、沢山処理してきた。
誰かのために行動をして、その行動が誰かの喜びになり、巡り巡って私の幸せに繋がることを幸せだと思えるようになったのは、いつのことだっただろうか。
もう遠い記憶だ、出荷直後に買われたお屋敷で出会った白い少年に命じられ、ポテトチップスを買って届けた時に言われた「サンキュー」の一言にとても嬉しいと感じたことを思い出す。
何せ、それまで感謝とは無縁の人生だったので。心の籠もっていない感謝でも、随分と嬉しかったものだ。
『お前も食う?』
『いえ、私は決められた物しか食べてはいけない決まりなので』
『ウッゼー、いいから一枚くらい食えよ、命令だ』
『畏まりました……うまっ!』
『おい…命令したからって俺より先に食うなよ…』
誰かの願いを叶えるということは、私の存在が認められるということ。
良い行いをすれば褒めて貰えた。請われたことをすれば謝礼があった。私の行動が笑顔に繋がった。その先には幸せがあった。それはきっと、正しくて良いことなのだと思った。
皆の願いを叶えよう、だって笑顔のある未来は正義だから。
皆に認めて貰えれば、私も笑顔でいられるから。
けれど、ああ……何故、何故、何故、
「…………どうしてだれも、わたしのことはたすけてくれないの?」
呟いた言葉は虚空に消える。
足元を染め上げる鮮血は、正義の代償だった。
所詮は薄汚い殺し屋の人生、金で買われただけの都合の良い武器だ。
どれほど尽くそうとも、何度命令に従おうと、見返りなんてありはしない。最初から求めちゃいけなかったのに、それなのに私は心の何処かでずっと「いつか全てが報われる」と都合良く夢を見ていた。
夢は得てして叶わぬもの。
ズキズキとした頭の痛みはいつしか呼吸すら難しい程の苦痛となり、ガキンッ!!と脳のド真ん中で何かが割れた音がしたのが最後、私は主に与えられているマンションの一室で意識を失った。今にして思えば、この時私は何か自分の中にあった「とても大切なモノ」を壊して失ってしまったのだと思う。
そして、数十分後…夕陽が沈み始めた部屋の中で目を覚ました時、私が出した結論は至ってシンプルな物であった。
『教団の幹部を皆殺しにしよう』
単純で明快、一番簡単で皆もきっと喜ぶ解決法。
だってそうだろう、教団が天元様の器を暗殺しようと依頼したのが悪いのだ。
依頼が無ければ高専は襲撃されないし、甚爾さんも五条さんと戦わなくて良い。
五条さんが無事ならきっと五条家もお喜びになる。甚爾さんだって怪我をすることもない、危ないことはしない方が良いに決まっている。
そうだ、そうだよ。悪事を企てた悪者を成敗すれば良い、そうしたらきっと皆喜んでくれる、皆が喜んでくれたら私も嬉しい。これって正義でしょ?きっとそうだ、そうに違い無い。
いつしか頭の痛みは引いており、荒くなっていた呼吸は正常なものへと戻っていた。
頭を働かせ、すぐに襲撃準備に取り掛かる。
教団の位置を調べ出し、パソコンを開いて探し出した衛生写真から全体図を把握する。
間取り、襲撃スポット、配電、人の出入りする時間。
スケッチブックにペンを走らせ、印刷した画像を幾つも並べて照らし合わせる。
ターゲットの名前、顔、家族……親、恋人、兄弟、飼い犬、三軒両隣…全てを調べ出し全てを頭に詰め込んだ。
まずは裏手に回りメイン配線を切る、その後にワイヤーガンを使って壁を登って、メインターゲットの部屋近くの人気の少ない場所から内部に侵入。メインターゲットには護衛が存在する……護衛と側近、秘書、そしてメインターゲットをその場で迅速に処理。次いで他の幹部の抹殺に移行…施設内での所用時間は凡そ17分といったところか。
やれる、私ならやれる。
私はやる、これは全て皆のため。
皆の明日と笑顔に繋がる正義なのだから、やらなくてはだめ。
大丈夫、大丈夫。
きっと、五条さんだって夏油さんだって時雨さんだって褒めてくれる。「よく頑張ったね」「偉いね」って頭を撫でて褒めてくれる。
そうして、■月■日、■時■分。
私の正義は死に絶えた。
___
【報告】
■月■日 ■時■分
東京高専所属の学生による、盤星教「時の器の会」幹部複数人の殺害及び死体隠蔽を確認。
現在容疑者は拘束中。
処分は高専に一任する。
___
沖縄から帰った高専一行をさて襲撃するかと敷地内に入った所で、ポケットから聞き慣れぬ音がした。
pipipi…pipipi……
いつの間に仕込まれたのか、はたまた無意識の内に受け取っていたのか。
