弟によって神格化されそうになっているのだが…2
黒井さんと理子ちゃんの背中が見えなくなってから数分後、後ろから重い溜息が聞こえてきた。
「ピッカピカじゃねぇか、クリスマスには早えだろ」
呆れたような口振りに、私は淡々と、粛々と、潜めた声で尋ねる。
「弟は?」
「そのうち起きる」
「悟くんは?」
「手加減しておいた」
そうか、それなら良かった。
その言葉に安心したのか、はたまた力尽きたのか、私は崩れ落ちるようにその場にゆっくりと倒れていく。
それを抱き留めてくれた甚爾さんは、もう一度溜息を深く、深く、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに吐き出した。
「神様気取ってんなら、俺のこともちゃんと救え、アホ」
「お詫び、何がいい?」
「美味い肉」
この人、何だかんだで本当に元気だなぁ。
ハハハッと力の無い渇いた笑いを溢しながら、全身から力を抜く。
そうすれば、本当に色々と尽きているらしく、徐々に身の内から溢れ出していた輝きが自然と収まっていった。
遠くに痛みを微かに感じるが、それすら他人事のように思えてくる。
やっぱり馬鹿馬鹿しいな、私がやってること。
少しは人間らしく生きてみようかな、だなんて思ったのが間違いだったのは十分に分かっている。
友達なんて物を作って、救いをちらつかせて仲良しになった気になって、希望的観測に過ぎ無い約束までして、本当にアホだ。私一人だったのなら、適当に朽ちるか諦めるか出来たのに。未練なんて残さず、呪いも遺さず、この星の砂に塗れて終われたかもしれないのに。
それでも友達なんて作らなければ良かった、だなんて言えないのは、私が前よりも人間に近付いてしまったせいなのか。はたまた、この友人が思いの外私のことを気に入って、色々と強く思ってくれているからだろうか。
どちらにせよ、心臓がグチャグチャになるくらい悔しくてたまらない気持ちだった。
気付けば両目からは温かく塩辛い水がポロポロと流れていた。
呼吸が上手く出来なくて、何かが引っ掛かったようにヒックヒックと変な声が際限無く出る。
両手で幾ら拭っても溢れてくる液体は止まらず、とうとう鼻の奥まで痛くなりだして、私は我慢ならずに声を挙げた。
「せ、せっかく、君が、月にっ」
「…………………」
「嬉しかった、のに、月に、一緒にっ」
そう、嬉しかったのだ。
本当に、嬉しかったんだ。月に来てくれると言ってくれたことが。
あんな何も無い、暗いだけの場所に。二人ぼっちでも良いと言ってくれたことが、どれだけ救いだったか。
信仰も宗教も救済も、本当はどうでも良かった。
一体、私の祈りになんの価値があるのだろう。でも、その先に友達の望む、一掬いの希望が存在する逃避があるならば、幾らだって神様になってやるつもりだった。だったのに。
なのに、頭の片隅にあの日弟に言ってしまった言葉がこびり付くように離れてくれない。
『私のこと、見捨てないでね』
私が言ったのだ。
なのに、言った本人が彼を見捨てて逃げようとした。
他の人なら別に良かった、けれど彼だけは…弟だけはどうしても駄目だ。
見捨てられない、手を離せない、だって星よりも月よりも何よりも大切だから。
甚爾さんに運ばれながら、赤子のように泣きじゃくる。
こんなの人間みたいだ、馬鹿みたいだ。
人間は私に…月に、もう祈りなんて捧げてくれないのに。今更人間に執着したって遅いのに。
どうしたらいいんだろうか、どうしようもないのだろうか。
私は人間として生きるしか無いのだろうか、こんなに生き辛いのに?息苦しいのに?
世界も他人も、呪いも祈りも馬鹿らしいのに!?
