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姉と私の信仰恋慕

中学生の時も、小学生の時も、姉さんが先に卒業してしまうことが嫌だった。

自分より先に生まれたのだから仕方無いとは言え、勝手に置いてけぼりにされた気になって、大好きなはずの姉を恨まずにはいられなかった。

小学生の時はそれでもまだ我慢出来たが、中学生の時はたったの一年しか同じ学校に居られなかった事実と、卒業後に私を置いて、全寮制の学校へ進学してしまう姉に身勝手さを感じたものだ。
私のことなんて本当はどうでもいいのだと、拗ねて怒ってイジケていた。
そんな私に、姉は優しく笑いながら言う。


「どこに居たって、君のことを大好きでいるよ」


自分勝手で、自分本位で、エゴイスティック。

あの人は私に耳障りの良い言葉を贈ってくれたが、結局のところそれはその場しのぎの言葉に過ぎないと思えた。
本当に私を愛しているのならば、側に居てくれたら良かったのにと、同じ学校に進学出来た今でさえあの頃の日々と別れを恨んでいる。

そして、その気持ちは姉さんの高専卒業が迫るにつれて強くなっている。

けれど、今回は逃さない。

私は今度こそ、姉さんを遠くへはやらない。

何をしてでも、誰を利用してでも、必ず姉さんの行く道全てを塞いで塞いで塞ぎこんで、私の元から何処へも行けないようにする。
そのための下準備はずっとしてきた。
丁寧に丹精に、願いと想いを込めて毎日世話を焼き、私の許可を求めずにはいられない思考に仕立てあげた。
何をしていても、どれだけ離れていようとも、姉さんは最早私と日常を切り離して考えられない身体になっている。

足掻いても無駄だ、苦しむだけだ。
何故ならば、何度も何度も姉さんに「私と居るのが一番だ」と教え込んできたから。

願っても無駄だ、祈っても意味は無い。
何故ならば、私にとって姉さんが唯一の神であるように、姉さんにとっても私が唯一の愛であり信仰なのだ。

信仰無くして神は確立しない。
私の愛無くして姉さんは存在し得ない。

姉さんはもう、何処へも行けない。




はずだった。


「姉さん、今…なんて?」


私は姉から伝えられた言葉に思考を停止し、意味の無い返しをした。

それに対し、姉はマグカップ片手に指でブイサインを作り私に見せてくる。
そうして、意気揚々と問題発言を繰り返した。

「就職先決まった、孔さんって人にプロデュースして貰って地道にやってく」

就職、こんさん、プロデュース。

どうしよう、姉さんの頭が可笑しくなってしまった。
いきなり、なんなんだ。誰だ、私の可愛い姉さんの頭を可笑しくした奴は。
……いや、とても言いづらいが、元々可笑しかった気もするのだが…それについては、可愛いの範囲内だったから良しとするとして。

困ったことになった…家出から一週間経って帰って来た姉さんが、意味の分からないことを言い出してしまった。

私は笑顔を引きつらせ、膝の上で握った拳をワナワナと震わせる。

誰だこんさんって、またどこぞの馬の骨だか知らない男を引き寄せてしまったのか。何て罪深い、これだから私が見ていないといけないと何度も言ったのに。
しかもプロデュースって何だ、どう聞いても怪しいだろう、絶対新手の詐欺か何かに違い無い。
そもそも私の元から離れるだなんて選択肢今まで無かっただろうに、何故今になっていきなり…。

「住むとこなら大丈夫だよ、甚爾さんが引っ越したら一緒に住んでいいって」
「いったい何から殺せばいいんだ…」

誰だ、私の可愛い愛しい大切な姉さんを誑かした諸悪の根源は、一族郎党皆殺しにしてやる。未来永劫末代まで呪い尽くしてやる。全員ハゲろ。

頭の血管がキレてしまいそうなくらいの怒りが沸き立って収まらない。
腹の底からドス黒い感情が吹き出し、この世の何もかもを片っ端から呪いたいくらいだった。

というかそもそも、姉さんは働かなくていいんだ。
前提として姉さんは神なんだから…ただそこに"在る"だけでいいのに……誰だ、姉さんを働かせようとしている奴は、許さん。恥を知れ。

