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第三の生命体、菌類種の話

例えばの話だが、人間はどこまで身近な存在を、変えの効かない、唯一無二のものとするのだろうか。

親友は唯一無二だろう。
親兄弟、家族と呼ばれる間柄も。
共に育った犬や猫も、大切な命だ。

じゃあ、食われるために存在している家畜達は?
スーパーに並べられているアサリ、積み重ねられたキャベツ、カットされた状態で売られているパイナップル。
彼等もこの星の生命であるが、彼等はみな人類に消費されるためにある命だ。

個として認識などされていないだろう。
誰もが記憶に留めてなどいないだろう。

ならば、私はどうだろうか。

深海600mに住まう生命から採取された菌類。
君達とよく似た見た目をし、君達と同じように笑って、君達と同じように泣いて、君達と同じように眠る生命体。

私は、誰かにとって、掛け替えのない存在になれていただろうか。
それとも所詮は、実験の結果を見守るようなものだったのか。

拝啓、遠い未来の君達へ。
どうか私という個を認識していてくれ。




___




赤い鮮血が宙を舞う。

沖縄からの帰還後、高専にて我々を待ち受けていたのは襲撃者の存在であった。

黒い髪をした荒んだ目のその男は、鋭い刃物を容赦なく悟くんの腹に突き刺した。


それが始まりだった。


悟くんの指示により、我々は護衛対象を連れて目的地へと向かって走る。
後ろから聞こえてくる戦闘音に不安を掻き立てられながら、私はとにかく脚を目一杯動かした。

悟くんは強い、夏油先輩も強い。
けど、もしも、彼等よりもあの気配も無く現れた人が強かったらどうしたら良いのか。
一瞬の隙きで護衛対象がやられてしまったら、それは任務失敗を意味する。

天元様のと融合がどうして必要なのかも、何故彼女でなくてはならないのかも分からないが、少なくとも一つだけ言えることがあった。


彼女が死んだら、悟くんと夏油先輩が悲しむ。


ならば、危険地帯と化した高専から一旦離れる方が選択肢としてはベストなのではないのか。
確か話によれば、懸賞金は取り下げられたと聞く。
ならば、この戦場と化した高専に居ることこそが、命に関わる問題なのではないのだろうか。
私は走る彼等に、一時退避を提案した。
しかし、夏油先輩は言う。

「理子ちゃんが居なかったらすぐにバレるだろう、そうしたら何の意味もない」
「でも、あの人間はあまりにも危険です」
「囮でも居れば、その案も使えたんだけどね」

囮、つまりは身代わり。

夏油先輩の言葉にハッとして、私は最奥へと続く、暗く湿気った道の入り口で立ち止まった。

逸る鼓動と、上がる呼吸を落ち着かせ、目を閉じて一考してから口を開く。


「二人分くらいなら、私の身体を分裂させれば…囮に使えます」

言って、目を開く。


開いた先に見えた夏油さんの瞳は、大きく見開かれていた。

「ほら、私って千切っても再生しますし、遠隔操作も…離れ過ぎなければ、なんとか…」
「……確かに」
「あの人間が、追って来ないとも限らないから…」

嫌な想像などするものでも無いが、万が一悟くんがあの男を倒しきれなかったり…もしかしたら他に仲間が居たり…。
だから、策を講じられるのであれば講じ、不安要素は出来る限り取り除いておくべきだ。

理子ちゃんへと視線を向け、安心させるためにヘラリと力を抜いて笑って見せる。

「私の服を着てって下さい、髪を下ろせば案外バレないかも」

そう言って、私は着ていた制服を脱いで彼女に手渡した。

心配そうにしながら、しかし時間も無いため、碌な別れの挨拶をせずに夏油先輩の出した呪霊を護衛に二人は別経路の非常用脱出路へと脚を向けた。

それを見送りつつ、私は己の身体を分裂させる。

菌類とは、増殖する生命だ。
母細胞から娘細胞へ、増殖し分裂する。
所謂、細胞分裂。

己の身体を構成する"肉"に該当する成分と、核となる本体部分への繋がりを強く意識する。


求めるは人の形は、二人分。

タンパク合成、DNA複製確認。

硫黄酸化細菌、細胞分裂開始。



グチ、グチッ。

歪で不快な音を立てながら、私は私の形をどんどんと失っていく。
脳裏にイメージした三編みの少女を真似て身を歪ませる。そして同時にメイド姿の付き人を形作る。

あの海で彼女達を見てきたから出来る。
太陽の下で声を出して笑う君達を見てきたから分かる。

この先に待ち受ける痛みも嘆きも悲しみも、私が君とよく似た顔をして受け止める。
それはきっと、正しい行いだ。
地上を闊歩する未来を掴んだ君達に敗北した、搾取される側の生命として、正しい命の使い所だ。

だって私はスーパーに並ぶキノコと変わりない生き物だから。
数を数えられる。歌だって歌える、寂しいって気持ちも分かる。
オシャレだって知ってる、味と匂いは分からないけれど、色と音なら理解できる。
誰かを好きだと思う気持ちだって、分かってる。

けれど所詮は人間の真似事をした菌類。
正しい自分の姿すらない、見せ掛けの隣人。

大好きな人達が生きるために、幸福であるために、消費されるのを悪く思わないのは、私が敗者であり搾取されることを甘んじて受け入れた者の側だからだろうか。
はたまた、これが愛だとでも言うのか。
それはあまりにも烏滸がましく、馬鹿らしいかもしれない。


「できた」
「………じゃあ、行こうか」

遠隔操作用の付き人を通路に置いて、私は夏油さんの後を三編みを揺らしながら付いて行く。

生まれながらの弱者だからこそ分かる、強者には嗅ぎ分けられない死の気配を鈍いはずの鼻が感じ取り、膝を震わせた。

長い、長い、廊下をひたすらに進む。

見えてきた開けた場所の風景に、言い知れぬ不安感が今更ながらに心の中を満たしていった。

「ここが…最奥…」
「……決めた時間まで何も無ければ、すぐに移動しよう」

悟くんから連絡が来るか、悟くん本人がこの場に来たら我々の勝利。そうでなくとも、千切って持たせた触腕が彼女達が無事逃亡出来たことを確認出来れば、この場に用は無い。
そうでない場合、そのどちらでも無ければ……。

ゾワリ。
何も聞こえていないはずなのに、何ら違和感は無かったはずなのに、急に背筋を悪寒が一瞬駆け抜けた。
瞬間、私は腕を頭を守るように交差しながらバックステップを取る。

銃声一発。

即座に顔を上げ、状況確認をする。
出どころは…黒い髪の襲撃者。
彼が私に向かって銃口を構えているのを、確かに目撃した。

しかして、次の刹那。


「ぇ」


"そこ"に居たはずの男は居らず、私の身体は勝手に地面へ向かって斜めに倒れていく。

間を開けて襲ってきたのは生を実感させるための激痛か、はたまた死を予感させる寒気か。
風穴から流れ出る血液と、心臓部…即ち核に命中した身体はあらゆる行動を停止する。

視界が揺らぎ、黒く塗りつぶされていく。
乱れた呼吸は小さくなって消えていく。
最後に音が途切れ、身体からは完全に力が抜けた。

核の再起動まで残り数時間。

私は沈黙するしか脳のない、ただの肉塊となったのだった。
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