直哉と健気で可愛いパシリちゃん
「ねえ、知ってますか?」
熱い茶を淹れる、細い体躯をした少女の背を意味も無く眺めていれば、少女は唐突に語り掛けて来た。
「切り分けたオレンジ同士は、もう片方としかピッタリとくっつけないんですよ」
そう言って振り返った少女は、自分の名を呼んで、問う。
「直哉様は、誰と運命の果実を分け合いたいですか?」
私はきっと、母と分け合ったのでしょう。母の腹の中で。
だから私、母に呪われてるんです。
これは私の運命なんです。
だからあんまり、私の身体のことは気にしなくて良いですから。
子供が産めなくったって、貴方のために戦うくらいは出来るのです。
と、知ったような顔をして言う少女に、直哉は腕を伸ばして容赦のないデコピンをお見舞いしてやった。
運命など知ったことかと思ったし、話したことのない死人よりも自分を優先しろと腹が立った。
死んだ者は強い。
けれど、生きている者には様々な限りがある。だから死者よりも弱い。
この法則を、死した母へ傅き運命を託す少女は、理解していない。
自分に良いように構われ、本人は否定するだろうが、楽しそうに、嬉しそうに、満足そうにする少女に、小さく沸き立った怒りを胸の奥深くへと鎮める。
運命も責任も、男も喜びも知らない小さな少女にはあまりに不釣り合いだった。
それでも、彼女から戦いを取ったら何も無いことを、直哉は誰よりも知っていたから何も言わなかった。
何も言わず、ただ、愚かな女だと思うだけだった。
___
腐った菊の花の匂いが、鼻の奥を撫ぜるように刺激する。
まだ温かな血と臓物で濡れた地面を踏みしめながら、少女は怯えの一切を見せぬ冷徹な眼差しで呪いを見上げていた。
黒く、暗い、帳が頭上を覆い尽くし、完璧に外界とこちらを分け隔てた頃、少女は一人呪霊と対峙する。
呪霊の餌食となったらしい一般人の死体の一部や、保存食のように意識の無い状態で捨て置かれている人々をチラリと見てから、爪先をトントンッと鳴らして、準備運動をするように一度足首をグルリと捻った。
鈍く照り輝く、よく肥えた身体はたらふく血を吸ったヒルのようにブヨブヨとしており、異様に長い手が何かを掴んで口に運んでいた。
ボリボリと不快な音を立てながら貪られているのは、人ではない動物らしく、どうやらこの呪霊はひたすらに飢えを満たすための行動を繰り返しているらしいと推測出来る。
さらに、事前の情報によれば、瘟疫神(おんきしん)のように歯向かう者に呪いをもたらすらしい。
そのため、一般人が抵抗を見せた場合はたちまち病か何かのようなものに身を蝕まれると。
だが、その呪いは呪力があるものならば大抵は対応可能なようだ。
少女は情報を脳内で整理してから、偵察を止め、攻撃に移るための準備を始める。
やることはただ一つ、時間稼ぎ。
スゥッと浅く息を吸い、眼光を鷹のように鋭くさせた。
「始めようか、お母さん」
自分の心の奥に巣食う、呪いと成り果てた母に声を掛け、呪力を身体に回した。
そしてそのまま呪霊目掛けて風のように走り出す。
振り返った呪霊の視線の先には既に少女は居らず、首を別方向へと回そうとした瞬間、呪霊は後頭部に無数の槍が突き刺さる感覚を覚えた。
その槍は、さらに内部へと食い込んで行こうとしており、呪霊は甲高い雄叫びを上げながら後頭部についたそれらを無理矢理に振り払う。
振り払われたそれは、少女の式神の一軍。
魚のダツを思わせる尖った形状をしており、彼等はターゲットに向けてただひたすらにアクセルを踏み込んだかの如く猛スピードで突っ込んでいく、特攻軍団であった。
そのダツのような式神達が呪霊の周囲をズラリと囲いこみ、次々に凄まじいスピードで巨体目掛けて突進していく。
風を切り、肉を断ち、身を穿つ。
胸を、腹を、手足を、次々に鋭く尖った口先が刺し通す。
痛みと鬱陶しさに地が揺れる程暴れ狂う呪霊は、きりのないダツによる攻撃からターゲットを変更し、少女に向けてその長く重い腕を振り上げた。
ドシンッ!!
