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呪詛ミンと家出をする

その少女は変わらぬ毎日を送っていた。

寝て起きて適当な食事を取り、あとはひたすら様々な手段で時間を浪費する。
私は最初、その自堕落さを甘美に思えた。
働くことも無く、呪いと関わることも無く、ひたすら好きなことを好きなだけして沢山眠れる。
傷付くことも疲れることも、絶望する理由すら無い日々はまるで夢に見た理想のようだ、ここが楽園かとすら思った程には。


だがしかし、その思いは幻想であることを私は早々に理解し始めた。


何故なら、彼女の瞳の奥にあるのは「諦め」だったからだ。


「思うがままに暴れ散らかすってどんな気分ですか?」
「人を破壊神のように表現しないで頂きたい」
「訂正します、一線超える時ってドキドキしましたか?」
「……さあ、どうでしたかね、よく覚えてませんが…」

のどかな旅の風景をひたすら映し続けるテレビ番組を食い入るように見つめ続けながら、彼女は私に問い掛けた。
そんな彼女をぼんやり眺めながら、珈琲を片手に質問に答える。

「案外、一瞬で変わるのだな…とは」
「一瞬…?」

彼女は瞬きを繰り返して、言葉の意味を理解仕切れずに首を傾げていた。
サラリと流れた髪に自然と手を伸ばす。
指の間で梳くように撫でることに文句の返事は無い。
私はそのまま彼女の髪で遊びながら話を続けた。

「守って来た秩序だとか、大切にしていたはずの繋がりだとか……託された思いなど…全てを一瞬で無駄にしました」
「な、なるほど……デンジャラス…」

聞きたいことを聞いて満足したのか、何事も無かったようにテレビに集中し出す彼女がボソリと「デンジャラスナナミン…」と言った。
聞こえてますからね、それ。

珈琲の入ったマグカップを机にコトリと置き、ソファの下に座っている身に手を伸ばす。脇の下に手を入れて無言で持ち上げれば「わ、何!?」と声を荒げた。

そのまま膝の上に身を乗っけさせ、顎を掴んでグイッとこちらに顔を向けさせる。

「あーッ!エロ漫画のように!エロ漫画のように!!」
「本当にしてやりましょうか」
「やだーーー!!!!」
「うるさい」

騒ぐな、喚くな。
イヤイヤと顔を振るので仕方無く手を離してやる。変わりに逃げないようにと身をガッチリホールドすれば、「あの、この体制でいいので、テレビ見させて下さい」と身体の向きを変えようとモゾモゾ動いていた。
この状況下でまだテレビを見たいと言う根性は凄いと思う、単純に図太い。

「引きこもりの癖に旅番組なんて見てどうするんですか」
「え……いや、人間って色んなとこに住んでるんだなって……」
「どんな感想ですか」

画面に映し出される風景は、山間部にある人口の少ない海外の村の様子である。
畑と民家、雑貨屋が一件と資料館、それから村人の憩の場と表現された小さな飲食店など……自給自足がメインの村の様子を眺めることに戻った少女は、私に背を預けて「ネット環境あんのかな…」と情緒の欠片も感じられないことを呟いていた。

この女はいつもこうだな……私が戯れに距離を縮めても顔色を全く変えない。面倒臭そうにする様子すら無い。
一応思春期であろうに、大人の男にこうも接近され、密着されている状況に慌てふためくことも無い。
最初はナメているのかとも思ったが、どうやら本当に「全く気にしない」タイプの人間であるらしく、私が風呂上がりに上裸で歩いていても「板チョコみたいな割れ方してますね、腹筋」と薄く笑うだけであった。

なので、腹に手を回して頭部に顎を乗せても何も言わない。クッションとして最適な人間だ。
温かくて適度に柔らかい、ついでに良い香りもする。
実に都合の良い相手であった。


あったはずなのだ。


私達は互いに過剰に踏み込まず、干渉し過ぎず、そして理解を求めなかった。

けれど、何故だろうか、共に安寧に満ちた日々を過ごす内に、私はこの少女が自分を拾った理由を知ってから、徐々に不満を持つようになっていった。

彼女には拾い癖がある。

結果として、私はそれに救われた。
だが彼女の拾い癖についてよくよく考えてた所で気が付く。

私も木の棒も、彼女にとっては同価値であると。

外にある「誰の所有物でも無い物」を拾い、持ち帰る。
その行動原理は、変わらぬ日常を描き続ける家の中に、外からの刺激を持ち込みたいからであった。
彼女が許されている行動範囲は近所をグルッと一周する散歩コースのみ。時間は20分ちょっとだけ。その他の時間は「家の中に居なければならない」縛りが課せられている……と、推測した。

家の扉は自由に開け閉め出来た。
少なくとも私は買い物などのために自由に出入りをしている。
だが、彼女は律儀に謎の約束を守っている。
縛りとは、時に命に危険の及ぶ物もある、であるとするならば、誓いを破れば死に直結する内容なのだろうか?


