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番外編

今日はホワイトデーだ、つまり…姉さんにありったけの愛を込めたお返しをしなくてはならない日というわけだ。
これは義務だ、姉さんを信仰する人間として絶対にしなくてはならない務めである。

この日のためにリサーチは欠かさず行ってきた。

まずは、バレンタインの振り返りから始めよう。
私は姉さんからバレンタインデーに愛情いっぱいのチャーハンと野菜炒め、そしてラーメンをお腹いっぱいになるまで御馳走され、その後にデザートとしてガトーショコラを出して貰って食べた。
酸味が控え目で、苦味の強い珈琲と一緒に出されたガトーショコラは、柔らかくしっとりとした口当たりで、疲れた身体の隅々まで行き渡る程よい甘さとナッツの香ばしさが穏やかな気持ちにさせる上品な味わいだった。
甘さは軽やかなのに、舌に深く残り染み込む奥深い一品に私はとても満足し、姉さんに沢山お礼と愛を伝えたのだ。

「姉さんこんなに沢山ありがとう、愛してるよ」
「どうも」
「お礼、期待していてくれ…本当に愛してるよ」
「はい…」
「愛してるよ、誰よりも、何よりもね」
「うん…」

後ろから抱き締め、耳元で囁くように愛を紡ぐが、姉さんは眠かったらしく返事はかなりおざなりだった。
私がこんなにも真摯に愛を伝えているというのに睡魔を優先するなんて、本来であれば怒りたくもなるが、その日は別だった。
胃も心も満たされて幸せな心地で姉さんを腕に抱き、私も微睡む。
歯を磨かねばならないこと、悟の部屋に携帯を置きっぱなしなこと、他にも色々やらなければならないことを頭の片隅に追いやって、姉さんの黒髪に鼻先を埋めて存在を確かめ続けた。

ここにあるのは私の物だと、誰の手にも渡ってはならない物なのだと、願いと祈りを込めて目を瞑る。
思考の端で渦巻く、重く濁った粘着質な愛情を今日だけは見ぬふりをしてやった。

今日だけは、姉さんの愛を求める可愛く健気な弟をやめなかった。



というハッピーかつラブラブなバレンタインを過ごさせて頂いたお礼に、私は後輩や親友などを駆使して「姉さんが欲しい物リスト」を作成したのだが…。

「姉ちゃんマジで無欲過ぎじゃね?」
「フリスビーって何に使うんですか?」
「綺麗などんぐり、この時期にあるかな…」

姉さんの欲しい物が、殆ど無かった。

「どんぐり…フリスビー……」
「あとセミの抜け殻」
「オレンジジュースは私が買って渡しておきました」
「ありがとう七海…」

知ってた。
姉さんはあらゆる欲から乖離しているお人だ、まさに解脱という言葉を使うに相応しき精神の可能性を持っている。
人間が人生において抱えるあらゆる苦悩など、あの人には当て嵌まらない。
食欲、性欲、睡眠欲、財欲、名誉欲…所謂五欲と称されるものなど姉さんはとうの昔に切り捨てているのだ。
そんな人が欲しがる物なんて…この世にあるわけ……。

いや、待てよ?
これはもしかして…。

瞬間、私は天啓を得る。

姉さんはいつも言っている、「傑くんが居るからいいや」と…。
つまり姉さんの真に欲しい物は「私」なんじゃないか?
姉さんの捨てきれない欲…それこそが私なのでは。
姉さんは私を欲しがっている?私が居れば姉さんは満たされる?私だけが姉さんの心を満たせる???

