五条妹による、華麗なる【脅迫劇】
後日談である。
あれから私は奮闘虚しく早々に五条悟に捕まり、キッチリと一から十まで言い訳を述べるも話が全く通じず、果てしなく面倒臭くなった兄相手に「今度ホットケーキを焼いてあげる」という約束をして事無きを得たのだった。
黒井さんは無事に理子さんと再会し、その後について私は関与していない。
ただ、夏油くん曰く「君好みの美しい結末だった」とだけ教えられた。
恵少年については、五条悟が後継人として身元を引き受けることとなった。
高専の保護下にあることが幸いして、特別な立場では無い私でも再び会うことが出来そうだった。
伏黒甚爾は事件の犯人として身柄を確保された。
けれど、私と五条悟の間で交わされた密約により、すぐに解放される運びとなったそうだ。
彼は今、更生プログラムと称した高専による慈善活動をさせられているらしい。
そんなわけで、私は五条悟との間に二つの約束を結んで今に至る。
我ながら今回も実に、鮮やかに、美しく問題を解決してしまったものだ。
呪術の才能はあまり無いので呪霊相手にはどうにもならないが、人間相手であれば解決出来る事件もある。
まあ、しかしながら今回はよく知った人物相手だったからこそ、この結末が描けたことも十分に承知している。
今後も慢心せず、可能性と美しさを美学を持って探求していくと心に誓おう。
そんな風に自分で自分を讃えながら、私はホットケーキを焼くべくエプロンの紐を背中側でキュッと縛った。
「三段のやつな、そんでメイプルシロップどばどばかけて」
「分かったから向こうで座って待っていて、そんな近くに居られても困ります」
「やだ、見てる」
「変なものなんて入れないのに…」
私の後ろを付け回しながら話し掛けて来る人間にウンザリとした気持ちになる。
それでも強く拒めないのは、真実を知ってしまったからだ。
思い出すのは再会の春。
静かに淡く咲く桜が散り行く中、ずっと再会を願い続けた相手から言われた一言に、私はいとも簡単に傷付いた。
「は?誰だよお前」
あの時の私は、上手く笑えていただろうか。
精一杯強がって、思い出してくれないものかと念じて、そうやって何とか心を強く保って笑った気がする。
同時に、これまでの努力と祈りを無駄だと突き付けられ、とうとう諦めてしまった瞬間でもあった。
君と離れ々なったあの日から、君とまた会うことを夢見て生きてきた。
強く、美しく、立派な人間に育つであろう君の前に自信を持って立ちたかったから、そのために努力を重ねてきたのに。
それなのに、鋭利なナイフのような一言によって私の心は容易く抉られ夢は砕かれた。
その後もずっと、何度も、何度も…五条悟は出来た傷を癒やすことを許さないと言わんばかりに、私を傷付け続けた。
「思い出した、俺より全部上手く出来ない雑魚が確かに昔いたわ」
「まあ、出来損ないとまでは言わねえけど、お前弱いんだからさっさと家帰れば?」
「弱い癖に口ばっかだよな、家族から嫌われたりしねぇの?」
そういうことを言われる度に、私はいつも通りに笑った。
「いえ、君よりも姿勢は良かったわよ」
「いいの?そんなことを言って。君の親友に言い付けて硝子を味方に付けて、君抜きで楽しくパーティーするわよ?」
「家族が私を嫌うわけありません。だって私はそこそこ価値があるもの」
余裕を持って堂々と、泰然とした態度で言葉を並べる。
自分のことは分かっているし知っているし理解している。今更五条悟から言われなくとも、全部受け止めている。
だから広がり続ける傷を見てみぬフリも上手く出来る。そんなこと、とうの昔に慣れっこだ。
けれど、自分の傷は平気でも、貴方が真に醜く見えてしまうのは避けようもない。
今更貴方から視線を逸らすなど、私には出来ない。
だから。どうか、お願いだから。
私が愛した幼き日の貴方に泥を塗るようなことをこれ以上言わないでくれ。