「もう嫌だ、こんな世界ッ!!!」
「俺だって嫌だわ、こんな世界」
荒れ狂う思考と感情を落ち着かせるように、規則正しく背中を叩かれる。
それにますます涙が流れ、居場所を求めてしがみついた。
「だから早く、全部どうでも良くなるように神に近付け」
「それまで、見捨てないでいてくれる?」
「分かったから、そろそろ泣き止めよ」
気付けば、いつの間にか高専の外に出ていた。
私の腹と肩甲骨の辺で留まっている弾を抜くために、甚爾さんは一先ず落ち着いて治療を出来る所まで行ってくれるらしい。
こんな怪我をしたのは初めてだし、泣いたのだって初めてだ。
疲れた、もう全部ほっぽって寝てしまいたい。
というか寝る。
正直、限界だった。
「寝ますね、スヤピー……」
「は、おい、泣くだけ泣いて寝んのかよ」
「スピプー……」
「ガキかよ……ガキだったわ…」
こうして私は、数億年を掛けてようやく、友情と悔しさを覚えたのだった。
___
私も悟も色々あったが、最終的に理子ちゃんと黒井さんは海外に逃げられたらしい。
それは本当に良かったし、結果的に誰も欠けていないのだから喜ぶべきなのだろうが、全く喜べなかった。
理由は明白、何故なら………
「今日で姉さんが家出をしてから一週間が経ってしまった……」
「傑がすぐにメール返さなかったからじゃね?」
「だからあれからずっと暇さえあればメールしてるって言ってるだろ!!!」
一回しか返信無いけど!!!
そう、姉さんが高専から姿を消して早一週間が経過した。
あの日、本殿で聞いた「姉さんが月に帰るために天内理子を殺す」という話が嘘なのか本当なのかは調べても分からなかった。
そこは白黒ハッキリしないが、でもきっとあの男が姉さんに悪い影響を与えているのは、間違い無いと見て良いだろう。
というか前々から思っていたんだが、何なんだあの男、何処でどうやって姉さんと知り合って友人になんてなったんだ。
しかも私の許可無く、勝手に。
「こんなことなら悟と友達になるのを許可してあげておけば良かった…」
「え、もしかして傑のせいで俺と姉ちゃん友達になれてないの?」
「そうだよ」
「はあ???」
姉さんと悟が仲良くなり始めた頃、「悟は私の親友だから、姉さんは他を当たって」と、適当な理由で友達になることを禁止した。
姉さんはお利口さんなので、未だにそれを律儀に守ってくれている。
実際、悟が友達になろうと言うと、毎回「悟くんは傑くんの親友だから」と断っている。えらい、流石私の姉さん。大好き。
そんな姉さんでも、お利口に出来ないこともあるというのか。
私の元に一通だけ来たメールには、『暫く帰りません、寂しくなったら帰ります』とだけ書いてあった。
それ以降連絡は一切無い。
一応捜索は行われているものの、周囲の反応は何とも歯切れの悪い、微妙なものだった。
硝子からは「反抗期なんじゃない?」とからかわれ、冥さんからは「たまには息抜きも必要さ」などと訳知り顔で言われてしまった。
今この瞬間も、もしかしたら姉さんがひもじく寂しい思いをし、私を思って涙を堪えているかもしれないのに、どうして皆興味無さそうにするのだろうか。
いや、無闇矢鱈と興味を持たれるのもそれはそれで嫌だが…私以外の人間が姉さんに興味関心を懐き、不用意に見たりされても困る。
ああどうしよう、やっすい添加物塗れの炭水化物ばかり食べていたら。
私が頑張って丁寧に真心込めて手入れしてきた肌と髪が台無しになってしまう。
やはり探しに行くべきだ、他の何を犠牲にしてでも。
「姉さんを探しに行く」
「だから、そのうち帰って来るって」
「そのうちじゃ駄目なんだ」
だって姉さんが一番幸せなのは、絶対に私と一緒に居る時なのだから。
それに、そろそろ私も姉さんに触れて居ない時間が経ちすぎて自我が保てなくなりつつある。
今日はとうとう幻覚を見たし、悟に指摘されるまで幻覚と楽しく話していた。
我ながら末期だ、明日には舌を噛み切って死んでしまうかもしれない、ビタミンANE不足で。(※彼の中にしか存在しないビタミンの話です)