振り落とされた拳が地面に叩きつけられる。
砂埃と臓物が跳ね上がり、腐った血溜まりがドロリと重たく揺れた。
地にヒビが入る。
呪霊が叫ぶ。
その衝撃は、脳の中心まで揺れ動くほど。
呪霊はもう一度高く上げた拳を流星もかくやという勢いで一気に振り下ろし、そしてさらに横薙ぎに振り払う。
その重く無茶苦茶な一撃は、ダツの突進すら容易に振り払い、地を抉り砂埃を巻き上げた。
しかし、大岩のような一撃を避けきった少女は、タコのような式神に自身を天高く投げ飛ばさせ、呪霊の上空へと身を晒す。
太い首を傾け上を見上げた呪霊が、巨体に見合った口を、ヨダレを垂らしてガパリと開けた。
その開かれた口内へ目掛け、少女は呪力をこれでもかと纏った身体で鋭く、速く、絶対的な自信と共に星の礫の如く突っ込んで行く。
高揚した心が自然と表情に笑みを浮かばせる。
ギラギラと煮え滾るかのような瞳をかっぴらき、釣り上げた唇で熱い息を吐き出しながら、母たる呪いの目を覚ます言葉を紡ぐ。
「毎日が母の日、キィィイーックッッ!!!」
電雷を思わせるスピードで一直線。
巨体のド真ん中を引き裂くように一気に突っ込む。
口内、喉、腹ん中、そして尻へ迷い無く真っ直ぐ突貫し、そのまま呪霊の中から突き抜け、抉れた地に足裏を付いた。
そしてこれで最後だと、真っ二つに割かれた巨体の全てを覆い穿くために、ダツ軍団を攻め込ませたのだった。
しかして、刹那。
何かを察した少女が、腕を顔の前でクロスさせて防御態勢を取った…その時であった。
バキリッと、骨が砕ける音が自身の体内から聞こえてきた少女は、次の瞬間声も出ぬほどの激痛に襲われる。
そしてそのまま身を数メートル吹き飛ばし、血溜まりと臓物の上を滑りながら、地に頭や膝をぶつけ何度も転がった。
腐った死肉や獣の血に塗れながら、強く奥歯を噛みしめる。
砕かれたのは左肩であった。
その左肩を庇うようにしながら瞬時に身体を起き上がらせ、すぐさまバックステップを取る。
そして視線を前へとやれば、そこには先程穿った呪霊と同じ呪力をした、全く別の形の呪霊が存在した。
「………サプライズって、あんまり好きじゃないんだよなぁ」
明らかに格が違う。
先程までのは成長途中の個体であったのか。
一気に劣勢となった少女は、それでも瞳に興奮を滲ませ、無理矢理笑ってみせた。
自分の復讐の道具である娘を傷付けられた母親は、荒れ狂い、怒りに呑まれ、そして娘にありったけの呪力を回す。
体内から許容量を超えて溢れ出した呪力がバチバチと白光する稲妻のように宙を走り、少女の血を熱く赤く滾らせた。
命を投げ出すことを惜しむな。
自分が産まれて来た意味を思い出せ。
戦え、戦え、戦って死ね。
不惜身命。
臆病者になど、なっていいはずが無い!
