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誰が正義を殺したか

「え!?高専と戦うんですか!?」
「だからそう言ってるだろ」
「だって、私はまだ光線を打ててないのに…」
「お前まだ一人で高専を討つつもりだったのか?やめとけ、今のお前じゃ絶対に無理だ」

休日の昼下り、デカい仕事が入ったんで指定された場所に行けば子犬のような少女と煙草を咥えた男がそんな話をしていた。

「え、光線って皆で打つものだったんですか!?」
「まあ、お前が居なくてもアイツは討つだろうけどな」
「甚爾さん光線打てるの!?」
「討てるだろ、アイツなら余裕で」
「……ヤバい…甚爾さん格好良すぎる…」

何故か話題は高専を襲撃することから俺が格好良いという話へ変わり、少女は目をキラキラと輝かせながら俺の方へ振り返り尊敬の眼差しを向けてきた。
眩しい、思わず目を細めてしまう。下心も色気も打算も無い純粋な好意は、いつだって目眩がするほど強く響いてきた。

そんな俺のことは勿論気にせず、無邪気に「甚爾さんだ!」と近付いて来た少女の頭をグチャグチャと掻き混ぜるように撫でてやる。そうすれば、きゃあー!なんて可愛い悲鳴をあげるので気分が良くなってさらにグリグリと撫でてやった。
俺には見える、喜びに動く耳と尻尾が。
右に左にブンブンと揺れる尻尾は幻覚なんかじゃないはすだ、俺はまだそこまでヤバくはなっていない。

白く柔らかな頬をムニムニと揉み込み、もう一度頭部全体をクチャクチャに揉みしだく。
髪の毛はグッチャグチャにとっ散らかり、息を少し乱した少女の口の端からは涎が垂れていた。
親指でそれを拭ってやればすまなそうにするもんで、その親指でグニグニと唇に触れてやる。

「で、仕事内容は?」
「その状態で聞くのか…」
「早く話せよ、こっちはコレ構うのに忙しいんだ」

悪戯心が湧き立ち、思い立つがまま口の中に親指を突っ込もうとすれば首を振って嫌がられたので、仕方なしに腕の中にギュッとしっかり仕舞い込んでその体勢で話を聞くことにした。

高専の特級術師が周りを固めて護衛するガキを始末する依頼は、前金だけでも大層な金額であり、それだけの金がありゃ暫くは苦労しないことは確かであった。
しかし、一緒に話を聞いていた少女は、聞けば聞くほど顔色を悪くしていく。そのうち小さく震えだし、首から力を抜いて顔を下に向け始めた。それが気になって「どうした」と聞けば、歯切れの悪い返答が返ってくるばかりだもんで、それまで和気あいあいとしていた空気は徐々に不穏なものへと塗り替わっていく。

「高専の奴等に愛着でも湧いたか?」
「いや、あの…五条さん……五条さんが居るので、あぁ…五条さんかぁ…」
「心配すんな、五条の坊の相手は俺がする。つーか、お前は別に何かしなくていい、逆に邪魔んなる」
「えー…これどうしたらいいんだろ……こういう時ってどうしたらいいんだっけ…」

こちらの話を聞かず、一人本格的に悩み出した少女の様子に俺達は一度顔を見合わせた。
裏切られたら面倒になることは必須として、それよりもこの気に入っている人間が手元から消えることの方が俺としては問題だった。
きっと目の前の男も大体似たようなことを思っているのだろう。何せ今じゃ大事な商売道具だ、情報収集要員としてはこれ以上無い働きをしている。飯の種として手放すことなど今更出来まい。

邪魔されないように何処かに繋いで閉じ込めておくか、はたまた四六時中連れ歩くか。
俺達は互いにそんなようなことを考えていた。

だがしかし、少女は暫しの思案の後ふと顔を上げて言った。
その顔からはごっそりと表情が抜け落ち、血の気も失せて瞳からは徐々に光が失われていく。

「あれ?もしかして…何処に味方しても詰んだのでは……あれ…?あ、」
「は?お前…いきなり何言ってんだ」
「あ…どうしよ、これ…これ、し、死ぬ…?わたし、死ぬの?間違えちゃった、どうしよう」

死んじゃう…どうしよう、どうしよう…どうしよう……。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
やだ、やだ、やだ、やだ。
死にたくない、どうしよう、やだ、やだ、やだ、やだ!!!

