呪詛ミンと家出をする
七海さん曰く、労働とは金を生み出す以外に価値の無いクソ行為であるらしい。
働いたことが無い私には理解出来ない苦しみを彼は味わい、何やかんやあって呪詛師の道を歩み出したとか、なんとか…。
だが、程度の差はあれ苦しみとは万人に存在するもの。
自分だけが特別に怒りや理不尽を抱えていると思うことはお門違いだ。
けれど私は七海さんを責められやしない。私にその権利は無い。だって自分もまた、理不尽に怒りを募らせている人間の一人だからだ。
……ま、そんなことはさておきご飯を食べよう!
今日のお昼はカップ麺、サッポロの塩!サッポロの塩って美味しいよね、フリーズドライの野菜も食べやすくて。
カップ麺のまわりにつくビニールを爪先でカリカリしながら破るこの瞬間が好きだ、私はウキウキワクワクとしながらビニールにペリッと亀裂を入れて剥がした……ところで、突如背後からニュッと生えてきた腕にカップ麺をガシッと掴まれそのまま強奪された。
私は理不尽な行為に声を荒げる。
「返しなさい!私のサッポロちゃんを!!」
「フッ」
「鼻で笑わないでくれます!?」
腕を上げて、私の届かない所にカップ麺を高々と掲げた七海さんは嘲笑うように鼻で笑う。
抗議の声を挙げるも、それすら滑稽だと言うようにこちらを見下ろし、口元に冷ややかで粘質な笑みを浮かべた。
こんにゃろ~~!ちょっと身長が日本人の平均サイズと比べて高いからと良い気になりやがって…!!
私はペシペシと七海さんのシックスパックへ攻撃をしながらカップ麺奪還のため抗議を再開する。
「私のお昼ご飯を返しなさい!七海さんはさっき一人で優雅に食べていましたよね!?なんかモ●ズキッチンに出てきそうなやつ!!」
「……貴女は昨日も一昨日もカップ麺でしたね」
「悪いですか!?」
「身体には悪いでしょうね」
だから駄目です。
七海さんはそう言ってカップ麺を私が届かない棚の上に置いた。没収である。
私のお昼ご飯が……彼を見上げながら唸り声を挙げていれば、貴女は犬かとまた鼻で笑われた。
どちらかと言えば主人は私である、何せ家主でありますので。おい、家主に向かってなんだその態度は。
いや…ここは言い直そう。
「家主に向かってなんだその筋肉は!何食べたら腹筋が割れるか言え!!」
「健康的な食事ですが」
「他人の金で健康的な生活しやがって…」
「貴女の金では無いのだからいいでしょう」
それは本当そう。
「育ち盛りなのだから、こんな物ばかり食べないように」
「…お母さん?」
この人、根は絶対面倒見の良くて頼れるいい人だったんだろうな。
しかし、私の言葉が気に食わなかったらしい七海さんは無言でこちらに手を伸ばすと、そのまま私のむにむに頬っぺをグニィーッ!と引っ張った。
「いひゃい~~~!!!」
「誰が何と?」
「ひゅみまひぇ~~ん~~~!!!」
あああ!伸びてしまう!餅のように伸びてしまう!勘弁してくれ!!
「私は貴女の何ですか?」
それ今する質問!?
何だその、痛くて面倒そうな女がするみたいな質問は。
思わず「は?」という気持ちを顔に出せば、またもや気に食わなかったらしい七海さんは私の頬を両側とも掴みグニグニと引っ張った。
「ひゃふぇふぇーーー!!」
「…………」
「ふぁふぁふぃふぇーー!!!」
無言でニヤつきながら頬を引っ張るのをやめろ!!良い年した大人が何やってんだ、ふざけるないい加減にしてくれ。
何だよそのニチャァ…て笑顔は、もっと健全に微笑んで下さいませんか!?