いつの間にか、私は五条悟のことを嫌っていた。
まあ、極々自然な流れとも言えよう。私は五条悟を嫌うことで、彼から視線を逸らす理由を付けたということである。
これ以上大切な思い出に泥を塗らないように、あの頃感じた美しさを曇らせないために。
我ながら健気だと思う。
あんなことを言われ続けても、私は思い出を手放そうとしないのだから。
けれど数日前、私と五条悟はこんな話をした。
「どうして恵少年と手を繋いでいたことを怒ったの?」
「は?」
「私と手が繋ぎたかったの?君が?」
まさかそんなわけ無いだろうと鼻で笑ってやれば、彼は「だってお前、昔散々嫌がっただろ」と話始める。
「俺以外と手繋ぐの、汚れるとか何とか言って。つーか、今も人から触られんのすげぇ嫌がんじゃん」
はて、そうだっただろうか。
何せ昔のことだ、記憶には見当たらない。
私が覚えている昔のことと言えば、五条悟がとにかく美しかったことくらいだ。あの家に他に価値あるものは当時の私にとって無かったから、他人とのやり取りなど全然覚えていなかった。
「前も俺が肩叩いたら冷たい態度してきたし。それなのにガキとは手繋いでるから、は?ってなったの」
「君への態度が冷たいのは、単純に君のことが嫌いだからです」
「はー!?嘘つけ、お前俺のこと大好きだったじゃん!」
それは昔の話だ。
少なくとも今は嫌いだ、ちゃんと嫌いだ。期待など全くしていない。
けれどもここまでの会話で既に理由は判明した。
幼い頃に唯一私が手を繋いで良かった相手というプライドを壊されたことにより、彼はキレて拗ねたのだ。
そして同時に、昔私から好かれていたから、今も気持ちは変わらないと勘違いしているのだろう。私が彼に対し冷たくするのも視界に入れないようにしているのも、きっと彼の中では「そういう時期」「照れ隠し」「性格が変わった」などの都合の良い理由で消化されているというわけだ。
五条悟が私を虐めるのは、嫌がらせをするのは、私の反応が悪いことが原因だったわけである。
小学生男子が好きな女の子にちょっかいをかけるのと一緒の心理現象である。
冷たくされるから、何とか気を引くために相手が不快に思うことをする。
つまり、とんだ馬鹿だ。
しかも、そもそもの原因はあの日五条悟が私を知らないと言ったことが原因だ。
そしてその後散々なことを言ってきた期間があったからだ。
だから嫌いにならざる負えなかったというのに、この人間はなんて幼稚なのだろうか。
私は途端に様々なことが馬鹿らしくなって、彼よりは精神年齢が遥かに上であるはずだという自負を理由に、色々と譲歩してやることにした。
怒ったり嘆いたり文句を言う気は無かった。同じステージに立つ気は無い、私が立つべきは美しいスポットライトの下だけである。
「じゃあ今度手を繋いで仲良く散歩でもしましょうか、その代わり伏黒甚爾のことと恵少年のことは頼みます」
「その代わりってなんだよ、つか散歩するだけでチャラになるわけねぇだろ」
「じゃあ、二人きりの時は兄さんと呼んであげる」
「…あとホットケーキ、忘れるなよ」
というわけで、伏黒甚爾は銀貨三枚ならぬ、ホットケーキ三枚で取引されたのであった。
ついでに、私は五条悟を少しだけ許したのだった。
___
ホットケーキを焼く。
ホットケーキを焼く時に必要なコツは、生地を混ぜすぎないことである。
ボウルに卵を溶きほぐし、牛乳とヨーグルト、バターを入れて泡立て器で混ぜ合わせる。
ホットケーキにヨーグルト?と思うかもしれないが、ヨーグルトを入れると市販のホットケーキミックスでもふわふわモチモチに仕上がるのだ。
さらにはコクも出る。だから、私が毎朝食べているヨーグルトを使った。
ある程度混ざったらホットケーキミックスを投入し、混ぜすぎないように注意しながら混ぜ合わせ、あとは焼くだけ。