臨界点を超えた集中力と、恐るべき桁外れの覚悟、そして重ね続けた才能と努力。
それら全てが合わさり、交わり、少女の"呪い"が途方も無い地点へと急加速していく。
荒ぶるは母の怒り、輝くは嘆きの稲妻。
一歩足りとも引かぬ足は、ただひたすらに前へ前へと覚悟を持って動いていく。
血潮が飛び、腹を貫かれ、痛みすら遠ざかり、自分がどんな状況かも分からなくなる。
母のための隷属人生。
その究極地点にて、少女は開花させた才能にて勝利を掴む。
だが、その勝利の瞬間、彼女の脳裏にあったのは母への思いでも、命を捨てる覚悟でも何でもなく、在りし日の主との会話であった。
『強なって、もっと俺の役に立て』
その言葉を思い出し、瀕死の状態でも帰らなければと意識を保った。
それは与えられることだけを良しとしてきた少女にとって、はじめて自らが願った思いであった。
熱い茶を淹れる、細い体躯をした少女の背を意味も無く眺めていれば、少女は唐突に語り掛けて来た。
「切り分けたオレンジ同士は、もう片方としかピッタリとくっつけないんですよ」
そう言って振り返った少女は、自分の名を呼んで、問う。
「直哉様は、誰と運命の果実を分け合いたいですか?」
私はきっと、母と分け合ったのでしょう。母の腹の中で。
だから私、母に呪われてるんです。
これは私の運命なんです。
だからあんまり、私の身体のことは気にしなくて良いですから。
子供が産めなくったって、貴方のために戦うくらいは出来るのです。
と、知ったような顔をして言う少女に、直哉は腕を伸ばして容赦のないデコピンをお見舞いしてやった。
運命など知ったことかと思ったし、話したことのない死人よりも自分を優先しろと腹が立った。
死んだ者は強い。
けれど、生きている者には様々な限りがある。だから死者よりも弱い。
この法則を、死した母へ傅き運命を託す少女は、理解していない。
自分に良いように構われ、本人は否定するだろうが、楽しそうに、嬉しそうに、満足そうにする少女に、小さく沸き立った怒りを胸の奥深くへと鎮める。
運命も責任も、男も喜びも知らない小さな少女にはあまりに不釣り合いだった。
それでも、彼女から戦いを取ったら何も無いことを、直哉は誰よりも知っていたから何も言わなかった。
何も言わず、ただ、愚かな女だと思うだけだった。
___
腐った菊の花の匂いが、鼻の奥を撫ぜるように刺激する。
まだ温かな血と臓物で濡れた地面を踏みしめながら、少女は怯えの一切を見せぬ冷徹な眼差しで呪いを見上げていた。
黒く、暗い、帳が頭上を覆い尽くし、完璧に外界とこちらを分け隔てた頃、少女は一人呪霊と対峙する。
呪霊の餌食となったらしい一般人の死体の一部や、保存食のように意識の無い状態で捨て置かれている人々をチラリと見てから、爪先をトントンッと鳴らして、準備運動をするように一度足首をグルリと捻った。
鈍く照り輝く、よく肥えた身体はたらふく血を吸ったヒルのようにブヨブヨとしており、異様に長い手が何かを掴んで口に運んでいた。
ボリボリと不快な音を立てながら貪られているのは、人ではない動物らしく、どうやらこの呪霊はひたすらに飢えを満たすための行動を繰り返しているらしいと推測出来る。
さらに、事前の情報によれば、瘟疫神(おんきしん)のように歯向かう者に呪いをもたらすらしい。
そのため、一般人が抵抗を見せた場合はたちまち病か何かのようなものに身を蝕まれると。
だが、その呪いは呪力があるものならば大抵は対応可能なようだ。
少女は情報を脳内で整理してから、偵察を止め、攻撃に移るための準備を始める。
やることはただ一つ、時間稼ぎ。
スゥッと浅く息を吸い、眼光を鷹のように鋭くさせた。
「始めようか、お母さん」
自分の心の奥に巣食う、呪いと成り果てた母に声を掛け、呪力を身体に回した。
そしてそのまま呪霊目掛けて風のように走り出す。
振り返った呪霊の視線の先には既に少女は居らず、首を別方向へと回そうとした瞬間、呪霊は後頭部に無数の槍が突き刺さる感覚を覚えた。
その槍は、さらに内部へと食い込んで行こうとしており、呪霊は甲高い雄叫びを上げながら後頭部についたそれらを無理矢理に振り払う。
振り払われたそれは、少女の式神の一軍。
魚のダツを思わせる尖った形状をしており、彼等はターゲットに向けてただひたすらにアクセルを踏み込んだかの如く猛スピードで突っ込んでいく、特攻軍団であった。
そのダツのような式神達が呪霊の周囲をズラリと囲いこみ、次々に凄まじいスピードで巨体目掛けて突進していく。
風を切り、肉を断ち、身を穿つ。
胸を、腹を、手足を、次々に鋭く尖った口先が刺し通す。
痛みと鬱陶しさに地が揺れる程暴れ狂う呪霊は、きりのないダツによる攻撃からターゲットを変更し、少女に向けてその長く重い腕を振り上げた。
ドシンッ!!
