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夏油傑による姉神信仰について

そんな和やかな日々であったが、いきなり彼等に影が差す。

ある日傑の姉により告げられた一言によって、事態は急変した。


彼女は言う、「友達が出来た」と。


朝の教室内は水を打ったように静まり返る。
時が止まり、空気が凍り、音が消え去った。
ある者は絶望を、ある者は怒りを、ある者は心配をし、思い思いの反応をした。

弟である夏油傑は、突然姉から告げられた一言に目の前が真っ暗になった。もう何も見えない、明日も見えない、この世界からは希望と未来が失われた。
こんな世界、無くなった方が良い。
シスコンを拗らせに拗らせた末期患者は闇堕ち寸前だった。

兼ねてから彼女の友人になりたいと言っていた五条は、自分を差し置いて友人になった見ず知らずの相手に理不尽な怒りを募った。
俺が一番最初の友達になる予定だったのに、てか俺の中では友達だったのに、なに勝手に俺の許可無く友達作ってんだよ殺すぞソイツ。
ここにもまた一人、立派なモンペが誕生していた。

そして、家入に用事があってたまたま居合わせた、先輩である歌姫が口を開く。

「確か昨日まで泊まり掛けの任務だったわよね、その時に…?」
「うん」
「どんな人?変な奴じゃないでしょうね…」

人の域からはみ出した精神性を持っている後輩を、歌姫は心配していた。
まず社会に出たらやっていけない、呪術師でもなんとかギリギリ許容されているレベルだ、目を離せばすぐに消えているし、見えている景色が違い過ぎて時折会話も困難になる。
本人も、そういう人間であるという自負があるからか、弟である夏油傑以外とは主立った関わり合いを積極的に持とうとしない。
そんな閉鎖的な後輩に、友人はどんな奴かと歌姫は問い掛けたのだった。

歌姫の問い掛けに少し間を置いてから、傑の姉は喋り出す。

「馬が好きなんだって」
「馬?乗馬ってこと?」
「さあ……よくは知らないけど、金払うなら友達になってやるよって言われたから、お金、」
「待って待って待って待って」

淡々と紡がれる説明をぶった切り、歌姫は頭を抱える。

アウトだ、完璧アウト。
それ友達じゃなくて金蔓って言うのよ、アンタ財布にされてるのよ……なんて言えない、言えるわけが無い。
この他人のことなど考えない後輩がわざわざ私達に「友達が出来ました」と報告をしに来たのだ、それは即ち浮かれているのだろう、彼女なりに。
だがしかし、これは駄目だ、良く無い、なんとしても正してやらねば。でもどうやって?

歌姫はウンウンと唸りながら頭を抱える。

だがしかし、彼女が何かを言う前に動き出した者が居た。

光の一切を無くした瞳をゆっくりと瞬かせ、表情の失われた顔で姉を見やりながら、ゆらりと椅子から立ち上がり歩き出した夏油の背はドス黒い闇を背負っていた。

近付いてくる弟を見上げる姉の肩を掴むかと思った手は、肩をゆるりと撫でながら上に登り、両の手が細い首に掛かる。
硬い親指に力が込められる。

「ねえさん」

落ちた声は暗く冷たく、悲壮に満ちていた。

「一緒に死のう」
「グェッ」

突如自分の姉の首を絞め出した夏油は、瞳から一筋の涙を流しながら「私もすぐに後を追うから、心配しないでくれ」とトチ狂った事を言い始めたので、その場に居た面々はドン引き、思考を停止してしまった。

夏油は姉の首を絞めながら続ける「ソイツもちゃんと殺すから、大丈夫だから」「死んでもずっと一緒だ」と、苦しさに呻く姉に優しく言い聞かせるように喋る。

そんな中で一番最初に我に返ったのは五条だった、彼は椅子を倒す勢いで立ち上がると、そのまま親友に向かって拳を振りかぶった。

「正気に戻れ最強パーンチ!!!」
「グァッ!!」
「姉ちゃん大丈夫!?」
「私以外が姉さんを心配するな!!姉さん大丈夫かい!?」
「いやお前のせいだろ、何言ってんだしっかりしろ!」

完全に正気を失った夏油は、自分が殴られた衝撃により一緒になって吹っ飛んだ姉を助け起こした。
口の端から涎を垂らし、グッタリとしながら小さく咳き込む姉を見て、彼の身体は途端にカッと熱くなる。

有り体に言えば、起つものが起った。
彼は一時的に脳がバグっているので、脳の支配下にある肉体もバグっていたのだった。

喉を鳴らして唾を飲み、腕の中で力無く呼吸をする姉を見下ろしながら囁くように尋ねる。

「姉さん…私の部屋で、休む?」
「五条!いけ!!やれー!!!」
「任せろ!!」

歌姫の指示により五条は床を蹴る。
そのまま夏油に飛び掛かり、力任せに姉から身を引っ剥がすと、寝技で攻めた。
腕を背中側へと回し、関節をギチギチと固める。
だがしかし、夏油も負けてはいない。伊達に趣味特技を格闘とするわけでは無い、彼は即座に反撃に出た。
固めては返し、固めては返し…投げやチョップ、ラリアットによる攻防戦。
プロレスをやり始めた二人を放置し、その間に姉の方は歌姫と家入によって救出された。

「大丈夫?」
「水飲みます?」
「ヒィ……酷い目にあった…」

酷い目どころの話では無いだろ、と思ったが誰もつっこまなかった。
そうこうしているうちに、着席を促すチャイムが鳴り響くと、同じタイミングでガラリと教室の扉が開き、夜蛾が入室して来る。

倒れた机と椅子、グッタリとした生徒一名、取っ組み合いの喧嘩をする男子生徒二人。荒れた教室内を目にし、彼の額には血管が浮かぶ。

「庵、保健室に連れて行ってやれ」
「はい。立てる?行きましょう」
「だ、ダイジョブ…」
「残りの奴はここに正座だ…おい、聞いているのか!」

歌姫はヨタヨタと立ち上がる後輩に手を貸し、教室を後にした。
扉一枚向こうからは、未だドタバタギャアギャァと騒ぐ音が聞こえ、思わず顔を顰めてしまう。

「嫌ね、まったく…」
「元気があるのは、良いことだよ…」
「そういう問題じゃないでしょう、もー…」

歌姫の咎めるような声に、ハハッと珍しく愉しげな笑い声を落とした少女は、己の首を右手で撫でた。
まるで、先程の感覚を探るように指先に少しだけ力を込め、程無くして手を離す。

そして、もう一度小さく笑い声を落とし、嘲笑うような声でか細く呟いてみせた。

「死んでも一緒だなんてごめんだね、私はさっさとこんな星とはおさらばしたいのに」
「え?それ、どういう…」
「でもそう簡単に帰れそうには無いなぁ」

肩を回し、先程のヨタヨタとした危なっかしい様子など掻き消して、少女は重力など知らないかのように軽やかに歩き出す。
適当な窓を開け、「よいしょ」とわざとらしい掛け声を出しながら窓枠に足を掛けると、歌姫の「ちょっと!」という静止の声を無視して窓から外にヒラリと出て行ってしまった。

慌てて窓に近寄るも、既に離れた位置まで駆けて行ってしまった相手は、一度も振り返ることなく何処かへと消えてしまった。

「…何なのよ、もー………」

堪えられなかった溜息が沈むように落ちる。

結局、この後夏油傑の姉は一回も授業に出席せず、夕方になって何故か嗅ぎ慣れない香りをさせながら弟の元へと戻って来たのであった。
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