誰が正義を殺したか
五条さんに再戦を挑んだ結果、パイルドライバーという技を使われ二度目の敗北を味わった。
首が折れたかと思うほどの衝撃と脳を揺さぶる振動に襲われ、立つこともままならなくなった私は教室の床に突っ伏し苦汁をなめる。ああ、瞼の裏にお星様がチカチカしてる…。
「はい、弱すぎ〜雑魚〜。つかお前…あれから何処行ってたんだよ」
「えっと…男の人を紹介されて、沢山遊んできました…」
「は、え…?お前ってそういう???」
そういうとはどういう。
釈然としない、曖昧かつ不明瞭な反応をされたので気になって上を見上げれば、五条さんは視線をキョロキョロとさせながら「え?マジで…?」「見掛けによらず…?」「いや、全然嫌じゃないけど…」と、何やら一人でぶつぶつ言っていた。
痛みを覚える首筋を撫でながら身体を起こし、居住まいを正す。
よれた制服の襟を直し、ついた埃を簡単にパッパッと払った。
今にして思うと、甚爾さんは全く私を強くはしてくれなかったな…と思い返す。
なんか適当励まされたり、沢山構って貰ったことは確かなんだけれど、別に為になることは何一つしなかったな…。
あの時間は何だったのだろうか、でも彼は来たときよりも随分とスッキリした顔立ちで帰って行ったので、多分私は良いことをしたのだと思う。
うん、誰かのために何かを出来ているのならば、それはきっと良いことだ。つまり正義。そういうことにしておこう。
というような自己反省をしていれば、床に正座する私の側に腰を下ろした五条さんはコソコソと潜めた声で話し掛けてきた。
「あー…ちなみに、そいつは良かったのか?」
「良かった…と思いますよ?彼も満足した顔で帰って行きましたし」
「うわマジか……お前結構やるな」
「はい、私は結構やる方です!」
自慢じゃないが、やる気はいつだってある方だ。満ち溢れているぞ、常に。
五条さんに褒められたことが嬉しくて、私は笑顔で自分を肯定してあげた。
そうすれば五条さんは、「え、じゃあさ…俺とかは?どう?」と聞いていた。
どう?とは、どういうことだろうか。
先程から曖昧な物言いばかりな気がするが、まあこれは会話の流れから推測するに、「俺はやる気ある方に見える?」という質問だろう。
ふむ、であればどうだろうか。
確かに五条さんは普段チャランポランな感じの人ではある。けれど、やる時はやる頼もしい先輩だ。性格面はお世辞にも良い…とは言い難いが、それでも私からすれば尊敬すべき人間の一人である。
だから私は尊敬と敬愛の念を込めて彼に対する思いを口にした。
「五条さんはやれる人です!」
「マジ?じゃあ付き合う?」
「喜んで、何処までもお付き合いします!」
「何処までも…?」
「はい、何処までも!」
意味があるかは分からないが、とりあえず元気に復唱しておく。
そりゃあだって、尊敬する先輩が付き合えと言うならばトイレでも校舎裏でも火の中水の中草の中…何処へでもご一緒しますとも。
こうして私は五条さん公認の舎弟となった。
いや〜、スパイで舎弟で…これからもっと忙しくなりそうだなあ〜!
………
後輩と付き合うことになった。
なんつーか、流れでそうなった。
元々、気になってはいた奴だった。
傑曰く「ただただ良い子」硝子曰く「一点の曇りも無い」
歌姫曰く「青空が一番似合う」冥さん曰く「本物の犬」
当たり前のように誰かのために手を差し伸ばし、当たり前のように誰かの正義であろうとし、当たり前のように上を向ける。
ここじゃ誰もが平等に命を張る。
泣きながら、笑いながら、死に急ぐ。
そんな世界で彼女には帰って来て欲しいと強く願ってしまったのは、一体いつからだっただろうか。
帰ってきて欲しいという願いは次第に形を変えていく。
無事な姿を見れるだけじゃ足りなくなる。
俺を見て笑って欲しい、俺だけにその心からの純粋な笑みを向けて欲しい。
白い頬に触れてみたい、髪はどんな香りがするのだろう、手を握ったらどんな反応をするのか、抱き締めたらどれほど柔らかいのか。
好きだと言ったら彼女はどうする?