「傑くん…大丈夫?」
「姉さんは働かなくていいよ」
「やっぱ大丈夫じゃない?」
「私が養うから働くなんて言わないでくれ」

そうだ、私が扶養するから姉さんが働く必要なんてこれっぽっちも無いんだ。

綺麗な家に、麗らかな花壇。
広いキッチンと青空の見える窓。
二人の寝室と清潔な風呂場。
春には近所の花々をスケッチして、小鳥の囀りを聞きながら散歩を楽しんでくれたら良い。
夏には日傘を差して入道雲を見上げ、夜には夏の星座を楽しめば良い。
実りの秋には料理を楽しみ、私が帰ってきたら新しいジャムを味あわせてくれ。
冬は一緒にくっついて温まりながら語り合って、二人で睦み合いながら春を待てばいい。
それでいいはずだ、それが一番いいはずだ。

着る物も住む所も食べる物だって心配いらない、私が全て用意出来る。


「働くよ、自分のために」


なのに、何故そんなことを言うのか。

一体何が不満なのか、私には分からない。
姉さんの考えが分からない。
こんなはずじゃなかったのに、これからはずっと一緒に居られるはずだったのに。
私の姉さんなのに、何故誰も彼もがこのかけがえのない希望を未来ごと奪っていこうとするのか。

神は、私を見捨てるというのか。

「姉さん…」

絶望を含んだ声で呼べば、姉さんは一度瞳を閉じた。

そうして再び瞼を上げた時、その瞳には月が昇っていた。

「退屈さには神さえも旗を巻く」

澄んだ声が鼓膜を揺らす。
月を孕んだ瞳に温度は無く、マグカップを置いた指先からは人ならざる神秘を感じ取れた。

いきなり、己の常識の及ばぬ存在と対峙している自覚が自分の中に芽生える。

私はただ目の前に在るだけの姉に、心と視線を釘付けにされた。


「囲われるだけの生活は退屈すぎる」

この星に飽きたら、君と一緒に居る理由の一つを無くしてしまうだろうからね。
それを失わないためにも、見える世界を広げておかないと。


「ね?」と、言い聞かすように首を傾げてゆるりと微笑む姉さんに、私の心は次第に平穏を取り戻していった。

理由を聞いてしまえば、何だ、私と一緒に居るためだったのかと嬉しささえ感じる。

姉さんは私を見捨ててなどいなかった。
それどころか、ちゃんと一緒に居たいと思ってくれていた。
退屈、飽きる…なるほど、姉さんらしい考えだ。
確かに、好奇心がやたらに高いお人だから、毎日同じことの繰り返しでは耐えられないのかもしれない。
でも、だからと言ってあの男と同じ屋根の下で暮らさせなどしないが。

「分かったよ、でも就職に関してはもっとちゃんと悩んでくれ、どう考えても姉さんは詐欺に引っ掛かってるからね」
「うーん…否定出来ない見た目してたなあ…」
「ほら、やっぱり」

全く、やっぱり一人にはしておけない。
ちょっと目を離した隙きにすぐこれだ。
私が一緒じゃなきゃ駄目なんだから、仕方のない人だ。

今回の家出も、就職に関する我儘も、姉さんなりに私との今後を考えてのものだったとすれば、可愛い足掻きだと笑って済ませられそうだった。

ただし、承諾するかと言われれば否だが。

姉さんには悪いが、多少は退屈かもしれないがやはり働かずに私の側に居るべきだ。
だって絶対にそれが一番安全で幸せなのだから。
そもそも、私"以外"なんて必要ないだろう。いらないものの心配なんてしなくて良い、私と私の用意した物だけで十分に満たされるはずだ。

しかし、今それを言っても仕方無いだろう。
どうせ私が卒業するまではまだ数年必要だ、その間はどうしたって姉さんと暮らすことは難しい。

私が卒業するまでの数年間、それが姉さんに許された最期の自由な時間。

それが終わればあとはもう、ずっと私の手の中だ。

私は約束された甘美な事実を改めて再確認し、胸の内で酔いしれる。


空になったマグカップを回収すれば、姉さんはお礼を言いながら後をついてきた。やはり私の教えは彼女の中にしっかりと染み付いている。

何はともあれ、私と姉さんは今日も相思相愛。
この世に私達を引き裂けるものなどありはしない。

何故なら、私は姉さんを愛し、姉さんは私を愛しているから。

やはり私達はずっと一緒に居るのが正解らしい。
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