ホワイトデー…勝ったな。
私の全てを姉さんに捧げる。
神の御前に供物として差し出された仔山羊のように、私は私の身を姉さんにプレゼントしよう。

きっと、喜んでくれるはずだ。


※これより暫くスーパー弟妄想タイム。
ほわんほわんほわ〜〜ん。


「今年のホワイトデーのプレゼントは…私だよ」そう言って姉さんの前に立てば、姉さんは少しだけ驚いた後に頬を染めて喜んだ。「欲しい物がバレていたなんて…」と恥ずかしそうにはにかむ姉さんは、流石傑くんだねと可愛く照れながら褒め言葉を贈ってくれた。抱き締めて欲しいと言われたので言葉通り、請われるままに抱き締める、互いの体温が混じり合い溶け合っていく心地に心をときめかせた。この体温も身体も心も爪先も髪の一本も貴女のために存在しているのだと訴えれば、それはもう結婚するしかないねと姉さんが言ったので、そのまますぐに私達はあらゆる苦難を乗り越えて婚約者となった。呪術師をする私の帰りを家で待っていてくれる恋人となった姉さんは、白いフリルのエプロンを揺らして今日も可憐に微笑む。翌年のホワイトデーも私は姉さんに全てを捧げるためにまた同じ台詞を言うのだ。今度は給料3ヶ月分の指輪を添えて…。


そんなこんなでホワイトデー当日。
授業も終わってあとはゆっくり二人の時間を過ごすだけとなったので、私は姉さんの部屋へ行き、計画通りに脳細胞がこれだ!と訴える答えを実行した。

「ということで、今年のプレゼントは私なんだけど」
「悟くんからクッキー貰ってお腹いっぱいだがらいらない」
「……は?」

聞こえてきた意味のわからない言葉に思わず低い声を出せば、姉さんの肩がビクッと揺れる。

「ごめん、ちょっと今日耳の具合が良く無いみたいで上手く聞き取れなかったみたいだ、すまない。
で、えっと?今なんて言った?悟がなんて?」

聞き間違えを問うために詰め寄り、肩をガシッと掴んで尋ねる。
私としたことが…神たる姉さんの言葉を聞き間違えてしまうだなんて…疲れているせいかもしれない、最近色々あったから。きっとそうだ、そうに違いない。

気持ちを落ち着けるために、姉さんの丸い肩をゆっくり優しく擦りながら呼吸を整える。
私は間違えてなどいない、私は何も間違えていない、姉さんが欲しい物は私、私だけが姉さんの全て、あらゆる欲望の矛先、3大欲求よりも私の方が上、煩悩の数だけ私の好きな所がある…よし…。

しかし、自分は間違っていないと自分に言い聞かせる私に、姉さんは無慈悲で無邪気な質問をしたのだった。

「傑くん、お礼用意するの忘れちゃった?」
「…………」
「別に気にしなくていいよ、欲しい物無いから」
「…………」

……………。

あぁ…これは、間違えたのだな。

理解した瞬間、ガクリと項垂れるように下を向き、下唇を巻き込むように噛む。
沸々と湧き上がってくる負の感情が体内で暴れ出す。
悔しい、悲しい、恥ずかしい。
弟として、これほど情け無い思いをしたことは今日がはじめてだった。

きっと本当に気にしていないのだろうが、それでは私の気が済まない。
だって姉さんは時間を割いて私のために色々用意してくれたのに、それに釣り合うことを何も出来ていないのだから。
よくよく考えれば分かったことだ。
姉さんの苦労に見合う価値が自分の身を捧げるというだけの行為に釣り合うはずが無い。
3倍返しなんて程遠い、愚かで馬鹿な、先走った行いをしてしまった。

最低だ、私はなんてことをしてしまったんだろう。

胸を掻き毟りたくなる程の後悔と、苦しすぎる申し訳無さに、心に重たい影が蔓延る。
悪事でも働いたかのように胸が痛い。
自分への苛立ちと反省心に身を震わせる程、私は限り無い自責の念を抱いた。

絞り出すように「……すまない」と口にすれば、姉さんは気を使うように私の頭をゆっくりと撫でながら「いいよ」と短く言った。

この優しさと温かさに報いたいのに、方法が何も思い付かなかった。
収拾の付かない自己嫌悪でただただ項垂れる。
今ここに懺悔室があったならすぐに飛び込んでいただろう。
しかし、神の許しすら今は心苦しくて敵わない。