神よ…何故私はご飯を食べようとしただけでこんな仕打ちを受けているのでしょう…。
ただお腹が減って食事にしようと思っただけなのに。
確かに毎日毎日来る日も来る日も変わらずに、味だけがちょっと違う物をずっと食べ続けているけれど。でも別に、私がカップ麺を食べ続けようと何だろうと七海さんには関係の無いことであるはず。
そもそも、私はこの家に居る限り不変だ。
千古不易、価値の変わらぬ「物」である。
死ぬことも、老いることも、成長することも、健康を損なうことも無い。
変わらぬ身で、変わらぬ毎日を送る。
一つ変わったことがあるとすれば、七海さんの存在だが…彼によって私の中の何かが揺らぐことも形を変えることも無い。
安定的で定常的、一定のリズムで揺れる振り子のように、私は何も変わらない。
だからカップ麺を毎日食べたっていいのだ。
そりゃまあ飽きるけれど、でもお料理するの面倒だし。作るのも食べるのも特別好きなわけじゃないし。
意味の無い抵抗をワチャワチャと続けながら、成長しない自分を忌々しく思い、面倒な戯れをしてくる七海さんにややイラ立っていれば、彼は私の頬から手を離した。
あー痛かった、酷い人だな…誰だよこんな大人拾ったやつ…私か……と自分の頬を揉むように撫でて労る。
棚の上に乗せられてしまったカップ麺をぼんやりと仰ぎ見て、椅子を持って来なくちゃなあと考えるも、段々面倒になって来た。何となく食事すら面倒な気がしてきた私は、部屋に帰ってエアロバイクでも漕ぎながらソシャゲの周回でもするかと身を翻そうとした。
だがそれを拒むように、七海さんは私の肩を掴み、「外食は……」と喋り出す。
「たまには、外食などしてみては?気分転換になるかもしれませんよ」
「…まーた「健康的な生活」云々のお説教ですか?呪詛師じゃなくて健康管理AIみたい、ベイマックス?」
「話を変えようとするな」
温度の無い瞳が私を見下ろす。
下ろされた髪の隙間から覗く暗い目は、どうにも何かを訴えようとしている様子であった。
だが、残念ながら私には彼が何を言わんとしているのか分からなかった。
掴まれた肩をギチッと握られ、逃げることを叶わなくさせる。
「……外食は…別に興味無いし…」
「やはり外には出たく無いと」
私は彼から視線を外し、フローリングを意味も無く見下ろした。
発された言葉によって、腹の底がズンッと重くなる心地がしてくる。
こっちの事情を何も知らない人に、私の不自由に口を出されたく無い。
なんで踏み込んでくるの?
私達、互いに踏み込まず、理解し合わず、ただ同じ生活空間を共にしていただけの仲だったじゃないですか。
それでいいじゃないですか、今もこれからも、貴方が飽きるまで。
「付き添いが必要なら、私がご一緒しますが」
うるさいなあ………黙ってろよ。そう怒鳴り上げそうになるのを堪え、込み上げた衝動を飲み込み瞳を一度閉じた。
心臓が、痛い。
いや………違う。
…心が苦しい、のかもしれない。
保護者気取りも大概にしてくれ、私は貴方の玩具でも無ければ、親しい人でも無い。
貴方がここに居ることは許したが、私の不変に寄り添う権利は与えていない。
私達は他人で、互いの痛みに関与する必要は無いのだ。少なくとも、私は貴方の傷を理解出来ないのだから……。
瞳を開こうとするも、わけも分からず暴れる心のせいで涙が混み上がって来て開くことが難しかった。
多分、瞬きをしたら涙が流れてしまう。
泣くのはズルだ、相手を追い詰め困らすだけだ、七海さんは確かに言わなくて良いことを言ったが、きっと彼なりに理由があって口にしたのだ。その理由も聞かずに泣くのは、不誠実だと眉間にシワを寄せて我慢した。
先の言葉に対して、首を横に振って否定を示す。
「散歩以外で外には出れないんです、許されない」
「誰が許さないのですか」
「言えません、少なくとも…貴方には関係が無いことです」
興味か、憐憫か。
こちらへ歩み寄ろうとする彼の意思を拒絶する。
項垂れるように頭を下げて、身体から力を抜けば、七海さんは私の肩を掴む手を離してから「不自由な人だ」と言ってまた鼻で笑った。