キスをしたらどんな反応をする?
押し倒したら、肌に触れたら、胸に顔を埋めたら、身体を重ねたら、いったいどうなるのだろうか。
自分の物にしてしまいたい。そういうどうしようもなくガキ臭くて馬鹿馬鹿しい感情に囚われ始めた頃、彼女はいとも簡単に俺の物になってくれた。
俺はそのことが凄く嬉しくて、すぐに周りに言い触らして自慢しまくった。
傑は笑顔で「良かったね」と声を震わせながら言ってくれたし、硝子も「おめでとう」と煙草を持つ手を震わせるほど喜んでくれた。
ああ、これから俺達は呪術界一のラブラブカップルになっちゃったりするのかな〜!なんて思ったり。
だってほらアイツ言ってたし、「何処までもお付き合いします」って。
何処までもって、それって人生の最後までってことだろ?
これもう結婚確定じゃん、シワシワになるまでずーっと一緒。
なんかもう、信じられないくらい幸せなことってあるんだな……。
って思っていたのに、目の前の無愛想な後輩は眉間にシワを寄せてとんでもないことを言った。
「失礼ですが…"買い物付き合いますよ"と同じ意味合いですよ、それ」
「…は?」
「多分本人は舎弟になったとか思ってるんじゃないですか?ご愁傷様です」
「アホじゃん?」
流石にこれはいくらなんでもアホすぎないか???
そこで俺はハッとする。
そういえばアイツ……めちゃくちゃアホだったと。
時は遡ること今年の春、アイツの入学当初の話だ。
初日の顔合わせの時、アイツは盛大に遅刻してきた。
何でも一件任務が入っていたらしく、それに行っていたとか。
しかし、その任務は昨日の夜に終わっていたものだったらしく、じゃあなんで遅刻したんだよと尋ねれば彼女は背筋をしっかり伸ばして、キリリッとした顔でこう言った。
「まず、暴漢に襲われる婦女子を助け…その後に一緒に警察に行き彼女を無事に家まで送り届けたあと、側溝にハマって藻掻いていた野生の鹿を助け、そしたら朝方になっていて…あ!そのあと重たい荷物を持ったお婆さんの荷物を持ってあげて、街頭アンケートに協力を…」
「盛りすぎだろ」
「はい、盛り沢山でした!」
「頭ゆるふわキャラか?」
人生は助け合いですよ!なんて、眩しすぎるほど真っ当なことを言われてしまえば誰も何も言えなかった。
お人好しというより、加減を知らないアホ。
見てみぬふりが出来ない、人助けは当たり前にするべきこと、誰かのための自分であることを良しとする。
そういう、呪術界にいるような人間とは基本的に色々噛み合っていない奴だった。
「じゃあ何?俺に出来たのは彼女じゃなくて舎弟ってこと?」
「まあ、はい…恐らくは…」
「一発殴ってきていい?」
「殴るだけ損ですよ」
皮膚がむずむずとするような、春の心地であった頭に冷水を浴びせられた。
一気に冷えた頭に残ったのは真っ当な怒りと、それでも消えない好意だけだった。
あのアホ、許せねぇ…人のこと弄びやがって。
つーか、だとしたら何処のどんな男と遊んで来たんだよ、マジで許せねぇ。俺のことも満足させろよ、最悪身体の関係からでもいいから。
深く大きな溜め息を吐き出し、気持ちを整理しようと頭を掻いた。
けれど、どうやっても脳裏を過ぎるのはあの正義を体現したかのような真っ直ぐに伸びた背筋だけだった。
誰もやりたがらないことを自らやり、誰かが見過ごした何かを必ず見つけて救い出す。
小さな両肩だった、それでもその肩には正義と覚悟がしっかりと乗っており、彼女は前を向いて生きている。
眩しいと思った。
自分には出来ないとも思った。
ヒーローに憧れる少年のような気持ちで、彼女を好きだなと思えた。
春の朝陽のように眩しい、初恋だった。
首が折れたかと思うほどの衝撃と脳を揺さぶる振動に襲われ、立つこともままならなくなった私は教室の床に突っ伏し苦汁をなめる。ああ、瞼の裏にお星様がチカチカしてる…。
