短いの1
彼女とは昔馴染みの関係だという親友いわく、彼女は季節が移ろうように、趣味が幾多にも移ろいやすい性格をしているらしい。
一年前はシーバス釣りにハマッていたとか、半年前はスパイスから作る自作カレーにハマッていたとか…そして、高専に入学してから彼女がハマッたのは私だった。
毎日顔を見れば挨拶と一緒に好意の言葉を紡がれた。
正直、悪い気はしなかった。だがこれは男ならば、多かれ少なかれ皆そうだろう。
綺麗な女の子が瞳に熱を灯しながら、「昨日の君より今日の君のほうが素敵だね」「今日も綺麗だね」「好きだよ、他のなによりも」「今日も君と話せて良かった」と毎日毎日言ってくれば、決してタイプじゃなかったとしても良い気にはなるというもの。
私もまんまとこの、純粋かつオープンな好意に気を良くしていた浅ましい人間の一人で、彼女から与えられる"好意"という名の甘い汁を啜り、今までよりも自分の容姿や声や性格に自信が付いてきた頃、彼女はある日突然、パタリと私のことを褒めなくなった。
その日は朝、挨拶を交わした時も「おはよう、今日は気持ちよく晴れているね」と言われただけで終わった。
普段ならばこの後に続く言葉は、「青空の下で見る夏油くんは、いっとう爽やかで格好良い」だっただろう。
しかし、彼女は挨拶を済ませると、「じゃあ私はこれで」と廊下の向こうへ髪を揺らしながら去って行ってしまった。
物足りなかった。
毎日毎日、飽きもせずに奏でられる口説き文句が足りない。
明日も綺麗な自分で居ようと思わせるあの、砂糖がたっぷりまぶしてあるドーナツみたいにしつこい好意が足りない。
私の目をうっとりとした眼差しで見つめて、溶けるように熱く吐き出す溜め息が足りない。
君のために昨日も可能な限り早く寝て、保湿も万全で、リップクリームもハンドクリームも付けて、髪だって何度も何度も梳かして、朝はビタミンを沢山とれる食事にして。
香水だって、君がこの匂いが好きだって言うから同じ物を付けているのに。
君の好きな私の顔の角度も、笑い方も、話のトーンも、全部全部、何もかも完璧なはずなのに。
何故、いつものように私を好きだと言わなかったのか。
結局、放課後まで彼女は何も言っては来なかった。
自分の部屋から持ってきたのであろう、植物の写真が大きく表紙に載った雑誌を一日中読んでいただけだった。
雑誌を読むくらいならば私のことを褒めて好きだと言ってくれないかと、何度も頭に過ぎったが、それをグッと堪えて雑誌を読む彼女の側に近寄って話し掛ける。
「今日は一度も私にお決まりの言葉を言わなかったけど、私相手に駆け引きでもしているつもりかな?」
「え?別に何も…」
「じゃあ、どうしたんだい?体調でも悪かった?」
机の前にしゃがみ込み、彼女の好きな笑みを浮かべてみせる。
普段ならばここで、「その笑顔を真正面から見れる私は幸せ者だ」とか何とか、聞いている人間全てが恥ずかしくなるくらいにドストレートな好意を口にしてくれるのだが、今日は全くすきの"す"の字も出てきやしなかった。
それどころか、彼女は私の予想を超える回答を叩き付けてくる。
「今は苔玉に興味が湧いちゃって」
「こ…………コケ…?」
「そう、苔。あと、最近飼うことになっちゃった熱帯魚が、思いの外可愛くってさ」
すんごい美人さんなんだ、良かったらまた部屋に見に来てよ。
なんて、雑誌のページをこちらに見せながら、晴れ晴れとした笑顔で言ってくるものだから言葉を失ってしまった。
雑誌には大きく白抜きの文字で『屋久島の苔特集!』と書かれており、ページの端には折れ線が付いていた。
これに、負けたのか…?
私が苔玉に負けた…?ベタの方が私よりも可愛い…?