指先で摘める程度の極めて小さな通信機からは、絶え間なくコール音が鳴り響いている。
不気味に思いながらもカチリと押し込み式のボタンを押せば、酷くノイズの乗った音の中から女の声がした。
その声は、正気を失った者の声だった。
『ザザッ………ブッ…………じ、さん!…ろしました、全員殺しま…した!………です、もう戦わなくてだ……ぶで…す…ザザッ……ブツッ』
途切れた通信機からは何の音もしなくなる。
数秒の意味の無い沈黙を挟み、俺は通信機を見下ろしながら状況を整理するため頭を働かせた。
あの犬のような殺し屋とあれきり全く連絡が取れなくなった…と、時雨が言っていたのを思い出す。
懸賞金が掛けられて数時間、少女が動いているという情報は全くこちらには入って来てはいない。しかし、沖縄へ高専一行が飛び、一晩明けて今日…本当に彼女が一端の殺し屋だったとすれば事を起こし終えるには十分過ぎる時間だったと言えよう。
ターゲットの情報を得て、居場所を特定し、襲撃ルートを算出。獲物を用意して移動をし、組み立てられた予定を淡々とこなして終了……していたとしたら、それはつまり。
「……おい、俺の報酬無くなっちまったじゃねぇか」
報酬の支払い元の死亡、それ即ち無給労働。
いや、もしかしたら…万が一、億が一の可能性だが、まだ他の幹部が生きているかもしれな……いやねぇな、あの手のガッチガチに教育を受けているコンピューターみてぇな殺し屋共はとにかく「可能性」を全て潰しに掛かる。ターゲット、事件に関与出来る人間、必要あらば家族や一般人も口封じに始末する。何でも無い顔をして、息をするように。
アイツが何故こんな真似をしたかは分からない、プログラムが作動しなくなってぶっ壊れたキルマシーンの考えなんてまともな人間にゃ分かりゃしない。
けれどまあ、報酬が無くなったことは現時点でほぼ確定なわけで…それはつまりこれ以上殺り合う理由が無くなったっつーわけで。
指先に軽く力を込め、摘んでいた通信機をパキッと破壊した。飛び散ったプラスチックと廃線のクズをその辺りに放り捨て、一先ず仲介屋に文句を付けるために連絡するかと息をつく。
どうしてくれんだという気持ちと、さっさと見つけねえとヤベェなという気持ちとが混ざり合い、自分でも不思議と妙な焦りと嫌な予感が脳裏を掠め始める。
そうだ、これは焦燥感だ。
高専に今のアイツの惨状がバレたらただでは済まないはず。それに…飼い主だか雇い主だかが知れば、再教育とは名ばかりの苦痛を与えられるか、はたまた首を切られる可能性だってある状況だ。
その事実を理解した瞬間、足は真っ直ぐに彼女の痕跡を探すべく駆け出していた。
俺が先に見付ける、そうじゃなけりゃアイツは終わり。
金は後から請求すれば良い、無いなら無いなりに働かせりゃ良い、それも駄目なら大人しく抱き枕にでもなって貰う。
執着した物が目の前から消えていく感覚に少しばかり目眩がした。あんな誰にでも尻尾を振るフラフラした殺し屋のことなど、諦めて投げ出せば良いと思う自分は確かに居るのに、それを良しとせずにいるのは絆されたからか、はたまた未知の欲求でも知らず知らずのうちに腹に溜め込んでいたのか。
どうにも自分で自分のことを理解出来ないままに辿り着いた宗教施設では、案の定血溜まりがそこかしこに出来ていた。
不気味な程に静まり帰った施設内には人一人おらず、死体もものの見事に消え去っていた。
銃痕、捨てられた折畳み式ナイフ、それから術式を使ったのであろう焼跡。割られた窓から顔を出し上を見れば、ワイヤーガンから放たれたであろうフックと垂れ下がるロープがあった。こんな状況であるが、よくやると関心する。あの何の変哲もない小さな身体でここまで出来たとは大したものだ、やっぱり連れ帰って俺達で上手く使ってやる方がアイツにとっては幸せだろう。
そのためにもまずは見つけなけりゃいけない。話はそこからだ。
携帯端末やパソコン、それから固定電話の類いは全て破壊し尽くされていたため、時雨への連絡を諦め施設を後にする。
先程からずっと嫌な感覚が離れない。
何もかもが手遅れだと、そんな気さえしてくる。
もしかしたら俺が構っていた犬は愛玩犬などではなく、もっと異常で哀れな生き物だったのかもしれないと思い立った時、ポツリポツリと雨が降り出した。
痕跡となる匂いが消えていく。
まるで、俺の元からアイツが居なくなるかのように。
誰だって幸せになりたいと願っていた。
