呪詛ミンと家出をする
後ろから迫る気迫に手脚を必死に動かして前へ前へと進む。
逃げても逃げても追ってくるソレを鬱陶しく思いながら、息を切らして懸命に走った。
……遡ること数十分前、本日のお仕事に出掛けた七海さんに言い付けられた通り、私はあんまり綺麗では無いが雰囲気はある感じの旅館にて待機していた。
電車移動の疲れを癒すためにお風呂に入って、しっかり脚をマッサージし、部屋に戻ってさあ眠れないけど目でも瞑っているか…と布団に潜りこもうとした所で、風呂場に忘れ物をしたことに気付き部屋から出た。
そしてそれは、無事に忘れ物を得て部屋に戻ろうとした時であった。
「あれ……七海さん?もう帰って来たんですか?」
早かったですね、なんて。
…親しげに声を掛けた相手が振り返る。
その顔は見慣れた彼の物であったが、違う物であった。
動きを止める。
呼吸を止める。
瞬きすらせぬまま、私は一歩足をそっと引いた。
「ど、、、ドッペルゲンガー……とか?」
私の言葉に視線を鋭くし、独特な形状のサングラスを取り出して掛けた男は、「時間外労働はクソですが…」と喋り出した。
「見逃すことは、出来ない案件ですね」
その言葉を言い終わるか否か、私がグルリと回れ右をして逃げ出すより早く、進行方向へと回り込んだ男は私へ手を伸ばす。
まずい。
まずい、まずい、まずい!!
何にも分からないけれど、捕まったら終わりであることだけは分かった。
どうにかしなければ、どうにか……!
男の指先が私へ触れた瞬間、私は場所を忘れて声を荒げながら叫ぶ。
「ヴィヌッ!!!」
瞬間、男の顔に突然パシャリと海水がかかる。
一瞬の隙、止まる行動。
男が次の行動を始める前に、私は私を呑み込むため床に出現した嵐の中へと身を投げ込んだ。
バシャンッ
お風呂で温めたはずの身体が一気に冷えていく。
冷たく暗い、私だけの海を式神に導かれるままに泳いでいく。
「(あれは…あの人は、七海さんと同じ顔をしていた)」
顔だけでは無い、声も同じであった。
立ち方も、手の大きさも、髪色も、全て。
強いて言うならば、私へ向ける視線の鋭さだけが違った。
「(呪い…では無いな、正しく人間だった)」
であれば、一体どういうことなのか。
頭を何処かに打ったとか?ぶつけた衝撃により人が変わった?いや、絶対違うな……あの人は私が誰であるかを分かっていた。
ということは、呪術師関連の人だろう。それも、きっと私を管理していた人間に近しい存在だ。
ならば……七海さんの双子の兄弟…とか?
その可能性も「否」だ、双子であろうと所詮は他人、別の個体だ。ならば、寸分違わず……なんてこと無いだろう。
じゃあ、一体……。
私は考えを整理しながら、海面へと浮上する。
プハッと息を吐き、吸い直して地上…私達が借りている部屋へと出て、水を吸って重たくなった旅館の浴衣を慌てて脱ぎ捨てると、ワンピースを頭から被ってコートを着た。
帽子を被り、必要最低限の物だけ掴んで窓を開ける。
三階に位置するこの部屋の下は地面だ。
「ヴィヌ、着地の補助を」
そう言って窓に足を掛けると、そのまま身を窓の外へと投げ出す。
式神が私の身体を支えながら難なく着地を決めて、月が照らす夜の空の下へと駆け出した。
呪術師であるならば、すぐに残穢を追って来るだろう。
スマホはあの日GPSなどの恐れがあるため家に置いて来てしまった。
だが、七海さんと連絡を取れる手段はある。
コートのポケットから取り出した物でコールを試しみる。
これは、無線機(トランシーバー)だ。
よく、戦争映画とかで「オーバーオーバー」やってるやつである。
現在の日本における電波法令的に長距離対応の物を資格無く使うのはどうなのかと言われると……何とも言えないが、使わなければ私の命が危ないので致し方無い。
無線を起動させれば、ザザッと電波を拾おうとするザラついた音が立った。
「コール、コール、七海さん応答願います」
外灯もろくに無いような、田舎の暗い道を走りながら無線に声を二度掛ければ、すぐに応答があった。
「はい、こちら七海……どうしましたか?」
先程も聞いた声であるのに、私には違う人の声だと思えた。
思わず安心しそうになって止まりかけた脚を無理矢理動かし、私は焦りを訴えるように声を出した。
「七海さん助けて!!」
「…今、どちらに?」
そうだ、状況説明。
逸る気持ちを抑え込み、今自分は旅館から出て来る時に通った坂道の辺りを走っていること、これから近くにあった果物園に向かって身を隠すことを伝える。
「分かりました、すぐに向かいます」
「……し、信じてます!」
「……はい、信じて下さい」
私の返答に、一拍間を置いてから七海さんは喜びを秘めた声でそう言った。
いや、今そんな嬉しそうな声出されてもですね!?緊急事態なんですよ!そういうムーヴは今必要無い!!