開いた口は塞がらず、言われた言葉は飲み込めない。
どう考えても私の方が魚より美人なはずだ。
魚に何を言ったって反応しないけど、私はちゃんと君の好意にはお礼を言う時もあるだろう。
何処の魚の骨だか知らないが、どう考えても私の方が圧倒的に全てにおいて優れているに決まっている。苔なんて論外だ、勝負にもならない。
なのに彼女は、私に向けていたあの熱っぽい瞳を、屋久島の苔なんぞに向けていた。
見惚れるように目尻を和らげ、「生命力を感じる緑が美しいよね…」と呟く。
生命力なら、私だって自信があるけど。
「すまないが、私には何が良いのか理解出来ないな」
「趣味は人それぞれだからね、仕方無い」
「……待て、それだと私のことも、ただの趣味だったってことかい?」
思わず口を付いて出た言葉にバツの悪い顔をする。
今のは少し余裕が無さ過ぎた、格好悪かったかもしれない。
そんな風に自己反省していれば、彼女は「夏油くんがブームだったというか…」と、少し悩みながら言った。
「大きくて強い生き物が面白かったんだよね……ライオンとか、ゾウさんとか…夏油くんとか…クマとか…」
「……………クマ…」
「今は…静かで小さくて、儚い物に興味が湧いててね」
ということはあれか、ゾウさんが好きです、でも夏油くんはもっと好きです、同じくらいクマも好きです。ってことか?冗談だろ、ふざけるな。私のことを何だと思っているんだ。
フツフツと、お湯が沸騰するように、腹の奥底から煮え滾る怒りが込み上げてくる。
本当は大きなピアスをしたかったけれど、君が小さなピアス似合ってる、だなんて言うから趣味じゃないアクセサリーを身に着けて。
ずっとこの香水だって少し甘すぎると思っていた、でも我慢していたんだ。
もっと大きな口を開いて笑いたかった、清ました笑顔は存外疲れるなんてこと、君は知らないだろう。
帰り支度を整え席を立つ彼女の、簡単に折れそうな細腕を逃げてしまわないようにと力強く掴んだ。
私以外の存在が君の興味を奪うことが許せなかった。
ずっと私だけを見ていたらいい、私にだけ夢中になってくれ。魅了されて、心を奪われ、新鮮な好意を口にし続けてくれ。
ジメジメとした祈りと、グラグラと沸き立つ怒り。それからドロリと滴る暗く重たい感情を一緒くたにして、私は彼女を見下ろしながら笑ってみせた。
「私の方がずっと君を楽しませてあげられるから、だからちゃんと見ていてくれなきゃ駄目だよ」
顎を掬い、彼女の瞳に写る自分の姿が見えるくらいまで顔を近付ける。
「目を離さないで」
顎から滑らせた指先で首を撫でる。クルリと平らな喉仏をなぞり、そのままスッと離した。
パッと両手を手を持ち上げ、同時に粘着質な表情も声も仕舞う。
「なんてね」
「……演技?」
「中々の物だっただろう?」
私の言葉に胸を撫で下ろすかのように息を付く彼女は、「びっくりしちゃった」と明るく笑ったので、合わせて私も笑ってみせた。
けれど、心の中は依然として、濃く淹れすぎた珈琲のようにドロドロと苦々しく渦を捲く感情が居座り続けていた。
せめて、私が居るうちは私以外に恋なんてしてくれるな。
いや、私が死んでも、向こう100年くらいは私の幻でも見て口説いていればいい。
一生私のことだけ好きでいろ。
そうすれば私も君も、平和に生きられるはずだ。
一年前はシーバス釣りにハマッていたとか、半年前はスパイスから作る自作カレーにハマッていたとか…そして、高専に入学してから彼女がハマッたのは私だった。
毎日顔を見れば挨拶と一緒に好意の言葉を紡がれた。
正直、悪い気はしなかった。だがこれは男ならば、多かれ少なかれ皆そうだろう。
綺麗な女の子が瞳に熱を灯しながら、「昨日の君より今日の君のほうが素敵だね」「今日も綺麗だね」「好きだよ、他のなによりも」「今日も君と話せて良かった」と毎日毎日言ってくれば、決してタイプじゃなかったとしても良い気にはなるというもの。
私もまんまとこの、純粋かつオープンな好意に気を良くしていた浅ましい人間の一人で、彼女から与えられる"好意"という名の甘い汁を啜り、今までよりも自分の容姿や声や性格に自信が付いてきた頃、彼女はある日突然、パタリと私のことを褒めなくなった。
その日は朝、挨拶を交わした時も「おはよう、今日は気持ちよく晴れているね」と言われただけで終わった。
普段ならばこの後に続く言葉は、「青空の下で見る夏油くんは、いっとう爽やかで格好良い」だっただろう。
しかし、彼女は挨拶を済ませると、「じゃあ私はこれで」と廊下の向こうへ髪を揺らしながら去って行ってしまった。
物足りなかった。
毎日毎日、飽きもせずに奏でられる口説き文句が足りない。
明日も綺麗な自分で居ようと思わせるあの、砂糖がたっぷりまぶしてあるドーナツみたいにしつこい好意が足りない。
私の目をうっとりとした眼差しで見つめて、溶けるように熱く吐き出す溜め息が足りない。
君のために昨日も可能な限り早く寝て、保湿も万全で、リップクリームもハンドクリームも付けて、髪だって何度も何度も梳かして、朝はビタミンを沢山とれる食事にして。
香水だって、君がこの匂いが好きだって言うから同じ物を付けているのに。
君の好きな私の顔の角度も、笑い方も、話のトーンも、全部全部、何もかも完璧なはずなのに。
何故、いつものように私を好きだと言わなかったのか。
結局、放課後まで彼女は何も言っては来なかった。
自分の部屋から持ってきたのであろう、植物の写真が大きく表紙に載った雑誌を一日中読んでいただけだった。
雑誌を読むくらいならば私のことを褒めて好きだと言ってくれないかと、何度も頭に過ぎったが、それをグッと堪えて雑誌を読む彼女の側に近寄って話し掛ける。
「今日は一度も私にお決まりの言葉を言わなかったけど、私相手に駆け引きでもしているつもりかな?」
「え?別に何も…」
「じゃあ、どうしたんだい?体調でも悪かった?」
机の前にしゃがみ込み、彼女の好きな笑みを浮かべてみせる。
普段ならばここで、「その笑顔を真正面から見れる私は幸せ者だ」とか何とか、聞いている人間全てが恥ずかしくなるくらいにドストレートな好意を口にしてくれるのだが、今日は全くすきの"す"の字も出てきやしなかった。
それどころか、彼女は私の予想を超える回答を叩き付けてくる。
「今は苔玉に興味が湧いちゃって」
「こ…………コケ…?」
「そう、苔。あと、最近飼うことになっちゃった熱帯魚が、思いの外可愛くってさ」
すんごい美人さんなんだ、良かったらまた部屋に見に来てよ。
なんて、雑誌のページをこちらに見せながら、晴れ晴れとした笑顔で言ってくるものだから言葉を失ってしまった。
雑誌には大きく白抜きの文字で『屋久島の苔特集!』と書かれており、ページの端には折れ線が付いていた。
これに、負けたのか…?