そういう人を、沢山見てきた。
そういう人を、沢山処理してきた。
誰かのために行動をして、その行動が誰かの喜びになり、巡り巡って私の幸せに繋がることを幸せだと思えるようになったのは、いつのことだっただろうか。
もう遠い記憶だ、出荷直後に買われたお屋敷で出会った白い少年に命じられ、ポテトチップスを買って届けた時に言われた「サンキュー」の一言にとても嬉しいと感じたことを思い出す。
何せ、それまで感謝とは無縁の人生だったので。心の籠もっていない感謝でも、随分と嬉しかったものだ。
『お前も食う?』
『いえ、私は決められた物しか食べてはいけない決まりなので』
『ウッゼー、いいから一枚くらい食えよ、命令だ』
『畏まりました……うまっ!』
『おい…命令したからって俺より先に食うなよ…』
誰かの願いを叶えるということは、私の存在が認められるということ。
良い行いをすれば褒めて貰えた。請われたことをすれば謝礼があった。私の行動が笑顔に繋がった。その先には幸せがあった。それはきっと、正しくて良いことなのだと思った。
皆の願いを叶えよう、だって笑顔のある未来は正義だから。
皆に認めて貰えれば、私も笑顔でいられるから。
けれど、ああ……何故、何故、何故、
「…………どうしてだれも、わたしのことはたすけてくれないの?」
呟いた言葉は虚空に消える。
足元を染め上げる鮮血は、正義の代償だった。
所詮は薄汚い殺し屋の人生、金で買われただけの都合の良い武器だ。
どれほど尽くそうとも、何度命令に従おうと、見返りなんてありはしない。最初から求めちゃいけなかったのに、それなのに私は心の何処かでずっと「いつか全てが報われる」と都合良く夢を見ていた。
夢は得てして叶わぬもの。
ズキズキとした頭の痛みはいつしか呼吸すら難しい程の苦痛となり、ガキンッ!!と脳のド真ん中で何かが割れた音がしたのが最後、私は主に与えられているマンションの一室で意識を失った。今にして思えば、この時私は何か自分の中にあった「とても大切なモノ」を壊して失ってしまったのだと思う。
そして、数十分後…夕陽が沈み始めた部屋の中で目を覚ました時、私が出した結論は至ってシンプルな物であった。
『教団の幹部を皆殺しにしよう』
単純で明快、一番簡単で皆もきっと喜ぶ解決法。
だってそうだろう、教団が天元様の器を暗殺しようと依頼したのが悪いのだ。
依頼が無ければ高専は襲撃されないし、甚爾さんも五条さんと戦わなくて良い。
五条さんが無事ならきっと五条家もお喜びになる。甚爾さんだって怪我をすることもない、危ないことはしない方が良いに決まっている。
そうだ、そうだよ。悪事を企てた悪者を成敗すれば良い、そうしたらきっと皆喜んでくれる、皆が喜んでくれたら私も嬉しい。これって正義でしょ?きっとそうだ、そうに違い無い。
いつしか頭の痛みは引いており、荒くなっていた呼吸は正常なものへと戻っていた。
頭を働かせ、すぐに襲撃準備に取り掛かる。
教団の位置を調べ出し、パソコンを開いて探し出した衛生写真から全体図を把握する。
間取り、襲撃スポット、配電、人の出入りする時間。
スケッチブックにペンを走らせ、印刷した画像を幾つも並べて照らし合わせる。
ターゲットの名前、顔、家族……親、恋人、兄弟、飼い犬、三軒両隣…全てを調べ出し全てを頭に詰め込んだ。
まずは裏手に回りメイン配線を切る、その後にワイヤーガンを使って壁を登って、メインターゲットの部屋近くの人気の少ない場所から内部に侵入。メインターゲットには護衛が存在する……護衛と側近、秘書、そしてメインターゲットをその場で迅速に処理。次いで他の幹部の抹殺に移行…施設内での所用時間は凡そ17分といったところか。
やれる、私ならやれる。
私はやる、これは全て皆のため。
皆の明日と笑顔に繋がる正義なのだから、やらなくてはだめ。
大丈夫、大丈夫。
きっと、五条さんだって夏油さんだって時雨さんだって褒めてくれる。「よく頑張ったね」「偉いね」って頭を撫でて褒めてくれる。
そうして、■月■日、■時■分。
私の正義は死に絶えた。
___
【報告】
■月■日 ■時■分
東京高専所属の学生による、盤星教「時の器の会」幹部複数人の殺害及び死体隠蔽を確認。
現在容疑者は拘束中。
処分は高専に一任する。
___
沖縄から帰った高専一行をさて襲撃するかと敷地内に入った所で、ポケットから聞き慣れぬ音がした。
pipipi…pipipi……
