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弟によって神格化されそうになっているのだが…2

勿論、逃げたいだなんて願いは叶うはずもなく、流れに任せてやって来てしまった本殿にて、私はどうしようも無い状況に陥っていた。

「姉さん、どういうことなんだ…?」
「だから、お前の姉貴が月に帰るための資金を稼ぐためにそのガキを殺らなきゃならねぇんだよ」
「………姉さん、嘘だよね?」

背中に庇った理子ちゃんが少し離れようとする動きを見せたので、咄嗟に腕を掴む。
私は何も言えないまま、足元に落ちている銃弾を見つめた。

「俺と月に行くんだろ?」

甚爾さんが言った言葉に顔を上げ、意味も無く傑くんを見る。
だが、傑くんは私を見ずに、甚爾さんを恨みの籠もった視線で鳥肌が立つ程キツく睨み付けていた。

「………お前が、姉さんを誑かしたのか」
「誑かされたのは俺の方だろ」

空気がピリッとしたのを感じ取る。
マズイ、何か言わないと二人が戦いはじめてしまう。
そうなったらもう、私に出来ることは何も無くなる。
とにかく何でも良いから話しちゃえ、と軽い気持ちで尋ねてみたが、その軽率さが着火を招くこととなった。

「あ、あの、甚爾さん、外に居たメイドさんは、」
「多分死んだんじゃねぇか」
「え」

私が素直に驚いてマヌケな声を出した瞬間、掴んでいた腕をバシッと勢い良く振り払われた。
しまった!と思った時にはもう遅く、理子ちゃんは私の後ろから素早く脱して、付き人の名前を呼びながら来た道の方へと走り出してしまう。

そうすれば当然、甚爾さんは拳銃をすぐさま向ける。
勿論、傑くんは走り出す。
しかし、傑くんと理子ちゃんには距離があり、この場で唯一理子ちゃんを庇えるのは私だけ。

だが、カウンターは先程一発撃たれた時に発動してしまった。
だから、術式を新しく発動するのは間に合わない。

だからもう、こうするしか他に無い。

瞬間的に脚へ呪力を雑に流し込み、床を破壊する勢いで蹴る。
グッと腕を前へと伸ばして理子ちゃんを後ろから強く抱き締め、甚爾さんが放った二発の銃弾を背中から喰らった。

バシュッと血飛沫が勢い良く飛び、本殿の床を赤黒く汚す。

右肩甲骨と脇腹の辺り、弾は二発とも貫通せずに体内に留まった。
焼けるような熱さと、嘘みたいな激痛が身体を一気に駆け抜けていくのを感じる。
浅くなる息、逸る心臓、混乱する思考。
それらを無理矢理に無視して、落ちそうになった膝にもう一度力を入れてから理子ちゃんを抱き上げ一気に出口に向かって走り出す。

後ろでは「はあ!?」という、甚爾さんの声が聞こえたが、私は構わず走った。
風を切り、血を流し、アドレナリンで若干頭の中をバチバチさせながら薄暗い廊下をトップスピードで駆け抜け言う。

「ど、どうしよ!なんか急に、色々なことが、馬鹿らしくなってきた!」
「大丈夫!?」
「ちょっと泣きそう!」

腕の中から驚いた声を挙げる理子ちゃんに、奥歯を噛み締めながら答えてみせた。

泣いている場合じゃない、そもそも泣く資格も無い。
皆が命を掛けて頑張っている中で、自分だけがぼやけたまんま、意味の無い行動を続けているのは、酷く滑稽に思えた。


走る、走る、走る。


痛みを堪え、道を血で赤く染め、皆の頑張りを蔑ろにして。
自分の夢よりも、友達の救いよりも、弟への誠実さよりも、まともに話したことも無い少女の未来が失われないようにと走った。

生きていたって絶望しかない時だってある。
死んだ方がマシな時もある。
彼女が何処に行き着くかなんて知らない。けれど、誰かのために死ぬなんて結末は、一番馬鹿馬鹿しい結末だ。
そんな幕引きくだらない、つまらない。
それでこの星に明日が来なくなるなら、それまでだ。
皆まとめて勝手に死ね、私も一緒に死んでやるから。