一体私はどうすることが正解なのか、誰でも良いから教えて欲しかった。

「いや、そんなに傷付かなくても…」
「姉さん…私を罰してくれ…」
「えぇ〜…」

そうだ、今の私に必要なのは許しでは無く罰。
私が姉さんにしたことは罪と呼ぶに相応しき所業なのだから、罰されて当然だ。

「姉さん、頼む…」
「あー、うん…分かった、じゃあ…」

歯切れ悪くそう言った姉さんは、私から離れて本棚の方へと歩いて行くと、一冊の本を手に取って帰って来た。
そうして私の隣へ座り直すと、ペラペラと本を捲って一つのページで止まる。
ピッと指先が指し示した先には、『石鉄隕石』と太く書かれた文字の下に、説明文が細かい文字で書かれていた。

「メソシデライト、このくらい小さいのでも万単位するの」

姉さんは人差し指と親指を使って、2cm程のサイズを作る。

メソシデライト、最も希少な石鉄隕石の一つ…説明文の隣に書いてある写真を見る限り、ただのゴチャゴチャした模様の石にしか見えないが…確かになるほど、姉さんが欲しがりそうな物ではあった。

「5cmくらいのが欲しい」
「任せてくれ」
「うむ、頼んだぞ弟よ」

その後、詳しく話を聞けば、なんでもこのメソシデライトが販売されているのはネットオークションらしく、姉さんは「競り合える自信が無い…」と肩を落としてしょぼくれていた。

私に任せてくれ姉さん、今度こそ優秀かつ有能な弟であることを証明してみせるから。
海外オークションだろうがマスターしてみせるよ。
そして姉さんが闇オークションに攫われた時は必ず私が競り落としてみせるから。

深い後悔から復活した私は、決意に燃える。

姉さん、私の愛しい人。
貴女はやっぱり宇宙を恋しがっているのだね、その気持ちを私の活躍で満たそうとするなんて本当に意地の悪い人だ。
けれど、私は月にも宇宙にも負ける予定は無い。
この世で…いや、この宇宙で姉さんを一番に愛しているのは私なのだから、最終的に数万円する隕石の欠片なんてどうでも良くしてみせる。

次のホワイトデーには必ず、隕石よりも私が欲しいと訴えさせてやるから、覚悟しておいてくれ。


___

オマケ

甚爾さんからポンッと手渡された品をジッと見下ろす。
長方形の優しい色合いの包装紙でラッピングされた箱に、リボンが巻かれたそれは、所謂ホワイトデーのお返しとか言うやつなのかもしれない。
まあ、バレンタインデーにあげたからお返しがあるのは当然と言えば当然だが、それがこのプロヒモ呪詛師な友人から貰うとなれば、若干驚いてしまうのも無理はないのではなかろうか。

「あー…景品だ」
「そんなわけあるか、買ったんだよね?」
「うるせぇなぁ…」

なんでそんな面倒臭そうなんだ…。
「ありがとう」とお礼を言って、包装紙を丁寧に剥がして畳んでから蓋を開ければ、淡い色をしたカラフルな丸いお菓子が5つ程並んでいる。

これは、あれだ…知ってるぞ、あの……あれ、お洒落な女の子がよく食べてるやつ…マロ…マ…。

「マロンカ…?」
「マカロンも分からねぇのかよ、大丈夫かお前」
「あ、それそれそれ」
「お前本当に女子高生か?」

何故か疑いの眼差しを向けてくる甚爾さんの言葉には何も返さなかった。
一応、一応女子高生ですね、一応…元は小惑星の欠片ですけど。

この星の文化は意味が分からん、未だに馴染めない。
傑くんは毎年頑張ってくれてるけど…それに付き合いはするが、楽しいかどうかと言われると微妙だ。

まあしかし、クッキーは美味しかったし、このマカロンとかいうのも多分美味しいだろうし、いいか。

いいってことにしておこう、そうしよう。
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