夏油傑による姉神信仰について
傑くんは私のことを、なんにも感じ取れないボヤけた人間だとでも思っているんだろうが、こう見えて私は色々見てるし感じているんだ。
だから、君の激情が詰め込まれた眼差しを見て、大変な奴だなあって思った。でも、敢えてスルーしてあげた。
年頃、という奴なのだろうな。
一番近くに居て、たまたま理解してあげてしまったから、私しか居ないと勘違いしているのだ。視野が狭い、良くない傾向…と、本には書いてあるからきっとそうなのだろう。
世界は広くて、私よりも素敵な存在は沢山居るのに、何故私なのか。
でも言っても直らない…いや、言えば言ったで激昂するだろう。何せ一番多感な時期だ、下手に突付けばもしかしたら襲われてしまうかもしれない。
それは良く無い、良く無い理由は単純だ、法律に書いてあるから。
法に背くことはいけない事らしいので、させてはならない。
自分の意思で犯罪者になるのと、私のせいでなるのじゃ訳が違う。
それに、多分逸時の感情というやつだ、傑くんはそのうち、私に抱く感情が恋では無いと自ずと理解するだろう。
だから、その日が早く来るために私から行動をすることにしたのだ。
登校時に机の引き出しに入っていた手紙は、所謂ラブレターというやつだった。
長ったらしい愛について書かれた紙切れには、放課後に告白したいから体育館裏まで来てくれとのこと、私はこれを利用することにした。
私が言ってもどうにもなんなくても、実際彼氏の一人や二人出来てしまえば、何かの切っ掛けになるかもしれないと踏んだ。
まあ、あれだ。諦めには至れなくとも、この姉だって恋人くらい作るのだと、傑くんのことは弟以外の目で見るつもりは無いと、そんなことがちょびっとだけでも伝わりゃいいのだ。
そういう思いだった。
私は私なりに、弟の成長を考えていたのだ。
考え過ぎていて、忘れていた。
自分がいじめられっ子だってことを。
___
前髪の先からポタポタと雫が落ちるのを、意味も無く見つめる。
グッショリと濡れて重たくなった制服が肌に貼り付いて不快感を覚える。
雨が降るよりも先に濡れてしまった、水を掛けられたせいで。
わざとらしく地面に尻餅を付けば、女の甲高い笑い声に混じってニヤニヤとした気色の悪い視線を複数感じ取り、こりゃ疲れるぞと気落ちしそうになった。
全く、弱いフリも大変だ。
お前達なんぞ、ノーモーションでクシャクシャに出来るというのに、それを知らずに顔を殴ってくる女に手を出さないよう我慢する配慮は凄く、とても、面倒臭かった。
バスケットボールを頭にぶつけられ、首が揺れる。
体育館裏で開催された的あてゲームの的になった私は、相手の気が済むまで耐えようとひたすらにボールをぶつけられていた。
たまに逃げて、たまにコケて、私って結構演技派かも。なんて、四つん這いで逃げ惑うフリして思う。
一般人の投げるボールなんて痛くも痒くも無い、何ならもうすぐ夜が近い。夜が近付けば近付く程に私は強くなるから、ボールが当たる程度じゃむず痒いぐらいのものだ。
満足するまで好きにさせておくか、と普段と同じように余裕をかます。
しかし、事態は急変する。
「で、そろそろ犯して良い感じ?」
髪の先を指で弄りながら、一人の男子生徒が口にしたのを皮切りに、空気が一変したのを感じ取る。
舐めるような視線が全身に行き渡り、珍しく鳥肌なんてものが立った。
向けられる視線には嫌な熱が籠もっており、喉を鳴らす音が聞こたような気さえした。
ああ、つまりは、先程から感じていた気色の悪さはこういうことだったのか。
グイッと掴まれた腕に這う指先が、嫌らしく蠢く。
突然の展開に、腕を振る事もせずに、黙ったまま座り込んでいれば、一人、また一人と欲を持て余した男共が距離を詰めて来る。
何処からか軽薄なシャッター音らしき物が鳴った。
次の瞬間、私の身体に伸びて来た腕は、服の裾を遠慮無く捲りあげた。
鳥肌が酷くなる。
頭がよく回らない。
痛みを伴うイジメには慣れていたが、こういう仕打ちは如何せん初めてで、何をどう反応したら良いのか迷っているうちに、身体に這う手が増えていく。
多分、こういうのを気色が悪いと言うのだろう。
初めての感覚だった。
どうしたら良いか分からなかった。
分からなかったが、一つだけ理解出来た。
こんなことされるくらいなら、傑くんの物になっちゃった方がマシだったと。
その時になって、初めて理解する。
彼がどれだけ耐えてくれていたのかを。
こんな未熟でろくに感情も理解していたない姉を、あの子は本当に本当に、健気に大切にしていてくれたのだ。
それなのに、それなのに私は、なんて情け無い。
あの子を理解した気になっていた。
恋など欠片も知りもしない人間の失敗作の分際で、知った気になって。
ごめん、ごめんね傑くん。
お姉ちゃんはね、人間のことがよくわらないんだ。
人間に産まれたのに、分からない、愛とか恋とか執着とか。
だって私、本当は人間じゃないのだから。
「お、白…って、スポブラ?」
「うっわ萎える」
「とりま写メっとくか?」
頭上で行われる会話なんてもう聞いていなかった。
月を見上げ、思い出す。
私はその昔、月の一部だったのだと。
地球で生きるのは、私には難しすぎる。
月に帰りたい、それが無理なら今すぐ全て消し去って欲しかった。
愛も恋も欲も、何もかも、私が理解し切れない全てを消して、息苦しさから開放して欲しい。
何も思わないフリにはもう疲れた、疲れてしまった。