私は定期的に姉さんと同じ空気を吸わないと肺が汚れるし、定期的に姉さんを抱き締めないと身体が震えだすんだ。
こんな身体になったのは姉さんのせいなので、早く責任を取って私を力一杯抱き締めて、優しく名前を呼んで欲しい。
メール画面を開き、文字を打つ。
姉さんに向けて『迎えに行くから準備しておいて』と送った。
さあ、早く捕まえて色々と聞かなければ。
「ピッカピカじゃねぇか、クリスマスには早えだろ」
呆れたような口振りに、私は淡々と、粛々と、潜めた声で尋ねる。
「弟は?」
「そのうち起きる」
「悟くんは?」
「手加減しておいた」
そうか、それなら良かった。
その言葉に安心したのか、はたまた力尽きたのか、私は崩れ落ちるようにその場にゆっくりと倒れていく。
それを抱き留めてくれた甚爾さんは、もう一度溜息を深く、深く、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに吐き出した。
「神様気取ってんなら、俺のこともちゃんと救え、アホ」
「お詫び、何がいい?」
「美味い肉」
この人、何だかんだで本当に元気だなぁ。
ハハハッと力の無い渇いた笑いを溢しながら、全身から力を抜く。
そうすれば、本当に色々と尽きているらしく、徐々に身の内から溢れ出していた輝きが自然と収まっていった。
遠くに痛みを微かに感じるが、それすら他人事のように思えてくる。
やっぱり馬鹿馬鹿しいな、私がやってること。
少しは人間らしく生きてみようかな、だなんて思ったのが間違いだったのは十分に分かっている。
友達なんて物を作って、救いをちらつかせて仲良しになった気になって、希望的観測に過ぎ無い約束までして、本当にアホだ。私一人だったのなら、適当に朽ちるか諦めるか出来たのに。未練なんて残さず、呪いも遺さず、この星の砂に塗れて終われたかもしれないのに。
それでも友達なんて作らなければ良かった、だなんて言えないのは、私が前よりも人間に近付いてしまったせいなのか。はたまた、この友人が思いの外私のことを気に入って、色々と強く思ってくれているからだろうか。
どちらにせよ、心臓がグチャグチャになるくらい悔しくてたまらない気持ちだった。
気付けば両目からは温かく塩辛い水がポロポロと流れていた。
呼吸が上手く出来なくて、何かが引っ掛かったようにヒックヒックと変な声が際限無く出る。
両手で幾ら拭っても溢れてくる液体は止まらず、とうとう鼻の奥まで痛くなりだして、私は我慢ならずに声を挙げた。
「せ、せっかく、君が、月にっ」
「…………………」
「嬉しかった、のに、月に、一緒にっ」
そう、嬉しかったのだ。
本当に、嬉しかったんだ。月に来てくれると言ってくれたことが。
あんな何も無い、暗いだけの場所に。二人ぼっちでも良いと言ってくれたことが、どれだけ救いだったか。
信仰も宗教も救済も、本当はどうでも良かった。
一体、私の祈りになんの価値があるのだろう。でも、その先に友達の望む、一掬いの希望が存在する逃避があるならば、幾らだって神様になってやるつもりだった。だったのに。
なのに、頭の片隅にあの日弟に言ってしまった言葉がこびり付くように離れてくれない。
『私のこと、見捨てないでね』
私が言ったのだ。
なのに、言った本人が彼を見捨てて逃げようとした。
他の人なら別に良かった、けれど彼だけは…弟だけはどうしても駄目だ。
見捨てられない、手を離せない、だって星よりも月よりも何よりも大切だから。
甚爾さんに運ばれながら、赤子のように泣きじゃくる。
こんなの人間みたいだ、馬鹿みたいだ。
人間は私に…月に、もう祈りなんて捧げてくれないのに。今更人間に執着したって遅いのに。
どうしたらいいんだろうか、どうしようもないのだろうか。
私は人間として生きるしか無いのだろうか、こんなに生き辛いのに?息苦しいのに?
世界も他人も、呪いも祈りも馬鹿らしいのに!?