「信じて下さい、私だけを」
「分かりました、分かりましたから!」
はよ無線切ってくれ!!
一瞬笑い声のような物が聞こえたと思ったら、ブツッと切れて終わったやり取りに「あの人やっぱり可笑しいんだな」と再確認をした。
ポケットの中に無線を戻し、ひたすらに走る。
坂を下り、視界の先に現れた果物園に「失礼します」と何の意味も無い断りを入れてから踏みいる。
とにかく、ここで何とか時間を稼ごう……。
私は果物園をキョロキョロと見渡しながら奥へ奥へと進み、息を整えつつ思考を回す。
まず、勝利条件を設定しよう。
ゲームだって何をしたらクリアかが分からないと萎えるものだ。
私のクリア条件は二つ、まずは七海さん(可笑しい方)と合流すること。もう一つは捕まらないこと。
とにかく、捕まらなければ何だっていいのだ。
戦って勝利する必要は無い、逃げて逃げて逃げまくるのみ。
で、次はそのための手段を考えよう。
攻略方法を考えておくのとおかないのじゃ全然難易度変わるもんだ。
まず私に出来ることを整理しよう、私に可能なことは式神を使った術式の行使と、無線でのやり取り、それから…最悪の手段として、自害すること。
捕まったら終わり、即アウト。
だから、捕まる前に死ぬ。これは違う意味でのアウトだが……どちらがマシかと言われれば、どっちもどっちだ。
「ま、そう簡単には捕まるつもりは無いけども」
引きこもりの脆弱惰弱な女だと思われてても別にいいけど。
でもね、私結構鬼ごっこって得意なのよね。
何せ私、呪詛師の娘なので。
じゃあ、家出娘VS大人の戦いを始めましょうか。
逃げても逃げても追ってくるソレを鬱陶しく思いながら、息を切らして懸命に走った。
……遡ること数十分前、本日のお仕事に出掛けた七海さんに言い付けられた通り、私はあんまり綺麗では無いが雰囲気はある感じの旅館にて待機していた。
電車移動の疲れを癒すためにお風呂に入って、しっかり脚をマッサージし、部屋に戻ってさあ眠れないけど目でも瞑っているか…と布団に潜りこもうとした所で、風呂場に忘れ物をしたことに気付き部屋から出た。
そしてそれは、無事に忘れ物を得て部屋に戻ろうとした時であった。
「あれ……七海さん?もう帰って来たんですか?」
早かったですね、なんて。
…親しげに声を掛けた相手が振り返る。
その顔は見慣れた彼の物であったが、違う物であった。
動きを止める。
呼吸を止める。
瞬きすらせぬまま、私は一歩足をそっと引いた。
「ど、、、ドッペルゲンガー……とか?」
私の言葉に視線を鋭くし、独特な形状のサングラスを取り出して掛けた男は、「時間外労働はクソですが…」と喋り出した。
「見逃すことは、出来ない案件ですね」
その言葉を言い終わるか否か、私がグルリと回れ右をして逃げ出すより早く、進行方向へと回り込んだ男は私へ手を伸ばす。
まずい。
まずい、まずい、まずい!!
何にも分からないけれど、捕まったら終わりであることだけは分かった。
どうにかしなければ、どうにか……!
男の指先が私へ触れた瞬間、私は場所を忘れて声を荒げながら叫ぶ。
「ヴィヌッ!!!」
瞬間、男の顔に突然パシャリと海水がかかる。
一瞬の隙、止まる行動。
男が次の行動を始める前に、私は私を呑み込むため床に出現した嵐の中へと身を投げ込んだ。
バシャンッ
お風呂で温めたはずの身体が一気に冷えていく。
冷たく暗い、私だけの海を式神に導かれるままに泳いでいく。
「(あれは…あの人は、七海さんと同じ顔をしていた)」
顔だけでは無い、声も同じであった。
立ち方も、手の大きさも、髪色も、全て。
強いて言うならば、私へ向ける視線の鋭さだけが違った。
「(呪い…では無いな、正しく人間だった)」
であれば、一体どういうことなのか。
頭を何処かに打ったとか?ぶつけた衝撃により人が変わった?いや、絶対違うな……あの人は私が誰であるかを分かっていた。
ということは、呪術師関連の人だろう。それも、きっと私を管理していた人間に近しい存在だ。
ならば……七海さんの双子の兄弟…とか?
