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夏油傑による姉神信仰について

私が中学一年生の頃、姉は中学三年生だった。

姉の居ない小学校生活を耐え抜き、中学へ上れば、姉は学校で軽いイジメに合っていた。
その事実を私は中学に上がるまで全く知らず、親すら知らず、知った瞬間に湧き上がった怒りと絶望は今でも鮮明な程に思い出せた。

だが当の本人は気にする素振りなど一つも無く、事実気にして居なかったのだろうが、その臆する事の無い真っ直ぐな姿勢が災いし、イジメがエスカレートする一方で姉を好く人間が現れ始めた。
健気な悲劇のヒロインを救うのは自分だと息巻く奴等と、イジメを行う阿呆共を両方成敗しなければならない、波乱万丈な中学生活の幕開けであった。









昼時は人の来ないゴミステーション近くの空き地にて、高学年の輩相手に拳を奮っていた。
中学になってから急激に伸び始めた身長と、趣味で続けていた格闘術にこれ程感謝することになろうとは。

姉さんのスケッチブックを捨てた奴等をひたすらに蹴っては殴り続ける。
粗方殴り終えれば、視界の端では今回のイジメの首謀者である女子生徒が怯えた様に震えていた。
誰にそんな顔する権利があると思っているんだ、お前のせいで姉さんは昨日わざわざ新しいスケッチブックを買いに行くハメになったんだ。
せっかく「今日は何も無いから、帰ったらクッキー焼く」って言ってたのに…姉さんのクッキー食べたかったのに…。

姉さんは、スケッチブックを焼却炉に捨てられても「気にしない」と言った。
でも、私は気にする。

あのスケッチブックには、姉さんが見て感じた事の全てが書き記されてあり、それは唯一私が姉さんの見ている世界を垣間見れる手段なのだ。
それなのに、お前は、お前達は。

留まる事を知らない怒りを鎮めるために息を吐き出せば、何を勘違いしたのか女子生徒が近寄って来る。
そいつはあろうことかこう言って来た。

「ゆ、許してよ、そうだ!傑くんだっけ?結構イケメンだし、お詫びに良い気持ちにさせてやろっか、ね?」

そう言って小走りに駆け寄り、私の腕に触れて来たので、即座に手を払い除ける。

何がお詫びだ、お前が詫びる相手は私では無いだろう。
そもそも詫びる事すら許さない、お前を私は許さない。

許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。
よくも姉さんを、私の姉さんを、私の大事な大切なあの人を!

怒りに任せて汚い手で触るなと、叫ぼうとした瞬間、「スケッチブックあった?」と背後からふんわりと柔らかな声がして、開けた口をすぐに閉じた。
パッと振り返れば、物陰からヒョコッと顔だけ現した姉さんがこちらを見ている。

その姿にすぐさま怒りは萎み、変わりにキュンッと心がトキメキ始めた。

な、なんて可愛い仕草なんだ…愛らし過ぎて連れ去られてしまいそうだ…。
…ん?連れ去られる?それは不味い、今すぐ側に行き守ってあげくては。

「姉さん!」

姉の登場により、怒りを一時的に鎮めた私は笑顔で側へと駆けて行く。

残念ながらスケッチブックはもう駄目になってしまっていたが、でも一緒に捨てられていたシャーペンは見付けられた。
あとでよく拭いてから渡さなければ。

姉は一度だけ私の背後をチラリと見ると、興味無さそうに髪を揺らしながらそちらへ背を向け歩き出した。

私が言うまでも無く、姉さんはあんな奴等を気に掛ける事は無い。
今までに一度だって私以外の人を気に掛けた事など無かった。

「傑くん、怪我してない?」
「してないけど、少し疲れたかな」

言いながら手を取り指を絡めれば、姉は応えるようにキュッと指先に力を入れてくれた。
甘えるように距離を詰め、肩を押し付ければ「雨の匂いがする」と空を仰ぎ見たので、一緒になって空を見る。

