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姉と私の信仰恋慕

話は戻り、高専にて深刻な姉不足に陥ってしまった夏油は日に日に衰弱していたのであった。

それはもう見るからに弱っていた。
何となくだが、普段はピョロピョロとしている拘りの前髪も、心做しかシナシナとしていた。まるで時間の経ったマックポテトのように。
そして、口を開けば「はぁ……姉さん…」、口を閉じても「(はぁ……姉さん…)」。脳内外問わず直接訴える姉を求める声が高専のそこかしこに響き渡る毎日。
部屋の至るところに姉の写真を貼って飢えを凌ぎ、姉が着ていた服を抱き締めて眠る日々。
姉を吸っていないから肌艶も悪くなり、頭も上手く働かない。イチ+イチ=みそスープ。こりゃ駄目だ。

ちなみに、毎日朝晩電話はしているし、メールのやり取りもしている。
今日の朝も…

『傑くんおはよう、良い天気だね』
「おはよう姉さん、本当に良い天気だ。こんな日は姉さんと出掛けたいんだけど、勿論姉さんも同じ気持ちだよね?」
『私はねぇ……』
「同じ気持ちなんだね、良かった。愛してるよ、今日も昨日と変わらず。勿論明日も、明後日もその先もずっと…私の愛は永遠に姉さんの物だから」

と、甘ったるいトークを交わしたばかりだ。

それでも足りない。全然足りない。
我儘で貪欲で、独占欲と支配欲の強い弟の腹は電話一つじゃ満たされない。

最初の一週間は良かったのだ、「遠距離恋愛みたいだ」だなんて楽しむ余裕があった。
しかし、二週間経った頃には早々に限界が来ていた。
三週間目に突入してからは食事も喉を通らなくなった。嘘、普通にクソデカお茶碗一杯は食べていた。けれどおかわりする余裕は無かった。

「姉さん、きっと今頃…私が居なくて寂しくて泣いているに違い無い」

窓際で頬杖を付き、乙女のような溜め息を吐き出す。
身長180cmオーバーの筋骨隆々な男の恋する溜め息を見た者が居なかったことは、不幸中の幸いだったと言えよう。

夏油は雨のせいで曇った窓ガラスに指先を這わせ、傘のマークを描く。
傘の先端にハート(凄く大きな)を描き、傘の棒部分で別けられた右と左に自分と姉の名を綴った。
相合傘(近親相姦テイスト)の完成である。
何やってんだこの特級…とツッコむ者は誰一人も居なかった。何せ今年は皆忙しいので。誰も姉に恋する弟のことなど気にしていなかった、むしろ「いつものだな」「いつも通りですね」「よし、夏油さんは通常運転だ!」「傑が変わらなくて安心する」といった風に皆を安心させていた。

唯一驚いてくれたのは、最近やって来た特級呪術師の女性だった。
彼女は弱りきった夏油と「人間と呪霊」についての話し合いをしたのだが、結果として夏油は

「でも私のことを救ってくれる神はもう居る」

と、絶対なる信仰を掲げてみせた。

愛は勝つし信仰は裏切らない。
姉さんは私のことが大好きだし、姉さんの居る世界が間違っているわけがない。
人間が呪霊を生み出す問題よりも、今は姉さんを高専に戻す問題の方を優先しなければならない。私は忙しいんだ、何せ今この瞬間も姉さんが私を思って泣いているかもしれないのだから…。

姉ラブパワーフルマックス。
遠距離恋愛効果が彼の愛をより高みへと引き上げた。

恋する乙女は強いって古事記にも載ってるし、北欧神話だって強い恋する乙女が活躍している。
恋する乙女ならぬ、恋する弟が弱いはずが無い。
絶対にして唯一の神が健気に自分を思いながら頑張っているのだ、へこたれているわけにはいかない。

そんなこんなで、見事愛の力で夏の日差しにも負けずに頑張っている夏油は、今日も今日とてキツい任務に行ったり何だりしていたのであった。

目指すは高専敷地内に一軒家を建てること。
稼いで稼いで稼ぎまくって、誰にもNOと言えないくらい手回しをして、そうして姉と同じ屋根の下で暮らす。
そのために今日も彼は頑張っている。

負けるな夏油、頑張れ夏油。
友達を免罪符にやたら近い距離に居座るヒモ男になんて負けるな。

なんたって、この物語はきみの愛が主役なのだから。



___




「ブェックションッ」
「豪快な…」

何処かで自分の噂をされたような気持ちになり、思わずクシャミをしてしまった。
そんな俺を横目で見ながら、興味無さそうにする少女(のような見た目をした人外)の手にはコンパスが握られていた。

少女の周囲に散乱する、ロープ、十徳ナイフ、折り畳みスコップ、双眼鏡、エトセトラエトセトラ…。
少女はそれら一つ一つをくまなくチェックし、可愛げの欠片も無いリュックサックに詰め込んでいく。

明日は仕事があるとか…前に言っていた気がする、恐らくはそれの準備なんだろう。
入念な準備をしているが、どうせ仕事じゃ使わないに決まっている。山に行くとか言っていたから、仕事終わりに山で遊んでくるためのものだろう。

「泥塗れで帰って来んのはやめろよ」
「……着替えも持っていくか…」
「泥塗れになる予定あんのかよ」

お前いったい自分が幾つだと思ってんだ、一応成人したかしてないかくらいの歳だろ、少しは落ち着け。
と、言いたいところだが、何せコイツは月からやって来た人外だ。今はこうして会話も通じているが、いつ手のひらを返してくるか分かったもんじゃない。