振り落とされた拳が地面に叩きつけられる。
砂埃と臓物が跳ね上がり、腐った血溜まりがドロリと重たく揺れた。
地にヒビが入る。
呪霊が叫ぶ。
その衝撃は、脳の中心まで揺れ動くほど。
呪霊はもう一度高く上げた拳を流星もかくやという勢いで一気に振り下ろし、そしてさらに横薙ぎに振り払う。
その重く無茶苦茶な一撃は、ダツの突進すら容易に振り払い、地を抉り砂埃を巻き上げた。
しかし、大岩のような一撃を避けきった少女は、タコのような式神に自身を天高く投げ飛ばさせ、呪霊の上空へと身を晒す。
太い首を傾け上を見上げた呪霊が、巨体に見合った口を、ヨダレを垂らしてガパリと開けた。
その開かれた口内へ目掛け、少女は呪力をこれでもかと纏った身体で鋭く、速く、絶対的な自信と共に星の礫の如く突っ込んで行く。
高揚した心が自然と表情に笑みを浮かばせる。
ギラギラと煮え滾るかのような瞳をかっぴらき、釣り上げた唇で熱い息を吐き出しながら、母たる呪いの目を覚ます言葉を紡ぐ。
「毎日が母の日、キィィイーックッッ!!!」
電雷を思わせるスピードで一直線。
巨体のド真ん中を引き裂くように一気に突っ込む。
口内、喉、腹ん中、そして尻へ迷い無く真っ直ぐ突貫し、そのまま呪霊の中から突き抜け、抉れた地に足裏を付いた。
そしてこれで最後だと、真っ二つに割かれた巨体の全てを覆い穿くために、ダツ軍団を攻め込ませたのだった。
しかして、刹那。
何かを察した少女が、腕を顔の前でクロスさせて防御態勢を取った…その時であった。
バキリッと、骨が砕ける音が自身の体内から聞こえてきた少女は、次の瞬間声も出ぬほどの激痛に襲われる。
そしてそのまま身を数メートル吹き飛ばし、血溜まりと臓物の上を滑りながら、地に頭や膝をぶつけ何度も転がった。
腐った死肉や獣の血に塗れながら、強く奥歯を噛みしめる。
砕かれたのは左肩であった。
その左肩を庇うようにしながら瞬時に身体を起き上がらせ、すぐさまバックステップを取る。
そして視線を前へとやれば、そこには先程穿った呪霊と同じ呪力をした、全く別の形の呪霊が存在した。
「………サプライズって、あんまり好きじゃないんだよなぁ」
明らかに格が違う。
先程までのは成長途中の個体であったのか。
一気に劣勢となった少女は、それでも瞳に興奮を滲ませ、無理矢理笑ってみせた。
自分の復讐の道具である娘を傷付けられた母親は、荒れ狂い、怒りに呑まれ、そして娘にありったけの呪力を回す。
体内から許容量を超えて溢れ出した呪力がバチバチと白光する稲妻のように宙を走り、少女の血を熱く赤く滾らせた。
命を投げ出すことを惜しむな。
自分が産まれて来た意味を思い出せ。
戦え、戦え、戦って死ね。
不惜身命。
臆病者になど、なっていいはずが無い!
臨界点を超えた集中力と、恐るべき桁外れの覚悟、そして重ね続けた才能と努力。
それら全てが合わさり、交わり、少女の"呪い"が途方も無い地点へと急加速していく。
荒ぶるは母の怒り、輝くは嘆きの稲妻。
一歩足りとも引かぬ足は、ただひたすらに前へ前へと覚悟を持って動いていく。
血潮が飛び、腹を貫かれ、痛みすら遠ざかり、自分がどんな状況かも分からなくなる。
母のための隷属人生。
その究極地点にて、少女は開花させた才能にて勝利を掴む。
だが、その勝利の瞬間、彼女の脳裏にあったのは母への思いでも、命を捨てる覚悟でも何でもなく、在りし日の主との会話であった。
『強なって、もっと俺の役に立て』
その言葉を思い出し、瀕死の状態でも帰らなければと意識を保った。
それは与えられることだけを良しとしてきた少女にとって、はじめて自らが願った思いであった。