夏油傑による姉神信仰について
地球の近くにはおよそ2万7000個以上の小惑星が発見されている。
その中の一つ、月よりも遠い地球の重力圏外にあり、地球とほぼ同じ一年周期で太陽の周りをまわり、公転している天体があった。
その名を、「準惑星 2016 HO3」という。
準惑星 2016 HO3と呼ばれる小惑星は、小さくて暗いため、観測することが非常に困難であった。
かの星について、人類が知ることは少ない。
そもそも、人類がかの星を見つけられるのは2016年の話、まだ先のことだ。
では何故未来の星のことを知っているかと言えば、理由は単純明快。
私こそが、他でもないその準惑星だからだ。
私にはその自覚があり、記憶がある。
最も古い記憶には、自分が月の一部であった事実が記録されている。
私は月の一部だった、数億年以上前の話だ、月がまだ風化していない頃の事だった。
月から離れた私は太陽の周りを彷徨ううちに、自我を持った。
直径50m前後の月の欠片である準惑星の内部にて、私は目を覚ます。
私の正体は月の内部にて発生した微小の生命体であり、月は私を小惑星に内包して分離した。
月にとって、余分な存在だったから。
かくして、長い年月を掛けて小惑星の欠片となり地球に飛来した私は、さらに長い年月を掛けて地球の生き物の内部で休眠し続けた後に、食物サイクルによって人間の体内へと取り込まれ、遺伝子と結びついて人として産まれ出ることとなった。
だから、私にとって真の母は月であり、兄弟は未だ宇宙を漂う小惑星なのだ。
月を思うのは、当たり前のこと。
だって、あれは家族であり実家なのだから。
だが、ならば、私は月に見捨てられた、というのが正しいのだろうか。
この「帰りたい」という思いは未練なのだろうか。
月が家族なら、小惑星が兄弟なら、傑くんは何なのだろう。
私にとって、あの子は何なのだろう。
なんと、思えばいいのだろうか。
…
流れる血は黒く、赤く、尖った鉄の香りがした。
呻き声と、痛みに喘ぐ声、それから泣き声が混じり合い、地獄の合唱と化す。
ズタズタに裂けたボールの残骸、ヒビ割れた地面、倒れ伏す人々。
その中心で、私は下着姿でボンヤリと月を見上げ続けていた。
降り出した雨に打たれながら、ただ思う。
人を傷付けることには何も感じなかった。
抵抗心なんてものも無かった、あるのはただひたすらに不快感だけだった。
でも、傷付け終えればそこにあるのは気怠さだけだった。
家に帰る気なんておきるはずも無く、日の落ちた空を眺め、途方に暮れる。
人の身で行くには、月は些か遠すぎる、この身体じゃ帰っても生ていくことは出来ない。
何処にも帰れない、何て業だ、私だって生まれたくて生まれたんじゃ無いのに。
私はただ、家に帰りたいだけだったのに。
見捨てられ、帰りたい場所は遥か遠く、その事実に頭を悩ませながら、人になってしまった私は寒さと空腹に項垂れた。
全く人らしい悩みだ、こんなことで悩みたくなんて無かった、こんな人間みたいな感情知りたくなかった。
私は月の一部なのに、いつの間にか手足を得てしまった。
呪いで姿を変えられる童話と同じ悲劇、でも王子様のキスじゃ元には戻れない。
こんなの、呪い以外の何だと言うのか。
蒼白く発光する指先を握り締めて、現実に深く絶望する。
だが、項垂れながらも思い出す。
………そうだ、傑くんを待たせているんだった。
彼は、彼だけは、まだ私を必要としてくれている。
行かなければ、見捨てる側になることだけはしたくない。
姉であることすら失ったら、今度こそ私には何の価値も残っていない。
月にも帰れない、人間として生きるには下手過ぎる、それでも彼の姉である時だけは、確かに幸福だと思えていたんだ。
その中の一つ、月よりも遠い地球の重力圏外にあり、地球とほぼ同じ一年周期で太陽の周りをまわり、公転している天体があった。
その名を、「準惑星 2016 HO3」という。
準惑星 2016 HO3と呼ばれる小惑星は、小さくて暗いため、観測することが非常に困難であった。
かの星について、人類が知ることは少ない。
そもそも、人類がかの星を見つけられるのは2016年の話、まだ先のことだ。
では何故未来の星のことを知っているかと言えば、理由は単純明快。
私こそが、他でもないその準惑星だからだ。
私にはその自覚があり、記憶がある。
最も古い記憶には、自分が月の一部であった事実が記録されている。
私は月の一部だった、数億年以上前の話だ、月がまだ風化していない頃の事だった。
月から離れた私は太陽の周りを彷徨ううちに、自我を持った。
直径50m前後の月の欠片である準惑星の内部にて、私は目を覚ます。
私の正体は月の内部にて発生した微小の生命体であり、月は私を小惑星に内包して分離した。
月にとって、余分な存在だったから。
かくして、長い年月を掛けて小惑星の欠片となり地球に飛来した私は、さらに長い年月を掛けて地球の生き物の内部で休眠し続けた後に、食物サイクルによって人間の体内へと取り込まれ、遺伝子と結びついて人として産まれ出ることとなった。
だから、私にとって真の母は月であり、兄弟は未だ宇宙を漂う小惑星なのだ。
月を思うのは、当たり前のこと。
だって、あれは家族であり実家なのだから。
だが、ならば、私は月に見捨てられた、というのが正しいのだろうか。
この「帰りたい」という思いは未練なのだろうか。
月が家族なら、小惑星が兄弟なら、傑くんは何なのだろう。
私にとって、あの子は何なのだろう。
なんと、思えばいいのだろうか。
…
流れる血は黒く、赤く、尖った鉄の香りがした。
呻き声と、痛みに喘ぐ声、それから泣き声が混じり合い、地獄の合唱と化す。
ズタズタに裂けたボールの残骸、ヒビ割れた地面、倒れ伏す人々。
その中心で、私は下着姿でボンヤリと月を見上げ続けていた。
降り出した雨に打たれながら、ただ思う。
人を傷付けることには何も感じなかった。
抵抗心なんてものも無かった、あるのはただひたすらに不快感だけだった。
でも、傷付け終えればそこにあるのは気怠さだけだった。
家に帰る気なんておきるはずも無く、日の落ちた空を眺め、途方に暮れる。
人の身で行くには、月は些か遠すぎる、この身体じゃ帰っても生ていくことは出来ない。
何処にも帰れない、何て業だ、私だって生まれたくて生まれたんじゃ無いのに。
私はただ、家に帰りたいだけだったのに。
見捨てられ、帰りたい場所は遥か遠く、その事実に頭を悩ませながら、人になってしまった私は寒さと空腹に項垂れた。
全く人らしい悩みだ、こんなことで悩みたくなんて無かった、こんな人間みたいな感情知りたくなかった。
私は月の一部なのに、いつの間にか手足を得てしまった。
呪いで姿を変えられる童話と同じ悲劇、でも王子様のキスじゃ元には戻れない。
こんなの、呪い以外の何だと言うのか。
蒼白く発光する指先を握り締めて、現実に深く絶望する。
だが、項垂れながらも思い出す。
………そうだ、傑くんを待たせているんだった。
彼は、彼だけは、まだ私を必要としてくれている。
行かなければ、見捨てる側になることだけはしたくない。
姉であることすら失ったら、今度こそ私には何の価値も残っていない。
月にも帰れない、人間として生きるには下手過ぎる、それでも彼の姉である時だけは、確かに幸福だと思えていたんだ。