その可能性も「否」だ、双子であろうと所詮は他人、別の個体だ。ならば、寸分違わず……なんてこと無いだろう。
じゃあ、一体……。
私は考えを整理しながら、海面へと浮上する。
プハッと息を吐き、吸い直して地上…私達が借りている部屋へと出て、水を吸って重たくなった旅館の浴衣を慌てて脱ぎ捨てると、ワンピースを頭から被ってコートを着た。
帽子を被り、必要最低限の物だけ掴んで窓を開ける。
三階に位置するこの部屋の下は地面だ。
「ヴィヌ、着地の補助を」
そう言って窓に足を掛けると、そのまま身を窓の外へと投げ出す。
式神が私の身体を支えながら難なく着地を決めて、月が照らす夜の空の下へと駆け出した。
呪術師であるならば、すぐに残穢を追って来るだろう。
スマホはあの日GPSなどの恐れがあるため家に置いて来てしまった。
だが、七海さんと連絡を取れる手段はある。
コートのポケットから取り出した物でコールを試しみる。
これは、無線機(トランシーバー)だ。
よく、戦争映画とかで「オーバーオーバー」やってるやつである。
現在の日本における電波法令的に長距離対応の物を資格無く使うのはどうなのかと言われると……何とも言えないが、使わなければ私の命が危ないので致し方無い。
無線を起動させれば、ザザッと電波を拾おうとするザラついた音が立った。
「コール、コール、七海さん応答願います」
外灯もろくに無いような、田舎の暗い道を走りながら無線に声を二度掛ければ、すぐに応答があった。
「はい、こちら七海……どうしましたか?」
先程も聞いた声であるのに、私には違う人の声だと思えた。
思わず安心しそうになって止まりかけた脚を無理矢理動かし、私は焦りを訴えるように声を出した。
「七海さん助けて!!」
「…今、どちらに?」
そうだ、状況説明。
逸る気持ちを抑え込み、今自分は旅館から出て来る時に通った坂道の辺りを走っていること、これから近くにあった果物園に向かって身を隠すことを伝える。
「分かりました、すぐに向かいます」
「……し、信じてます!」
「……はい、信じて下さい」
私の返答に、一拍間を置いてから七海さんは喜びを秘めた声でそう言った。
いや、今そんな嬉しそうな声出されてもですね!?緊急事態なんですよ!そういうムーヴは今必要無い!!
「信じて下さい、私だけを」
「分かりました、分かりましたから!」
はよ無線切ってくれ!!
一瞬笑い声のような物が聞こえたと思ったら、ブツッと切れて終わったやり取りに「あの人やっぱり可笑しいんだな」と再確認をした。
ポケットの中に無線を戻し、ひたすらに走る。
坂を下り、視界の先に現れた果物園に「失礼します」と何の意味も無い断りを入れてから踏みいる。
とにかく、ここで何とか時間を稼ごう……。
私は果物園をキョロキョロと見渡しながら奥へ奥へと進み、息を整えつつ思考を回す。
まず、勝利条件を設定しよう。
ゲームだって何をしたらクリアかが分からないと萎えるものだ。
私のクリア条件は二つ、まずは七海さん(可笑しい方)と合流すること。もう一つは捕まらないこと。
とにかく、捕まらなければ何だっていいのだ。
戦って勝利する必要は無い、逃げて逃げて逃げまくるのみ。
で、次はそのための手段を考えよう。
攻略方法を考えておくのとおかないのじゃ全然難易度変わるもんだ。
まず私に出来ることを整理しよう、私に可能なことは式神を使った術式の行使と、無線でのやり取り、それから…最悪の手段として、自害すること。
捕まったら終わり、即アウト。
だから、捕まる前に死ぬ。これは違う意味でのアウトだが……どちらがマシかと言われれば、どっちもどっちだ。
「ま、そう簡単には捕まるつもりは無いけども」
引きこもりの脆弱惰弱な女だと思われてても別にいいけど。
でもね、私結構鬼ごっこって得意なのよね。
何せ私、呪詛師の娘なので。
じゃあ、家出娘VS大人の戦いを始めましょうか。