火を使うため、後ろでウロチョロとしている人間に離れるよう言う。
けれど彼は、「やだ」と短く拒否の姿勢を示した。
「危ないから」
「はあ?誰に言ってんの?お前のがよっぽど雑魚じゃん」
「言い直すわね、邪魔だから離れて下さいます?」
「……やだ」
まるで母親の料理を邪魔する子供である。
こんな大きな子供を産んだ覚えは一切無いのだが、そうとしか表現不可能なくらいには子供っぽい。
離れないならば仕方無い、面倒だし邪魔だが、私の美しきホットケーキ調理シーンを見届けてくれる観客だと思えば耐えられる気がした。
フライパンを中火で熱したあと、一度濡れ布巾の上に置いてから弱火にかけ直す。
少し油をしいて、おたまで生地を一杯すくってフライパンにぼったりと落とす。この時20cmほどの高さから落とすと広がりやすい。
弱火で3分焼き、少しフツフツと表面に泡が出てきたらひっくり返し、2分ほど焼く。できるだけ触らず、じっくりと焼くと綺麗な仕上がりとなる。
あとはこれを3回…いや、私も食べたいので4回繰り返せば出来上がりだ。
私はその後も同じ作業を繰り返した。
こんがりと茶色く焼けた表面は実に食欲をそそる美しい出来上がりだった。
我ながら中々に上手く焼けているではないかと自画自賛しながら、次々に焼いていく。
その間、何が楽しいのかは全く不明だが、五条悟はずっとこちらの様子を見ていた。
あまりに熱烈な視線だった、それはもう背中が焼けそうなくらいにジッと見つめられている。
私のこの良く伸びた綺麗な背筋を眺めたくなる気持ちも分からなくは無いが、流石にそんなに見られると手元が狂って間違えてキメポーズを取ってしまいそうではないか。
いいのか?私がいきなり振り返って超絶ビューティフルなダブルピースをしても。きっとあまりの美しさと可愛さに不整脈を起こしてしまうぞ?本当にいいのか?
「兄さん、それ以上見ないで」
「は?見てねぇし、自意識過剰」
「え、美意識過剰?確かに美意識は多ければ多いほど良いとは思うけれど…」
「お前本当、言葉はもっと素直に受け取れ!」
素直に受け止めて自由に解釈しているだけなのだが。
「てか待ってるだけだし、さっさと作れよ」
「待って今愛情を込めてるから、ラブラブキュンッ」
「なあ、今…殺気感じたんだけど、本当に愛情込めた?」
というわけで、約束の三段ホットケーキ(愛を込めてVer)は無事に完成したのであった。
私達はいつかの朝のように対面になって座り、白い皿の上に乗ったホカホカとまだ湯気の立つホットケーキを前に「いただきます」と手を合わせる。
味は普通だった。
至って普通のホットケーキミックスを使った、至極普通のホットケーキの味がした。
それでも互いにさっさと食べずに、同じ食卓を囲みじっくりゆっくり味わって食べたのは、許しあったからに他ならない。
私達の間に幼少期の美しかった仲と日々が戻ってくることは恐らくこれから先も無いだろう。
そして私達が燻り嫌いあった日々は決して美談にはならない。
美談にはならないが、美しく物語を締め括らせて欲しい。
「お味は?」
「まあ、いつも通り最高」
自分に誇れる最高であれば良いと信じていた私は、この日とうとう他人から最高と評された。
互いに似たような顔を突き合わせて、息を抜くようにフッと笑う。
きっと今この瞬間の我々は、穏やかに美しい午後を送る絵になる兄妹であろう。
そう思いながら私は残り半分になったホットケーキを食べ進めた。
どんな日常も、最低な瞬間も。
例え泥に塗れていようが血反吐を吐いていようが、私はどんな時でも最高だと自負している。
けれどこの美しさは私一人で成し得たものではない。
いつも追い掛け続けた星があったから得ることの出来た美学だ。
どんな瞬間も貴方を思えば私は私を貫ける。
君ありて幸福、とはまさにこのことだろう。
この食卓には今、ささやかで甘く柔らかな、美しき幸福があったのだった。