「まだ晴れてるよ」
「降るのは夕方かな」
「じゃあ早く帰らないとね、一緒に帰ろう」
「………………」

空から視線を外し、微笑みながら低い位置にある姉の頭へと視線をやれば、姉は突然黙って足を止めた。

珍しくその顔には、悩ましい表情が広がっている。

どうしたのだろうか。
姉さんがこんな顔をするなんて珍しい、悩んでいる様子だが何かあったのか?私の事だろうか?先程の事なら大丈夫だ、バレないように手は回しておいたから心配しなくて良い。
それともさっきあの女子生徒に声を掛けられていたのを聞かれたのだろうか、それこそ気にしなくて良いのに…私には姉さんだけだよ、私が好きなのも愛しているのも食べたいのも舐めたいのも嗅ぎたいのも抱き締めたいのも触れたいのも踏まれたいのも抱きたいのも姉さんだけなんだから、心配しなくていいのに。



この時の私は病的な程に姉に恋心を抱きはじめていた時期で、姉が自分以外に目を向けることなんで有り得ないと勝手に思い込んでいたのだった。

実際、姉は私以外の人間のことを気にしたことなど無かったので油断していた。

まさかあんな事になるだなんて、思っても居なかった。



黙り込んだ姉が歩き始めたのに合わせて歩みを再開する。
暫し沈黙があった後に、姉は私を見ずに静かに言った。

「今日は先かえって」
「………は?」

出たのは想定よりもずっと低い声だった。
次に足を止めたのは私の方、姉の手を離して変わりに腕を掴む。
力加減を間違えたのか、「いたっ」という声が聞こえたが、気にする余裕も無く真上から見下ろした。

背筋に走るゾワゾワとした不快感と、見下ろした先にある姉の異様に白い肌に、このまま衝動に任せてしまおうかと思いさらに腕を掴む手に力を込めれば、眉間にシワを寄せた姉が「痛いって」と痛みを訴えた。

「先に帰れって、どういうことかな」
「用事があるだけだよ、傑くんには関係無いから」
「無いから何?邪魔だって言いたいのか、それとも」

姉の痛みに歪んだ表情を見ていれば、逸る気持ちが更に加速した。
痛いんだね、姉さん。でも姉さんが悪いんだよ、私より優先する用事なんてあって欲しくない、嫌だよ、一緒に帰りたい。そう、私は姉さんと一緒に帰りたいだけなんだ。

腕から手を離し、今度は両手で肩を掴む。
小さな肩だ、こんな肩で何が出来るというのか。私が守ってあげなければ。
そうだ、そうなんだ、姉さんのことを守ってあげなきゃいけない。だから一緒に帰らなければいけない、これは使命だ。姉さんのためだ、分からせなければ。

「姉さんあのね、」
「そんなになら、用事終わるまで待ってる?」
「…ぇ……………え、待ってていいの?」
「いいよ?」

両肩を掴まれながら、こちらを見上げる姉はそう言って首を傾げた。
思わず私も同じ方へと首を倒す。

え、あれ?

ん…?おかしい。
用事を理由に私を除け者扱いするんじゃ無いのか?違うのか?
では、分からせは必要無い?
あれ…私、何であんなに先走った思考をしていたんだ。

「雨降りそうだから、先帰らしてあげた方が良いかと思ったんだけど」
「え、あ…そういう……」
「待ちたいなら待てばいい、なるだけすぐに終わらすよ」

言うが早いか私の手を肩からパッパッと外した姉は歩みを再開させてしまった。それはもう、アッサリと。

……………うん、知ってた。
姉さんはこういう人だ、言葉が足りないしこちらの感情を読み取らない。だから怯えることも狼狽えることもしない、ひたすら真っすぐ見つめてくるだけ、そして言いたい事を言ったら用は済んだと背を向ける。

そういう所がね…………はぁ…好きだよ……。

私のことを本当にただの弟としか思っていなくて、そもそも弟のことを有象無象の一だとでも捉えているのだろう。
こっちの気持ちなんて理解してくれないんだ、でもそれでもいい。むしろ分かっていないからやりやすい。幾らでも、何度でも誤魔化せる。

「姉さん、好きだよ」

先を行く背中に愛の一端を投げ掛ければ、振り返ることをせずに「私も〜」と適当でおざなりな愛を返された。

これに安堵し、満足した私はこの後に起きる事を何も予測出来ていなかった。
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