いつの間に仕込まれたのか、はたまた無意識の内に受け取っていたのか。
指先で摘める程度の極めて小さな通信機からは、絶え間なくコール音が鳴り響いている。
不気味に思いながらもカチリと押し込み式のボタンを押せば、酷くノイズの乗った音の中から女の声がした。
その声は、正気を失った者の声だった。
『ザザッ………ブッ…………じ、さん!…ろしました、全員殺しま…した!………です、もう戦わなくてだ……ぶで…す…ザザッ……ブツッ』
途切れた通信機からは何の音もしなくなる。
数秒の意味の無い沈黙を挟み、俺は通信機を見下ろしながら状況を整理するため頭を働かせた。
あの犬のような殺し屋とあれきり全く連絡が取れなくなった…と、時雨が言っていたのを思い出す。
懸賞金が掛けられて数時間、少女が動いているという情報は全くこちらには入って来てはいない。しかし、沖縄へ高専一行が飛び、一晩明けて今日…本当に彼女が一端の殺し屋だったとすれば事を起こし終えるには十分過ぎる時間だったと言えよう。
ターゲットの情報を得て、居場所を特定し、襲撃ルートを算出。獲物を用意して移動をし、組み立てられた予定を淡々とこなして終了……していたとしたら、それはつまり。
「……おい、俺の報酬無くなっちまったじゃねぇか」
報酬の支払い元の死亡、それ即ち無給労働。
いや、もしかしたら…万が一、億が一の可能性だが、まだ他の幹部が生きているかもしれな……いやねぇな、あの手のガッチガチに教育を受けているコンピューターみてぇな殺し屋共はとにかく「可能性」を全て潰しに掛かる。ターゲット、事件に関与出来る人間、必要あらば家族や一般人も口封じに始末する。何でも無い顔をして、息をするように。
アイツが何故こんな真似をしたかは分からない、プログラムが作動しなくなってぶっ壊れたキルマシーンの考えなんてまともな人間にゃ分かりゃしない。
けれどまあ、報酬が無くなったことは現時点でほぼ確定なわけで…それはつまりこれ以上殺り合う理由が無くなったっつーわけで。
指先に軽く力を込め、摘んでいた通信機をパキッと破壊した。飛び散ったプラスチックと廃線のクズをその辺りに放り捨て、一先ず仲介屋に文句を付けるために連絡するかと息をつく。
どうしてくれんだという気持ちと、さっさと見つけねえとヤベェなという気持ちとが混ざり合い、自分でも不思議と妙な焦りと嫌な予感が脳裏を掠め始める。
そうだ、これは焦燥感だ。
高専に今のアイツの惨状がバレたらただでは済まないはず。それに…飼い主だか雇い主だかが知れば、再教育とは名ばかりの苦痛を与えられるか、はたまた首を切られる可能性だってある状況だ。
その事実を理解した瞬間、足は真っ直ぐに彼女の痕跡を探すべく駆け出していた。
俺が先に見付ける、そうじゃなけりゃアイツは終わり。
金は後から請求すれば良い、無いなら無いなりに働かせりゃ良い、それも駄目なら大人しく抱き枕にでもなって貰う。
執着した物が目の前から消えていく感覚に少しばかり目眩がした。あんな誰にでも尻尾を振るフラフラした殺し屋のことなど、諦めて投げ出せば良いと思う自分は確かに居るのに、それを良しとせずにいるのは絆されたからか、はたまた未知の欲求でも知らず知らずのうちに腹に溜め込んでいたのか。
どうにも自分で自分のことを理解出来ないままに辿り着いた宗教施設では、案の定血溜まりがそこかしこに出来ていた。
不気味な程に静まり帰った施設内には人一人おらず、死体もものの見事に消え去っていた。
銃痕、捨てられた折畳み式ナイフ、それから術式を使ったのであろう焼跡。割られた窓から顔を出し上を見れば、ワイヤーガンから放たれたであろうフックと垂れ下がるロープがあった。こんな状況であるが、よくやると関心する。あの何の変哲もない小さな身体でここまで出来たとは大したものだ、やっぱり連れ帰って俺達で上手く使ってやる方がアイツにとっては幸せだろう。
そのためにもまずは見つけなけりゃいけない。話はそこからだ。
携帯端末やパソコン、それから固定電話の類いは全て破壊し尽くされていたため、時雨への連絡を諦め施設を後にする。
先程からずっと嫌な感覚が離れない。
何もかもが手遅れだと、そんな気さえしてくる。
もしかしたら俺が構っていた犬は愛玩犬などではなく、もっと異常で哀れな生き物だったのかもしれないと思い立った時、ポツリポツリと雨が降り出した。
痕跡となる匂いが消えていく。
まるで、俺の元からアイツが居なくなるかのように。