あれから私は奮闘虚しく早々に五条悟に捕まり、キッチリと一から十まで言い訳を述べるも話が全く通じず、果てしなく面倒臭くなった兄相手に「今度ホットケーキを焼いてあげる」という約束をして事無きを得たのだった。
黒井さんは無事に理子さんと再会し、その後について私は関与していない。
ただ、夏油くん曰く「君好みの美しい結末だった」とだけ教えられた。
恵少年については、五条悟が後継人として身元を引き受けることとなった。
高専の保護下にあることが幸いして、特別な立場では無い私でも再び会うことが出来そうだった。
伏黒甚爾は事件の犯人として身柄を確保された。
けれど、私と五条悟の間で交わされた密約により、すぐに解放される運びとなったそうだ。
彼は今、更生プログラムと称した高専による慈善活動をさせられているらしい。
そんなわけで、私は五条悟との間に二つの約束を結んで今に至る。
我ながら今回も実に、鮮やかに、美しく問題を解決してしまったものだ。
呪術の才能はあまり無いので呪霊相手にはどうにもならないが、人間相手であれば解決出来る事件もある。
まあ、しかしながら今回はよく知った人物相手だったからこそ、この結末が描けたことも十分に承知している。
今後も慢心せず、可能性と美しさを美学を持って探求していくと心に誓おう。
そんな風に自分で自分を讃えながら、私はホットケーキを焼くべくエプロンの紐を背中側でキュッと縛った。
「三段のやつな、そんでメイプルシロップどばどばかけて」
「分かったから向こうで座って待っていて、そんな近くに居られても困ります」
「やだ、見てる」
「変なものなんて入れないのに…」
私の後ろを付け回しながら話し掛けて来る人間にウンザリとした気持ちになる。
それでも強く拒めないのは、真実を知ってしまったからだ。
思い出すのは再会の春。
静かに淡く咲く桜が散り行く中、ずっと再会を願い続けた相手から言われた一言に、私はいとも簡単に傷付いた。
「は?誰だよお前」
あの時の私は、上手く笑えていただろうか。
精一杯強がって、思い出してくれないものかと念じて、そうやって何とか心を強く保って笑った気がする。
同時に、これまでの努力と祈りを無駄だと突き付けられ、とうとう諦めてしまった瞬間でもあった。
君と離れ々なったあの日から、君とまた会うことを夢見て生きてきた。
強く、美しく、立派な人間に育つであろう君の前に自信を持って立ちたかったから、そのために努力を重ねてきたのに。
それなのに、鋭利なナイフのような一言によって私の心は容易く抉られ夢は砕かれた。
その後もずっと、何度も、何度も…五条悟は出来た傷を癒やすことを許さないと言わんばかりに、私を傷付け続けた。
「思い出した、俺より全部上手く出来ない雑魚が確かに昔いたわ」
「まあ、出来損ないとまでは言わねえけど、お前弱いんだからさっさと家帰れば?」
「弱い癖に口ばっかだよな、家族から嫌われたりしねぇの?」
そういうことを言われる度に、私はいつも通りに笑った。
「いえ、君よりも姿勢は良かったわよ」
「いいの?そんなことを言って。君の親友に言い付けて硝子を味方に付けて、君抜きで楽しくパーティーするわよ?」
「家族が私を嫌うわけありません。だって私はそこそこ価値があるもの」
余裕を持って堂々と、泰然とした態度で言葉を並べる。
自分のことは分かっているし知っているし理解している。今更五条悟から言われなくとも、全部受け止めている。
だから広がり続ける傷を見てみぬフリも上手く出来る。そんなこと、とうの昔に慣れっこだ。
けれど、自分の傷は平気でも、貴方が真に醜く見えてしまうのは避けようもない。
今更貴方から視線を逸らすなど、私には出来ない。
だから。どうか、お願いだから。
私が愛した幼き日の貴方に泥を塗るようなことをこれ以上言わないでくれ。