私が苔玉に負けた…?ベタの方が私よりも可愛い…?
開いた口は塞がらず、言われた言葉は飲み込めない。
どう考えても私の方が魚より美人なはずだ。
魚に何を言ったって反応しないけど、私はちゃんと君の好意にはお礼を言う時もあるだろう。
何処の魚の骨だか知らないが、どう考えても私の方が圧倒的に全てにおいて優れているに決まっている。苔なんて論外だ、勝負にもならない。
なのに彼女は、私に向けていたあの熱っぽい瞳を、屋久島の苔なんぞに向けていた。
見惚れるように目尻を和らげ、「生命力を感じる緑が美しいよね…」と呟く。
生命力なら、私だって自信があるけど。
「すまないが、私には何が良いのか理解出来ないな」
「趣味は人それぞれだからね、仕方無い」
「……待て、それだと私のことも、ただの趣味だったってことかい?」
思わず口を付いて出た言葉にバツの悪い顔をする。
今のは少し余裕が無さ過ぎた、格好悪かったかもしれない。
そんな風に自己反省していれば、彼女は「夏油くんがブームだったというか…」と、少し悩みながら言った。
「大きくて強い生き物が面白かったんだよね……ライオンとか、ゾウさんとか…夏油くんとか…クマとか…」
「……………クマ…」
「今は…静かで小さくて、儚い物に興味が湧いててね」
ということはあれか、ゾウさんが好きです、でも夏油くんはもっと好きです、同じくらいクマも好きです。ってことか?冗談だろ、ふざけるな。私のことを何だと思っているんだ。
フツフツと、お湯が沸騰するように、腹の奥底から煮え滾る怒りが込み上げてくる。
本当は大きなピアスをしたかったけれど、君が小さなピアス似合ってる、だなんて言うから趣味じゃないアクセサリーを身に着けて。
ずっとこの香水だって少し甘すぎると思っていた、でも我慢していたんだ。
もっと大きな口を開いて笑いたかった、清ました笑顔は存外疲れるなんてこと、君は知らないだろう。
帰り支度を整え席を立つ彼女の、簡単に折れそうな細腕を逃げてしまわないようにと力強く掴んだ。
私以外の存在が君の興味を奪うことが許せなかった。
ずっと私だけを見ていたらいい、私にだけ夢中になってくれ。魅了されて、心を奪われ、新鮮な好意を口にし続けてくれ。
ジメジメとした祈りと、グラグラと沸き立つ怒り。それからドロリと滴る暗く重たい感情を一緒くたにして、私は彼女を見下ろしながら笑ってみせた。
「私の方がずっと君を楽しませてあげられるから、だからちゃんと見ていてくれなきゃ駄目だよ」
顎を掬い、彼女の瞳に写る自分の姿が見えるくらいまで顔を近付ける。
「目を離さないで」
顎から滑らせた指先で首を撫でる。クルリと平らな喉仏をなぞり、そのままスッと離した。
パッと両手を手を持ち上げ、同時に粘着質な表情も声も仕舞う。
「なんてね」
「……演技?」
「中々の物だっただろう?」
私の言葉に胸を撫で下ろすかのように息を付く彼女は、「びっくりしちゃった」と明るく笑ったので、合わせて私も笑ってみせた。
けれど、心の中は依然として、濃く淹れすぎた珈琲のようにドロドロと苦々しく渦を捲く感情が居座り続けていた。
せめて、私が居るうちは私以外に恋なんてしてくれるな。
いや、私が死んでも、向こう100年くらいは私の幻でも見て口説いていればいい。
一生私のことだけ好きでいろ。
そうすれば私も君も、平和に生きられるはずだ。