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夏油傑による姉神信仰について

「………傑くん、」

雨の中、下駄箱の並ぶ玄関口にて姉を待っていれば、待望の声がしてすぐさま振り返った。

だが、振り返った先に居たのは、姉と呼ぶにはあまりにも異質な存在であった。

白すぎる肌は淡く発光し、髪は重力を無視して毛先がフワフワと宙を彷徨うように浮いている。
足先は地に着いておらず、同じ色をしていたはずの瞳は今や面影が無い。まるで月のような色をしていた。
美しくも禍々しい、見ているだけで思考があやふやになり、跪きたくなる、危険な神々しさ。
それを隠すようにズタボロの衣服を身に纏い、濡れた身体で私を見つめていた視線はややあった後に下へ向く。

「……………姉、さん?」
「………わからない、私は何なんだろうね」

諦めたように、もしくは何かを手放すようにそう言って己のつま先を見下ろす異形の姿をした姉からは何処か寂しそうな雰囲気が伝わって来た。

「この身体じゃ月にも帰れないし、君の姉とも…言えないかも」

姿形は人間とは程遠いのに、この時初めて、私は姉の人間みを感じ取った。
己を哀れむように鼻で笑い、曇った表情を携えるその人は、確かに人間では無いのだろう。
人間では無いが、だから何だと言うのか。


「人間のフリはもう疲れた、神様にでもなった方がまだ楽だった」
「………………」


そう言いながらも、姉の身体は力尽きるように次第に普段の身体へと戻っていく。膝から崩れ落ち、倒れていく身体へ手を伸ばして受け止めれば、濡れたせいか酷く冷たく、痛々しい跡があちこちにあった。
自分の上着を脱いでその身に被せ、人の居ない薄暗い教室へと運び込む。
グッタリと力の抜けた身体からは、微かに血の臭いがした。

…本当に、この人は人間として生きるのが下手くそなのだと思った。

こうなっている原因は察せているのに、最早怒りも湧いて来ず、それどころか荒々しい感情の一切は何処にも感じ取れない。
ただ、あの日、幼い夜に姉さんが私を理解してくれたように、姉さんを理解出来る者は私しか居ないのだという事実に打ち震えていた。

痛々しい身体で、力無く私を見つめる孤独を極めた姉さんを見て、この時間が永遠になってしまえば良いと思う。

今の姉さんには、私しか居ないじゃないか。
その事実の、何と喜ばしいことか。

口の端から溢れた濁った笑い声を不思議そうに聞く姉は、限り無く純真であった。
何も知らないし、何一つ間違っていない、軽くて透明で美しい、月からやって来た私の運命。
誰が何と言おうと、月が返せと叫ぼうが、本人が泣いて嫌がろうが、私は誰にもこの命を渡さない。

私の物だ、私の命だ、私を照らす私だけの光だ。
初めから、"これ"は、天から私に与えられた、私のための物だったのだ。

その結論に至った私は、姉の手を取り頬を擦り寄せる。
肺から競り上がる甘ったるい吐息を逃がすように吐き出し、瞳を熱く溶かして黒く疲れの色を見せる瞳を見つめて言った。


「神だろうが何だろうが、好きにすればいいさ、どんなに姿が変わろうと姉さんは私の姉さんだよ」


私の言葉こそが真実であり、唯一だ。


これは縛りである、姉さんを月に返さないための呪いなのだ。
私の姉さんだ、誰にもやらない、今更やれる訳がない。
神様になりたいなら成らせてあげよう、私が信じて祈り続ける、私だけが。
恋人になりたくなったらしてあげよう、誰よりも甘く囁やき、身体の隅々まで愛し尽くそう。
姉で居たいのならば弟で居よう、その変わり、姉さんは私以外の姉には、死のうが何だろうが二度と成れないけれど。

私がこの行く宛の無い、可哀想な者の全てになってあげよう。
月になんて行かせるものか、これは私の物だ。
私の物なんだ。

「姉さん大丈夫だよ、私だけは姉さんを見捨てないから」
「…うん」
「寝てもいいよ、おやすみ、姉さん」

髪を撫で、耳元へ唇を寄せて囁くように眠りに誘えば、私の服の裾をキュッと掴んで返答とした姉は意識を失うように静かに眠りへ落ちて行った。

眠った身体を抱き寄せ、息を吐き出す。
こちらを見下すように窓から見える月に向かって、恨みと感謝を込めた視線を送った。


こうして、私の姉は私の物となり、私は姉を神と崇め始めた。


後日、姉のイジメはパタリと止む。
私は別に何もしていない、私はただ、この世界には「天罰」と呼ばれるルールがあるということを、私の神に教えただけだ。
それだけだ、それ以外は何もしていない。

神に誓って。
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