「もう嫌だ、こんな世界ッ!!!」
「俺だって嫌だわ、こんな世界」
荒れ狂う思考と感情を落ち着かせるように、規則正しく背中を叩かれる。
それにますます涙が流れ、居場所を求めてしがみついた。
「だから早く、全部どうでも良くなるように神に近付け」
「それまで、見捨てないでいてくれる?」
「分かったから、そろそろ泣き止めよ」
気付けば、いつの間にか高専の外に出ていた。
私の腹と肩甲骨の辺で留まっている弾を抜くために、甚爾さんは一先ず落ち着いて治療を出来る所まで行ってくれるらしい。
こんな怪我をしたのは初めてだし、泣いたのだって初めてだ。
疲れた、もう全部ほっぽって寝てしまいたい。
というか寝る。
正直、限界だった。
「寝ますね、スヤピー……」
「は、おい、泣くだけ泣いて寝んのかよ」
「スピプー……」
「ガキかよ……ガキだったわ…」
こうして私は、数億年を掛けてようやく、友情と悔しさを覚えたのだった。
___
私も悟も色々あったが、最終的に理子ちゃんと黒井さんは海外に逃げられたらしい。
それは本当に良かったし、結果的に誰も欠けていないのだから喜ぶべきなのだろうが、全く喜べなかった。
理由は明白、何故なら………
「今日で姉さんが家出をしてから一週間が経ってしまった……」
「傑がすぐにメール返さなかったからじゃね?」
「だからあれからずっと暇さえあればメールしてるって言ってるだろ!!!」
一回しか返信無いけど!!!
そう、姉さんが高専から姿を消して早一週間が経過した。
あの日、本殿で聞いた「姉さんが月に帰るために天内理子を殺す」という話が嘘なのか本当なのかは調べても分からなかった。
そこは白黒ハッキリしないが、でもきっとあの男が姉さんに悪い影響を与えているのは、間違い無いと見て良いだろう。
というか前々から思っていたんだが、何なんだあの男、何処でどうやって姉さんと知り合って友人になんてなったんだ。
しかも私の許可無く、勝手に。
「こんなことなら悟と友達になるのを許可してあげておけば良かった…」
「え、もしかして傑のせいで俺と姉ちゃん友達になれてないの?」
「そうだよ」
「はあ???」
姉さんと悟が仲良くなり始めた頃、「悟は私の親友だから、姉さんは他を当たって」と、適当な理由で友達になることを禁止した。
姉さんはお利口さんなので、未だにそれを律儀に守ってくれている。
実際、悟が友達になろうと言うと、毎回「悟くんは傑くんの親友だから」と断っている。えらい、流石私の姉さん。大好き。
そんな姉さんでも、お利口に出来ないこともあるというのか。
私の元に一通だけ来たメールには、『暫く帰りません、寂しくなったら帰ります』とだけ書いてあった。
それ以降連絡は一切無い。
一応捜索は行われているものの、周囲の反応は何とも歯切れの悪い、微妙なものだった。
硝子からは「反抗期なんじゃない?」とからかわれ、冥さんからは「たまには息抜きも必要さ」などと訳知り顔で言われてしまった。
今この瞬間も、もしかしたら姉さんがひもじく寂しい思いをし、私を思って涙を堪えているかもしれないのに、どうして皆興味無さそうにするのだろうか。
いや、無闇矢鱈と興味を持たれるのもそれはそれで嫌だが…私以外の人間が姉さんに興味関心を懐き、不用意に見たりされても困る。
ああどうしよう、やっすい添加物塗れの炭水化物ばかり食べていたら。
私が頑張って丁寧に真心込めて手入れしてきた肌と髪が台無しになってしまう。
やはり探しに行くべきだ、他の何を犠牲にしてでも。
「姉さんを探しに行く」
「だから、そのうち帰って来るって」
「そのうちじゃ駄目なんだ」
だって姉さんが一番幸せなのは、絶対に私と一緒に居る時なのだから。
それに、そろそろ私も姉さんに触れて居ない時間が経ちすぎて自我が保てなくなりつつある。
今日はとうとう幻覚を見たし、悟に指摘されるまで幻覚と楽しく話していた。
我ながら末期だ、明日には舌を噛み切って死んでしまうかもしれない、ビタミンANE不足で。(※彼の中にしか存在しないビタミンの話です)
私は定期的に姉さんと同じ空気を吸わないと肺が汚れるし、定期的に姉さんを抱き締めないと身体が震えだすんだ。
こんな身体になったのは姉さんのせいなので、早く責任を取って私を力一杯抱き締めて、優しく名前を呼んで欲しい。
メール画面を開き、文字を打つ。
姉さんに向けて『迎えに行くから準備しておいて』と送った。
さあ、早く捕まえて色々と聞かなければ。