いつの間にか、私は五条悟のことを嫌っていた。
まあ、極々自然な流れとも言えよう。私は五条悟を嫌うことで、彼から視線を逸らす理由を付けたということである。
これ以上大切な思い出に泥を塗らないように、あの頃感じた美しさを曇らせないために。
我ながら健気だと思う。
あんなことを言われ続けても、私は思い出を手放そうとしないのだから。
けれど数日前、私と五条悟はこんな話をした。
「どうして恵少年と手を繋いでいたことを怒ったの?」
「は?」
「私と手が繋ぎたかったの?君が?」
まさかそんなわけ無いだろうと鼻で笑ってやれば、彼は「だってお前、昔散々嫌がっただろ」と話始める。
「俺以外と手繋ぐの、汚れるとか何とか言って。つーか、今も人から触られんのすげぇ嫌がんじゃん」
はて、そうだっただろうか。
何せ昔のことだ、記憶には見当たらない。
私が覚えている昔のことと言えば、五条悟がとにかく美しかったことくらいだ。あの家に他に価値あるものは当時の私にとって無かったから、他人とのやり取りなど全然覚えていなかった。
「前も俺が肩叩いたら冷たい態度してきたし。それなのにガキとは手繋いでるから、は?ってなったの」
「君への態度が冷たいのは、単純に君のことが嫌いだからです」
「はー!?嘘つけ、お前俺のこと大好きだったじゃん!」
それは昔の話だ。
少なくとも今は嫌いだ、ちゃんと嫌いだ。期待など全くしていない。
けれどもここまでの会話で既に理由は判明した。
幼い頃に唯一私が手を繋いで良かった相手というプライドを壊されたことにより、彼はキレて拗ねたのだ。
そして同時に、昔私から好かれていたから、今も気持ちは変わらないと勘違いしているのだろう。私が彼に対し冷たくするのも視界に入れないようにしているのも、きっと彼の中では「そういう時期」「照れ隠し」「性格が変わった」などの都合の良い理由で消化されているというわけだ。
五条悟が私を虐めるのは、嫌がらせをするのは、私の反応が悪いことが原因だったわけである。
小学生男子が好きな女の子にちょっかいをかけるのと一緒の心理現象である。
冷たくされるから、何とか気を引くために相手が不快に思うことをする。
つまり、とんだ馬鹿だ。
しかも、そもそもの原因はあの日五条悟が私を知らないと言ったことが原因だ。
そしてその後散々なことを言ってきた期間があったからだ。
だから嫌いにならざる負えなかったというのに、この人間はなんて幼稚なのだろうか。
私は途端に様々なことが馬鹿らしくなって、彼よりは精神年齢が遥かに上であるはずだという自負を理由に、色々と譲歩してやることにした。
怒ったり嘆いたり文句を言う気は無かった。同じステージに立つ気は無い、私が立つべきは美しいスポットライトの下だけである。
「じゃあ今度手を繋いで仲良く散歩でもしましょうか、その代わり伏黒甚爾のことと恵少年のことは頼みます」
「その代わりってなんだよ、つか散歩するだけでチャラになるわけねぇだろ」
「じゃあ、二人きりの時は兄さんと呼んであげる」
「…あとホットケーキ、忘れるなよ」
というわけで、伏黒甚爾は銀貨三枚ならぬ、ホットケーキ三枚で取引されたのであった。
ついでに、私は五条悟を少しだけ許したのだった。
___
ホットケーキを焼く。
ホットケーキを焼く時に必要なコツは、生地を混ぜすぎないことである。
ボウルに卵を溶きほぐし、牛乳とヨーグルト、バターを入れて泡立て器で混ぜ合わせる。
ホットケーキにヨーグルト?と思うかもしれないが、ヨーグルトを入れると市販のホットケーキミックスでもふわふわモチモチに仕上がるのだ。
さらにはコクも出る。だから、私が毎朝食べているヨーグルトを使った。
ある程度混ざったらホットケーキミックスを投入し、混ぜすぎないように注意しながら混ぜ合わせ、あとは焼くだけ。
火を使うため、後ろでウロチョロとしている人間に離れるよう言う。