まさに錯乱と呼ぶに相応しい状態。
腕の中でジタバタと暴れ出した少女は両手で頭を抱えて騒いだり唸ったりと、まるで処理に失敗したプログラムのような挙動ばかり繰り返す。
しまいには息を荒げ始め、目尻に涙を滲ませた。

その様子に俺も時雨もおおよそのことを察す。
この業界を長く続けていりゃたまに行き合う類の人間。
噂によると近年"施設"と呼ばれる殺し屋工場が存在するらしい、そこではスパイ技術に長けた工作員を非人道的な方法で育成し、強ければ強いほど高い値段で「殺し屋」として出荷されるのだとか。

数年前からだろうか、日本でもチラホラと見るようになったそいつ等の主な共通点は「強力なマインドコントロール」が施されていること。
機械にプログラムが打ち込まれているのと同じように、その殺し屋達は指定されたプログラムの中で物事を考え判断する。
あらゆる状況に対応可能なように頭の中をギチギチに縛られた洗脳状態は、しかし、予想外の出来事を前にするとエラーを吐き出し本人を酷く苦しめる。

コイツの状態は正にそれで、焼け付くように痛む頭を抑えて必死に適応するプログラムを見つけ出そうと藻掻き苦しむ様は、痛々しくも滑稽に見えた。

腕の中の哀れな生き物を見下ろす。
可愛がっていた犬の愛嬌の良さは誰かに仕込まれた芸だったってことだ、計算された生きる術。
残念だとは思わない。ただ、疑問として一体コイツは今誰に飼われているのか、過去幾らで売買されたのかが気になった。
金を払えば買えるならば買い取ってしまいたいくらいには、愛でるのに丁度良い存在だからだ。だが、そうは思っても仕事とコレは話が別、俺は立場上一先ず突き放すことにした。この時はそれが正解だと思ったからだ。しかし、俺はこの時の判断を後々後悔することになる。


「好きにしろよ、だがな…邪魔したらお前だろうと殺す」


釘を差し、震える身体引き離し拒絶するように押せば、ヨロリとよろめき呻き声を上げる。
滲む涙、上がる息、痛みを訴える苦悶の表情。
もしもコイツがただの何でも無い可愛いだけのガキで、同じように泣いていたならば俺は可愛さを理由に仕方無く助けてやっていただろう。
けれどコイツは一端の殺し屋で、悪人で、薄汚れたネズミだ。つまりは同類、ならば慰めも説法もここで与えてやるわけにはいかない。

ここに救いはない。
いや、最初から俺達みたいなのにそんなもんは与えられちゃいないのだ。
だから、コイツは泣いても喚いても悪党ならば悪党らしく散るか這って生きるかを選ばなきゃならない。


よろめきながら数歩後退り、少女は背を向け走り出す。
その背中を見ながら煙草を吸い出した男は、紫煙を燻らせながら「気に入ってんだろうに、追わなくていいのか」と俺に尋ねた。

「金が入ったら買い戻しゃいい、なあ仲介業者さんよ」
「まあ、お前がそれで良いなら良いが」
「悪党は陽の下じゃ生きられねぇからな、アイツはどの道こっち側に戻ってくる」

確信があるわけじゃない。けれど、それ以外の生き方を知らないアイツが他の生き方を提示されたからといって選ぶとは思えなかった。
マニュアル通りに動き、プログラム通りに選んで生きる。
良い殺し屋とはそういうもんだ。

何にせよ、そういうわけで俺は金が必要になったわけである。

楽して稼げりゃ良いのにとは思うが、あの濡れた子犬のように哀れな少女のために一度くらいは働いてやっても良いかと思えたのは、存外自分がああいう手合いに飢えていたからかもしれない。

いや、もしかしたら元々ただの犬好きだっただけかもしれないが…。
まあ、何であれ欲しい物を買うために働くなんて健全な働き方に他ならない。

前金を受け取った俺はその場を後にする。
道の途中、切れかけの蛍光灯が嫌にチカチカと光る様が妙に鬱陶しかった。
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