ザワザワと、心の内側を黒板に爪を立てるかのようになぞられる心地がした。


高専で、友を失った。
過ぎる日々に希望は無く、津波のように押し寄せ続ける終わりなき任務に根を上げた。
守るべき正義、人々の生活、限られた人間にしか出来ない仕事……それら全てから背を向けて、私は社会に出た。

替えの利く仕事だ。
私がやらなくても出来る人が居る。
過ぎる日々に希望は無く、ゆるやかに削られていく価値の無い時間に根を上げた。

秩序、安心出来る未来、希望……それらが段々とよく分からない言葉に思えてきてしまった。

切欠は何だったか…きっと些細なことだ、色々なことが積み重なって何処かでブレーキとアクセルを踏み間違えて……
踏み間違えた結果、気付けば転がるように呪詛師の道を歩んでいた。


誰を信じ、何のために生きれば良いか分からない。
自分は何がしたかったのか。
託された願いは何だったのか。
どうやって、生きることが、正解なのか。
もう何も分からなくなって、そのままずっとずっと分からないまま生きて、気付いた時には後戻り出来なくなって。

そうして、死ぬべき時が来たのだと、何もかもを諦めたあの日、私に触れた少女は、血に塗れて誰にも、何も、誇ることの出来なくなった私を見て呟いた。


「きっと、太陽の下で笑ったら凄く綺麗だわ」

私が見付けたのだから、私の物にしちゃえ、拾っちゃえ。


などと宣い私を引き摺って行く。
この女は一体何を期待しているのか、全くもって馬鹿馬鹿しい。

それでも、"ただ在ることだけ"で良しとして、否定も肯定もせず、書を読み音楽を楽しみ、料理を嗜む時間を許してくれた貴女のためなら、いつか笑えるだろうと、私は思えたのだ。

だのに、何故。

何故、何故、何故。

貴女は何一つ自由では無いのか。
私に自由を許した貴女が何故、自由を謳歌することが出来ないのか。

何故、私に日の下で笑って欲しいと願った貴女が、昼間の鮮やかな空の下に立つことを許されないのか。

どうして、そんな人生を諦めながら受け入れているのか。


積もり行く思いは次第に重さを増し、溜め込むことが出来なくなって零れ出す。


「変わりたいと、願っているのでしょう?」

どうか私の願いを受け入れて欲しい。

「私が…退屈から連れ出してあげますよ」

貴女と真昼の空の下を歩ませて欲しい。

「これは助けて下さったことへの恩返しです」

頼むからこれ以上、私に何かを諦めさせないでくれ。



罪悪感を灯した瞳が私を見据える。
震える喉から絞り出された小さな願いに、私はしっかりと耳を傾けた。


「七海さん」
「はい」
「お願いがあります」

目を合わせ、私の手を掴んだ小さな手を力を込めて握る。
答えるように握り返された彼女の手は、可哀想な程に冷たくなっていた。

息を吸い、願いを口にする。

「私を助けて、もう……飼い殺されるだけの変わらない毎日は嫌なの」

自由に、なりたいの。


瞳が揺れる。
心がざわめく。
いつかの自分が抱いたであろう願いを口にした、落ちぶれた命で生きる私を尊んでくれる少女の髪を慈しむように優しく撫でる。


「ええ、分かりました、貴女に自由を」
「…本当?」
「本当です、だからどうか約束を」

小指を絡め、口角をあげる。

「貴女だけは、どうか最後まで私を信じて」

死ぬまで私を、否、私だけを信じて生きてくれ。

私以外はもう信じなくていい。
私だけを尊び、私だけに変えられて、私だけを受け入れてくれ。


どうか、私だけの、生きる理由になってくれ。
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