呪詛師の冷笑が私に降り注ぐ。
「望まぬ日々を過ごすことに何の価値が?無意味に、無価値に、時間を消費することは楽しいですか?」
「…………」
やめて。
「誰が下す許しのために、意味の無い毎日を送っているのですか?」
「…………」
やめて、聞きたくない。
「少なくとも貴女は、心の底ではこの日々を良しとしていないはずだ。それなのに何故、毎日退屈そうに生きているのか」
「…………」
やめろ。
「扉に鍵は掛かっていないのに、何故……踏み出そうとしないのですか?」
私の耳元に唇を寄せて語り掛ける言葉は、まるで悪魔の誘惑のようであった。
無意識のうちに呼吸はどんどんと早くなり、はくはくと喘ぐように息をしながら、涙を必死に堪えた。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
私の心を暴かないで、踏み荒らさないで、痛めつけないで。
だって、私にはどうしようも無いのだから、どうにも出来ない問題に対してずっと折り合いを付けて生きてきたのに、今さらなことを語らないで。
「もう、もう、やめてよぉ…」
震える声で無様な願いを口にする。
それでも七海さんは揺らぐ私を痛ぶるように追い詰める。
「貴女はまるで昔の私のようだ、嫌になる程変わらぬ日々に飽き飽きしている。糸が切れるか切れないかの瀬戸際で、必死に、一般的に正しいとされる道を歩もうとしている」
「…………」
「けれど、それに一体何の意味が?」
「…………」
「この毎日を続けることに意味は、価値は、あるのですか?」
「貴女だって本当は分かってるはずだ。」
「変わりたいと、願っているのでしょう?」
「私が…退屈から連れ出してあげますよ」
これは助けて下さったことへの恩返しです。
その言葉に、ゆっくりと瞳を開いた。
瞬けば涙が一筋溢れて落ちる。
顔を上げて、私を理解(誘惑)しようとする男の顔を見上げた。
ゾッとする程綺麗に微笑んで、目尻を和らげるその目は月のように静かで冷たく、細い金糸の如き髪を揺らしながら私の顔を覗き込むために顔を近付けて来た。
素直に、美しい人だな、と思う。
こんなに美しいのだ、誑かされてしまっても仕方無いことなのでは無いのだろうか。
私は悪くない。
私は何も悪くない。
私は何一つ、悪くは無い。
「七海さん」
「はい」
「お願いが、あります」
………
……
…
こうして、私はこの日 剣を得た。
何一つ自由にならない私が、唯一自由に出来る剣を得た。
その剣は、興味と憐憫と、少しの同情、それから暇潰しのために恩返しをすると口にした。
あるいは、ただ不満を煽られ焚き付けられただけかもしれないが。それでも、私の日々は確かに変わり始めたのであった。
働いたことが無い私には理解出来ない苦しみを彼は味わい、何やかんやあって呪詛師の道を歩み出したとか、なんとか…。
だが、程度の差はあれ苦しみとは万人に存在するもの。
自分だけが特別に怒りや理不尽を抱えていると思うことはお門違いだ。
けれど私は七海さんを責められやしない。私にその権利は無い。だって自分もまた、理不尽に怒りを募らせている人間の一人だからだ。
……ま、そんなことはさておきご飯を食べよう!
今日のお昼はカップ麺、サッポロの塩!サッポロの塩って美味しいよね、フリーズドライの野菜も食べやすくて。
カップ麺のまわりにつくビニールを爪先でカリカリしながら破るこの瞬間が好きだ、私はウキウキワクワクとしながらビニールにペリッと亀裂を入れて剥がした……ところで、突如背後からニュッと生えてきた腕にカップ麺をガシッと掴まれそのまま強奪された。
私は理不尽な行為に声を荒げる。
「返しなさい!私のサッポロちゃんを!!」
「フッ」
「鼻で笑わないでくれます!?」
腕を上げて、私の届かない所にカップ麺を高々と掲げた七海さんは嘲笑うように鼻で笑う。
抗議の声を挙げるも、それすら滑稽だと言うようにこちらを見下ろし、口元に冷ややかで粘質な笑みを浮かべた。
こんにゃろ~~!ちょっと身長が日本人の平均サイズと比べて高いからと良い気になりやがって…!!