「はい、弱すぎ〜雑魚〜。つかお前…あれから何処行ってたんだよ」
「えっと…男の人を紹介されて、沢山遊んできました…」
「は、え…?お前ってそういう???」
そういうとはどういう。
釈然としない、曖昧かつ不明瞭な反応をされたので気になって上を見上げれば、五条さんは視線をキョロキョロとさせながら「え?マジで…?」「見掛けによらず…?」「いや、全然嫌じゃないけど…」と、何やら一人でぶつぶつ言っていた。
痛みを覚える首筋を撫でながら身体を起こし、居住まいを正す。
よれた制服の襟を直し、ついた埃を簡単にパッパッと払った。
今にして思うと、甚爾さんは全く私を強くはしてくれなかったな…と思い返す。
なんか適当励まされたり、沢山構って貰ったことは確かなんだけれど、別に為になることは何一つしなかったな…。
あの時間は何だったのだろうか、でも彼は来たときよりも随分とスッキリした顔立ちで帰って行ったので、多分私は良いことをしたのだと思う。
うん、誰かのために何かを出来ているのならば、それはきっと良いことだ。つまり正義。そういうことにしておこう。
というような自己反省をしていれば、床に正座する私の側に腰を下ろした五条さんはコソコソと潜めた声で話し掛けてきた。
「あー…ちなみに、そいつは良かったのか?」
「良かった…と思いますよ?彼も満足した顔で帰って行きましたし」
「うわマジか……お前結構やるな」
「はい、私は結構やる方です!」
自慢じゃないが、やる気はいつだってある方だ。満ち溢れているぞ、常に。
五条さんに褒められたことが嬉しくて、私は笑顔で自分を肯定してあげた。
そうすれば五条さんは、「え、じゃあさ…俺とかは?どう?」と聞いていた。
どう?とは、どういうことだろうか。
先程から曖昧な物言いばかりな気がするが、まあこれは会話の流れから推測するに、「俺はやる気ある方に見える?」という質問だろう。
ふむ、であればどうだろうか。
確かに五条さんは普段チャランポランな感じの人ではある。けれど、やる時はやる頼もしい先輩だ。性格面はお世辞にも良い…とは言い難いが、それでも私からすれば尊敬すべき人間の一人である。
だから私は尊敬と敬愛の念を込めて彼に対する思いを口にした。
「五条さんはやれる人です!」
「マジ?じゃあ付き合う?」
「喜んで、何処までもお付き合いします!」
「何処までも…?」
「はい、何処までも!」
意味があるかは分からないが、とりあえず元気に復唱しておく。
そりゃあだって、尊敬する先輩が付き合えと言うならばトイレでも校舎裏でも火の中水の中草の中…何処へでもご一緒しますとも。
こうして私は五条さん公認の舎弟となった。
いや〜、スパイで舎弟で…これからもっと忙しくなりそうだなあ〜!
………
後輩と付き合うことになった。
なんつーか、流れでそうなった。
元々、気になってはいた奴だった。
傑曰く「ただただ良い子」硝子曰く「一点の曇りも無い」
歌姫曰く「青空が一番似合う」冥さん曰く「本物の犬」
当たり前のように誰かのために手を差し伸ばし、当たり前のように誰かの正義であろうとし、当たり前のように上を向ける。
ここじゃ誰もが平等に命を張る。
泣きながら、笑いながら、死に急ぐ。
そんな世界で彼女には帰って来て欲しいと強く願ってしまったのは、一体いつからだっただろうか。
帰ってきて欲しいという願いは次第に形を変えていく。
無事な姿を見れるだけじゃ足りなくなる。
俺を見て笑って欲しい、俺だけにその心からの純粋な笑みを向けて欲しい。
白い頬に触れてみたい、髪はどんな香りがするのだろう、手を握ったらどんな反応をするのか、抱き締めたらどれほど柔らかいのか。
好きだと言ったら彼女はどうする?