まあ、そんな月の使者に誑かされて、共に月を目指してる俺も俺だが。


誑かされたついでに、俺は今コイツを居候させている。
春に就職したものの、二週間足らずで仕事を辞めたコイツは、3日間程俺の家に寝泊まりしながら遊んで暮らしていた。
そして、一時期は高専に戻り術師として復帰したらしいが、それも長くは続かなかった。
見事社会不適合者の烙印を背負って戻ってきたコイツは、コイツのプロデュースを買って出た仲介屋に仕事を回して貰いながら、行く宛が無いため俺と俺の息子と暮らしている。

とはいえ、仕事があっても無くても大体家には居らず、日がな一日外を好き勝手ほっつき歩いているらしいので、共に過ごす時間は然程多くは無い。
何なら丸3日くらい音沙汰が無い時もある。まるで、自由気ままな猫のような生き物だ。

かくいう俺も褒められた生活をしているわけじゃないが、ここ最近…コイツに出会ってからは大人しく暮らしていると自負している。
つまり、コイツの方がよっぽど問題児となってしまったのだ。
きっと、あのシスコンを拗らせた弟が見たら泣くことだろう。お前の姉ちゃん、着々と野生に帰ってるぞ。早く何とかしろ。

「荷物の準備できた」

まとめ終わったらしい荷物の入ったリュックサックを部屋の隅に置いた少女は、そのまま上着を羽織って出掛ける準備を始めた。

「またどっか行くのか、忙しい奴だな」
「恵くん迎えに行くついでに、食料調達してくるだけだよ」
「買い物って言え」

お前が言うとただ事じゃないように聞こえんだよ。

「暇なら君も来る?荷物持ってよ」
「タダ働きは御免だ」
「じゃあ好きなお菓子一個買っていいよ」
「お前な……」

人のこと何だと思ってんだ。
お前より年上の男……いや、そういえば人間の体では19だか20だったが、その前から別の形で生きていたんだったか。
だったら俺より年上ってことになんのか。何か腹立つな、こんなのが俺より生命として経験があるって。

「ほら、行こうよ。立って立って」
「引っ張んな」

鬱陶しく引っ張り続けられ、仕方無く立ち上がる。
俺が立ち上がれば満足したのか、少女は勝手知ったる様子で買い物バッグを持って玄関に向かって行った。
まだ行くなんて一言も言ってねえのに、自由にも程があるだろ。
誰だよコイツをこんな風に育てたのは。弟か?弟のせいでコイツはこんな頭フニャフニャの社会不適合者なのか?
本当、碌でもない姉弟だな。

「準備出来た?」
「…なあ」
「……なに?」

ふと、魔が差す。

靴を履き、つま先で玄関の床をトントンッと叩く後ろ姿を見下ろしながら尋ねた。

「弟のとこ、帰りたいか?」
「…………」
「このままここで適当に暮らしてる方が、お前は楽なんじゃねぇのか」
「………………」

前々から思っていた疑問。
少し前から考えていた未来。

どうせ暫くは月に行く手段なんて手に入らないだろう。
それなら、このままここで、好きな時にこの家に帰ってきて、たまに一緒に飯を食って、時々戯れ合う生活をしていればいいんじゃないかと。
俺なりにこの、生き辛さを抱えて必死に足掻いている友人…もとい、金蔓を思って色々と考えていた。

もう少し大きい部屋を借りるかとか、柄にも無く考えて、その度に馬鹿馬鹿しいと自笑する。

それでも、この友人がここを選ぶと言うならば、もう少しちゃんと考えてやってもいいと思った。

けれど


「別に生きるのは何処だっていいんだよ、傑くんが居ても居なくても、君が居ようと居まいと、私は月を目指すだけだ」


月の欠片はやはり、俺達の気持ちなど汲み取らない。

知っていた。
コイツがここに留まるのは、ただ都合が良いだけだからだ。
根本的に分かり合うことは無い、友人とは名ばかりの歪な共存関係。
コイツにとって、俺はお気に入りの物の一つで、弟は唯一捨てられない物。
確かに俺達は重しになり得るだろう。
けれど、それがあろうが無かろうが、最終目標地点が揺らぐことは有り得ない。

それこそ、死にもしない限り。

「まあ、ここは狭いからね…引っ越すのはアリだと思うよ」
「何処でも良いっつったばっかだろ」
「もしかして、拗ねてる?」
「そろそろ殴るぞ」

えーんっ。

最近覚え、お気に入りらしい泣き真似をし出したソイツを置いて、俺は先に玄関を出た。
置いて行かれると思ったのか、慌てて出てきて鍵を締めるソイツは言う。

「大丈夫、甚爾さんはもう私の特別だよ」
「は?」
「君の神様にはなってあげられないけど、友達として願いの一つや二つは叶えてあげる」

そう言って歩き出した背は、出会った頃とほぼ変わらずに黒い髪を揺らしていた。

コイツ、本当無自覚に上から目線なの何とかなんねぇのか。
自分の方が優位にあると信じて疑わない姿勢なんとかしろ、腹立つから。

ご機嫌にカバンを揺らし、軽やかな足取りで歩く後ろ姿を眺めながら、どうにもなりそうにない現状を鼻で笑った。

「じゃあ金貸してくれ、あと夕飯は肉がいい」
「野菜もちゃんと食べましょうね」
「だから人のこと何歳だと思ってんだ」

戯れ合いにも満たない会話を交わしながら、夕焼けの迫る小道を行く。
ここにガキが混ざればさらに面倒臭くなる。
それが分かっているのに毎回着いて来てしまうのは、俺も少し月に充てられたのかも…しれない。
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