私はペシペシと七海さんのシックスパックへ攻撃をしながらカップ麺奪還のため抗議を再開する。
「私のお昼ご飯を返しなさい!七海さんはさっき一人で優雅に食べていましたよね!?なんかモ●ズキッチンに出てきそうなやつ!!」
「……貴女は昨日も一昨日もカップ麺でしたね」
「悪いですか!?」
「身体には悪いでしょうね」
だから駄目です。
七海さんはそう言ってカップ麺を私が届かない棚の上に置いた。没収である。
私のお昼ご飯が……彼を見上げながら唸り声を挙げていれば、貴女は犬かとまた鼻で笑われた。
どちらかと言えば主人は私である、何せ家主でありますので。おい、家主に向かってなんだその態度は。
いや…ここは言い直そう。
「家主に向かってなんだその筋肉は!何食べたら腹筋が割れるか言え!!」
「健康的な食事ですが」
「他人の金で健康的な生活しやがって…」
「貴女の金では無いのだからいいでしょう」
それは本当そう。
「育ち盛りなのだから、こんな物ばかり食べないように」
「…お母さん?」
この人、根は絶対面倒見の良くて頼れるいい人だったんだろうな。
しかし、私の言葉が気に食わなかったらしい七海さんは無言でこちらに手を伸ばすと、そのまま私のむにむに頬っぺをグニィーッ!と引っ張った。
「いひゃい~~~!!!」
「誰が何と?」
「ひゅみまひぇ~~ん~~~!!!」
あああ!伸びてしまう!餅のように伸びてしまう!勘弁してくれ!!
「私は貴女の何ですか?」
それ今する質問!?
何だその、痛くて面倒そうな女がするみたいな質問は。
思わず「は?」という気持ちを顔に出せば、またもや気に食わなかったらしい七海さんは私の頬を両側とも掴みグニグニと引っ張った。
「ひゃふぇふぇーーー!!」
「…………」
「ふぁふぁふぃふぇーー!!!」
無言でニヤつきながら頬を引っ張るのをやめろ!!良い年した大人が何やってんだ、ふざけるないい加減にしてくれ。
何だよそのニチャァ…て笑顔は、もっと健全に微笑んで下さいませんか!?
神よ…何故私はご飯を食べようとしただけでこんな仕打ちを受けているのでしょう…。
ただお腹が減って食事にしようと思っただけなのに。
確かに毎日毎日来る日も来る日も変わらずに、味だけがちょっと違う物をずっと食べ続けているけれど。でも別に、私がカップ麺を食べ続けようと何だろうと七海さんには関係の無いことであるはず。
そもそも、私はこの家に居る限り不変だ。
千古不易、価値の変わらぬ「物」である。
死ぬことも、老いることも、成長することも、健康を損なうことも無い。
変わらぬ身で、変わらぬ毎日を送る。
一つ変わったことがあるとすれば、七海さんの存在だが…彼によって私の中の何かが揺らぐことも形を変えることも無い。
安定的で定常的、一定のリズムで揺れる振り子のように、私は何も変わらない。
だからカップ麺を毎日食べたっていいのだ。
そりゃまあ飽きるけれど、でもお料理するの面倒だし。作るのも食べるのも特別好きなわけじゃないし。
意味の無い抵抗をワチャワチャと続けながら、成長しない自分を忌々しく思い、面倒な戯れをしてくる七海さんにややイラ立っていれば、彼は私の頬から手を離した。
あー痛かった、酷い人だな…誰だよこんな大人拾ったやつ…私か……と自分の頬を揉むように撫でて労る。
棚の上に乗せられてしまったカップ麺をぼんやりと仰ぎ見て、椅子を持って来なくちゃなあと考えるも、段々面倒になって来た。何となく食事すら面倒な気がしてきた私は、部屋に帰ってエアロバイクでも漕ぎながらソシャゲの周回でもするかと身を翻そうとした。
だがそれを拒むように、七海さんは私の肩を掴み、「外食は……」と喋り出す。
「たまには、外食などしてみては?気分転換になるかもしれませんよ」
「…まーた「健康的な生活」云々のお説教ですか?呪詛師じゃなくて健康管理AIみたい、ベイマックス?」
「話を変えようとするな」
温度の無い瞳が私を見下ろす。
下ろされた髪の隙間から覗く暗い目は、どうにも何かを訴えようとしている様子であった。
だが、残念ながら私には彼が何を言わんとしているのか分からなかった。
掴まれた肩をギチッと握られ、逃げることを叶わなくさせる。
「……外食は…別に興味無いし…」
「やはり外には出たく無いと」
私は彼から視線を外し、フローリングを意味も無く見下ろした。
発された言葉によって、腹の底がズンッと重くなる心地がしてくる。
こっちの事情を何も知らない人に、私の不自由に口を出されたく無い。
なんで踏み込んでくるの?