キスをしたらどんな反応をする?
押し倒したら、肌に触れたら、胸に顔を埋めたら、身体を重ねたら、いったいどうなるのだろうか。
自分の物にしてしまいたい。そういうどうしようもなくガキ臭くて馬鹿馬鹿しい感情に囚われ始めた頃、彼女はいとも簡単に俺の物になってくれた。
俺はそのことが凄く嬉しくて、すぐに周りに言い触らして自慢しまくった。
傑は笑顔で「良かったね」と声を震わせながら言ってくれたし、硝子も「おめでとう」と煙草を持つ手を震わせるほど喜んでくれた。
ああ、これから俺達は呪術界一のラブラブカップルになっちゃったりするのかな〜!なんて思ったり。
だってほらアイツ言ってたし、「何処までもお付き合いします」って。
何処までもって、それって人生の最後までってことだろ?
これもう結婚確定じゃん、シワシワになるまでずーっと一緒。
なんかもう、信じられないくらい幸せなことってあるんだな……。
って思っていたのに、目の前の無愛想な後輩は眉間にシワを寄せてとんでもないことを言った。
「失礼ですが…"買い物付き合いますよ"と同じ意味合いですよ、それ」
「…は?」
「多分本人は舎弟になったとか思ってるんじゃないですか?ご愁傷様です」
「アホじゃん?」
流石にこれはいくらなんでもアホすぎないか???
そこで俺はハッとする。
そういえばアイツ……めちゃくちゃアホだったと。
時は遡ること今年の春、アイツの入学当初の話だ。
初日の顔合わせの時、アイツは盛大に遅刻してきた。
何でも一件任務が入っていたらしく、それに行っていたとか。
しかし、その任務は昨日の夜に終わっていたものだったらしく、じゃあなんで遅刻したんだよと尋ねれば彼女は背筋をしっかり伸ばして、キリリッとした顔でこう言った。
「まず、暴漢に襲われる婦女子を助け…その後に一緒に警察に行き彼女を無事に家まで送り届けたあと、側溝にハマって藻掻いていた野生の鹿を助け、そしたら朝方になっていて…あ!そのあと重たい荷物を持ったお婆さんの荷物を持ってあげて、街頭アンケートに協力を…」
「盛りすぎだろ」
「はい、盛り沢山でした!」
「頭ゆるふわキャラか?」
人生は助け合いですよ!なんて、眩しすぎるほど真っ当なことを言われてしまえば誰も何も言えなかった。
お人好しというより、加減を知らないアホ。
見てみぬふりが出来ない、人助けは当たり前にするべきこと、誰かのための自分であることを良しとする。
そういう、呪術界にいるような人間とは基本的に色々噛み合っていない奴だった。
「じゃあ何?俺に出来たのは彼女じゃなくて舎弟ってこと?」
「まあ、はい…恐らくは…」
「一発殴ってきていい?」
「殴るだけ損ですよ」
皮膚がむずむずとするような、春の心地であった頭に冷水を浴びせられた。
一気に冷えた頭に残ったのは真っ当な怒りと、それでも消えない好意だけだった。
あのアホ、許せねぇ…人のこと弄びやがって。
つーか、だとしたら何処のどんな男と遊んで来たんだよ、マジで許せねぇ。俺のことも満足させろよ、最悪身体の関係からでもいいから。
深く大きな溜め息を吐き出し、気持ちを整理しようと頭を掻いた。
けれど、どうやっても脳裏を過ぎるのはあの正義を体現したかのような真っ直ぐに伸びた背筋だけだった。
誰もやりたがらないことを自らやり、誰かが見過ごした何かを必ず見つけて救い出す。
小さな両肩だった、それでもその肩には正義と覚悟がしっかりと乗っており、彼女は前を向いて生きている。
眩しいと思った。
自分には出来ないとも思った。
ヒーローに憧れる少年のような気持ちで、彼女を好きだなと思えた。
春の朝陽のように眩しい、初恋だった。