疲れてしまったから、やめる事にした。
人間のフリをすることを。
だから、君の激情が詰め込まれた眼差しを見て、大変な奴だなあって思った。でも、敢えてスルーしてあげた。
年頃、という奴なのだろうな。
一番近くに居て、たまたま理解してあげてしまったから、私しか居ないと勘違いしているのだ。視野が狭い、良くない傾向…と、本には書いてあるからきっとそうなのだろう。
世界は広くて、私よりも素敵な存在は沢山居るのに、何故私なのか。
でも言っても直らない…いや、言えば言ったで激昂するだろう。何せ一番多感な時期だ、下手に突付けばもしかしたら襲われてしまうかもしれない。
それは良く無い、良く無い理由は単純だ、法律に書いてあるから。
法に背くことはいけない事らしいので、させてはならない。
自分の意思で犯罪者になるのと、私のせいでなるのじゃ訳が違う。
それに、多分逸時の感情というやつだ、傑くんはそのうち、私に抱く感情が恋では無いと自ずと理解するだろう。
だから、その日が早く来るために私から行動をすることにしたのだ。
登校時に机の引き出しに入っていた手紙は、所謂ラブレターというやつだった。
長ったらしい愛について書かれた紙切れには、放課後に告白したいから体育館裏まで来てくれとのこと、私はこれを利用することにした。
私が言ってもどうにもなんなくても、実際彼氏の一人や二人出来てしまえば、何かの切っ掛けになるかもしれないと踏んだ。
まあ、あれだ。諦めには至れなくとも、この姉だって恋人くらい作るのだと、傑くんのことは弟以外の目で見るつもりは無いと、そんなことがちょびっとだけでも伝わりゃいいのだ。
そういう思いだった。
私は私なりに、弟の成長を考えていたのだ。
考え過ぎていて、忘れていた。
自分がいじめられっ子だってことを。
___
前髪の先からポタポタと雫が落ちるのを、意味も無く見つめる。
グッショリと濡れて重たくなった制服が肌に貼り付いて不快感を覚える。
雨が降るよりも先に濡れてしまった、水を掛けられたせいで。
わざとらしく地面に尻餅を付けば、女の甲高い笑い声に混じってニヤニヤとした気色の悪い視線を複数感じ取り、こりゃ疲れるぞと気落ちしそうになった。
全く、弱いフリも大変だ。
お前達なんぞ、ノーモーションでクシャクシャに出来るというのに、それを知らずに顔を殴ってくる女に手を出さないよう我慢する配慮は凄く、とても、面倒臭かった。
バスケットボールを頭にぶつけられ、首が揺れる。
体育館裏で開催された的あてゲームの的になった私は、相手の気が済むまで耐えようとひたすらにボールをぶつけられていた。
たまに逃げて、たまにコケて、私って結構演技派かも。なんて、四つん這いで逃げ惑うフリして思う。
一般人の投げるボールなんて痛くも痒くも無い、何ならもうすぐ夜が近い。夜が近付けば近付く程に私は強くなるから、ボールが当たる程度じゃむず痒いぐらいのものだ。
満足するまで好きにさせておくか、と普段と同じように余裕をかます。
しかし、事態は急変する。
「で、そろそろ犯して良い感じ?」
髪の先を指で弄りながら、一人の男子生徒が口にしたのを皮切りに、空気が一変したのを感じ取る。
舐めるような視線が全身に行き渡り、珍しく鳥肌なんてものが立った。
向けられる視線には嫌な熱が籠もっており、喉を鳴らす音が聞こたような気さえした。
ああ、つまりは、先程から感じていた気色の悪さはこういうことだったのか。
グイッと掴まれた腕に這う指先が、嫌らしく蠢く。
突然の展開に、腕を振る事もせずに、黙ったまま座り込んでいれば、一人、また一人と欲を持て余した男共が距離を詰めて来る。
何処からか軽薄なシャッター音らしき物が鳴った。
次の瞬間、私の身体に伸びて来た腕は、服の裾を遠慮無く捲りあげた。
鳥肌が酷くなる。
頭がよく回らない。
痛みを伴うイジメには慣れていたが、こういう仕打ちは如何せん初めてで、何をどう反応したら良いのか迷っているうちに、身体に這う手が増えていく。
多分、こういうのを気色が悪いと言うのだろう。
初めての感覚だった。
どうしたら良いか分からなかった。
分からなかったが、一つだけ理解出来た。
こんなことされるくらいなら、傑くんの物になっちゃった方がマシだったと。
その時になって、初めて理解する。
彼がどれだけ耐えてくれていたのかを。
こんな未熟でろくに感情も理解していたない姉を、あの子は本当に本当に、健気に大切にしていてくれたのだ。
それなのに、それなのに私は、なんて情け無い。
あの子を理解した気になっていた。
恋など欠片も知りもしない人間の失敗作の分際で、知った気になって。
ごめん、ごめんね傑くん。
お姉ちゃんはね、人間のことがよくわらないんだ。
人間に産まれたのに、分からない、愛とか恋とか執着とか。
だって私、本当は人間じゃないのだから。
「お、白…って、スポブラ?」
「うっわ萎える」
「とりま写メっとくか?」
頭上で行われる会話なんてもう聞いていなかった。
月を見上げ、思い出す。
私はその昔、月の一部だったのだと。
地球で生きるのは、私には難しすぎる。
月に帰りたい、それが無理なら今すぐ全て消し去って欲しかった。
愛も恋も欲も、何もかも、私が理解し切れない全てを消して、息苦しさから開放して欲しい。
何も思わないフリにはもう疲れた、疲れてしまった。
疲れてしまったから、やめる事にした。
人間のフリをすることを。