私達、互いに踏み込まず、理解し合わず、ただ同じ生活空間を共にしていただけの仲だったじゃないですか。
それでいいじゃないですか、今もこれからも、貴方が飽きるまで。
「付き添いが必要なら、私がご一緒しますが」
うるさいなあ………黙ってろよ。そう怒鳴り上げそうになるのを堪え、込み上げた衝動を飲み込み瞳を一度閉じた。
心臓が、痛い。
いや………違う。
…心が苦しい、のかもしれない。
保護者気取りも大概にしてくれ、私は貴方の玩具でも無ければ、親しい人でも無い。
貴方がここに居ることは許したが、私の不変に寄り添う権利は与えていない。
私達は他人で、互いの痛みに関与する必要は無いのだ。少なくとも、私は貴方の傷を理解出来ないのだから……。
瞳を開こうとするも、わけも分からず暴れる心のせいで涙が混み上がって来て開くことが難しかった。
多分、瞬きをしたら涙が流れてしまう。
泣くのはズルだ、相手を追い詰め困らすだけだ、七海さんは確かに言わなくて良いことを言ったが、きっと彼なりに理由があって口にしたのだ。その理由も聞かずに泣くのは、不誠実だと眉間にシワを寄せて我慢した。
先の言葉に対して、首を横に振って否定を示す。
「散歩以外で外には出れないんです、許されない」
「誰が許さないのですか」
「言えません、少なくとも…貴方には関係が無いことです」
興味か、憐憫か。
こちらへ歩み寄ろうとする彼の意思を拒絶する。
項垂れるように頭を下げて、身体から力を抜けば、七海さんは私の肩を掴む手を離してから「不自由な人だ」と言ってまた鼻で笑った。
呪詛師の冷笑が私に降り注ぐ。
「望まぬ日々を過ごすことに何の価値が?無意味に、無価値に、時間を消費することは楽しいですか?」
「…………」
やめて。
「誰が下す許しのために、意味の無い毎日を送っているのですか?」
「…………」
やめて、聞きたくない。
「少なくとも貴女は、心の底ではこの日々を良しとしていないはずだ。それなのに何故、毎日退屈そうに生きているのか」
「…………」
やめろ。
「扉に鍵は掛かっていないのに、何故……踏み出そうとしないのですか?」
私の耳元に唇を寄せて語り掛ける言葉は、まるで悪魔の誘惑のようであった。
無意識のうちに呼吸はどんどんと早くなり、はくはくと喘ぐように息をしながら、涙を必死に堪えた。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
私の心を暴かないで、踏み荒らさないで、痛めつけないで。
だって、私にはどうしようも無いのだから、どうにも出来ない問題に対してずっと折り合いを付けて生きてきたのに、今さらなことを語らないで。
「もう、もう、やめてよぉ…」
震える声で無様な願いを口にする。
それでも七海さんは揺らぐ私を痛ぶるように追い詰める。
「貴女はまるで昔の私のようだ、嫌になる程変わらぬ日々に飽き飽きしている。糸が切れるか切れないかの瀬戸際で、必死に、一般的に正しいとされる道を歩もうとしている」
「…………」
「けれど、それに一体何の意味が?」
「…………」
「この毎日を続けることに意味は、価値は、あるのですか?」
「貴女だって本当は分かってるはずだ。」
「変わりたいと、願っているのでしょう?」
「私が…退屈から連れ出してあげますよ」
これは助けて下さったことへの恩返しです。
その言葉に、ゆっくりと瞳を開いた。
瞬けば涙が一筋溢れて落ちる。
顔を上げて、私を理解(誘惑)しようとする男の顔を見上げた。
ゾッとする程綺麗に微笑んで、目尻を和らげるその目は月のように静かで冷たく、細い金糸の如き髪を揺らしながら私の顔を覗き込むために顔を近付けて来た。
素直に、美しい人だな、と思う。
こんなに美しいのだ、誑かされてしまっても仕方無いことなのでは無いのだろうか。
私は悪くない。
私は何も悪くない。
私は何一つ、悪くは無い。
「七海さん」
「はい」
「お願いが、あります」
………
……
…
こうして、私はこの日 剣を得た。
何一つ自由にならない私が、唯一自由に出来る剣を得た。
その剣は、興味と憐憫と、少しの同情、それから暇潰しのために恩返しをすると口にした。
あるいは、ただ不満を煽られ焚き付けられただけかもしれないが。それでも、私の日々は確かに変わり始めたのであった。