けれど彼は、「やだ」と短く拒否の姿勢を示した。
「危ないから」
「はあ?誰に言ってんの?お前のがよっぽど雑魚じゃん」
「言い直すわね、邪魔だから離れて下さいます?」
「……やだ」
まるで母親の料理を邪魔する子供である。
こんな大きな子供を産んだ覚えは一切無いのだが、そうとしか表現不可能なくらいには子供っぽい。
離れないならば仕方無い、面倒だし邪魔だが、私の美しきホットケーキ調理シーンを見届けてくれる観客だと思えば耐えられる気がした。
フライパンを中火で熱したあと、一度濡れ布巾の上に置いてから弱火にかけ直す。
少し油をしいて、おたまで生地を一杯すくってフライパンにぼったりと落とす。この時20cmほどの高さから落とすと広がりやすい。
弱火で3分焼き、少しフツフツと表面に泡が出てきたらひっくり返し、2分ほど焼く。できるだけ触らず、じっくりと焼くと綺麗な仕上がりとなる。
あとはこれを3回…いや、私も食べたいので4回繰り返せば出来上がりだ。
私はその後も同じ作業を繰り返した。
こんがりと茶色く焼けた表面は実に食欲をそそる美しい出来上がりだった。
我ながら中々に上手く焼けているではないかと自画自賛しながら、次々に焼いていく。
その間、何が楽しいのかは全く不明だが、五条悟はずっとこちらの様子を見ていた。
あまりに熱烈な視線だった、それはもう背中が焼けそうなくらいにジッと見つめられている。
私のこの良く伸びた綺麗な背筋を眺めたくなる気持ちも分からなくは無いが、流石にそんなに見られると手元が狂って間違えてキメポーズを取ってしまいそうではないか。
いいのか?私がいきなり振り返って超絶ビューティフルなダブルピースをしても。きっとあまりの美しさと可愛さに不整脈を起こしてしまうぞ?本当にいいのか?
「兄さん、それ以上見ないで」
「は?見てねぇし、自意識過剰」
「え、美意識過剰?確かに美意識は多ければ多いほど良いとは思うけれど…」
「お前本当、言葉はもっと素直に受け取れ!」
素直に受け止めて自由に解釈しているだけなのだが。
「てか待ってるだけだし、さっさと作れよ」
「待って今愛情を込めてるから、ラブラブキュンッ」
「なあ、今…殺気感じたんだけど、本当に愛情込めた?」
というわけで、約束の三段ホットケーキ(愛を込めてVer)は無事に完成したのであった。
私達はいつかの朝のように対面になって座り、白い皿の上に乗ったホカホカとまだ湯気の立つホットケーキを前に「いただきます」と手を合わせる。
味は普通だった。
至って普通のホットケーキミックスを使った、至極普通のホットケーキの味がした。
それでも互いにさっさと食べずに、同じ食卓を囲みじっくりゆっくり味わって食べたのは、許しあったからに他ならない。
私達の間に幼少期の美しかった仲と日々が戻ってくることは恐らくこれから先も無いだろう。
そして私達が燻り嫌いあった日々は決して美談にはならない。
美談にはならないが、美しく物語を締め括らせて欲しい。
「お味は?」
「まあ、いつも通り最高」
自分に誇れる最高であれば良いと信じていた私は、この日とうとう他人から最高と評された。
互いに似たような顔を突き合わせて、息を抜くようにフッと笑う。
きっと今この瞬間の我々は、穏やかに美しい午後を送る絵になる兄妹であろう。
そう思いながら私は残り半分になったホットケーキを食べ進めた。
どんな日常も、最低な瞬間も。
例え泥に塗れていようが血反吐を吐いていようが、私はどんな時でも最高だと自負している。
けれどこの美しさは私一人で成し得たものではない。
いつも追い掛け続けた星があったから得ることの出来た美学だ。
どんな瞬間も貴方を思えば私は私を貫ける。
君ありて幸福、とはまさにこのことだろう。
この食卓には今、ささやかで甘く柔らかな、美しき幸福があったのだった。