冷笑を誘うような阿呆らしい自らの行いに、珍しく笑いが込み上げて来そうになった。

そして、廊下に転がるメイド姿を目にした瞬間、身を停止するために脚に力を入れ直す。
靴底を磨り減らすように急停止し、抱えていた理子ちゃんをその場に降ろして、乱れる息を整えながら垂れてきた汗を片手で拭った。

多分、すぐに甚爾さんが追い掛けてくるだろう。
それまでにやることをやって、傑くんと悟くんをどうにか治して、そんで甚爾さんに言わなきゃならない。貴方の頑張りを、求めた救いを無視してごめんなさい、と。


黒井さんの身体にしがみつき、身体を揺する理子ちゃんは当たり前だがワンワンと叫ぶように泣いていた。
これもそれも全ては、私のせいだ。
私がもっとコミュニケーション能力が発達していれば、甚爾さんにこの作戦は止めようと早くに言えたのに。
月へ行く方法なんて、他にも時間を掛ければ幾らだって……ああ、でも甚爾さんはすぐに行きたかったのかもしれない。
じゃあやっぱりどうすれば良かったんだろうか。

人間じゃない私には、この悩みはどうにも難解過ぎた。
コミュニケーション能力だってどうにもならない、甚爾さんの苦悩だって救ってやれない。
傑くんも悟くんも傷付けて、自分の夢すら打ち砕いて。

でも、今目の前で泣いている女の子に償うことくらいなら、今の私にだって出来る。
ゴミクズみたいな月のカスにだって救えるものはあるのだと、魂が救済に向けて、強く、激しく、輝き出す。

「…月は、死と蘇生のシンボルなんだ」

流れ出した血が、足元に溜まる。
それをピチャリと踏み締め、一歩前に出た。

「あそこはそう、ちょうど…魂の中継地点でね」

今は廃れてしまったが、古い人間の考えでは、死んだ魂は月へ上るらしい。
月は、人類共通の墓みたいなものだ。
彼等はその昔、死者への祈りのために月に向かって手を合わせた。

月への送魂。
その対象には、私も含まれている。
何故ならば、私は月の欠片だから。


目を瞑り、強制的に自我を抑え込む。


私は人間ではない、月だ、月の一部だ。
祈りの対象、死者の魂の行き着く場所、ここより先は死の国だが、今ならばまだ間に合う。
私の手の内にあるならば、それ以上は昇らせない。

空気を吸い込み吐き出すことを繰り返せば、段々と大気と自分の境目が朧気になっていく。
瞼の裏にぽっかりと浮かぶ、果て遠く輝く青白い懐かしき月の光を見付けた。

星影がかすみ、太陽が顔を隠す。

こうして、骨のように白い午後三時半が始まる。
その真ん中で、私は一つの魂を手繰り寄せた。



___




「祈りを」

自分と黒井を照らすように、澄み切った崇高な光が天内を包み込んだ。

その光は歪な青白さをしており、神話のように魂までをも照らし出す。
くまなく辺りに満ちる光を前に、気付けば天内は呼吸の仕方を忘れていた。

目の前に居るそれは、まさしく人智を超越した神に等しき存在だった。

風も無いのに波打つ月色の髪は、荘厳なる神秘を伴い、組まれた指と指の間からは救済の輝きが温かく漏れ出ている。
後頭部に座する円光は尊き人の証であり、ハラハラと天上から光と共に落ちてくるのは、儚げで優しい菊の花びらであった。

諸人救済、衆生済度。

生きとし生けるもの、全ての苦痛と迷いを受け止め救い出す、摂取不捨の光。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)

彼女はきっと、人間を救い出すために神が形を真似て地に降り立った存在なのだろう。


開かれた瞳の奥に、満ち足りた月が写し出される。

月狂条例、第九十九条


「盈虚(えいきょ)」


祈りを。


私に祈りを。

月に祈りを。

神に祈りを。


眠る魂を起こすため、迷わず戻って来れるための月明かりを。

祈りと救いと共に、ここに。
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